戸塚ヨットスクールの指導の是非はもちろんあると思いますし、なかなか苛烈であり、嫌悪感も生まれやすいと思います。
もちろん、自他の生死に直結する場合のあるヨットでありますから、厳しくなるのも頷けますし、万人受けするものでもありません。しかし、当時彼のスクールに預けるような家庭や子は、普通の教育では手に負えなかったり、家庭が絶望的であったりするなど、あの指導でなければ矯正できない場合もあるわけです。
だからといって、体罰は素晴らしい!なんて、短絡的な考えでもありません。
厚労省や児童の精神衛生の専門家からも、体罰は「子どもの脳に変形や萎縮を起こす」と発表されていますし、それほど体罰は危険なもの。
しかし、とある教育評論家のように、「体罰は法律で禁止されているからダメ」だとか「時代錯誤」だとか、「叱るとは説明する」だとか、生ぬるいといいますか、余程程度のよろしいところしかご存じないといいますか、理想論しか発言しないのもいけない。
特に、「体罰=暴力であり、全て愛がない」とする立場は立てませんね。そりゃー、感情的刹那的な怒りで殴ってしまうのはいけませんよ。
体罰を行使する条件を守り、公表されることを承知の上で、かつ退職や懲戒を覚悟の上で児童生徒のことを思っての行為までも【悪】とは思えないのです。
文科省や教育評論家、コメンテータは、【体罰は絶対にいけない】というのであれば、それの代替案を出す必要があります。
現場は、体罰がダメなのはわかりきっていますし、口で説得するのは当たり前だと考えていますよ。今まで、体罰を是とする教員には会ったことも見かけたこともありませんから。
でも、現実は甘くないしキレイじゃないんです。
評論家やコメンテータ、親が学校・教員をこき下ろすような発言の積み重ねで、小学校入学前から学校・教員嫌いもしくはなめ切った児童生徒は多いです。
小学校段階では親、中学校以降では友人関係からの影響があり、腕を掴んだだけで「体罰」、声を張り上げただけで「行き過ぎた指導」と、親が乗り込んでくるんです。
私が経験もしくは相談されたことで
「先生、手出したらクビやろ。ほら、殴ってみろや」
「あー体罰だ!暴力教師だ!!」
「教育委員会に言ったろか?」
「しゃべんな!〇すぞ」
これって、小学校低学年の子どもが大人の教員に言っているんですよね。
こんなことが学校では日常的に起こっているので、教員はただでさえストレスフルなのに、児童生徒にも怯えて顔色をうかがいながら指導している異常な状態なわけですから、最低限の懲戒は必要かと思うのです。
指導力や児童生徒との信頼関係がない無能な教員がいけないんだ!と考える人もいるでしょうが、体罰是とする戸塚氏やキレイごとばかりの尾木氏みたいな極端な意見だと思います。
そも、大学卒業したてのひよっこ達に、碌に新人教育・研修させずに即現場へ投入しているわけですから、ヨットスクールみたいに極端までにはいかないものの、代替案もなしに体罰だけ禁止するのはよろしくないんです。
児童生徒への懲戒(出席停止や更生施設送致)が容易といいますか、当たり前になった場合、それを行使した学校に対して、メディアは批判してはいけない。
もし是非を社会に訴えたいのであれば、該当児童生徒の問題行動をも公開しなければ、フェアではないです。