打ち上げ花火 -25ページ目

打ち上げ花火

ド素人の花火写真・動画館。普段の身近な出来事も。
かつて筆者が運営していた「東京西北部の中小河川」
「東京西北部の送電鉄塔」の関連情報も掲載。

※この記事は、かつての筆者が開設していたサイト「東京西北部の送電鉄塔」に掲載していたものを再編集したものです。古い写真なので建て替えられた鉄塔もあるかも知れません。

 

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片山線
かたやません 
Katayama-sen line
東電 154kV

 

新座変電所と武蔵野変電所を結ぶ短い路線。

 

新座変電所

https://ameblo.jp/uchiagehanabi-jsakurai/entry-12825538581.html

 

1
新座変電所構内。武蔵野線を併設する。(07.10.21)

 

2
(07.11.11)

 

3
(07.11.11)

 

4
この先で野火止用水、関越道と交差。(07.11.11)

 

5
(07.11.11)

 

6
1本角の武蔵野線 (手前・現在は廃止) が接近してくる。(07.11.11)

 

7
(07.11.11)

 

8
黒目川左岸の土手上。(07.11.11)

 

9
武蔵野線と交差。現在は改造されている(※こちら)(07.10.21)

 

10
隣に携帯アンテナの鉄塔が建っている。このアンテナは送電鉄塔に併設されている場合もある。(07.11.11)

 

11
(07.11.11)

 

12
笹目線と合流する。笹目線が上段に来るが、路線名は片山線。(07.11.4)

 

13
笹目線に併設されてきた朝霞線はこの付近では独立した鉄塔を持っている。(07.11.4)

 

14(中)、15(左)
武蔵野変電所構内。見えにくいが左に低い15号がある。(07.11.4)

 

(了)

 

武蔵野変電所

https://ameblo.jp/uchiagehanabi-jsakurai/entry-12764963354.html

 

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正門。今も従業員が念入りに手入れを行っている。

 

その右側にはフェンスに閉ざされた区画が。「としまえん開発に伴う既存建物基礎その他解体工事」と書かれている。まだ解体は完全に終わったわけじゃない。施工主が西武建設から大成建設に変わったので、次の段階に入っていることは確かだ。正門全体がこんなフェンスで覆われてしまう日もそう遠くはないのだろう。

 

石川橋より。葉が茂ったので冬場とは見栄えが違う。

 

臨時駐車場入口より。土砂が積まれている。

 

トリックメイズのあった付近より。

 

昆虫館近くの通用門のわずかな隙間から。サイクロンとフリュームライドのレールが辛うじてとしまえんだったことを示している。この更地があの楽しかったとしまえんの今の姿なんだよ……。

※この記事は、かつての筆者が開設していたサイト「東京西北部の送電鉄塔」に掲載していたものを再編集したものです。

 

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武蔵野線
むさしのせん 
Musashino-sen line
東電 154kV

 

廃止されたため現存しない。小説・映画「鉄塔武蔵野線」で有名な路線。実は筆者は同作品を読んだことがなかったりする。同作品に合わせるため逆順に紹介する。本来は中東京変電所(日高市)と武蔵野変電所(西東京市)を結んでいた路線だが、その後上流側から武蔵赤坂線、武蔵野連絡線、武蔵野線の3路線に分割された。旧番号も記しておく。旧番号との対照は「鉄塔調査隊」<http://actcine.com/tetto/> (現存せず)を参考にした。

 

武蔵野変電所

https://ameblo.jp/uchiagehanabi-jsakurai/entry-12764963354.html

 

 

17 (旧81)
武蔵野変電所構内。(07.10.21)

 

16 (旧80)
すぐに県境を越えて埼玉県になる。(07.10.21)

 

この辺りは黒目川の深い谷になっており、東側の急斜面にはこんな林道もある。(07.10.21)

 

15 (旧79)
埼玉県内は青看板が標準だが、武蔵野線には白看板・No.文字なしが使われている。(07.10.21)

 

14 (旧78)
(07.10.21)

 

13 (旧77)
(07.10.21)

 

片山線 9
片山線とクロスしている。鉄塔名も片山線になっている。現在は改造され似つかない姿になっている(※こちら)(07.9.24)

 

11 (旧76)
黒目川土手上。自動車教習所であり接近困難。片山線と交差した後は1本角になる。154kVなので角が長くてスマートな鉄塔。(07.10.21)

 

10 (旧75-1)
堀の内変電所構内。地下路線の堀の内線を分岐する。(07.10.21)

 

9 (旧75)
(07.10.21)

 

8 (旧74)
やや向きを変え、片山線から離れる。(07.10.21)

