パムのてきとーブログ -129ページ目

パムのてきとーブログ

いろいろと書いていきます
当ブログは、民法720条1項/2項(正当防衛/緊急避難)、及び公益通報者保護法2条1項(内部告発)に基づく内容があります。
「パムのトラブル」等への宣言
https://tl.gd/n_1srqui4
同情無用!心配不要!
#拡散希望
https://amba.to/3uhHoy2

http://urx.red/wtIM

※専門用語が多数出ますが、各自、ググっていただける様お願い致します。


プログラマーの中でもWebサイトのプログラミングに特化した人をWebプログラマーといいます。

しかし、一口にWebサイトといっても漠然としていて、どのような仕事をするのかイメージが湧きづらいと思います。

今回、
 Webプログラミングの仕事内容が、具体的にどのような業務内容なのかと、
 Webプログラマーの魅力
について解説いたします。

「パム」も元「Webプログラマ」でした(笑)




Webプログラマーとは?

Webプログラマーというのは大体
 「Web系のプログラミングをする人」
を指します。
デザインを元にWebページを作る人も、入力された情報から処理するプログラムを作る人もWebプログラマーと呼ばれています。
Web系でイメージしやすいのはAmazonのようなショッピングサイトですね。

「パム」が経験したシステムは、
 ・業務用システム
 ・CMSパッケージ
 ・SNS(小規模なSNSです)
 ・携帯電話公式サイト(ガラケー時代)
 ・ECサイト(ネットショッピング)
 ・ウェブホスティングサービス
 ・ソーシャルアプリ
 ・業務用パッケージ
など、多岐に渡ります。




ショッピングサイトや会員制サイトの動かすためのプログラミングをする人

Webプログラマーは、Webシステムを動かすために実際にコーディングする人です。
ほとんどのWebシステムが
 「Internet Explorer」
 「Google Chrome」
 「Safari」
のブラウザで操作します。
Webプログラマーの仕事はブラウザで見える
 「クライアント」
とクライアントからのリクエストを処理する
 「サーバー」
に分類されます。

ブラウザに「Firefox」が無いのが非常に引っかかります(笑)
ガラケーのインターネット/スマホの普及により、Webプログラマが開発をする上で考慮すべき環境が増えました。
そういう状況に対応して開発と動作確認をする時に便利なブラウザが「Firefox」でした。




リクエストを要求する「クライアント」

主に
 「HTML」
 「CSS」
 「JavaScript」
で記述します。
最近は
 「jQuery」
を使うことがほとんどです。
HTMLの記述はプログラミングではない、という意見はあります。
しかし、Webプログラマーの仕事としてはよくある内容です。

実際は、「HTML」「CSS」「JavaScript」(今では、JQueryも!)を知らないと、Webプログラマの仕事はできません。
これらは「できて当たり前」です。



リクエストを処理する「サーバー」

主に
 「Java」
 「C#」
 「Perl」
 「PHP」
 「Ruby」
 「Python」
で記述します。
大きなプロジェクトではJavaが多く、開発期間の短いアジャイル開発では
 「PHP」
 「Ruby」
 「Python」
を使うことが多いです。
Webプログラマーの仕事はこのサーバー側の開発が多いです。

更に、データベースとやり取りする場合は、
 「SQL文」
 「ストアドプロシージャー」
などの言語も必要不可欠です。

 *アジャイル開発…
  短い期間で「設計→開発→テスト→リリース」を繰り返す開発手法。
  一つのサイクルは大体二週間程度でスマホゲームはその典型。

かつては、開発言語に
 「C言語」
 「C++」
 「VB Script」※Windows 専用
 「J Script」※Windows 専用
 「Active perl」※Windows 専用
 などもありました。
「パム」が得意としていた言語は
 「PHP」
でしたが、
それ以外に、
 「Java」
 「Perl」
 「VB Script」
による開発も経験しております。

また、スマホ特に「iPhone」を意識する場合は、
 「Objective C」
も重要になります。
また、「パム」がつまづいたの箇所の一つが、この
 「Objective C」
でした。
開発時に「macOS」が必要になりまして、なれない「macOS」に手こずったりしていたのです。

サーバと画面上でデータを受け渡す必要がある場合や、異なるサーバ間でデータをやり取りする場合は、
 「JSON」
 「XML」
 「HTML」
 「HTTP」
 「Ajax」
などの技術を利用していました。




Webプログラマーは業務範囲が広い

Webプログラマーはクライアントとサーバー両方のコーディングをしているため、作業範囲が広いことが多いです。
特にアジャイル開発のプロジェクトでは、短いスパンでチーム一丸となって開発します。
そのためプログラマーといった境界線がなく、SEと同様の業務をすることもあります。

えっとぉ・・・、この書き方、困りますねぇ・・・。
「クライアントとサーバ両方のコーディング」を1人でした方が効率よく仕事ができるのですよ。

例えば、
 「Dynamic HTML」
 「HTML5」
 「Ajax」
 「JavaScript」
 「JQuery」
 「JSON」
 「XML」
の技術は、サーバ内部の処理とも密接に関わります。
変数の受け渡しなどもありますので、両方を一度にする必要があるのです。




年収ベースでも大きく幅があり、高収入を目指すには技術力が必要

未経験の場合、Webプログラマーの年収は300万程度でスタートすることが多いです。
Webプログラマーとしての実績を積み、技術力を高めることで年収600万程度なら現実的十分可能です。

 要件定義に出席できるようになれば、更に収入もプラス!
  要件定義とは顧客が
   「こんなシステムを作ってほしい」
  という要望をヒアリングして、文書化することです。
  プログラマーで要件定義に出席することはほとんどありません。

  しかし、高い技術力を求められたオブザーバーとして参加することがあります。
  そのようなWebプログラマーは給与面だと700万以上の方もいらっしゃいます。
  Webプログラマーの業務範囲が広く、能力の高いWebプログラマーほど給与面でも優遇されるということですね。

ある時期まで「パム」の収入も高かったのですが、とある時期から一気に年収が下がりましたwww
これは、「パム」の勉強不足が原因です。
この「パム」のように不勉強だとおいてけぼりになります!




プログラムを書くコーディング

プログラムのコードと呼び、コードを書くことをコーディングといいます。
コーディングする部分は前述したクライアントとサーバーの二種類になります。

実は、この「コーディング」に使う時間は短いのです。
「パム」は、「同じプロジェクトの他のプログラム」を参照してコーディングする事で、
 ・業務の効率化
 ・他のプログラマとスタイルを揃える事による事後にメンテナンスする人が容易にプロジェクトに関われるようにする
事を心がけておりました。




要件定義や仕様書に基づいた画面の作成

要件定義やデザイナーのおこしたデザインを元に、Web画面を作成します。
こちらはクライアント側ですね。
デザイン通りに画面を作るだけでなく、
 アニメーション効果を加えたり、
 画面に入力された文字列のチェックをしたり、
と様々なことを実装します。

この画面作成なのですが、「個人向けのシステム」などでは、すでに画面がデザイナーやプランナーが作る事が殆どでした。
 出来上がるドキュメントは、
  ・Power Point
  ・Illustrator
  ・Photoshop
  ・Acrobat
  ・口頭
が殆どです。

それが大規模プロジェクトだと、
 ・Excel
 ・Word
 ・Visio
 ・Wiki
で、SEやプログラマがドキュメントを作成していました。




画面のインプットを処理するコードの作成

仕様書に基づいてクライアント側のインプットから、それを元に処理をする機能をコーディングします。
こちらはサーバー側ですね。

 会員情報登録画面で入力された内容を元に、実際にデータベースに登録する処理や、
 ボタンを押したときに別の画面へ移動する、
といった部分を実装します。

Web系のシステムは、
 ・画面表示の為の情報検索 ※SQL文の「Select文」
 ・画面捜査による情報登録/編集 ※SQL文の「Insert文」「Update文」「Delete文」「Truncate文」
が基本です。



「    
コーディングしたものをテスト

コーディングが終わったコードが正しく動いているか確認することをテストといいます。

 テスト仕様書の項目をテストする
  SEの方が作成したテスト仕様書の手順に沿って、コードの動作をテストします。
  プロジェクトが少人数の場合、自分で書いたコードのテスト仕様書を作成し、それに沿ってテストすることもあります。

 負荷テストを行うこともある
  Webプログラマーが行うことはほとんどないが、負荷テストというものがあります。
  例えば
   「1秒間に100リクエスト同時」
  に送ってWebサイトのアクセスに問題ないか、というのが負荷テストです。

 Web系だとSEの方をやっているところを見かける機会が多いので、頭の隅に置いておきましょう

中小企業の開発現場ではテスト仕様書もありません。
その前に「仕様書」もありません。
その場合は、
 ・修正箇所の動作確認
 ・修正が影響を与えそうな他機能の動作確認
などを中心にしていました。




テストコードを作成する

プログラミングをしている場合、テストコードの作成をすることがあります。
簡単にいうと
 「プログラムが正しいかテストするためのプログラム」
です。
テストコードを使うことで仕様変更や他の人がテストしても、同様の結果を得られるようになります。

