仕事を終えて、携帯で野球の速報を見ようと思ったら、
島倉千代子さんがお亡くなりになられたというニュースが目に入りました。
音楽を、特には愛さないかわじーのこと、ファンとかいうわけではありません。
でもこのニュースを見て、とても懐かしい気持ちと、
「もう二度ととり戻すことができない悔い」
がよみがえりました。
ちなみに先に言っておきますが、
超くだらない悔いですので、悪しからず。
1988年(昭和63年)、なら・シルクロード博覧会という大イベントが開催されました。
会場は平城宮跡と、興福寺と春日野と飛火野。
白いパビリオンが並んでいました。
この4つの会場のそばを、毎日のように、それこそ週6日バスで通っていました。
今の市内循環ですが、おもしろいバスが走ってたんですよ。
小型のバスなんですが、後ろ1/3くらいが半露天状態で、高速艇の甲板みたいな感じでした。
かわじーは後ろに乗って風に吹かれるのが好きでした。
でも市街地は渋滞で通行規制もあり、
どっちかというと、たいへん迷惑していた思い出が色濃く残っています(笑)
開催前には反対運動なんかもあったかな。奈良がザワザワした年でした。
ならシルクロード博のキャラクターは、
鹿のななちゃんと、ラクダのららちゃんでした。

↑ぱくった画像です
紫と青やったかなあ?せんとくんみたいな古代衣装着てたんです。
結構大きいヌイグルミが我が家にあったので、探せばまだあるかも(笑)
ならシルクロード博のテーマソングがありました。
メインテーマが「夢・浪漫・NARA」


ああ、君よ、美しい花のように生きて…
やったかな。
この歌を島倉千代子さんが歌っていたのです。
奈良と関係なさそうな歌詞で、若いかわじーは良さがさっぱりわかりませんてしたが、
博覧会とは思えないテローンとした曲調が印象的でした。
今聴くと、シンプルですが、普遍的でいい歌詞ですね。
「青き都」という歌詞は、古代の奈良を指しているのか、それとも遥かシルクロードの国々を指しているのでしょうかか。
かわじー個人的には、「君よこの街の風になれ」
というテーマソングが好きでした。
朝川ひろこさんが歌っていたようです。これが今探しても音源が見つからない。
別にどうってことない歌かもしれないけど、見つからないとなるともう一度聞きたい(笑)
さて、このシルクロード博の内容は、
海のシルクロード館とか、木かげバザールとか、タクラマ館とか、
名前どおり遠い絹の道をイメージした展示やったようですね。
でもなんとシルクロード博、
かわじー行ったことなくて、全く知らないんです。
毎日横を通るからいつでも行けると思っていたのか、
リアルに中二病患者やったので冷めたフリしていたのか覚えていませんが、
とにかく一度も行かなかったのです。
大仏や阿修羅は急がなくても逃げませんが、
博覧会は消えてなくなってしまいます。
シルクロード博に行かなかったことが、その後のかわじーの痛恨事になります。
特にタクラマ館。
これは飛火野にあった、
シルクロードのタクラマカン砂漠の厳しい気候を体験するパビリオンでしたが、
今でも悔やまれるんです。
なぜ私は、タクラマ館に行かなかったのか。
なぜ一生体験できないタクラマカン砂漠の灼熱を、あのとき体験しなかったのか。
今なら、木かげバザールでも、
ターバン(タオル)巻いて、笛(リコーダー)持って、壺(花瓶)抱えて、
蛇使い写真撮るくらいのことはできるのに
中二かわじーの感性の乏しさは情けない。
ああ、せめてタクラマ館だけでも行っときゃよかった。
島倉千代子さんの訃報を知って、脳内に真っ先に流れた歌は、
シルクロード博のあの歌でした。
歌とともに、
シルクロード博へ行かなかったしょーもない後悔がよみがえりました。
もう一度あの頃に戻れたら、やりなおしたいことはたくさんあるけど、
すべて後回しにして、まずシルクロード博行きます。いや、ほんとに(笑)
ちなみに、この強い後悔があったから、
かわじーは1300年祭にスタッフとして積極的に参加しましたし、
それがご縁で天平祭の雑用をやっていたりもしますし、
春日大社など奈良の社寺に興味をもったりしています。
シルクロード博は私にとって、何らかの起点になっているのです。
今はもうこのシルクロード博の歌を覚えてない人のほうが多いんじゃないかと思うけど、
私にとっては意識の底の奈良テーマソングやったのかもしれません。
島倉千代子さんのご冥福をお祈りしたいです。
島倉千代子さんがお亡くなりになられたというニュースが目に入りました。
音楽を、特には愛さないかわじーのこと、ファンとかいうわけではありません。
でもこのニュースを見て、とても懐かしい気持ちと、
「もう二度ととり戻すことができない悔い」
がよみがえりました。
ちなみに先に言っておきますが、
超くだらない悔いですので、悪しからず。
1988年(昭和63年)、なら・シルクロード博覧会という大イベントが開催されました。
会場は平城宮跡と、興福寺と春日野と飛火野。
白いパビリオンが並んでいました。
この4つの会場のそばを、毎日のように、それこそ週6日バスで通っていました。
今の市内循環ですが、おもしろいバスが走ってたんですよ。
小型のバスなんですが、後ろ1/3くらいが半露天状態で、高速艇の甲板みたいな感じでした。
かわじーは後ろに乗って風に吹かれるのが好きでした。
でも市街地は渋滞で通行規制もあり、
どっちかというと、たいへん迷惑していた思い出が色濃く残っています(笑)
開催前には反対運動なんかもあったかな。奈良がザワザワした年でした。
ならシルクロード博のキャラクターは、
鹿のななちゃんと、ラクダのららちゃんでした。

