四分之三熟卵-kuma

天才と称されるのは、どういう思いなのだろう。
飾らない性格の彼は、きっと否定するんじゃないかと思う。そもそも気に留めていないか。
彼が何と呼ばれようと、自分ら後輩達にとって彼はいつだって、「おちゃめで偉大な先輩」。彼ほど尊敬と親しみを同時に感じさせる人を、自分は知らない。

遠藤謙さん。先日、TR35 awardという35歳以下のトップ革新者達に贈られる賞の受賞し、世界最古の科学誌「technology review」に世界的イノベーターとして紹介された彼は、高校バスケットボール部の先輩です(在学時期は被らずも、何度も練習相手として高校に訪れてくれた)。
高校を卒業した後も、謙さんが創立したOBチームでの活動を通してお世話になり続け、その後二人とも、ほぼ同じ時期にアメリカに渡りました。
(写真は、一足先に日本を経つ自分の為にOBチームが開いてくれた送別会で頂いたプレゼント。アメリカで多用する25セントコインを貯める貯金箱(熊)です。オールひらがなのメッセージが光ります。後ろには他のメンバー達からのメッセージが)。
現在は、知る人ぞ知るMIT(Massachussets Institute of Technology)でのPh.D過程を終え、日本を拠点に活動されています。

彼の研究対象はprosthetic leg、義足です。
そんな彼の研究活動の一部が、TBSの夢の扉+という番組で放送されます。
2日後の11日(日曜日)午後6時半からです。



高校バスケ部のチームメイトに、吉川という男がいます。彼と自分はポジションが被っていて、凄まじい運動能力を誇る彼からスタメンの座を奪うべく、部活を引退するまでの高校生活の2年半を捧げたといっても決して大げさではありません。
(この2年半の間、卒業生である謙さんは彼の同期たちと何度も練習に足を運んでくれて、自分達の練習相手になってくれました。こうして生まれた繋がりは、自分が高校を卒業しても続き、今に至ります。)

結局、スタメンを奪うという目標は一度も叶わず、最後のIH予選の直前に指を骨折して自分の高校バスケ生活は終わりました。捧げた2年半は、その時には報われなかったし、消化に時間のかかる終わり方だったけれど、コーチのいない環境で身体能力に優れた相手に勝つために自分の身体と向き合った時間は、今自分がいるフィールドへの架け橋になり、あの自分が本気で賭けた事での敗北を経験していなかったら達成できなかった事や到達できなかった場所は間違いなくあります。
「負けた事があるというのがいつか大きな財産になる」、というのはスラムダンクに出てくる大切な名言の一つですが、まさにその通りなのです。

さて、自分の思い出話はここまでにして、高校時代、自分にとって大きな壁となり続け、そしてその後への「きっかけ」となった、この吉川という男。世界レベルで認知される謙さんにとっても「派手につまずいた石ころ」なんだそうです。この辺りのエピソードは、番組を見てのお楽しみに。自分も楽しみにしています。
吉川も、自身のブログにて今回の事を紹介しています。素敵な文章です。

http://architraveler.blog2.fc2.com/blog-entry-958.html


最近の自分の個人的な勉強のテーマが足と下腿で、Gait cycleにおける Sub talar joint supination/pronation, Tibial roation, Femoral add/abduction, Patellofemoral pressure辺りについて論文を読んではまとめ、それを現場にどう活かすかを考えたりしていますが、その複雑かつ精巧なメカニズムに感心するばかり。
義足を作るにあたって、科学技術がどこまでこのメカニズムに接近できているのか、もしくはより合理的なメカニズムが開発されているのか。。。次に会った時に話を聞かせてもらおうと思います。

自分の主な関心対象はアスリートという身体能力に恵まれた人間達。
謙さんは、上の動画でも語られているように「障がいは人にではなく、技術にある」という信念のもと、身体障害を無くすべく研究をされています。
この違いには少し考えさせられるものがありますが、自分は自分の「きっかけ」によって導かれた情熱を突き詰めていこうと思います。

数日前、Dissertation Proposal Meeting(博士論文研究企画会議?)がありました。




これは卒業論文の最初の3チャプターである序章(Intro)、文献レビュー(Literature review)、方法(Methodology)を研究企画書として担当教授陣に見てもらい、30分のプレゼンをし、質疑応答を経た上で教授陣からのGoサインを貰えれば、データ収集に移れるというもの。これを越さないと前に進めないのでPhDプログラムの中でも一つの山場です。




夏の間はこの研究企画書に多くの時間を費やしました。企画書の75%をしめる文献レビューでは、あと苗字がXで始まる研究者の論文があれば、AからZまで全て揃うので探してみるという無駄な事もしつつ、完成してみれば100ページに近いものになりました。ページ数に意味はなく、自然とこの位の長さになりました。




自分の担当教授陣は、自分のアドバイザーであるDr. Covassin(Ph.D, ATC)Dr. Kovan(MSU football team physician)Dr. Nogle(Ph.D, ATC…Hall of Fame!)Dr. Schatz(Ph.D Neuropsychologist)の4人で構成されていて、多忙な彼らに同じ時間に同じ場所に集合してもらうのは一苦労でした。




研究内容は、自分が一番やりたかった企画は規模や色々な制限からDissertationレベルでは不可能だという結論になり変更せざるを得なくなったのですが、意義のある研究だと思うし、教授陣からも同じようなコメントを貰えたので、よしとします。