 他のテスターから上がったバグの修正
  他の方がテストをしてバグが見つかった場合、その修正をします。
  ほとんどの場合、そのコードを作った人が修正をします。
  基本的にプログラムを書いた人が、テスト仕様書に沿ってテストすることはありません。
  他の人のプログラムについてテストを実施することになります。
  これはバグを見つけやすくするために別の人にやってもらう意図があります。
  少人数生のプロジェクトだと、自分たちで行うこともあります。

大規模システムでは、
 ・開発担当者によるテスト
 ・テスト担当者によるテスト
 ・顧客によるテスト
の3段階があります。

しかし、中小企業の開発現場では、
 ・開発担当者によるテスト
 ・開発依頼者(社内の人)によるテスト
で終了です。




ドキュメントの作成や修正

Webプログラマーが0からドキュメントを作ることはほとんどありません。
既に書き終わっているドキュメントに対して、修正・加筆をすることがほとんどです。

 ExcelやWordだけじゃない!Wikiへの追記もある
  ExcelやWordで作られたドキュメントを編集するだけではありません。
  プロジェクトによってはWikiに更新した内容を追記していくことで共有の簡略化を図っているところもあります。

 大企業の仕事の場合、納品物にドキュメントがある
  大きな企業や官公庁(お役所のこと)への納品時はプログラム本体をリリースするだけでなく、
  ドキュメントの納品も求められることがあります。
  そのため、Webプログラマーにも納品のためのお手伝いをしてもらうことがあります。

  Web開発で主流のアジャイル開発でも、最低限のドキュメント整備はある
   「ドキュメントより動くソフト」を重視しているアジャイル開発。
   短いスパンで開発するため、プログラムが最優先になることが多いです。
   納品物に含まれていないことが多いため、仕様が複雑で分かりづらい部分や新規メンバー用のドキュメント作成がほとんどです。
   先ほど述べたWikiでの情報共有をしているプロジェクトが多いです。

ドキュメント関係に関しては、Webプログラマーがそこまで時間を使うことはありません。
簡単な加筆やテスト仕様書の実施記録の記入などがほとんどです。

「パム」が中小企業の開発現場に入った時にした事として、
 ・ドキュメントが充実していない
と言う問題点を解決する為に、
 ・システム開発ガイド
のような「テキストファイル」を作成していました。

そして、このドキュメント作成には、「SE」「プログラマ」の他に「デザイナ」が参加する事もあります。
すると、使用するツールも、
 ・Excel
 ・Word
 ・Power Point
 ・Visio
 ・Wiki
 ・Illustrator
 ・Photoshop
 ・Acrobat
 ・ペイント(ハードコピー時に使用する)
 ・テキストエディタ(サクラエディタ/秀丸/Vi/EMacs/メモ帳(ほぼいない))
 ・口頭のみ(ドキュメントとは言わないですね)
などなど、色んな形態で来ます!




技術力のあるWebプログラマーは要件定義に参加することも

他のプログラマーに比べるとWebプログラマーは要件定義に参加する機会が多いです。
技術力のあるWebプログラマーは貴重です。
そのため、顧客と営業だけでは、詰めるのが難しい技術的な部分を判断するために同席することがあります。

  クライアントやデザイナーの提案にその場で回答するため
   Web開発では他のシステム開発よりもスピーディーな対応が求められます。
   そのため、顧客やデザイナーからの提案に対してすぐに回答することが求められます。
   早い段階で要件をしっかりと詰めるために、Webプログラマーの技術力と提案が必要です。

  SEは全てを把握しきれていないことが多い
   通常はSEが取りまとめているのですが、全ての技術的な仕様を把握している人はかなり少ないです。
   SEはスケジュール管理や掛け持ちしているプロジェクトなど、作業範囲が広く、技術的な部分まで手が回らないのが現状です。

  Webプログラマーの技術力でSEをフォロー
   そこでSEは技術的な仕様に強いWebプログラマーを要件定義や会議に参加させます。
   Webプログラマーの一言で、できるかできないかが決まるほどの影響力があるので、腕の見せ所でしょう。
   Webプログラマーの初心者が要件定義に参加することはありません。
   SEから声がかかることは、技術力があると信頼された証です。

「パム」も「他に担当者がいないから」と言う事で「要件定義」に参加した事は何度もありますwww
一度、打ち合わせの最中に眠りこけてしまって、・・・「お後がよろしいようで・・・」な事態を招いた事もありました。




Webプログラマーは自主的に学ぶ意欲が大事

言われたことをそのまま作業するWebプログラマーだと、給与や待遇面でも良くなることはあまりありません。
自ら学び、新しい知識をアウトプットとして出していくことが大切です。

「パム」は、まさに
>言われたことをそのまま作業するWebプログラマー
でした。

その結果が、今の「プログラマを廃業したパム」なのです。




Web開発のトレンドは日々更新されている

Web開発の技術は毎日進歩しています。
この技術トレンドに興味関心を抱き、
仕事以外の部分でも自分で実際にコードを書いてみたり新しい知識を自分のものにしていくことが大事です。

かつて、「パム」は「ガラケーの公式サイト」に強みをもってました。
しかし、「iPhone」の普及に「パム」は追いつけませんでした。

従来の「Webプログラマ」の場合は、
 ・開発用Webサーバ(Linux)
   Apache/PHP(perl)/SVN(CVS)
 ・開発用DBサーバ(Linux)
   MySQL(Postgre SQL)
 ・開発作業用端末(Windows 2000・XP・7)
   Eclipse/VMWare/SVN(CVS)/エディタ/Tera Term Pro/Win SCP(FFFTP)/Internet Explorer/(Firefox/NetScape Navigator)
  ・個人開発用サーバ(VMWare)
   Samba/Apache/MySQL(Postgre SQL)/PHP(perl)/SVN(CVS)
 (・動作確認用端末(NTT Docomo/AU/Softbankモバイル(J Phone/vodafone)) ※ケータイ対応時)
 ・ブラウザ上で使用する言語(HTML/CSS/JavaScript/Dynamic HTML/Ajax/RSS)
などが典型的でした。

それが、「iPhone」が普及すると、このようになったのです。
 ・開発用Webサーバ(Linux)
   Apache/Python(Ruby/PHP/perl)/git(SVN/CVS)
 ・開発用DBサーバ(Linux)
   Maria DB(MySQL/Postgre SQL)
 ・開発作業用端末(Windows XP・7・8)
   Eclipse/VMWare/git(SVN/CVS)/エディタ/Tera Term Pro/Win SCP/Firefox/(Chrome)
  ・個人開発用サーバ(VMWare)
   Samba/Apache/Maria DB(MySQL/Postgre SQL)/Python(Ruby/PHP/perl)/git(SVN/CVS)
 (・開発作業用端末(macOS) Objective-C/XCode/git(SVN/CVS) ※iOS対応時)
 ・ブラウザ上で使用する言語(HTML5(HTML)/CSS/JQuery(JavaScript/Dynamic HTML/Ajax/RSS)/JSON)




効率よく作業するために慣れた方法を捨てる勇気

人間今までのやり方で問題がないなら、なかなか変えることができません。
しかし、常に最適な開発方法や業務フローを考え、効率の良いやり方を考えることで、
新しいテクノロジーや知識に対しても適応できるようなプログラマーになることに近づきます。

「パム」はこれができませんでした。
どうしても「エディタ」による手作業から脱却できなかったのです。




「良い方法をもっと良く」できるように積極的に考えよう

Webプログラマーは自分のやり方を積極的に変えられる人でないと難しいです。
伸び悩んでいると感じたときは、
あなたが「できる」「ああなりたい」と思ったWebプログラマーのやり方を聞いて、積極的に取り入れてみましょう。

プログラミングと同じように「まずは模倣」から始めることです。
ロールモデルを見つけ、その人のやり方を徹底的に盗みましょう。
成長の過程として優秀な人から学ぶことで、そこである程度の基礎ができてくるので、
その後に自分のやり方も少しづつ構築していくのがおすすめです。

・・・この点、「パム」の限界点でした。



なお、「パム」は中小企業に勤めていた事が長かったので、「Webプログラマ」以外の業務もやっていました。
よって、
 ・Linux(Redhat系/Debian系)
 ・bind
 ・sshd
 ・Samba
 ・ProFTPD
 ・Apache
 ・MySQL(Postgre SQL)
 ・Tomcat
 ・memcached
 ・Ultra Monkey L7
 ・heartbeat
 ・keepalived
 ・Squid
 ・Clam AntiVirus
 ・POP File
 ・Zabbix
 ・ウィルスバスター/ノートン アンチウイルス/マカフィー
などなど、「ネットワークエンジニア」「DBエンジニア」「サーバエンジニア」の業務までカバーしたりもしました。

しかし、「自主的に最新技術に追いつく努力」を怠ったのが、30代後半からの「パム」の失速になったと考えております。

http://ur2.link/VRV1


PTSD

米国精神医学会診断統計マニュアル第5版(DSM-5)の基準によれば、
PTSD(心的外傷後ストレス障害Post-Traumatic Stress Disorder)とは、
 実際にまたは危うく死ぬ、
 深刻な怪我を負う、
 性的暴力
など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、
特徴的なストレス症状群のことをさします。