↑ぱくった画像です
紫と青やったかなあ?せんとくんみたいな古代衣装着てたんです。
結構大きいヌイグルミが我が家にあったので、探せばまだあるかも(笑)
ならシルクロード博のテーマソングがありました。
メインテーマが「夢・浪漫・NARA」


ああ、君よ、美しい花のように生きて…

この歌を島倉千代子さんが歌っていたのです。
奈良と関係なさそうな歌詞で、若いかわじーは良さがさっぱりわかりませんてしたが、
博覧会とは思えないテローンとした曲調が印象的でした。
今聴くと、シンプルですが、普遍的でいい歌詞ですね。
「青き都」という歌詞は、古代の奈良を指しているのか、それとも遥かシルクロードの国々を指しているのでしょうかか。
かわじー個人的には、「君よこの街の風になれ」
というテーマソングが好きでした。
朝川ひろこさんが歌っていたようです。これが今探しても音源が見つからない。
別にどうってことない歌かもしれないけど、見つからないとなるともう一度聞きたい(笑)
さて、このシルクロード博の内容は、
海のシルクロード館とか、木かげバザールとか、タクラマ館とか、
名前どおり遠い絹の道をイメージした展示やったようですね。
でもなんとシルクロード博、
かわじー行ったことなくて、全く知らないんです。
毎日横を通るからいつでも行けると思っていたのか、
リアルに中二病患者やったので冷めたフリしていたのか覚えていませんが、
とにかく一度も行かなかったのです。
大仏や阿修羅は急がなくても逃げませんが、
博覧会は消えてなくなってしまいます。
シルクロード博に行かなかったことが、その後のかわじーの痛恨事になります。
特にタクラマ館。
これは飛火野にあった、
シルクロードのタクラマカン砂漠の厳しい気候を体験するパビリオンでしたが、
今でも悔やまれるんです。
なぜ私は、タクラマ館に行かなかったのか。
なぜ一生体験できないタクラマカン砂漠の灼熱を、あのとき体験しなかったのか。
今なら、木かげバザールでも、
ターバン(タオル)巻いて、笛(リコーダー)持って、壺(花瓶)抱えて、
蛇使い写真撮るくらいのことはできるのに
中二かわじーの感性の乏しさは情けない。
ああ、せめてタクラマ館だけでも行っときゃよかった。
島倉千代子さんの訃報を知って、脳内に真っ先に流れた歌は、
シルクロード博のあの歌でした。
歌とともに、
シルクロード博へ行かなかったしょーもない後悔がよみがえりました。
もう一度あの頃に戻れたら、やりなおしたいことはたくさんあるけど、
すべて後回しにして、まずシルクロード博行きます。いや、ほんとに(笑)
ちなみに、この強い後悔があったから、
かわじーは1300年祭にスタッフとして積極的に参加しましたし、
それがご縁で天平祭の雑用をやっていたりもしますし、
春日大社など奈良の社寺に興味をもったりしています。
シルクロード博は私にとって、何らかの起点になっているのです。
今はもうこのシルクロード博の歌を覚えてない人のほうが多いんじゃないかと思うけど、
私にとっては意識の底の奈良テーマソングやったのかもしれません。
島倉千代子さんのご冥福をお祈りしたいです。