心が言う今日のテーマは「支配者について」です。
このテーマを出されたはいいものの、いざ書こうとすると、まあ書けません。やる気が出ない、頭が回らないと、散々です。
それこそ三属性理論で言えば、これが「支配者からの邪魔が強烈に入っている」となるわけですが、一般的に言えばこれはただの妄想、となります。
なぜなら、支配者という存在は実在を証明できるものではないから。
そもそも支配者やら虚無やら光の人やらは、「心に聞く」という技法を使って、心というこれまた正体の怪しいものに聞いたらなんか出てきた、という代物であり、普通に考えれば存在自体が怪しいと思うのが当たり前です。
けど、いろんな人が心に聞いても、支配者というのは存在するって言ってるじゃない! という反論もあるでしょう。
ただ、その「心に聞く」自体が元々は大嶋先生の本によって世間に広まったものであり、その最初の本で支配者の概念についても同時に述べられている以上、それもセットで読者に刷り込まれたんじゃないの? と考えるのが、普通の考え方かと思います。
さて、さっきから意図的に「普通の考え方」という表現を連発してますが、そもそも普通ってなんでしょうね?
コロナ以前は、風邪や花粉症でもないのにマスクをつけて外を歩くというのは、「普通の考え方」ではありませんでした。
しかしコロナの全盛期には、むしろ真逆で、マスクをつけて歩くのが「普通の考え方」になってました。
つまり「普通の考え方」などというものは、状況によって変わるものだ、となるわけですが、だから支配者という存在も普通の考え方としてあり得る、と述べるのは詭弁になります。
それを普通の考え方と呼ぶためには、「心に聞く」をみんながやるのが普通のこととなり、心に聞いたら支配者の存在が確認できるというのが普通のことになる必要があるから。
後はそもそも、「普通」だからといって、それが「正しい」とは限らない、というのもあります。
未だに色々言われてそうな、そもそもマスクをつけることがコロナ対策として有効なの? 的な話とかですね。
さて、そんな「普通」や「正しさ」に関する話は、ここで全部投げ捨てちゃいます。
なぜなら私が求めているのは、普通かどうかではないし、正しいかどうかですらないから。
それって楽しいの? 私を心地よくしてくれるの? というのが、私の求めるものになります。
その考え方で言うと、支配者という存在がいると仮定したほうが、私にとって楽しくなるのかというと、どうやら楽しくなるようなのです。
なぜなら、その仮定によって展開される物語のほうが、支配者の存在しない物語よりも楽しいから。
支配者という存在を抜きにすると、どうもいろんなことに違和感を覚えるんですよね。
例えば自分の頭の中に、自分自身や他人に対する罵倒が唐突にわいたりする。
普段はべた褒めしていた対象を、ある時はものすごくけなす思考がわいたりする。
そんなのは当たり前だよ、人間というのはそういう二面性を持ってるんだよ、というのはそれこそ常識的な考え方になりますが、「そういう二面性を持っている」という説明は、私の感覚では「支配者という存在がいる」というのと同じぐらいには、ふわっとしたいい加減なものに感じるんです。
ここをもっと掘り下げていくと、なにかを良いと思う心と悪いと思う心は同居するものだとか、精神の抑圧がうんぬんという理屈も出てくるんですが、そりゃそういう仮説もあるけどさあ、という感じでなんかスッキリしない。
けれど、そういう罵倒とかは支配者に流し込まれているだけ! というトンデモ仮説を導入してみると、不思議と結構スッキリするんです。
なお一般的には、自分の頭に他人の思考が流れ込んでいる! と本気で主張すると、統合失調症と診断されます。
ただそういうのとは別に、自分の中で生まれた罵倒というやつが、これ本当に自分の思考か? という疑いも感じるわけです。
本当の自分の思考と言うには、なんか薄っぺらかったり嘘くさかったり、そんな感覚があったりする。
その感覚に、「元々自分の思考じゃないからだよ」という仮説をくっつけると、あーそうかもね、と納得の度合いが高まるわけです。
まあつまりは、そういう物語になる、という話です。
支配者というものが実在するかどうかは知らないけれど、実在するという物語で生きると、自分の感覚がいろいろとまとまる感じがする。
そして人の幸せというものは、幸せを感じられる物語を生きられるかどうかが全てじゃないのかな、と思うんです。
もっとも、支配者という概念を導入するだけでは、まだ幸せの物語としては足りてない感もあるので、こうして毎日心に聞きながらいろいろ書いているわけです。
さて、今日のテーマとして、こうして改めて「支配者」という異端で非常識で妄想的ながら、私が今選んでいる物語の構成要素としては非常に重要な概念を心が取り上げてきたことには、どういう意味があるのやら。
その意味を私が意識的に今後理解するかどうかはわからないけど、どうであれ物語は展開していくのです。