ベランダでの土いじりが楽しい。
他では味わえない、独特の時間を楽しむことができます。
自分は蜂が大嫌いなのですが、土いじりをしている時は、近くに蜂が飛んできても、余り気になりません。
(一度でも刺されたら、こんなこと言ってられなくなるのでしょうが。。。)

ベランダで、トマト、ニガウリ、オクラを育てています。
定番のトマトはともかく、なぜニガウリとオクラかというと、まぁ単純に好きだから。食べるのが。
でも、スーパーで新鮮な彼らに出会うことは稀なのです。
アメリカでは両方とも需要が少ないせいでサイクルが悪いのか、古くなって黒ずみ始めたオクラや、なんとカビがつきはじめてるニガウリに遭遇する確率の方が高いのです。
その分、新鮮な彼らを発見したときにはテンションがあがるのですが。
というワケで、種から育てています。土はこだわってオーガニック。

トマト。
これは少し前の写真で、今は小さな実が付き始めました。
ただ、受粉の確率がよくないらしく、花がついても実がならずに、そのまま枯れ落ちてしまうケースが多いです。虫が少ないせいでしょうか。
花を指で弾いて花粉を散らすようにしてから、2つの実が付きました。
四分之三熟卵-tomato

ニガウリは成長が一番著しく、毎日観察するのが楽しいです。
写真もあるのですが、企業秘密なので載せません。
というのは冗談で、写真のサイズが大きすぎて載せられず、縮小するのが面倒なのでパス。
まだ花も付いていませんが、蔓が四方八方に延びています。隣のトマトに絡み始めたので麻糸を使って支柱ならぬ支糸を作ってあげました。

次はオクラ。
トマトやニガウリと違って、ゆっくりゆっくりと育っています。
まだまだ小さいです。

根元を見てください。
何かいます。
四分之三熟卵-frog


カエルが涼んでいました。
四分之三熟卵-frog 2

実はこの写真の彼(彼女?)が現れる数日前に、バルコニーでカエルを発見しました。
異常気象とも言えるような熱日が続いていたので、水もないバルコニーにいたら干からびてしまうと思い、水を入れた小さなバケツを使って捕まえてアパートの隣の森に逃がしました。
(アパートの廊下でカエルがバケツから逃げてしまったときの謙信の焦り様が面白かった。。。)

そして数日後に、このカエル。
同じカエルではないと思いますが、気持ちよさそうに涼んでいるので、放っておくことに。
上から少し水をかけてやると、目をぱちくりと。
翌朝にはいなくなっていましたが、彼(彼女)が座っていた場所には、しっかりと窪みが残っていました。
何を思って、その場を後にしたのでしょうか。小腹がすいたのか。
お茶と茶菓子でも出してあげたい気分でした。

ちなみにオクラの横に生えている赤い茎の植物は、雑草でしょう。
オクラの種を蒔いたところから出てきたので、最初はオクラかと思いましたが、後からオクラが生えてきたので、たぶん雑草。
この大きさなら、それほど養分を横取りしないだろうし、少し愛着もあるので、これまた放っておいています。



さて、卒業論文に戻りますか。
相変わらず一年後は未定ですが、少しずつ具体的な可能性も見えてきました。
この一年間をモノにしなければ、可能性は可能性のまま消滅してしまいます。
頑張りましょう。
梅は匂いよ 木立はいらぬ 人はこころよ 姿はいらぬ

タイトルは、最近読んだ、自分が生まれる前に刊行された小説のタイトルです。
ブログの内容とは関係ありませんが、少し意味はあります。

2ヶ月半もの間ブログを放置していました。
また少しずつ、マイペースに更新していこうと思います。
At my own pace。今後の自分のキーワードです。

5月は日本と台湾に滞在していました。
日本では、多くの時間を実家で過ごしました。
少し前から、帰国する意味と目的が変わりました。正確には、意味と目的の割合が以前とは違います。
状況が変われば、自然とそうなるもので、たとえそれが自分の欲するものと違う時があったとしても、それでいいのであって、受け入れていくべきなんだと思います。
謙信と触れ合う家族、祖父母の姿を目にしているだけで、上に書いた様な事をゴチャゴチャ考える必要もなく、帰国して良かったと思えます。
そう思える家族がいるから、いろんな事が変化しても、帰国したいと思うのです。