出来事の例としては、
 災害、
 暴力、
 深刻な性被害、
 重度事故、
 戦闘、
 虐待
などが挙げられます。
そのような出来事に他人が巻き込まれるのを目撃することや、
家族や親しい者が巻き込まれたのを知ることもトラウマ体験となります。
また災害救援者の体験もトラウマと成り得ます。

今日は、「東日本大震災」が発生した日です。
あれから既に8年が経ちました。

あの日から今までの「パム」の周囲を見て、感じるトコロがあったので、
この「PTSD」の記事を引用してみました。




PTSDの主な症状と診断

 侵入症状
  トラウマとなった出来事に関する不快で苦痛な記憶が突然蘇ってきたり、悪夢として反復されます。
  また思い出したときに気持ちが動揺したり、身体生理的反応(動悸や発汗)を伴います。
 回避症状
  出来事に関して思い出したり考えたりすることを極力避けようしたり、思い出させる人物、事物、状況や会話を回避します。
 認知と気分の陰性の変化
  否定的な認知、興味や関心の喪失、周囲との疎隔感や孤立感を感じ、陽性の感情(幸福、愛情など)がもてなくなります。
 覚醒度と反応性の著しい変化
   いらいら感、
   無謀または自己破壊的行動、
   過剰な警戒心、
   ちょっとした刺激にもひどくビクッとするような驚愕反応、
   集中困難、
   睡眠障害
  がみられます。

上記の症状が1ヵ月以上持続し、それにより顕著な苦痛感や、社会生活や日常生活の機能に支障をきたしている場合、
医学的にPTSDと診断されます。

なお外傷的出来事から4週間以内の場合には別に「急性ストレス障害Acute Stress Disorder: ASD」の基準が設けられており、
PTSDとは区別されています。

>認知と気分の陰性の変化
> 否定的な認知、興味や関心の喪失、周囲との疎隔感や孤立感を感じ、陽性の感情(幸福、愛情など)がもてなくなります。
>覚醒度と反応性の著しい変化
>  いらいら感、
>  無謀または自己破壊的行動、
>  過剰な警戒心、
>  ちょっとした刺激にもひどくビクッとするような驚愕反応、
>  集中困難、
>  睡眠障害
> がみられます。
「東日本大震災」直後に、特にTwitterで目に付いたのが、
 ・自分の意見と違う意見の者を「原発推進派」認定する「反原発派」の姿
 ・自分の意見と違う意見の者を「在日」認定する「排外主義者」の姿
でした。
思想では正反対ですが、やっている事は同じだと「パム」は感じていました。

そして、「パム」自身を含めた「パムの周囲の人間関係」を見て気づいた事があります。
今の「パム」では想像できないかも知れませんが、「東日本大震災」前までは「パム」の人間関係は比較的安定していました。
さらに、他の人の人間関係も安定していたトコロもありましたが、
恥ずかしながら「パム」本人を含めて、
 ・人間関係の崩壊
 ・震災以前よりくすぶっていた対立した人間関係の激化
などが目に付き始めたのです。

個々のトラブルについては、それぞれの当事者がそれぞれ対応すれば良いとは思います。
しかし、
 ・人間関係が荒れた。(パムが関与していないモノも含む)
と言う事実は、大きな目でくくってみると、
この、
 ・PTSD
の悪影響もありえるかもなとは、思います。

しか~~~し、そのトラブルで「PTSD」は「正当な理由」にはならないとも考えておりますので、
よろしくお願い致します。

http://qq2q.biz/0Mef


【 警 告 】
この文章は、あなたの精神的なバランスを崩して、症状を悪化させる可能性があります。
 重症の人や、
 うつ状態の人、
 自殺願望の強い人、
 空虚感に苦しんでいる人、
 精神的にひどく不安定な人
は、今は読まない方がいいでしょう。
症状が改善してから読んだ方がいいのではないかと思います。

原文にもあった警告を引用しました。
皆様も、ご注意願います。




人間関係の操作というのは、普通の人にも見られることでありますが、
境界例の人の場合には、
 それが周囲の人を混乱に巻き込むような破滅的なものであったり、
 演技的でわざとらしく思えるようなものであったり
します。
しかし、ときには実に要領よく振る舞って、巧みに周囲の人を操るような場合もあります。
このような境界例の人による人間関係の操作というのは、いろいろな本に断片的に書かれてはいますが、
操作に関して総合的に書かれた資料が見あたらないため、
私なりに、自分の体験もふまえた上で、基本的な事柄や、いくつかの類型的なパターンなどについてまとめてみました。
このシリーズでは、これらのことについて、順を追って書いてみたいと思います。

「パムのトラブル」でも、この「対人操作」への対応に「パム」は苦しんでいます。
現在の状況だと、「真犯人」が誰か見えないでしょう。




境界例の人の操作を、演劇にたとえるならば、この劇には三種類の登場人物が登場します。
 主役である「境界例の人」、
 操作に欠くことのできない脇役である「だまされる人」、
 そして、だまされることなくその演技性を「見抜いている人」
の三種類です。
これらの登場人物の特徴を、ひとつずつ見ていきましょう。

「パムのトラブル」だともっと分かれると思うのですが、ここではそのままにします。




まず最初に登場するのは、主役である境界例の人です。
操作の動機は、見捨てられ不安や分離不安への防衛であり、
それが直接的な形ではなくて、たとえば、
 かまってもらいたいとか、
 寄りかかりたい、
 注目されたい、
 関心を持ってもらいたい、
 面倒を見てもらいたい、
 誰かに助けてもらいたい、
というような形で出てきます。
これらの衝動はせっぱ詰まったような、あるいは叫び出したくなるような切実なものなのですが、
同時に
 「どうせダメなんだ」
 「どうせ誰もかまってくれないんだ」
 「誰も私を理解してくれないんだ」
という、はてしない失望感も併せ持っているのです。
つまり、
 「誰かに助けてもらいたい」
という切実な思いと、
 「どうせダメなんだ」
という失望感の、二つの矛盾した思いがぶつかり合っているのです。
そして、
 どうせマトモな形で訴えても相手にしてくれないのなら、ちょっと違った手段を使ってみようか、
つまり、
 ちょっと卑怯でズルイやり方だけれども、少しばかり嘘の芝居をしてみようか。
 そうすれば、もしかしたらみんなが振り向いてくれるかもしれない。
 そして、もしかしたら自分の気持ちが分かってもらえるかもしれない。
 自分の望みがかなえられるかもしれない。
と、そう考えるのです。

ここで言う「境界例」の対人操作は、こんな感じですね。
しかし、「パムのトラブルのキーパーソン」も・・・・・・そうなのでしょうか?




さて、そこで次に登場するのが、欠くことの出来ない脇役である「だまされる人」です。
だまされるというと、ちょっと言葉は悪いですが、演技性に気付かないでいる人たちのことです。
そして、この人たちには、さらにいくつかのパターンがあります。

境界例の人の操作が、まず最初に自分自身をだますということから言って、
周囲に第三者がいないような場合でも、操作性が自分自身に向かって行なわれていて、
それが自分自身に対する言い訳や自己陶酔という形で現われることがあります。
しかし、このような操作というのは、やはりだまされる第三者がいてこそ、その本領を発揮するのです。
この操作に巻き込まれてしまう第三者というのは、
最初は素朴な親切心で境界例の人のに接していくのですが、
時間が経つにつれて、どうも変だと感ずるようになり、
やがて、
 「見抜いている人」
へと移行して行くパターンがあります。
しかし、いつまでたっても演技性に気付かないまま、境界例の人に操られ続けている人もいるのです。

困っている人を見ると助けてやりたくなったり、親切な態度で接してやったりするのは、
普通の人が持っている人間的としての素直な良心です。
ですから、最初のうちは演技的な操作に気付かないまま振り回されてしまうのも、ある意味では仕方のない面もあるのです。
しかし、問題は、果たしてどの時点で演技性に気付くかということです。
ある程度常識的な感覚を持っていれば、途中で、
 どうも変だとか、
 どことなくわざとらしいとか、
 不自然だとか、
そういうことを感ずるようになるのです。
しかし、もし境界例の人の操作が非常にうまかったり、あるいは、だまされる人の側にも、境界例的な傾向があるような場合には、
なかなか演技性に気付かなかったりします。
このような気付かない人は、境界例の人の演技に強く「共感」しているのです。
たとえば私たちが劇場で芝居を見ているときに、登場人物に感情移入して涙を流すのと同じように、
境界例の人の演技にも共感してしまうのです。
へたな役者が主人公を演じていたとしても、観客によってはしらけずに強い共感を示す人もいるのです。
そして、下手な芝居にも白けずに共感を示す人というのは、
やはり境界例の人と同じような問題を抱えているか、あるいはその人自身も境界例だったりするのです。

ここで、やっかいなパターンとして、操作しているのが実は主役である境界例の人ではなくて、
脇役のだまされる人だったりすることがあるのです。
表面的には、主役である境界例の人に振り回されてるように見えていながら、実はこの人が陰の主役なのです。
境界例の人は、脇役の人の書いたシナリオに沿って、踊らされているだけなのです。
こうなってくると、どっちが操作しているのか、どっちが巻き込まれているのか分からなくなってきたりします。