 

7 (旧73)
雑木林の中で接近困難。関越道を越える。(07.10.21)

 

6 (旧72)
(07.10.21)

 

5 (旧71)
国指定天然記念物平林寺境内林の中に立っており接近不能。(07.10.21)

 

4 (旧70)
高さ59.5m。あと50cm高いと赤白。新座変電所が見えてくる。(07.10.21)

 

3 (旧69)
(07.10.21)

 

2 (旧68-3)
新座変電所構内。(07.10.21)

 

片山線 1
同上。これも片山線に併設。(07.10.21)

 

新座変電所

https://ameblo.jp/uchiagehanabi-jsakurai/entry-12825538581.html

 

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富士見市の新河岸川の砂川堀合流点で改修工事が行われている。昭和初期に築かれた古い水門が残されており、この部分だけ低かった堤防のかさ上げを行うようだ。

 

合流点を望む。既に左岸は組み上がっている。

 

新河岸川の対岸より。古い水門が残されている。歴史的な価値があるのでこのまま残すのだろうか。

 

水門のアップ。銘板には

 

管樋川砂
工竣月六年二和昭

 

と書いてある。

 

しかし10日、この古い水門も破壊されてしまったのを確認。

崩れた水門。90年以上お疲れさまでした。

 

工事前、一昨年の台風19号の翌日。堤防の低い部分に濁流が迫る。

コロナ禍で花火大会どころではない今日この頃だが、いたばし花火大会・戸田橋花火大会は11月6日に開催を決定したようだ。しかし変異株が猛威を振るい、大阪では東京より大変な事態に陥ってるし、東京も次第にこうなるように思われる。ワクチン接種も日本は極めて鈍いし、嬉しいというより無事開催できるか不安という気持ちの方が強い。主催側も実際のところそう思っているのではないだろうか。

 

過去の大会より(09.8.1)

 

(出典)
令和3年度いたばし花火大会の開催候補日が決定!!
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/kusei/profile/event/hanabi/1020546.html
第68回戸田橋花火大会は2021年11月6日(土曜)を開催候補日として決定しました
https://www.city.toda.saitama.jp/soshiki/214/keizai-hanabi-chuushi.html

 

21.7.11追記
予想通り中止になってしまった。今の時世では数10万人集まるイベントの開催は難しいだろう。
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/kusei/profile/event/hanabi/1020546.html
https://www.city.toda.saitama.jp/soshiki/214/keizai-hanabi-chuushi.html

練馬区大泉の白子川・東西橋~前田橋付近で改修工事が行われている。既にしっかりしたコンクリート護岸が構築されていた部分のため、まずこれを取り壊す大掛かりな工事になっている。

正門。閉園以来今も変わらない。

 

フェンスには季節に合わせて飾り付けが施されている。太陽電池によるイルミネーションまで仕掛けられている。西武側はこんなことやらないだろうから、「としまえんを愛する誰か」によるものと思われる。

 

中之橋より。解体工事は既に終わったのでこの辺りの桜は生き残ったことになる。しかし、楽しかったとしまえんはもう戻ってこない。

 

としまえんに関係ないけど、この付近の石神井川の桜並木。

地元練馬区ネタ。
西武線石神井公園駅南口のバス通り。乗用車同士がすれ違うのもなかなか大変な狭い道路をバスが高頻度で行き来する都内でも有数の狭隘路として知られていたが、27日から新しく開通する道路へと切り替わるため、バスは見れなくなる。

 

現在この道を走るのは[阿50]阿佐ヶ谷駅行き(関東バス)、[荻11]荻窪駅行き(関東、西武バス共同)、[荻14]荻窪駅行き(西武)の3路線。[荻11]は1時間に1便と少ないものの、他の2路線は10分間隔くらいで運転されている。[阿50]は中型車(車体幅が2.3mとやや狭い)だが、[荻14]は幅2.5mのフルサイズのバスで運転されている。

 

下記動画にはバス同士がすれ違うシーンはないが、商店街で人や駐輪が多く、苦労して走る様子が伺える。この交差点には常に誘導員が配置されている。

 

 

 

以前は[吉60]吉祥寺駅行き(西武)、[石01]石神井循環(西武)、[石02]成増駅行き(国際興業バス、西武共同)、[石03]練馬北町車庫行き(国際興業)もこの通りを走っており(上記動画の交差点を手前側へと曲がっていた)、かなりバス密度の高い道路であったが、これらは現在は北口発着となっている。

甚大な被害を起こした東日本大震災から10年が過ぎ去った。当時を振り返り、個人的な体験を思い出せる範囲で書き出してみることにする。

 