台湾では、日本滞在と打って変わって、外出に忙しい日々でした。
フィオナの家族や友達に、とても良くもてなしてもらいました。
自分の中国語は相変わらずで、ご両親と直接コミュニケーションをとるのは難しいです。
それでも、彼らにとって自分は家族の一員なんだと自然に思えた瞬間が、些細な事を通して感じられました。それが何よりも嬉しかったです。

この夏は、卒業論文の進行と、インターンが主になります。
学生の特権でもあるインターンができるのも、これが最後になると思います。
アメリカに来てから、異なるプロ達の下で経験を積み、視野を広げてきました。
夏が終わったら、今まで広げてきた視野を糧に、進む方向性を定めていこうと思います。




アメリカで生活するようになって、7年?8年?になる。
最初の4年間は一人で、結婚してからはフィオナと2人で、そして途中から小さい怪獣が。

結婚した後に自分達がアメリカで生活しているのは、自分の学校のため。
フィオナとしては、自分以外にアメリカに来る理由は特別なかった。
両親や祖父母、友達を台湾に残して、自分と一緒に暮らすためだけに一緒にアメリカに来てくれた。
このことは、常に忘れないようにしている。
一緒に生活をしていれば、衝突することだって、たまにはある。
そういう時にも、このことを必ず思い返すことにしている。


フィオナのおじいちゃんが、先日亡くなった。
90歳という年齢もあり、それなりの覚悟はできていたようで、落ち着きは失わなかった。おじいちゃんとの思い出を、色々と話してくれた。

台湾の葬儀では、一族の一人が傘をさす習慣がある。
フィオナは小さな時から、「自分が死んだら、お前が傘を持ってくれな」とおじいちゃんに言われていた。
おじいちゃんは近所の人にも、「自分が死んだ時には、この子が傘を持ってくれるんだ」と嬉しそうに言っていたという。

おじいちゃんの葬儀は、先日執り行われた。
フィオナはその日、ミシガンのアパートで自分と一緒にいた。
フィオナのパスポートは更新のためにシカゴで手続き中で、葬儀に駆けつけることは不可能だった。

この傘の話をしてくれた時、おじいちゃんとの約束を守れなかったといって泣き出したフィオナをみて、遠いところまで連れて来てしまった責任を痛烈に感じた。

わざわざ自分の国を離れて勉強や仕事をしている多くの人には、夢や野望があると思う。
自分もその一人。
ただ、大切な人が、大切な人との約束を守れなくて泣いている姿を前に、その夢や野望にどれだけの意味があるのか、問わずにはいられなかった。
”現在”の長さは8秒程度。それを過ぎれば過去になる。
(出所が分かる人はいるでしょうか)

過去の記憶というものは曖昧で、時間が経てば経つほど、自分の都合の良いように姿を変えていきます。
それでも、本当に大切な記憶は、その本質を変えることはいつになってもありません。

ミシガンの3月としては異例の、80F(27C)という気候が2日間続いています。
ちょっと前まではダウンジャケットを着ていても寒かったのに、どうなっているんでしょう。

気温と湿度、風の具合が、なんとなく5年前から2年間過ごしたArkansasを思い出させます。
なんて思いを寄せていたら、Arkansasナンバーから電話が掛かってきました。

ニュースレターでArkansasのATプログラムで勉強する(していた)日本人学生について話を書くから話を聞かせて欲しい、というものでした。

短いインタビューでしたが、質問に答える中で、答えている言葉の何倍もの思い出が頭の中を駆け回っていました。

将来、今過ごしているこの時間を思い出す日がくるのでしょう。
その時、自分は何をしていて、何を思うのでしょうか。




 