「パムのトラブル」でもそうでしたね。
「パムのトラブルのキーパーソン」が真の主役だと気が付くまで時間がかかりました。




最後に、第三の登場人物である「見抜いている人」のことを書きましょう。
この見抜いている人というのは、先ほど触れましたように、だまされる人から移行してくるパターンがあります。
しかし、最初から演技性を見抜いている人もいるのです。
いずれにせよ、境界例の人の演技性に気付いている人たちなのですが、この人たちにもいくつかのパターンがあります。

まず最初に、距離を置いて近付こうとしない人たちがいます。
わざとらしい行動に、うさんくささを感じて、そういう人と関わり合いになることを避けようとします。
しかし、相手が赤の他人ならばいいのですが、
会社などの組織の関係で、立場上なんらかの関わり合いを持たざるを得ないこともあります。
そういう場合でも、できるだけ距離を置こうとしますが、
立場上どうすることも出来ずに、やむなく巻き込まれてしまう場合もあります。
このような場合には、やがて演技的な操作に憎しみを覚えるようになったり、時には攻撃的な態度に出たりすることもあります。

演技性に気付いている人の中には、そのわざとらしさを面白がって、からかってやりたくなったりする人もいます。
バカにしたような冗談を言ってみたりするのですが、
このような行動は、場合によっては、境界例の人に共感している人たちの反感を買うこととなり、
逆に自分の方がバカにされて、浮いた存在になってしまうこともあります。
しかし、それにもかかわらず中には最初から露骨な嫌悪感を示して、攻撃性をあらわにする人もいます。
このような人は、演技的な行動にひどく敏感だったりして、それを鋭く見抜いたりします。
なぜそうなのかというと、自分自身にも同じ要素があったりするからなのです。
ですから、自分と同類の人を実に鋭く嗅ぎ分けて、激しく嫌悪したりするのです。
このタイプの人の中には、そういう意味で、境界例に該当する人、あるいは境界例の傾向のある人なども含まれることになります。

理想から言えば、操作性を見抜いていても、操作に巻き込まれることなく、冷静で中立的な状態を保っていたり、
あるいは、ある程度支持的な態度で対応できればいいのですが、
治療場面のような管理された状況ならともかく、日常的な場面では、困難なことが多いのではないかと思います。

「パムのトラブル」にもこのカテゴリの人物が多いですねwww

http://urx3.nu/YcTA


 人生に勝ち負けなんて存在しない。
 そんなものにこだわるから、生きるのが苦しくなる。
 競争からおりて、自分らしい人生を送ろう。
そんな癒しの言葉を耳にします。
そして、その言葉は、優しく魅惑的にあなたの心をくすぐります。
 
確かにそうですよね。
 負ければ悔しい、だから苦しい。
 そんな思いをするくらいなら、競争なんてしなければいい。
 勝ち負けにこだわらなければいい。
 勝ち負けなんて、本当は存在しないのだから。
 勝者も敗者も、本当は存在しないのだから。

「パム」も基本的にはこう考えています。
しかし、内心は、これと矛盾した考えも受け入れてます。




でも。
本当に、勝ち負けは存在しないのでしょうか。
勝者も敗者も存在しないのでしょうか。
 
よく考えてみてください。
 勝ち負けにこだわることと、
 勝ち負けが存在しないこと。
実は、これは、まったく別のことです。

 勝ち負けにこだわらない
ということは。
勝ち負けが存在しなければ、成り立ちません。

 競争をおりるということ
は。
競争がなければ、成り立ちません。

あ~、なるほど。
 「勝ち組」「負け組」の存在を認めているからこそ、「勝ち負けにこだわらない」と考える。
と、言う事なのですね。




つまり、
 勝ち負けは存在する
 勝者も敗者も存在する
ということですよね。
 
実際、私もあなたも、全生命が参加するバトルロワイヤルの生存競争で勝ち抜いてきた生き残りです。
太古の昔から、散々、他者を蹴散らし、
今もなお、他の生物を喰らい、死という負けを味わわせて生き続けている勝者の集まりです。

その私たちが。
 勝ち負けは無いなんて、
都合のいいこと言ってよいのでしょうか?
殺虫剤で、一瞬で殺された蚊が聴いたら、激怒する話しですよ。
 「おいおい、よく言うよな」
と。
つまり、私もあなたも、今この時も競争に参加しているのです。
いくつもの競争に。

はい。
飛躍している気がしますが、
「生物」と言う視点で考えたら、「人類」は今や、「食物連鎖」のトップに君臨する「王者」であって「勝ち組」なのです。




確かにその中には、不毛な競争が多い。
自分の意志と関係なく、競わされることも多いですよね。
 そこで勝てないからといって、勝ち負け自体が存在しない
と考えれば。
それは
 野球の試合をして、負けて悔しいから、
  「試合自体を無かったことにしよう」
と考えているのと変わらない。
自分の悔しさを押し殺し、生きづらさを加速させるだけに過ぎません。
重要なのは、
 勝ち負けが存在しているかどうか
ではない。
 どの競争に参加するか、
です。
たとえ負けても、
 「くっそ~、悔しいなぁ」
と素直に認められる競争に参加するということです。

そのためには。
苦しいだけの競争からおりて、違う競争を始めるということ。
自分にとって野球が不毛であれば、水泳をやるということ。
マラソンが苦しいだけなら、将棋をやるということ。

なんなら、自分で競技をつくるということです。
 
前回お話ししたとおり、この世界は暫定ルールに満ちています。
 http://urx3.nu/QLFj
この暫定ルールがある限り、そのルール内においての勝者と敗者が存在します。
ただし、その暫定ルールを組み合わせて、自分だけのルールを作り上げることが可能なのです。
ルールの組み合わせ次第で、
 今の経済競争からは脱け出せるかもしれない。
 出世競争をおりられるかもしれない。
 戦う相手を、自分一人にできるかもしれない。
そういうことです。
複雑に、しかし、明確な意義を持って組み上げた、自分だけのルール。
その内容を正確に見極める。
その自分のルールの中で、勝つか負けるかを競うのです。

つまり、
 勝ち負けは存在する。
 ただし、その判断基準は、あなたにすべてゆだねられている。
ということ。
それが人生の原液。
その事実を受け入れることが、生きづらい人生を脱け出す第二の覚悟です。

「世間一般的な勝ち組と負け組」は存在します。
しかし、その「世間一般的な勝ち組と負け組」からは降りて、別な基準での「勝ち組と負け組」で勝負すれば良いと言う事ですね。

「パム」は「世間一般的な負け組」ではあると自覚しています。
しかし、
 「命さえあれば、まだ、動き続ける事ができれば、『勝ち組』である。」
とも考えています。

あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・? --スラムダンク 湘北高校バスケットボール部顧問の安西先生--
http://urx3.nu/ZSYF
 
http://urx3.nu/4VEK


ふと気づくと人間関係の嫌なやり取りや、面倒ごとの中に巻き込まれていた!
そんな経験はないでしょうか?
特に女性が多い職場などでは、そんな目に遭ってしまうことも珍しくはありません。

また、特に面倒ごとは起っていなかったとしても、
 嫌な気分にいつもさせられる状況にあったり、
 話題が辛いと感じる人もいたりと、
人間関係に関する悩みはなかなかつきませんよね。

「パムのトラブル」も、いつのまにかエスカレートしました・・・。




他人の悪口に乗ってしまうと面倒が起こりやすい

よく観察してみると、常に他人の悪口ばかり言っている人っていますよね。
他人の悪口は誰でも言います。
他人に困らされたり不快な気分にさせられたりしたら、親しい人ぐらいには吐き出したくなるのが人間です。

しかし、その度を超えて、いつも誰彼構わず悪口を吐き出している人っていないでしょうか?
そこまではいかなくても、信頼関係のある親しい間柄というわけでもないのに、あなたに他人の悪口を振って来る人もいるでしょう。
その場を収めようと、そんな悪口にちょっとでも乗ってしまうと最後。
あなたもそう感じているのだと思われて、どんどん悪口はひどくなるばかり。
それだけではなく、気がつくと周囲にもあなたが悪口を言っているように思われてしまいます。

こんな面倒な状況に陥ったこと、ワーキングママなら思い当たることがあるのではないでしょうか?
こんな状況は、可能な限り避けたいところですよね。

ちなみにもちろん、あなたが積極的に他人の悪口を言っている場合も、同じような状況に陥って行きます。
しかもその悪口に乗ってくれる人がいるなら、周囲も巻き込んで嫌な雰囲気にさせてしまうかもしれません。

「パムのトラブル」で出回った「パムのデマ」ですが、どうやったらここまで拡がるのでしょうか???




|マウンティングをしたい人は意外と多い

マウンティングとは、
 「人より優位に立つための発言や態度」
のことです。
会話中でも自分が相手よりも優位であることを示そうとして、暗に色んなことを言ってきます。

例えば、職場なら
 「どちらの方が仕事ができるのか」
ということから、
 「どちらの方が上司に好かれているか」
 「どちらの方が男性社員から人気があるか」
なんて下らないことまで、マウンティングをしてくる人のテーマになることもあります。

マウンティングをしてくる人は、暗にあなたのことを落とすような発言をしてくるので、とても不快なはず。
たとえあなたが、相手がマウンティングをしてきていることに気づかなくても、そのオーラは感じ取ってしまうので、
 「なんだか話していて不快だ」
と思うことでしょう。
そして残念なことに、マウンティングをしたい人は意外と多く、人間関係の嫌なやり取りの種になりやすいのです。

「パムのトラブル」では、「パムのトラブルのきっかけとなった人物」とか「パムを15年近くストーキング続けてきた50代男性」が、
露骨に「パム」を「マウンティング」しようとしてきました。

別に、どこぞのだれかに生涯を捧げる程の金も時間も無いのですが・・・。




気づいたら負のオーラを受け続けていることも

最後はちょっと説明しづらい
 「負のオーラ」
についてです。
周囲にいつも人のことを気遣っているような発言をしたり、なんとなく話していると重たい気分になったりする人はいないでしょうか?