<11日>

筆者の職場は東京・新宿区、有楽町線江戸川橋近くの、いわゆる牛込地区だ。自宅は同じく有楽町線の氷川台駅近くだ。

 

金曜日の午後、普段通り勤務中にそれは襲ってきた。最初はよくある地震だと思っていたものの、急に揺れが強くなった。明らかにいつもと違う規模の地震だ。慌てて外へ出る。大地震の時は割れた窓ガラスが降ってきたりするので外へ出てはいけないと広く言われているが、筆者の勤務先は築50年近いと思われる木造モルタルの古いオフィスであり、むしろ留まる方が倒壊の恐れがあるため危険と考えたからだ。

 

近所の人達も同じように慌てて出てきている。走行中の車もさすがに止まった。近くの高層ビルが見たこともない勢いでブンブンと揺れている。揺れている時間も長い。只事じゃないと思った。

 

揺れが収まったので部屋に戻る。老朽化した古い建物だが潰れなかったのが何より。ネットを見るとかなり大きな地震のようだ。震源は三陸沖、大津波が襲う危険性あり、直ちに高台へ避難せよと呼びかけている。また首都圏でも電車が運転を見合わせているとか、湾岸地区で大規模な火災が発生、さらに千葉では石油コンビナートが爆発したという情報も入ってくる。

 

そのようなニュースを横目に、零細企業のうちは普通に仕事。終わったのは20時頃。帰路に付くが、電車が動いていない。ネットで運行状況を調べると首都圏の大半の路線が止まったままだ。とりあえず駅に降りてみたが、やはり動いておらず、再開は未定とある。

 

仕方がないので外へ出てバス停へ向かう。江戸川橋からは練馬車庫(西武線桜台駅近く)行きのバスがある。道路が渋滞しているようでなかなか来ない。30分くらい待ってようやく来たバスに乗る。超満員。入口のドアのステップにやっと乗り込む。運賃すら払えない状態だが、緊急事態なので運転手も何も言わない。ドアの鎖が足に当たって痛い。

 

出発する。案の定、猛烈な渋滞だ。目白坂を登って椿山荘の辺りからほとんど動かない。そのほんの少し先、目白台運動公園(故田中角栄元首相邸跡)まで移動するのに1時間近く掛かり、「もうほとんど動きません。歩いた方が早いと思われます」と運転手からアナウンスが入る。みんな降りる。もちろん筆者も。時刻は22時頃だったか。

 

ひたすら西へ向かって歩く。日本女子大を過ぎ、不忍通りと合流する。その先に副都心線雑司ヶ谷駅がある。駅は開いていたが、動いてないだろうなと思いつつも一応降りてみる。やはり動いていない。時間と体力を浪費してしまった。

 

次の目標は池袋。明治通りへ入り、北へ向かう。暗渠になっている弦巻川を超えて坂を登りきると池袋だ。ここまで来ても単なる中継点でしかないだろうと諦めつつ、通称ビックリガードからふと線路の方を見てみると……

 

   西武線が動いてる――!

 

西武線は安全確認が取れたのでその日のうちに運転再開したのだった。この時だけは西武線が神に見えた。ビックリガード隣の西武線専用改札からホームに直接入れる。ホームに停車中の電車の座席に座った。やっと座れた。時刻は23時近かったと覚えている(話によると大江戸線も比較的早い時間に再開されたようだ。大江戸線でも少し歩くが牛込柳町~都庁前~練馬の経路で帰ることができる)。

 

安全のため、速度を落としての運転。遅くてもいいから、とにかく動いてくれることに感謝せねばなるまい。JR東日本などは本日は一切運転しませんとシャッターを下ろして駅から客を完全に締め出してしまう有り様で、帰宅困難者が大勢出たのは記憶に新しい。

 

池袋から4つ目、氷川台から最も近い桜台で降りる。氷川台駅へ向かってバス通り(現在はバスは廃止され走ってない)を歩く。同じような人が多く列をなしている。

 

しばらく歩き、ようやく最寄り駅の氷川台駅の自転車置き場まで辿り着いた。23時40分、もう日付が変わろうとする目前だ。自転車は地震でみな盛大にひっくり返っていたが、自転車に跨ってしまえばこっちのもの。こんな時に自転車は本当に便利だ。聞くところによると都心部の自転車店では帰宅困難者が自転車を買い求めに殺到し長い列ができていたらしい。

 

まずは近くで暮らす高齢の親のところへ寄る。電話は何度掛けても回線がパンクして通じないので、実際に尋ねるしか確認のしようがない。幸い両親は無事だった。夜食をいただく。昼食以来何も食べてなかったのでありがたい。礼を言い、自宅へと向かう。