合格すれば、もっと興奮したりするものかと思っていたのだけれど、ホッとした次の瞬間にこみ上げてきた感謝の気持ちで、勝利の余韻は穏やかなものでした。

 

この歳になってもまだ学生をやっているわけですが、卒業に向けて一歩前進しました。

 

卒業する為にクリアしなければならない条件が幾つかあるのですが、その中でも恐らく最もヘビーなComprehensive Examsに合格しました。2年半のコースワークの集大成ともいえるもので、4人の教授から出される4分野の筆記試験に合格すると、次は一同に会したその4人の教授達を相手にした口答試験、という流れ。この試験に合格しないと、卒業論文に取り掛かる資格が得られません。


筆記試験のスタイルは教授によって別々で、自分の場合はExercise PhysiologyAthletic TrainingIn houseと呼ばれる通常のテストスタイル(4時間)Human NutritionTake homeで、1週間かけてのエッセイスタイル、Statisticsは一ヶ月かけてのプロジェクト、という感じでした。



それぞれのテストを別の日に受ける筆記試験とは違い、口頭試験は忙しい4人の教授達を一つの部屋に2時間集めなければならないので、そのスケジュール調整がなんとも大変でした(教授たちの多忙さは十分理解しているのだけれど、メール返信の効率が。。。)。それでもなんとか2月28日に決定。




口答試験を受ける部屋に着いて教授たちを待っているときに、自分の手のひらが汗で湿ってきたのを感じました。特別な緊張感を味わっていましたが、最初に現れた教授と世間話をしている内に、腹が括られてきたのを感じました。一番気兼ねなく話せる教授が最初に来てくれてよかった(この教授とは、試験が終わった後にも15分ほど立ち話をさせてもらいました)。




いざ開始。

先セメスターにCompを終わらせた同僚から吹雪の中に裸で立っている感じだったと聞かされていたので、かなり身構えていたのですが、最初は割とベーシックな質問。

ところが、この調子ならいけるぞと感じ始めたあたりで、段々と変化球が投じられはじめ、さらにExercise Physiologyの質問に答えていたら、別の教授からそれをNutritionの観点から説明してみてと変化球というよりも2球同時に投げられたりと、やはり一筋縄ではいきませんでした。

それでも、自分を追い詰めようとしているのではなく、自分の理解を試そうとしている、なんというか親心的な意図が教授たちからは終始感じられたので、何度かピンチに陥ったものの不快ではありませんでした。



2時間の試験が終わると、自分は退席。教授達だけでの会議です。幾つかのミスはあったものの、持っている力は出したと思っていたので、これで不合格を言い渡されたら、それが自分の力量なんだと受け入れる覚悟はできていました。

10分後、再入室。教授たちの表情で自分が合格した事を感じ取り、スッと肩が軽くなったのを感じました。


まだ幾つか並行する作業はありますが、これで卒業論文の計画に取り掛かれます。アイデアはかなり固まってきているので、それを今セメスター中に実験可能な形に持っていけたらなと思っています。肩書きも、Doctoral StudentからDoctoral Candidateにちょっと格上げ。




この合格は、フィオナの協力無しには有り得ませんでした。自分が勉強している間に謙信の世話と家事をしてくれていただけでなく、筆記試験の添削や、口頭試験に向けたアドバイスなど。こういう場で身内を褒めすぎるのもアレなのですが、本当に的を得ているし、いい意味で容赦ない(ちょっと凹んだ時もありますが)。無事に学位を取得できたら、自分はPh.Dのコンマだけで、あとはフィオナにあげたいくらいです。



 

来週1週間はSpring Breakで学校は無し。明日明後日とバスケのトーナメントで働いて小遣いを稼いで、家族サービスしようっと。