これはその人が負のオーラを出し続けているからかもしれません。
こういう人は
 「あの人は良い人なんだけど・・・」
と言いながら相手を落とすようなことを言ったり、常に物事の捉え方がマイナスだったりします。
少しの間一緒に過ごすだけなら問題なくても、いつも話していると嫌な気分になっていくのが、このタイプです。
あなたの周りにも思い当たる人がいるのではないでしょうか?

・・・・・・m(_ _)m
http://urx2.nu/vMkg


今日はこんな事をメッセージで受け取りました。
 他人と比較する事に関して

「パムのトラブル」でも、これは問題に上がった事の一つです。




私達が、他の人と比較する時、2パターンあります。

 1:他人と比較して、劣等感バージョン
   自分は劣っている。
   自分は不器用だ。
   自分は可愛くない。
   自分は綺麗じゃない。
   自分は静かじゃない。
   自分は〇〇ができない。
   自分はお金がない。
   自分はお金持ちじゃない。
   私の方が、痩せてる。
   自分は太ってる。
   自分は成績、業績が悪い。
   自分は頭が悪い。

2: 他人と比較して、優越感バージョン
   自分の方が優っている。
   自分の方が頭が良い。
   自分の方が綺麗だ、可愛い。
   自分の方が成績が良い、業績が良い。
   自分の方が器用だ。
   自分の方が痩せてる。
   自分の方がお金がある。

これは全て無意味だって事。
なぜなら、私達はそれぞれの今世、自分が生まれて来る前に決めて来ているから。

また、比較する事で、自分を傷つけている。
自分を傷つける必要もないんです。

「パムのトラブル」で、「パムのトラブルのきっかけとなった人物」と「パムを15年近くストーキングしている50代男性」は、
 「オレ/私は『パム』より格上」
だと思っているのでしょうね。

だから、あの手この手を使ってきたのでしょう。

まったくもって、アホらしいです。




例えば、

 お金持ちの家に生まれて、いつも自分の周り家族はお金が溢れている環境で始まった人生。
 反対に貧しい家に生まれて始まった人生。
 お金持ちでもなく、貧しくもない家に生まれた人生。

これは今、『お金』で例えていますが、自分の外見、背丈、性格、全てに言えると思います。
自分が生まれる前から設定して来た人生プランは、私達の学びの為に設定して来ています。
私達一人一人はそれぞれ、学びが必要なものが違います。

もう少し詳しく言うと、例えば、
 あるAさんは男性で、母子家庭に生まれました。
 そこからAさんはAさんの実の父親の愛を理解する為に、
 Aさんはあえて、そんな人生プランを立てて生まれて来たということです。

残酷な言い方になりますが、「毒親の家庭で育った人生」もまたそうなのだと思います。
そう言う家庭で育ったからこそ、学ぶモノが違うのです。




また、実際した人物で言えば、エイブラハム・リンカーン。
第16代アメリカ合衆国大統領でアメリカ国民に最も愛された大統領です。

彼の人生を見てみると…
 1832年、あるビジネスのトラブルから無職になり、
 その後1835年に恋人のAnnを亡くした。
 1832年に州議会に立候補したが落選し、
 それから数えて合計8回の選挙に落選する。
 結婚後、彼は次男を病気で亡くしている。

・・・むっちゃ、大変な生涯でしたね・・・・・・。
余りにも壮絶すぎて、唖然としました。




実際問題、どんな状況で生まれようと、そこでの自分の学びを学ぶことが大切な事なのです。
それが私達の魂が必要としている事。

では、どうやってこれが自分の学びなのが分かるのか?
それは、
 皆さんが何か問題にぶつかった時、
 イライラした時、
 悲しくなった時、
 嫉妬を感じた時。
そこに何か学ばなければならない事があるんだと言うサインです。
全てはニュートラル中性にとらわれるべきで、いつでもハッピーな感情でいる事が本来の私達なんです。

「パムのトラブル」で「パム」は色んな物事を学びました。
この経験は後で大きな財産になると思っています。

http://urx.space/yWXB


ゼロイチ思考

ゼロイチ思考とは
物事を両極端にしか見られない思考をいいます。

そして多くの場合、
その両極端のうちの最悪の事態を妄想して
身動き出来なくなる。

例えば、
 『良い会社に就職して安定した生活』
or
 『就職できなければ人生終わり』

 『婚して幸せな家庭を築く』
or
 『結婚できずに孤独な人生』

と両極端に考えてしまうと、2つの道しか見えないようになってしまいます。

ですが、就職に失敗してもなんだかんだ幸せな生活を楽しんでいる人はいるはずですし、
独身貴族として人生を謳歌している人もいるはずです。

それにも関わらず、
 「就職できないとダメだ」、
 「結婚できないとダメだ」と
物事を極端に考えてしまう。

これをゼロイチ思考といいます。

「パム」は就活に失敗して、今では、生活面で大変な事態に陥ってはおりますが、
就活に失敗したからこそ見えてきた世界があって、良かった面もあるにはあると思っています。

しかし、生活面だけは如何ともね^^;




ルール、ルールでガチガチ

なんでもキッチリするのが良いのかというと、そうではありません。

物事にはある程度の『あそび』がないといけません。

クルマのブレーキにも『あそび』がないと危険です。

あそびが大きすぎても、ブレーキタイミングが遅れてしまいますけど、
全くあそびがないというのは急ブレーキが効きすぎて事故にあいます。

ハンドルについても同じですよね。

まったく「あそび」がないのはハンドルを少し傾けただけでクルマの進路がグイっと変わってしまって非常に危険です。

この「あそび」が心の「グレーゾーン」だと考えてください。

グレーゾーンを抱えたままでも、何の問題もなく過ごせます。

心のグレーゾーンであなたの評価が下がったりはしないのです。

そうですね。
一つの物事をやり遂げる際に、そこまでに至る方法論は何通りもあります。
一つのやり方だけが「正義」だとか考えると、物事を進める際に問題が起こります。

様々なやり方を許容する姿勢こそが大切だと、「パム」は思うのです。




完璧主義はもったいない

世の中にはAll or Nothing的な考え方をする人がいます。

 「全か無か」
 「100点か0点か」
 「優勝かそれ以外か」
というふうに。

カッコいい言葉かもしれませんが、実際には生産的な考え方とはいえません。

こういう考え方をするのは、『もったいない』のです。

たとえばあなたが
 「毎日50回腹筋をする」
と決めているとします。

でも今日は残業で疲れたし、観たい番組もあるし50回もできない。

多くの人がここで
 「まあ今日はいいか」
と、1回もやらないのです。

本当はここで、決めた通りの50回の腹筋はできなくても20回だけやるとか、10回だけでもやるとかした方がいいのです。

 「50回できないから1回もやらない」
ではもったいなさ過ぎます。

「完璧主義」でいると新しい物事に挑戦できません。
新しい物事に挑戦する際には「失敗」はつきものです。
「失敗」を次の挑戦に活かせば良いのです。




最悪の事態はそう起こらない

なぜ、ゼロとイチのモノクロの世界にこだわる必要があるのか?

冷静に考えてみたらこだわる必要はありませんよね。

薄いグレーもあれば濃いグレーもある。
緑や青、赤の色彩も溢れている。

世の中そんな
 「どっちか選べ」
みたいなものでは全くないです。

ガンガン行動する人は、
 『最悪の事態はまぁ起こらない』
と知っているからじゃないですかね。

とは言っても最悪の事態が絶対に起こらないわけじゃないです。

ですが、それと同じくらい最良の結果を出せる可能性もあるはずです。

一番、可能性が高いのは、
 中間や
 “ちょっと良い”とか
 “ちょっと悪い”
事態ですかね。

・・・・・・それが、「パム」には「想定以上の最悪の事態」が起こってしまいました。
「パムのトラブル」のエスカレートがそれです。
実際、「パム」だけでなく、「パムのトラブル相手」にも「最悪の事態」が起こっています。

美味しい思いをしている一人以外は・・・、ですがね(含笑)




不安なときの口癖

不安なときに何を言っているかで自分の思考パターンに気づける時があります。

あなたは不安があるときに何が頭に浮かびますか?