プレゼンも上手くいき、質疑応答も無事にこなして、データ分析の手法でアイデアをもらい、無事にパス。一歩前進です。今後は今セメスター中に大部分のデータ収集を終え、次のセメスターで分析して結果と考察を書くという流れです。




もうちょい。



バスケしたい。。。。


場違いな所に来てしまった。

と思ったことも多々あったMSUでの学生生活も、最後の1年に突入します。

自分のクラスは全て取り終わったのに加え、時間を割いて取りたいと思うクラスが無かったので、このセメスターはクラスを教えつつ、自分の研究が主となります。クラスを取らない学生生活というのは初めてなので、違和感があります。

最後の一年という事は、自分の次の場所を探す年でもあります。
来年の今は、どこにいるのでしょうか。
サボテンではなく、ニガウリの花が咲きました。

発芽してから驚異的な成長を見せ、手製の支柱ならぬ支糸(写真に少し写ってますね)や、謙信のために張った転落防止用のネット(英語ではChicken wireといいます。豆知識)をつたい成長を続け、ついにはバルコニーの高さを超えたものの、なかなか花が咲かず、少し心配していました。
が、ある日蕾が付いたと思ったら翌日には綺麗な黄色い花が咲いていました。
これは雄花なので実は付きませんが、他にも幾つか小さな蕾が付き始めているので、収穫に期待です。


四分之三熟卵-niga uri

一緒に育てているトマトも、一番最初になった実が、付いてから結構な時間が経っても一向に赤くなる気配が無かったので心配していましたが、ちょっと赤くなってきたかな?と思ったら、日ごとに赤さを増しています。緑が主体ながらも赤みを少し帯びたトマトに、なんとなく親近感が沸いています。
写真を載せたかったのですが、容量オーバーだったのでアップロード失敗。
合計で12個のトマトが確認されています(赤みが出てきたのは今のところ一つだけ)。


花が咲くのにも、赤みがでるのも、彼らだけが知っている正しいタイミングがあるようです。
夢が花開くのはいつか。成長を確かに感じられるのはいつか。
自分には彼らのように、その時を知る術はありません。
でも、そんなことを考える時には、心配していた主をよそに綺麗な花を咲かせたニガウリと、日に日に赤みを増すトマトを思い出すようにします。

人生の中であった、自覚している幾つかの大きな選択たち。
自覚していないだけで、人生に大きな影響を与えている選択だって沢山あると思う。
それをどれだけ自覚できているかが、どれだけ自分の人生の舵を握っているかって事なのかもしれない。

と、書き始めて3行目で話が脱線しそうになる。。。

自分のとった選択がベストだったのかどうかを確かめる術はない。
けれど、アメリカに来てからATの勉強を始めてから今まで、キャリアという観点からは、自分が想像できた(ここはポイントでもあるけど、今回はパス)選択肢の中でベストなものを選ぶことができてきたと思っている。
それは単純に、「より良い」環境にいる自分が想像できないから。
実際はそうでもないのかもしれないけれども、自分はそう思っているから、そうなのである。
選んだ道たちの中には、自分ひとりでは選択肢にすら入っていなかった道もある。

MSUにきて、3年が経ち、もうすぐ最後の一年が始まろうとしている。
この一年のメインは、卒業論文。
現在取り組み中だけれども、しんどい時もあるこの過程において、モチベーションは必要不可欠。
その一つが、完成した自分の卒業論文のAcknowledgmentsを想像すること。
製本された論文の、最初の数ページ目にあるこのページは、両親や教授をはじめとする、サポートしてくれた人たちへの感謝の意を述べる場所。
ここに、心からの感謝を綴りたい人たちが何人かいて、それを実現させることが自分を駆り立てる大きな力の一つなのです。(いきなり~ます口調になってしまったが、まあいいか)

前置きが長くなってしまったけれども、この週末は、自分がそのAcknowledgementsの中で感謝を述べたい一人が、遥々シカゴから自分を訪ねにきてくれました。
彼のアドバイス無しでは、MSUでの4年間そのものすら存在しませんでした。
冒頭に書いたように、何がベストの選択だったかを確かめる事はできないけれど、ここでの4年間以上の場所にいる自分を想像することはできません。
MSUに進学するきっかけを与えてもらっただけでは無く、自分のAthletic Trainingの世界を大きく広げてくれた先輩でもあり、バスケットという共通の情熱がある友達でもある、自分にとって本当に貴重な存在です。
最後の一年間が始まるこのタイミングで再会できたことにも、意味を感じます。


ATの話から、バスケの話、その他いろいろと、毎晩遅くまで話をさせてもらいました。
エアマットレスを膨らませるパンプの電池が切れている事に気づいた時にはお酒を飲んだ後で買いに行けず、カウチで寝てもらうという失態を犯すなど、駄目ホストっぷりを発揮してしまうこともありましたが、楽しい3日間でした。
自分のアンテナに引っかかっていなかった情報もいろいろと教えていただき、今後広げていけそうです。

謙信とも良く遊んでもらい、謙信も本当によく懐きました。
考えてみれば、謙信が人と別れたあとに泣いたのは初めてのことです。
それだけ楽しかったんでしょう。

次の再会を楽しみに、与えてもらったMSUで学ぶ機会をしっかりと締めくくれるように頑張ります。
ありがとうございました!


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(謙ちゃんの得意技、「がおー」のポーズで)