 

自宅へと戻ってきた。室内では棚などの小物があれこれ散乱し、液晶モニタがひっくり返り床に転げ落ちている(当時使用していたのは軽量小型な17インチ)。相当大きな揺れだったことが分かる。

 

部屋を片付け、シャワーを浴びたいが、ガスが止まっている。メーターの復帰ボタンを押して供給が再開するのを待つ。以前、電子メーターが普及し始めたばかりの頃、地震後の復帰の方法が分からないとガス会社に電話が相次いだ、という話をよく聞いたものだ。

 

その後はしばらくネットに貼り付きニュースを見る。いつの間にか夜明け近い時刻になっていた。東京はあれだけ揺れて震度5強であった。東北で記録された震度6強~7とは一体どのような揺れなのだろうか、想像も付かない。

 

<12日>
昨夜遅くなり、土曜日だったこともあり寝坊してしまう。ネットでニュースを見ていると情報が錯綜し詳しいことははっきりしないが、徐々に災害の規模が明らかになってくる。そんな中、福島の原発が爆発したというとんでもないニュースが飛び込んでくる。「日本終わった」と真面目に思った。だが核爆発が起こったわけではなく、容器内で発生した水素が爆発したらしい(調べたところ、原発では原爆のような核爆発は起きないとのこと)。いずれにせよ放射性物質が大量に飛んでいそうで、大変なことになってしまった。

 

<13日>
日曜日。世間は大変な事態に陥ってる中、気分転換にサイクリングに出かけてしまった。郊外の広い農地へ出てみると、何も変わった様子はない。大地震や原発爆発が起こった様子は全く感じられない(実際は瓦葺きの屋根の家がかなり損傷していた模様)。ところが、昼食を買いにコンビニに入ったところ、食料品がほとんど売っていない。高速道路が絶たれたことで物流も麻痺してしまったのだ。

 

<14日>
月曜日。原発爆発で電力が足りなくなり、計画停電を行うという。しかし経済的に重要な東京23区は一部を除いて対象外。埼玉県から通う同僚は、停電中は車の明かり以外は真っ暗だと言っていた。交差点では警官が手信号で誘導する。信号が動かないことが原因で事故が発生したりもした。

 

自社の発電所を持つJRは首都圏ではほぼ通常通りの運行。筆者の乗る有楽町線は動いてはいるものの、普段の半数くらいの本数で他社乗り入れは打ち切っている。私鉄は計画停電にに合わせて運休。早朝の5時台に遠方からの列車が数本走り、計画停電の行われる6~22時は23区内の折り返ししか走らない状態。驚いたことに、この早朝に数本だけある遠方からの列車が超満員。そこまでして働かねばならぬのか日本人よ。

 

昼食を買おうにもコンビニの弁当やパンは空っぽ。仕方なくクラッカーを買い代用食とする。それすら残り少ない状態。やはり職場にも乾パンなどの非常用品は備えておくべきだと痛感した。この品薄は2週間くらい続いたように記憶している。

 

一方、爆発した原発では、核燃料の冷却水がなくなりむき出しになっている状態。上空から自衛隊のヘリが放水を行ったりした。想像を絶する高い放射線を放つ原子炉の真上をヘリで飛ぶとか、考えただけでも恐ろしい決死の作戦であった。

 

原発への放水に使われたものと同型のヘリとバケツ。空自仕様なので、実際に原発で放水を行った陸自のものとは多少異なるかも知れない。入間航空祭にて。

 

計画停電は3月下旬まで行われた。電力需要がピークに達する夏はどうなってしまうのだろう。猛暑日にエアコンが動かないなんて考えたくもない。しかし自動車業界を初めとして、重工業が土日に工場を稼働し平日を休みにするなどの工夫により、計画停電なしに夏場も乗り切ることができた。

 

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思い出したことをあれこれ書き出してみたら長文になってしまった。あれから10年、都内で暮らしていると震災のことは忘れてしまいがちだが、津波の直撃を受けた東北の沿岸部は今も完全に復興していないところも多い。原発も廃炉まで後30年掛かるなどと言われており、先はまだ長い。

 

コロナ禍で混乱している今、再び震災級の地震が襲ったら、日本は一体どうなってしまうのだろうか。今年2月13日にも福島沖で震度6強の地震が発生しており、さらに今月5日にはニュージーランド沖でも大きな地震が起きている。東日本大震災の約2週間前にもニュージーランド沖で大きな地震が発生した。近いうちに再び巨大地震が日本を襲うかも知れない。そのことを誰もが常に頭の片隅に留めておく必要があるだろう。

 

黙祷...