 「完全に…」
 「全然…」
 「全く…」
という口癖がある人は
 物事を両極端に考える『ゼロイチ思考』
の可能性が高いです。

 「ずっと…」
 「決して…」
という決めつけ的な言葉が多い人は
 否定的な出来事があると、それがずーっと永続的に続くと思ってしまう『過剰思考』
かもしれません。

 「~に違いない」
と良く言う人は
 人の考えや起こっていることの先を読みすぎる『結論の飛躍』
が癖になっているかもしれません。

 「みんなが嫌っている」
 「誰も~してくれない」
と言う人は
 マイナスの出来事は大げさにしてプラスのことは過小評価しやすい『過大・過小評価』
の傾向です。

 「~のように感じるから~のはずだ」
と言ってしまう人は
 自分の感情が現実だと思う『感情的決めつけ』
の可能性が高いです。

あなたに上のような口癖はありませんか?

今の「パム」は、「ヤベェ!」と考えるだけです。
皆さん、如何でしょうか?




真面目だからこそ悩む

 「几帳面」
 「責任感が強い」
といった性格をはじめ
 「白黒ハッキリさせないと気が済まない」
という点も同じで真面目ですね。

これは、いわゆる完璧主義的な傾向の表れといえます。

 「真面目」
 「几帳面」
 「責任感が強い」
といった性格そのものはまったく悪いことではありません。

それどころか、
 「適当」
 「責任転嫁」
 「言い訳」
 「自分さえよければ」
という人も多い中、人として称賛されるべき性格なのです。

だからあなたも、真面目であることを恨んだり、恥じたりする必要は一切ありません。

「パム」は「真面目」なのでしょうか?それとも、「いい加減」なのでしょうか?
今の「パム」は自分はこうだと決め付けない方針です。
皆様が感じる通りに、「パム」を考えて下さい。




グレーゾーンも愛する

 『黒ハッキリつけたい人』
というのは、
 未解決の問題をそのままにできない人、
もしくは
 適当に放置しておくことができない人、

…つまりは
 『責任感が強い人』
ということなのです。

しかし、ストレスをためず上手に生きていくためには心の中にグレーゾーンをつくることは必要なことだと思います。

そうしないと、自分自身がしんどくなるだけです。

「パム」もあるトラブルについては、ずっと放置してました。
しかし、それが時間を置いて大爆発するなんて、考えもしませんでした。

とは言え、流せば済むような事はそのまま放置が一番、ラクなのです。




曖昧耐性

心理学には
 「曖昧耐性」
 「曖昧さ耐性」
という言葉があります。

これは
 「相手の考えが分からない」
とか
 「計画通りにいくか分からない」
といった曖昧な状況に耐えられるかどうかには個人差があるという概念です。

一般的には、この耐性が低い(曖昧さに耐えられない)人ほどストレスを
 『有害なもの』
と認識しそれに過剰に反応する、いわゆるストレスフルな傾向にあるようです。

曖昧なものを曖昧なままにしておける心は
 『ストレスにも強い心である』
ということは言えそうですね。

ということで、完璧主義からグレーゾーンも受け入れられる姿勢で物事に取り組んでみてください。

「パムのトラブル」の渦中で、流石に困ったのが、
 ・「パムのトラブルのきっかけとなった人物」の行動の意図が解らない。
 ・「パムのトラブルのキーパーソン」が何を目的にしているのか解らない。
と言う事でした。
この両者ともに、自分の首を絞めるような事をしているように見えたのです。

http://u0u1.net/cYsv


<「下流老人」よりむしろ深刻なロスジェネ世代の逆境にクローズアップした『下流中年 一億総貧困化の行方』。
 介護離職から非正規スパイラル、ひきこもり、ワーキングプアまで多くの問題を取り上げているが、
 下流中年たちの生の声はここにはあえて引用しない>

『下流中年 一億総貧困化の行方』(雨宮処凛、萱野稔人、赤木智弘、阿部彩、池上正樹、加藤順子著、SB新書)は、
介護離職、非正規スパイラル、ひきこもり、ワーキングプアなど、さまざまな逆境に直面した中年層の現実にクローズアップした書籍。

 「生きづらさ」をテーマにした数々の著作を発表している作家・活動家の雨宮処凛、
 哲学者の萱野稔人、
 フリーライターの赤木智弘、
 子どもの貧困の問題について尽力する首都大学東京都市教養学部教授の阿部彩、
 引きこもり問題に詳しいフリー・ジャーナリストの池上正樹、
 団塊ジュニア世代のライター、フォトグラファーである加藤順子
の共著となっている。

 【参考記事】倹約家も浪費家も「老後破算」の恐れあり
  http://u0u1.net/IWhp

主役は、バブル崩壊後の1994年から2005年ごろまでの就職氷河期に就活を行っていた「ロスジェネ世代」だ。
いまや40歳を越える中年となった彼らを取り巻く"リアル"に焦点を当てているのである。
 
  いったん、派遣社員などの形で非正社員となると、そこから正社員に這い上がることはなかなか困難(非正規雇用のスパイラル)で、
  「中年フリーター」と呼ばれる人たちの増加として統計数字上はっきりあらわれてきているのだが、
  彼らの受難、「生きづらさ」とは一体どのようなものなのか。(5ページより)

このことについては、雨宮と萱野との対談からなる第1章『「生きづらさ」について』から8年、生きづらさはどう変わったか」に明らか。
両者は、2008年7月に刊行された『「生きづらさ」について』(光文社新書)の共著者であり、
そこでは「ロスト・ジェネレーション」が直面していた過酷な現実について論じられていた。
つまり本書では、そこから8年を経た現在、彼らの現状について検証されているわけである。
とはいえ予想に違わず、浮き彫りになっているのは、今や"下流中年"となったロスジェネ世代の過酷な現実だ。

たとえば
 「団塊ジュニア世代とそれより若い世代をくらべた場合、後者には比較的マシな面もあったのでしょうか?」
という問いに対し、萱野は
 「基本的には何も変わっていないと思います」
と前置きしたうえで次のように解説している。

  1998年から2000年頃にかけては、100社以上の採用試験を受けて「内定ゼロ」というのも珍しくないほどの超就職氷河期でした。
  しかしそれ以降になると、嘘のように簡単に採用される年もありました。
  リーマン・ショックの前年(2007年)とか、あるいは2014年、2015年とか。
  2015年なんてまさに人手不足で、特に新卒は売り手市場になっています。(22ページより)

端的にいえば、
 「何年に生まれたか」
というだけのことで人生が左右されるわけで、そのあおりをもろに受けているのがロスジェネ世代だということだ。
雨宮はそのことについて、
 「ある意味では、『社会実験のモルモット』にされたようなものかもしれませんね」
と述べているが、これはあながち間違った解釈ではないだろう。

「パム」もこの「ロストジェネレーション世代」です。
ここに「毒親問題」も加わりまして、「企業という「神」」に選ばれませんでした。

当時の「パム」は、

 ・早稲田大学 第一文学部 史学科 東洋史学専修
 ・1浪2留
 ・30社以上面接
 ・途中で「毒母」により就活資料を全部隠されて、就活終了。
   →「岩月謙司」先生により、「アダルトチルドレン」の概念を知る。
     <参考>
     ○岩月謙司のホームページ
     http://u0u1.net/slWJ
 ・最終的には、「フロムエー」「Daily an」で「プログラマ」の「アルバイト」として就職。
   ※「パム」はコンピュータを使えませんでした。

と言う状況でした。

紆余曲折あり、「正社員」「協力会社の正社員」「派遣社員」「契約社員」などを経験しましたが、
40歳を目前にして急ブレーキがかかりました。

そこから経験した仕事の数々で、様々な「現実」を目撃しております。




第2章「我々はいかにして『下流中年』にさせられているのか?――働くことの意味を問い直す」
で、このことについてさらに深く掘り下げているのは、1975年生まれで、自ら「下流中年」になったと認める赤木だ。
バブル崩壊の余波を全身で被った世代として、学生時代のバイト代と大差ない賃金を得ながら、なんとか生き延びてきたと彼は自負している。

そして、下流中年とは、企業という「神」に選ばれなかった存在だとも主張する。
実際のところ、大半の日本人が企業から多くのものを授かっているだけに、これは決して大げさな表現ではないだろう。

  現在日本においては、企業に見出され正社員としての刻印を受けることが人間の始まりであり、
  人間になって初めて車を買ったり、家庭を築いたり、家を建てるだけの賃金を得ることができる。
  そもそも結婚して「家」を築くことですら、正社員として働き、一定の安定した収入を得ることでしか成し得ないのだ。
  ではそれを得られない人間は......?
  ずっと年200万円以下の賃金で、たった一人で1年1年何とかしのいでいくしかない。(69~70ページより)

多くの人にとってこの点は、実際のところなかなか気づきにくい問題でもあるだろう。
少なからず「神」に選ばれている以上は、報道などを通じて目にすることはあったとしても、皮膚感覚として理解しにくいことだからだ。

 【参考記事】未婚男性の「不幸」感が突出して高い日本社会
   http://u0u1.net/0b97

しかし、選ばれなかった人たちは、
 「ずーっとそうした生活を続けている」
と赤木はいう
 (蛇足ながら、この「ずーっと」という表現の生々しさを少し恐ろしく感じた)。
多少の増減があったとしても、非正規の人はいつまでも非正規のままで、ただ同じ生活を繰り返すことしかないとも。
そのぶん、"非正規を数字で見るような報道"には違和感があるというが、無視すべきでないのはこの点だ。

