水上池。
野鳥の写真を撮りに来られてる方が何人か。
池の北の端に、ヒシアゲ古墳(第16代 仁徳天皇皇后 磐之媛命平城坂上陵)。
ある時、磐之媛は祭礼に使う葉(御綱葉(みつながしわ))を取りに紀伊国(きいのくに)(現在の和歌山県)に出かけた。その留守中、夫の仁徳天皇は八田皇女(やたのいらつめ)という女性と昼夜遊び戯れ、とうとう宮中に召し入れてしまった。磐之媛はそれを知ってたいそう怒り、取ってきたばかりの御綱葉を難波の川に投げ入れてしまう。怒りの治まらない磐之媛は難波の宮にいる天皇のもとには戻らず、淀川をさかのぼり、京都府南部を経て奈良に向かった。その後磐之媛は筒城(つつき)(現在の京都府京田辺市)に宮を置き、余生を送る。そして仁徳天皇35年6月にその地で亡くなった。のちに磐之媛は、仁徳天皇陵から遠く離れた平城山の近くにひっそりと葬られた。
🙏
古墳の南側を東へ。
振り返って。
仁徳天皇4人の皇后のひとり、磐之媛命 平城坂上陵 。
古墳に沿って北へ。
ヒシャゲ古墳外堤埴輪列復元。
円筒埴輪
bocoさんのブログで見かけて、訪ねました。
南へ歩くと、コナベ古墳(磐之媛命陵墓参考地)。
戦闘機
お隣は、航空自衛隊 幹部候補生学校でした
戦闘機の近くまで行けるか伺ったら、事前予約が必要とのこと。残念。。。
東へ行くと、ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)
近く、このウワナベ古墳に発掘調査が始まると。この古墳の埋葬者に仁徳天皇の4人の皇后のひとり、八田皇女の説。すぐ隣のコナベ古墳と北側のヒシアゲ古墳は磐之媛命の陵墓参考地になっている。磐之媛は凄いヤキモチヤキで八田皇女もホトホト苦労。死んだ後にもすぐ横で監視されているとは気の毒
野鳥の楽園
ウワナベ古墳桜。
また春に来たいですねぇ。
退散します。
真横にR24が通ってます。
よく通りますが、植え込みで古墳の存在、知りませんでした。。。
第1代 神武天皇陵
第2代 綏靖天皇陵
第11代 崇仁天皇皇后陵
第13代 成務天皇陵
第46代 孝謙・第48代称徳天皇陵
第50代 桓武天皇陵
第51代 平城天皇陵
第96代 後醍醐天皇陵
北朝2代 光明天皇陵
北朝3代 崇光天皇陵
第122代 明治天皇陵
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