プロレタリア文学に触れてみようと考える | やっぱり本が好き!

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様々な小説作品を読んだ感想、備忘録、ちょっと珍しい?本との出会いの記録など、本や文学についてのとりとめないよもやま話を綴っています。数年前から、小説であれば純文学、SF、ミステリー、ハードボイルド何でも問わず読んでいる"にわか"本好きです。

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 「夜明け前」の続きを読みだしたものの、素晴らしく乱れることのない清冽な文章を追いかけていると、自然別の横槍が頭をよぎったりする。


 そのほとんどが、今の間に挟んで読めるものはないかとの考えになるのであるが、ふと今まで存在は知っていながら手を付けることがなかったプロレタリア文学(=私の中では小林多喜二)のことが気になりはじめた。


 プロレタリア文学が何たるかについて語るには、余りにも無知蒙昧甚だしいのでここでは差し控えておくが、唯一作風に関心を抱き一作読んだのが葉山嘉樹の作品である。


 それとの関連性はないのであるが、今まで関心を抱くこと自体うっちゃっていた小林多喜二の「蟹工船」をはじめとする労働者階級の苦しみや闘争が綴られた作品に目を向けてみたいと思い始めた。


 時代・労働環境こそ随分昔と異なれど、私自身一人の労働者として、昔のことも識っておいても悪くはないんじゃないかと思った次第で。


 よくよく考えると、個々には苦しい経験をしてはいるものの、監督署や組合などの労働者を保護する機能もあり、現に堅実にさえすれば何とか暮らしてゆける環境にある私たちは随分恵まれているのではないのかと、葉山氏の作品を読むと思ったのである。


 作品は創作とは言えど、今日明日を食べるのに困窮し、働きたくても働けない人々の魂からの渇望が窺い知れる。

今日食べるためには、病身で衰弱した裸体をさらけ出しても稼ぐことをも厭わないのである。


 そんな思いで、「蟹工船」が確か古本屋さんにあったと思い、いつもの近代文学コーナーを覗いてみると少し勘違い、あったのは同氏の「党生活者」で新日本文庫という聞いたことない出版社だったので、こちらも勉強してみようと100円で購入する。


 よく見る「蟹工船」と併録されてないのもポイントである。



 少し経験を語ると、海外出張の折、その国では日本で言うところの秋頃大体的なストライキが起きており、私たち滞在者は宿泊施設を変更せざる得ないほどの状況であった。

 おまけに通勤途上の幹線道路でも過激なデモの立ち往生により迂回を余儀なくされることもあり、世界各国このように少なからず様々な形で労働者階級の愁訴をしているのだと識ることもあり。

 さあ、どのタイミングで読み挟めようか。
「蟹工船」といずれかで読書会でもしてみたいものである。