昨日、ブログの記事、書いたんだよ〜
え?
でも、更新されてないよ。
そうなんだよ。
文章を書いて、入れる畫像がぞうを探してる閒あいだに、
なぜか、いつの閒まにか、文章が消えてて
一時保存の記事ありますって出たので、
復元!をタップしても、保存されてなかった
で、擊沈しちゃいました。
畫像がぞうを探している途中に、
ふと、保存してなくて大丈夫かな?!
って、一瞬、思ったんだよ。
だけど、いつも大丈夫だからと思って無視しちゃった。
ぜんぜん、大丈夫じゃなかった
せっかく、ちゃんと敎おしえてもらってるのに、
申し譯わけないわぁ。
心しとこ〜
人生は、本來ほんらい、樂たのしいもの
樂たのしくないもの、辛いものにしているのは、
他でもないあなた
本當ほんとうのあなたは、
本當ほんとうのあなたに戾もどってくれることを、
本當ほんとうのあなたを思い出してくれることを、
今か、今かと、
待っています。
ただただ靜しずかに
戾もどれば、思い出せば、
樂たのしいことしかないことを、
幸せしかないことを、
知ることになるでしょう。
本當ほんとうのあなたに戾もどって、
本當ほんとうのあなたを思い出して、
樂たのしく幸せに生きていきたいあなたの
お手傳てつだいをしている
上西 呂佳です
我の强つよい人や
エゴを自分だと思って生きてる人って、
川の中の
ゴツゴツした角ばってる重くて硬い石ころみたいだと感じるんだよね。
いろんなことにぶつかり、
ちょっとしたことで腹を立て、
ちょっとしたことに不平不滿ふへいふまん。
融通も效きかないし、周りのことを考える餘裕よゆうもない。
臨機應變りんきおうへんができないロボット人閒にんげん。
ね、
なんか、角張ってると思わない?!
ある日、何かのきっかけで、
大地から荒く適當てきとうに切り出されたばかりの石ころは
ポイって大地の上に放り出された。
ちょうどその場所が、小さな水の流れの中で、
石ころが自分から動くことはできず、
そのまま、そこにじっとしてた。
そうしていると、
ある日、雨が降って川の水量が增まし、
その水の力で、石ころは少し動いた。
水に押し流されて、少しずつ、運ばれていく。
その途中で、
いろんな生き物に會あい、
いろんな物にぶつかり、
會あう全てのものに協力してもらいながら、
石ころは、少しずつ、
角や角張ったところが削られていく。
時には、その場に留まるけど、
また、押し流されていく。
そして、河口に着く頃には、
角がなくなって、まぁるくまぁるくなっている。
私たちの人生とよく似てると思わない?
川の水という自分以外の力で運ばれ、
出會であいによって、いろんな經驗けいけんや體驗たいけんをしながら學まなび、
自分以外のものの力で、
動いたり、止まったりして進んでいく。
どこにいくのかさえわからない。
そうしていくうちに、
全てのことに對たいして、
認め、受け入れ、許しができるようになり、
海に辿り着く。
そして、海の中に堆積し、
大地という本當ほんとうの自分にもどっていく。
壯大そうだいなファンタジー![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/150.png)
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それが人生。
私たちは、川の中の石ころみたいなもの。
決して、エゴが思う通りには進まないし、留まらない。
人生は、
大地から切り取られて、
川の中を押し流されながら、轉ころがりながら、
海に辿り着いて元に戻るまでの旅のようなもの。
重くて角角ゴツゴツした姿から
丸丸した輕かるい姿に變かわっていくまでの旅。
私は、世界が平和になるには、
個人個人がまぁるくなって平穩へいおん平和になることで
實現じつげんできると考えてる。
大事なのは、個人個人が平和になること。
それが世界平和に繋がるんじゃないかと。
ひとりひとりが、
本當ほんとうの自分を知って生きることで
まずは小さな平和がたくさん增ふえる。
そして、小さな平和がたくさん集まれば、
全體ぜんたいがしぜんと平和になっていく。
まずは自分から![気づき](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/675.png)
![気づき](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/675.png)
あなたは、今、平和に生きてますか?