NBAのゲームを観て、ここまで感動したのはいつ以来だろう。
自分が直接携わっていない選手の活躍に、ここまで心を動かされるなんて。

純台湾人の両親の元で、アメリカで生まれ育ったJeremy Lin。
カリフォルニアのDivision IIの高校でキャプテンとしてチームを州チャンピオンに導くものの、Division Iから奨学金付での勧誘はなく(Stanfordに行きたかったそう)、そんな中で名門Harvard Universityに勧誘され、4年間プレーします。
Harvardでは、現NBAプレイヤーのKemba Walker率いる名門Conneticutを相手に30得点するなど、その存在はESPNでも取り上げられています(この時期はESPNを観れる環境じゃなかったので知らなかったです)。




昨日フィオナが見つけてくれた、彼がゲストとして登場した台湾のテレビ番組をみました。
(番組は去年のもので、内容から察するにWarriorsと契約した後で収録されたものだと思います。彼は、中国語は理解できるけれども流暢に話せないらしく、返答は英語だったので自分でも理解できました)
このテレビ番組は宗教色の強い番組で、敬虔なクリスチャンである彼が、決してなだらかではなかったNBAまでの道程において、神への問いかけを通してどのように乗り越えていったのかなど、アメリカのインタビューなどでは知ることができない彼の姿を知ることができました。
国籍はアメリカ人とはいえ、相手の選手やコーチ、観客によるアジア人に対する差別は”out of line”なものが幾つもあったそう。NBAに入ってからはそんなことは無くなった、と番組では言っていますが、NYに住む友人の話では、熱狂的な人気の影では、やはり人種差別の発言が聞こえるそうです。

インタビューを受けたときには、かならずコーチやチームメイトの話をするし、昨日のLakers戦で38得点を挙げて勝利した後にも相手チームに敬意を表するなど、ほんとうに謙虚な若者です。いきなりスポットライトがあたり、NewYorkという場所もあり、周りの環境は大きく変わりますが、そのままでいてほしいものです。

”アメリカで育ったから”とケチをつける人たちもいます。
確かに、それもあるでしょう。アジア圏でそだっていたら、インサイドか、よくてフォワードでプレイさせられたに違いありません(191センチ)。今の体の強さも、身に付かなかったはずです。
それでも、純アジア人の血が、PGとしてNBAの舞台でこれだけの活躍をしているというのは、自分を興奮させてやみません。

締めどころが分からなくなってきたので、この辺でやめておきます。
お別れは、彼のおちゃめな一面がみえる動画で。



息子の謙信は少なくとも3カ国の文化に触れながら育つことになりますが、日本の文化の中で、これだけは押さえておいてほしい、というものが幾つかあります。


日本男児として、JOJOは外せない。これについては異論はないでしょう。

(北斗の拳という声も聞こえますが、どちらかと問われれば自分は迷わずJOJOを推します)

四分之三熟卵-JOJO2


なんて台詞を言ってほしいかどうかは別として、JOJOを語れる漢になってほしい。というか語りたい。


そんな父の想いを知ってか知らずか、




四分之三熟卵-Jaga


一歳半にしてJOJO立ち。


夕食後、いきなりのポージング。

(恥ずかしながら)家にJOJO関係のもの皆無なので、本能としかいいようがない。
なんかもう、スタンドが見える。


久しぶりの更新がこんなですいません。

息子に「やれやれだぜ」と言われる日も近そうです。
自分の進む路を選択する機会は、今までの人生に何度かありました。
アドバイスをしてくれる人達と、間違いなく運にも恵まれ、後悔している選択は、一つとしてありません。
これは、どんな路を選ぼうとも得られるものがある、といった類のものではありません。
当時の自分の能力などの色々な条件がある中で、自分が信じるベストだと思う路に進む事に恵まれてきた。
自分の思い込みではなく、事実だと思います。

MSUのPh.D課程に進学が決まったのは、NewYorkでインターンをしていた時のこと。
色々な思いの中の一つにあった、安堵の気持ち。
"この先4年間、自分が成長できると信じられる場所で過ごせる権利が保証された"

外国人がアメリカに滞在するにはステータスが必要です。
University of Arkansasでの2年間が終了に近づき、卒業後に貰えるOPTという研修ビザを使っての一年間のインターン先を探していた時期、「インターン先が見つからない=帰国しなければならない」という現実が常にありました。
特に自分はインターン先をかなり細く絞っていたので、かなりのギャンブルをしていました。

ChicagoとNewYorkでインターンを始めた時も、一年後の進路を考え続けました。
「OPTが切れた時に次の進路が決まっていない=帰国しなければならない」でしたから。