つまり下流中年は、「そこに生きる意義」を欠いたままの状態で生かされているのである。
もちろん収入は多ければ多いほどいいし、そのぶん生活も安定するだろう。
しかしそれ以前に彼らも、社会の一員として認められるようなシステムが確立されなければならない。

  中年層は、活き活きとして働ける場がないと、決してハッピーにはなれません。
  潤沢な生活保護があってもダメです。
  社会で自らの役割や居場所があり、そこで自分の能力を発揮できる。
  そういった職場があることが、中年層には大事です。(123ページより)

ここで述べているのは、「極論」に感じるトコロがあります。
「下流中年」の中には、「転落組」が存在する事実があります。

 ・企業を退職後に「下流中年」になった層
 ・一時的に年収が500万円前後まで至った層
 ・個人事業主/経営者として成功した後に転落した層
 ・入社後の「パワハラ/セクハラ/モラハラ」などで退職後に転落した層
 ・入社後に「毒親とのバトル」をした結果、退職/転落を余儀なくされた層
 ・「発達障害」などの「先天性障害」がしられていない頃に、企業から退職する事を選択した層

なども、「下流中年」の仲間入りです。

私は、20代後半~30代前半までは、それなりの収入がありました。
そして、それがずっと続くのかと思いきや、30代後半に自分の判断の甘さを思い知る事態になったのです。

そして、「復活する事の困難さ」を実感しています。




第3章「それでも、『下流転落』に脅えることなかれ――分断社会から安心社会へ」
において、阿部もインタビューを通じてそう主張する。
ちなみに
 "潤沢な生活保護があってもダメです"
という彼女は、
 厳しい状況に追い込まれている人たちには支援が必要で、そこから抜け出す方法を考えていく一歩の一つが生活保護であるべき
だとも主張している。

 【参考記事】気が滅入る「老人地獄」は、9年後にさらに悪化する
   http://u0u1.net/L6wV

一見すると、これは矛盾した論理展開だ。
 「生活保護があってもダメ」
といいながら、
 「いざというときは生活保護を」
と訴えているのだから。
ただし、ここには、そういうこと以前に注目すべきポイントがある。

つまり、
 「活き活きとして働けて、人間としての尊厳が保てる」状況があるべきなのだが――
  それは当然の理想論なのだが――
 「それ以前に、まず生きなければならない」
という切羽詰まった状況に置かれている人が、それだけ多いということだ。
つまり、結果的に論理の矛盾を生んでしまうほど、問題は複雑化していると捉えるべきなのではないか。

  今は社会に関わりを持てている"働き盛りの"中年世代であっても、突然、転落するかもしれないリスクは誰もが持っている。
  それどころか、真面目で、他人の痛みを理解できる優しい普通の人が、"社会のレール"から外れて、抜けられなくなっていく。
  1日に10時間以上働いても、月に10万円余りにしかならない実態にあえいでいる働き盛りの世代も多い。(235ページより)

池上と加藤による第4章「ルポ・下流中年 12人のリアル」のまとめ部分には、上記のように書かれている。
ではそんななか、中高年世代にもっとも必要なものはなにか?
それはセーフティネットだ。彼らは生活困窮者自立支援法では対象になっているものの、窓口の対応では想定されていないというのである。
だから、それがまた彼らを苦しめる。
社会の役に立ちたいと思っても、道が用意されていないのだ。
いま、すぐにでも取り組むべきが、その点の改善であることは明らかだろう。

なお、この章で明らかにされている下流中年たちの生の声をここに引用しなかったことには理由がある。
あまりに生々しすぎるだけに、引用の確認で済ませず、一字一句読んでほしいという思いがあったからだ。
現実的に、いま、私たちにできることは少ないかもしれない。
しかし、だからこそ、彼らの真実を受け止めることが大切だと考えるのである。

現在の「セーフティーネット」の問題点は、「生活に困窮していても、セーフティーネットに引っかからない層がいる」事です。
そして、「月収○○円未満」などの「ハードル」で区切られており、その一線を超えるか否かで、
「セーフティーネット」の恩恵に授かれるかどうかが決まるのです。

当事者からすると、「ベーシックインカム」とか、「段階別生活保障」とか、そう言う方が現実的であるとも思います。

しかし、「財源の問題」をどうするのかとか、そういう問題もありますから、解決策は・・・あるのでしょうか???



<参考>
○ベーシックインカム --Wikipedia--
http://u0u1.net/wHwS

http://ur0.biz/O8vt


  人間関係、仕事、家族、日常生活……
 あらゆる場面で「怒り」を感じることがあります。
 怒りのせいで
  「また失敗した」
 と感じることも。
 怒りを外にぶつけて、苦い思いを繰り返すか、ぐっとのみ込んで、時間が経つのをひたすら待つか。
 いずれも、苦しい状態です。
  怒りから、もっと自由に、ラクになれる方法はないものか――
 “人生の達人”ブッダに聞いてみると、意外な「怒らない方法」が返ってきます。

 「人生を快適にする合理的な方法」として仏教を説く、独立派の出家僧・草薙龍瞬氏(著書に『反応しない練習』がある)が、
 ブッダ流「怒りの消し方」を紹介します。
  http://ur0.biz/wWsh

「怒り」は、誰にとっても切実なテーマです。
その最大の理由は、人間関係に支障を来すこと。
自分にとって、ストレス・苦しみになることです。

だから
 「怒らないようにしよう」
と考えるわけですが、現実には
 「つい怒ってしまった」
 「やってしまった」
ということばかり……。

 「怒ってはいけない」
と頭ではわかっているのに、なぜ怒ってしまうのでしょうか。

仏教流に考えれば、それは
 「怒りの正体が見えていない」
からです――。

>「怒りの正体が見えていない」
「怒りの正体」って何だろ???
気になりますね。




怒りのほとんどは、理由がない

怒りは “心の反応”のひとつ。
不快な反応です。
その理由は、世間ではさまざまだと思われていますが、仏教的には、実は2種類(!)しかありません。

ひとつは「物理的な刺激」によるもの。
たとえば、
 危険な目に遭ったり、体に触られたりしたときの不快感――
これは、生き物に共通する最も原始的な怒りです。

これ以外の怒りは、1種類だけです。
つまり「精神的な刺激」による怒りです。

たとえば、
 嫌いな相手の振る舞いや、
 思いどおりに進まない現実への怒り、
 いつ始まったのか自分もわからない慢性的なイライラなど――
これらはすべて、肉体ではなく、心が刺激を受けて生まれた反応です。

しかし、不思議な現象だと思いませんか?
なぜ物理的な接触がないのに、心が刺激を感じて怒ってしまうのでしょうか?

 心が刺激されてしまう理由――
そこを突き止めることが、「怒らない方法」の決定的なポイントになります。

と言う事は、「スルースキル」でしょうか???




初公開・怒りを克服する3つの対策

ブッダの知恵を生かせば、怒りのタイプは3つです。
そのタイプごとに「怒らない方法」を、まとめてみましょう。


《その1 貪欲タイプの怒り》

ひとつは、「貪欲」つまり “欲求過剰”(求めすぎ)な精神状態からくる怒りです。

たとえば
 「もっと高く評価されたい」
 「もっと業績を上げたい」
 「もっと早く、もっと高いスコアで試験に受かりたい」
といった願望です。

人間関係で
 「あの人とは話が合わない」
 「わかりあえない」
という不満・ストレスも、意外かもしれませんが、貪欲タイプの怒りだったりします。

つまり、相手に
 「わかってほしい」
 「こうあってほしい」
 「味方でいてほしい」
という過剰な期待や要求が、そうはならない現状に「怒り」をつくり出しているのです。

<対策>

こうした求めすぎタイプの怒りは、
 「私が求めすぎているんだな(欲求過剰なんだな)」
と客観的に理解することが、コツになります。

というのも、求めすぎている精神状態では、何も変わらないからです。
他人は、自分以上に変わりにくい(期待できない)相手なので、そのままでは、不満も、相手との衝突も、続いてしまいます。

そこで、求めすぎている状態に気づいて、
 「考え方を切り替えよう」
と考えます。
 「自分に今できることは何だろうか?」
と、自分に聞いてみるのです。

体を動かす作業。
自分の役割。
自分にとって有意義で、楽しいこと。
できることは、意外とたくさんあります。
自分の持ち分・領域のほうに心を向けることを基本とするのです。

こうした心掛けを、仏教の世界では「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」と表現します。
反応するより、自分の足元をよく見よう、という意味です。

「脚下照顧」は、「パム」がカウンセラーから言われた「Here and Now」と似てます。

「パムのトラブル」の過程で「和解交渉」をした時、
 ・「パム」が「パムのトラブルのきっかけとなった人物」の悪口を言わない
と言う条件がありました。
先方も同じ対応をするかと思いきや、先方は引き続き、「パム」の誹謗中傷を継続していました。

この「不公平さ」を見ると、「パムのトラブルのきっかけとなった人物」が抱く「怒り」は、
 「貪欲タイプの怒り」
なのでしょう。

<参考>
○脚下照顧とは?意味や使い方を解説 --生活百科--
http://ur0.link/VhEi

○here and now --weblio英和辞書--
http://ur0.link/V2Ar




《その2 怒りタイプの怒り》

ふたつ目は、「怒り」がつくる怒りです。
奇妙な言い方ですが、
 「すでにある怒りが、あらたな怒りをつくり出している」
状態です。

たとえば、過去にイヤなことがあって、怒りが残っていたとします。
すると、心は、持続する(執着する)性質を持っているので、その怒りで別のことに反応しようとします。

その刺激となるのが、
 「不快な過去の記憶」や
 「他人の欠点」や、
 「これは許せない」と思える世間の話題
です。
これらに反応して、新たな怒りをつくり出すのです。

