今の時代は競輪に注目しよう!
最近、コロナウイルスのせいで、もはや身動きが取れなくなってしまったと感じる。
貧乏人ならではの旅行がダメだ。ネットカフェ、高速バス、電車、全てが危険と言われる状況のようだ。長時間の移動を伴うようなことは全て、親戚の家を利用しての観光地散歩も出来ない。
私の場合、何より仕事がダメだ。昨年秋、勤めていた会社を辞めた。ひょんなことから会社の隠しているブラックな秘密を知ってしまったのが原因なのだが、それとは別に、何かありそうだな、という漠然とした予感が当たってしまった。下っ端の仕事ばかりやっていたから、あのまま続けていたら、今はもう人工呼吸器を付けていたかもしれない。自分が得意の仕事は全て危険になってしまった。まあよりによって、ストライクゾーンど真ん中、業務内容、相手からして、続けていれば確実に感染していたであろうという仕事ばかりやってきた。実際、感染者が多く出ているが、それらの業界は今は自粛中で、そもそも仕事自体が無いのである。
それもこれも全て、例のウイルスの正体がはっきりしないことに原因がある。ただのウイルスではない。米国では、研究所から漏れたという話もあるくらいだ。ウイルス研究者が銃殺されたニュースとかハリウッド映画か!と思う状況、もう勘弁してくれという話だ。日本でも感染した著名人が、甘くないと言っていて、進行のスピードからしても、まず、共存など出来るはずがない。
だからといって、仕事を完全にやらずにいるわけにもいかないし、その必要も無い。全てをスローにして、のんびりとした暮らしにしていけば良い。むしろ、そうしていかなければ、体が資本の肉体労働者は生き残れないのではないだろうか。仕事は今までのように無理して都心まで行かずに、自転車で歩ける範囲で細々とやっていくしかないと感じる。コロナ後に備えて、力を付けるべく、何らかの資格の勉強を続けていこうと思う。
スポーツにも観客動員の必要なものは不運なことになっているようだ。ここに来て、観客がいなくても成り立つ公営ギャンブルは、今一番、ホットだ。競輪をネットで楽しむ人も多いのではないだろうか。これからは、競輪に一層の注目が集まるだろう。コロナ時代のスポーツとして、競輪に期待したい。
高知りょうまスタジアム改修工事完成まであと一月!
いよいよ3月、あと一月待てば高知りょうまスタジアムに競輪が帰ってくる。
半年前には予測も付かなかった事態が起きている。新型コロナウイルスのため、競輪場、場外販売が中止され、電話とインターネット投票だけになり、競輪の売り上げが大幅に落ち込んでいるという。衝撃のニュースだ。
昨日の奈良記念では、元プロ野球ヤクルトの松谷選手が優勝、37歳になって勢いを増しているのは実に頼もしい。
高知ミッドナイト競輪も見えてきた。この間、本当に長かった。野本さんとあかりさんには、是非、コロナウイルスを吹き飛ばして欲しい。
私はと言えば、長年、苦労の多い人生を送ってると思うが、ここに来てコロナウイルスとの戦いだ。何だか最近、喉が痛く、胸が痛いのだが、よく考えると、部屋の埃が溜まりすぎていて、久々に掃除をしていたら吸い込んだのか、それ以来体調を崩したので、新型ではないように思う。久々に体温計を測ったら、あまりの体温の低さに目を疑った。
あかり姫カップ開催から4年、競輪のおかげで、膝は奇跡的に治った。私事ではミイラ取りがミイラになる的な人生になってしまったが、一筋の光が見えてきた。
コロナウイルスがどうなるかは分からないけれど、どうも、現状を見るとこれまでの社会のあり方を大きく変えてしまうことになるような気がする。
実は最近、私は海援隊士の陸奥先生ゆかりの地で働いていたことを知った。実はしょっちゅう、職場で陸奥先生にご挨拶をしていたのかもしれない。別のところで膝を負傷して、高知へと旅立ったのだった。
ここで、陸奥宗光先生が一言、有り難いお言葉を下さったので紹介しよう。
「浪人は必ず勝つ!」
思わず安芸キャンプの某球団の黄色いメガホンを叩きたくなるほど元気が出るお言葉である。
やはり、海援隊はいつの時代も、浪人者の希望なのである。
今日は坂本龍馬暗殺の日
本日11月15日は、坂本龍馬さんの誕生日であり、暗殺の日です。
一介の浪人にして、国を動かした功績は、同時代人の認めるものです。
諸藩や幕府の役人の手柄のように言われるのは、龍馬には地位も権限も無かったからです。
他方で、諸藩の役人にも、幕府を倒す権限はありません。そんなことが露見すれば死罪です。
役人の仕事は、今も昔も堅実なものです。高い倫理と道徳をもって仕事を果たすことが求められました。
身分、格式、道徳ルールで雁字搦めだったのです。
そこで、自分たちの代わりに動いてくれる人が必要になりました。それが浪人であり、龍馬だったのです。
今でこそ、旅行は気ままなものですが、江戸時代は大変危険なものでした。盗賊や自警団に襲われて殺されることも多かったのです。そのため、剣術に秀でていることは非常に大きな意味がありました。
西郷隆盛は、龍馬を命を捨てている人と評したそうですが、自分の利益や栄達のことばかり考えていては、国事はなしえなかったし、また、信頼されることも無かったでしょう。
藩を超えた諸藩の連携は、討幕のための一時的なものでしかありませんでした。実際、明治初期の反乱は、突発的なものに終わります。龍馬たちがいなければ、萩も薩摩も、明治初期と同じように、当然のように幕府に鎮圧されていたと考えるべきでしょう。
藩の役人の職務は、非常に重いものがあります。薩長同盟など、誰でも思いつくことであっても、実行することの違法性は当然であり、実現は困難だったのです。藩役人の責任感と、外圧をめぐる尊王攘夷、国防をどう結び付けるのかをめぐって、身分の低い志士たちの活躍の場が生まれたのです。
チャンスあるところを見つけて、活躍の場を作る、今の時代にも龍馬の生き方は参考になるのではないでしょうか。