こういう経緯があったので、MSUへの進学が決まったときに、冒頭のような安堵を覚えたわけです。


自分の中で、MSUでの四年間は最後の準備期間と位置づけています。
自分が背伸びをしないと置いてけぼりをくらってしまう環境での日々は、最後の準備期間に相応しいもの。
この場所にいられる事を有難く思うし、後押しをしてくれた人たちへの感謝は忘れることはありません。

近い将来の行き先の心配をせずに、集中できるという環境は過去の経験からすると、贅沢なものです。
が、当初は感じなかった、別の感情に最近気付くことが多くなりました。

辞めるという選択肢はいつでもあるから、必ずしもではないけれど、4年間が保証されるというのは、その先4年間の自分の将来を一つの場所にコミットメントするという事(日本語が浮かばなかったので、嫌いなカタカナ英語で)。

信じていると言えど、準備期間に4年間を費やす。そして、その準備期間は必ずしも行く先を保証しない。
物凄く平たく言うと、焦りを感じる事が多くなりました。
自分の描く将来に、本当に繋がっているのかと。
答えは分かっているんです。繋がっている。繋げる事ができる。
ただ、没頭している最中に、ふと顔を上げたときに感じる、確かに存在する焦り。

先週、期末テストに向けて勉強をしている時にも、この焦りが現れました。
多分、勉強していた科目(統計学の理論)のせいでもあったと思います。

自分の中に生じた焦りやら迷いに、居ても立ってもいられなくなった自分は、バスケットボールと一番厚いジャケットを手に取り、外にでました。

今までの人生、悩む内容は年をとるにつれて変わっていったけれど、迷いを抱えた自分が向かう先はいつも同じ。
沼津東高校の体育館、所沢の航空公園のバスケコート、ミネソタやアーカンソーのジム、ミシガンの寒空の下。
迷った自分と向かい合うのに、自分が拠り所とする場所に戻るのは自然なことだと思います。

12月のミシガンの夕暮れ。道路わきに寄せられて汚れながらも夕日を反射する古い雪。
凍りついた、建物の間を流れる川。気温は分かりませんが、刺すような空気の氷点下の世界。
向かった先は、少し歩いた先にあるバスケットボールコート。

外にでて数秒で、手袋をしていない、ボールをつく手が悴み、寒さは痛みに変わる。
痛みをこえて、鈍くなる感覚。
迷いのある心に、感覚の鈍った手、冷え切った身体。あっという間に暗くなる、冬の夕暮れ。
シュートが入るわけありません。

でも、この日は違いました。
放ったボールは、擦り切れたネットが僅かに残るリングを尽く射抜きます。
バスケットに「俺を信じろ」と言われている気がしてなりませんでした。
共感は得られないと思いますが、あの時自分は、バスケとバスケをしていました。
バスケを信じること。それは自分を信じることでもあります。
自分を信じろ、と。

自分が死んだって存在し続ける、朽ちることのない、永久的な拠り所がある。
その事実を今いるステージで再認識して、幸せを感じ、一つ強くなれた気がした瞬間でした。





久しぶりの更新です。
決まり文句になりそうです。

MSUでの5つ目のセメスターが何とか終了しました。卒業まで、あと3セメスター(予定)。

待ちに待った冬休みですが、あまりほっとする時間はなさそうです。
年明けに、Comprehensive Examという大きなテストがあり、それに向けて勉強をしないといけません。

Comprehensive Examというのは、卒業に向けての必須過程です。
アメリカのPh.Dプログラムは、コースワークと呼ばれるクラスの履修をします。このComprehensive Examは、そのコースワークの集大成と言ってよく、自分がこれまで学んだ4人の教授から、それぞれの分野のテストを与えられます。

自分に与えられる4つの科目は、
Athletic Training
Exercise Physiology
Statistics
Nutrition

です。

まずは分野別の筆記試験で、その全てをパスすると、次は口頭試験が待ち構えています。
これは、4人の教授が一同に会して、筆記試験の解答について、さらに深く切り込んできます。
2時間に亘る質問攻め。ステキです。

口頭試験を終え、4人の教授によしと認められたら、Comprehensive Examをパスしたことになり、立場が現在のPh.D student(学生)から、Ph.D candidate(候補者)となります。

今まで学んできた事を総復習する機会でもあるので、それほどストレスには感じていません。が、如何せんカバーする範囲が膨大なので計画的に勉強しないと収集がつかなるのが目に見えています。

それと、担当教授から、冬休み中に論文を一つ書き上げる事を課されているので、そちらも平行して。

せっかくの休みなのに、家族と過ごす時間が限られてしまっているのが申し訳ないのだけれど、しっかりと結果を残して、協力してくれているフィオナと謙信に応えないと。

そんな冬休みです。




四分之三熟卵-武士道

ちなみに数日前は、「人生論ノート」を手にとっていました。


約9ヶ月前は、こんな↓。
成長したものです。

四分之三熟卵-reading