山手線の田町行き
ニュース等でご存知の方も多いと思いますが、昨日早朝に有楽町駅高架下で起きた大規模火災。
JRの通信ケーブルにも延焼してしまい、東海道新幹線、山手線、京浜東北線、東海道線で13時までにトータル最大200本以上の列車が運休となる事態に‥‥
10時過ぎから京浜東北線は上野と品川、東海道線も品川での折り返し運転に切り替えて運転を再開、追って山手線も池袋~新宿~渋谷~田町での折り返し運転を実施したのですが、ここで見る事が出来たのが画像の田町行き。
山手線の車両基地は大崎にある東京総合車両センターなのですが、品川と池袋にも同センター派出所として留置線があり、主に深夜帯に品川や池袋止まりとなる山手線の車両を収容します。
翌朝これら留置線から出庫する車両のうち、品川から出庫する車両は、構内の線路配置の都合、品川駅ホームを通り越し、隣の田町まで回送で走ったのち田町始発として運転します。
しかし逆に田町止まりとなる列車は現行のダイヤでは存在しないため、この田町行きはかなり貴重な列車となりました。
103系の日
今日は1月03日→103系の日です。
1957(昭和32)年に登場した101系が、様々な事情から本来の性能を生かし切れず、不経済的な車両となってしまった反省点を踏まえ、101系と比してより経済的かつどんな条件下でも使えるな車両として1963(昭和38)年に登場しました。
阪和線で今なお主力の103系
1984(昭和59)年まで実に21年間で、実に3447両もの車両が製造された歴代最多製造記録を持つ車両です。
大阪環状線・桜島線(ゆめ咲線)で活躍するオレンジ色の103系
1988(昭和63)年度からは、老朽化に伴う廃車が発生する一方で、各種更新・リニューアル改造も行われ、バラエティーに富んだ外観なのも特徴です。
2006年に引退した鶴見線103系
JR東日本、東海、西日本、九州の各社に継承され、JR東海は2001年度、JR東日本は2009年度に全廃となり形式消滅、JR西日本、九州に総勢400両弱が配置されています。
今年は、103系の誕生から50年を迎える節目の年‥‥
1957(昭和32)年に登場した101系が、様々な事情から本来の性能を生かし切れず、不経済的な車両となってしまった反省点を踏まえ、101系と比してより経済的かつどんな条件下でも使えるな車両として1963(昭和38)年に登場しました。
阪和線で今なお主力の103系
1984(昭和59)年まで実に21年間で、実に3447両もの車両が製造された歴代最多製造記録を持つ車両です。
大阪環状線・桜島線(ゆめ咲線)で活躍するオレンジ色の103系
1988(昭和63)年度からは、老朽化に伴う廃車が発生する一方で、各種更新・リニューアル改造も行われ、バラエティーに富んだ外観なのも特徴です。
2006年に引退した鶴見線103系
JR東日本、東海、西日本、九州の各社に継承され、JR東海は2001年度、JR東日本は2009年度に全廃となり形式消滅、JR西日本、九州に総勢400両弱が配置されています。
今年は、103系の誕生から50年を迎える節目の年‥‥
建設費10億円全額負担
87年前に華々しく開業、初日だけで10万人の利用者が押し掛けた銀座線。
開業フィーバーが一段落すると、地下鉄より安い市電(都電)や何処まで乗っても1円均一の1円タクシーの影響で一日あたりの利用者も2万人程度に落ち込み、懸案の上野から先、新橋までの延伸に頭を抱える事態になりました。
そんな中で舞い込んできた三越前駅建設話。
上野から中央通りの下を新橋まで走る銀座線は、神田川の下を潜る難工事からまずは万世橋仮駅(跡地はアキバの石丸電気の前に通風抗として存置)まで開業したのち日本橋まで開業、さらに三越前、銀座、新橋と開業していくのですが、このうち三越前駅は、銀座線建設工事を視察した当時の三井銀行(現三井住友銀行)の常務取締役だった池田成彬(のちの日銀総裁)の発案で、ナント同じ三井財閥系の大手百貨店「三越」が駅の建設費を全額負担を申し出て開業した駅です。
三越は、改札口とデパートを直結させれば雨風を凌げ、わざわざ夏の炎天下や冬の木枯らしの中を歩く必要も無いから、銀座線も三越も客は確実に増えるし、車掌や駅員が駅名の三越前を連呼すれば、それだけで宣伝になると当時の東京地下鉄道幹部達に説いたのです。
このため三越は、代わりに駅構内の看板、改札から入口までの通路に設置するショーウィンドーは三越が独占出きる事を条件に、イタリア産大理石を使って当時の価格で42万円、現在の価格で10億円を投じて駅を完成させました。
今じゃ当たり前な改札口を出るとそこはデパ地下という最初の事例がコレでした。