これは、いわば「怒りの自家発電」。
過去の怒りをエネルギーにして、新たな怒りを生んでいる状態です。

「怒りっぽい人」というのは、その一例です。
理性では
 「怒ってはいけない」
と思いつつ、心に残っている「怒り」でつい反応してしまうのです。

怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返す

<対策>

この怒りにも「心の理解」から入ります。
 「過去の怒りが残っている。
  でも今は関係ない」
と、はっきり自覚するのです。

心にくすぶっている怒りは、今とはなんの関係もありません。
心にとどまっている「感情の残りかす」みたいなものです。

だから、
 「この残りかすの怒りだけ、解消すればいいんだな」
と考えましょう。

そのうえで楽しいこと、たとえばスポーツとか、食事とか、気の合う友だちと飲みに行くことなどに時間を使って、「怒りのお掃除」に努めます。

このタイプの怒りで大事なのは、後で「思い出さない」ことです。
過去の怒りは、過去のもの。
思い出すだけ、自分がソンです。そこで、

 「過去の怒りを、今怒る理由にはしない。
  忘れていい怒りなのだ」

と、言葉にして(念じて)みましょう。
なかなか消えない怒りもありますが、そうした怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返すのです。

「パムのトラブル」で「パムを15年近くストーキングしている50代男性」がこのパターンですね。
ホントに、「パムのど~でも良い事」にさえいちいちケチをつけているのですよ。

実は、2015年当時、「パム」の方は既に「過去の話」になっておりまして、この男性と和解したのです。
しかし、相手側の持つ怒りは、過去よりもパワーアップしてました。
その執念深さに、今の「パム」は驚いております。




《その3 妄想タイプの怒り》

もうひとつが、「妄想」が生み出す怒りです。
妄想とは、現実に存在しない、頭の中にしかない思いのこと。
この妄想が実に厄介、しかもバラエティに富んでいます。

たとえば、イヤな過去を思い出して、怒りを再発させる。
これは、先ほどの「怒りタイプの怒り」ですが、最初の怒りを長引かせてしまうことに力を貸しているのが、「記憶」という名の妄想です。

また、
 人がよくやる良しあしの「判断」――
つまり
  「自分は正しい。相手が間違っている」
 という思いや、
 他人と比較したり、
 優劣・勝ち負けにこだわったり
という心理も、妄想にあたります。

さらには、怒らなくてもいい(怒ってもしようがない)ひとごと、
たとえば世間をにぎわす事件や話題に、「まったく!」と1人で憤慨している状態も、妄想して怒っている状態です。

ブッダは妄想ではなく理解で返した

興味深い例として、『原始仏典』という古い仏教書のエピソードを紹介しましょう。

ある日ブッダは、嫉妬に駆られたバラモンに、さんざん悪口をぶつけられるという災難に遭遇しました。
周りの人は青ざめたり、激高したりと、騒然となりました。

でも、このときブッダが返したのは、意外な言葉でした。

 「あなたがふるまったごちそうを客人が食べなかったら、その食事は、あなたのものになるだろう」
と語り、こう続けたのです。

 「私は、あなたが差し出す食事(つまり怒りの言葉)を受け取らない。
  だからそのまま持って帰るがよい」

平たくいうと、
 「あなたが食べるのは、あなたの自由だけど、私は食べません(反応しません)よ」
というのです。
実に合理的で明快な返し方だと思いませんか。

確かに、外の世界も、他人も、いろんなことを言ってくるし、よからぬ考えを向けてきます。
でも、それに反応したら、自分の中に苦しみが生まれます。

その苦しみを長引かせるのが、妄想です。
ひとの心には、記憶や、良しあしの判断、先行きへの不安や心配、社会にあふれる情報や話題など、妄想する材料は、いくらでもあります。

しかしそのままなら、怒りは、いつまでも続くことでしょう。

だからブッダに学んで、
 「怒りをつくっている妄想に気をつける」
のです。

そこで、こんな心構えで日常を過ごしてみましょう。
難しいけれど、練習です――。

 ・外の世界・相手に、妄想から入らない。
  「期待」や「判断」に走らない
 ・そうした自身の思いに、
   「これは妄想」
  と、まずは気づく
 ・不愉快な相手には、
   「あなたにとっては、そうなのですね(理解はできます)」
  という立場に立つ

妄想せずに、理解から入るように練習するのです。
相手に対しても、どんなときもです。

「パムのトラブル」で、「パムのトラブルのきっかけになった人物」や「パムを15年近くストーキングしている50代男性」が、
「パムに怒った(深層心理の)理由」って何なのでしょうか?

トラブルが起きた直前の事を考えると、ピンと来るのがあります。
「直前の事」が何かはここでは書きませんが、ずばり、「嫉妬」でしょうね。

こう言う「怒り」をする人がその怒りを向けた相手に発する言葉は、「自己紹介」である事が多いのです。
「投影の防衛機制」と言います。

<参考>
○投影 --Wikipedia--
http://ur0.biz/XnNB




「いざというときの考え方」を知っておくほど得をする

 「でも、そんなこと口に出したら、余計に怒られます」
と言う人がいます。
それはそうです(笑)。
心の中でやってください。

また、期待も、求める心も、妄想も、決してマイナスだけではありません。
やる気につながったり、仕事や人間関係に改善をもたらしたりと、プラスに働くこともあります。

ただ確実に必要といえるのは、問題が起きたときの「心の使い方」なのです。
その点で、2500年の蓄積をもつブッダの知恵を、生かさない手はありません。

怒りをつくっている本当の原因に気づいて、正しい心の使い方に戻ること

こうした心掛けで暮らしていけば、小さな怒りを引きずることは減っていきます。
やってソンはありません。

練習次第で、心は変えられます。
幸福、充実、軽快、満足という、もっと大切な心に向かって、いざ、精進!

「パム」が実践している「認知行動療法」も似た感じでした。
それで精進している日々なのですが・・・・・・、
 「パムを怒らそう」
と、あの手この手を使ってくる人が出てくるとか考えつかなかったです。

http://u0u0.net/vHk0

今日は「ひな祭り」です!
「桃の節句」と言い、女子の健やかな成長を祈る日です。

今では「女子の健やかな成長」の日ですが、どういう起源だったのでしょうか?



三月初頭、長く寒い冬が徐々に和らぎ、暖かい春風が眠っていた大地を呼び覚ましています。
中国南部の少数民族には、旧暦の三月三日を祝う風習が残されています。
今回の中国メロディーは中国の旧暦三月三日の風習と音楽をお送りしましょう。

ひな祭りってやっぱり中国発祥だったんですね。




中国最古のバレンタインデー

 春は恋の季節です。
 そんな春の恋は万物を育み、青春に潤いを与えます。
 旧歴の3月上旬になると温かい春が訪れ、桃の花が中原の大地に咲きそろいます。
 2000年前の中国で最も古い詩集「詩経」の中の「鄭風・溱洧」という詩歌は
  当時、旧歴三月三日、上巳の節句に若い男女がデートしている情景
 を描きました。
 当時は、上巳の節句になると、
  普段、会うことが許されない若い男女たちは、この日だけは自由にデートすることができ、甘美な恋の時間だった
 と言われています。
 そのため、上巳の節句は中国の最も古いバレンタインデーと呼ばれることもあります。

へぇ・・・。
本来の「ひな祭り」は、「バレンタインデー」だったんですね!




チワン族の恋の節句

 旧歴三月三日は古くは、古代中国神話に登場する神の伏羲と女神・女媧が結婚する日とされています。
 現在この節句は、中国南方の少数民族では今なお、旧歴三月三日を祝う風習が残されています。
 この日にチワン族の村を訪れると、まるで歌の世界に入り込んだようです。
 色とりどりの絹で飾られた歌合戦の場である「歌棚」と呼ばれるところで、
 綺麗な民族衣装を纏う若い男女が歌合戦や草笛を吹くなどのイベントを行います。
 もし、二人が歌で心を通じ合うことができれば、互いに贈り物をして愛を確かめます。
 そのため、旧歴三月三日は、現地の人にとって恋の節句と見なされています。

ちょ・・・、これって平安時代の貴族がしていた「歌垣」と似ていますね・・・!!!



<参考>
○チワン族 --Wikipedia--
http://u0u0.net/Ykj8

チワン族(壮族)(チワンぞく、チワン語: Bouxcuengh, 旧表記 Bouчcueŋь, ポウシューン)は、
主に中国南部やベトナム北部に住居する原住民族である。
中国では広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部などの山間部に
約1,854万人(2010年の第6回全国人口調査統計による)が住み、中国最大の少数民族となっている。
言語はタイ・カダイ語族に属するチワン語を話す。
壮族(そうぞく)、チョワン族、チュアン族と言う日本語表現もある。


○歌垣 --Wikipedia--
http://ur0.biz/SJwS

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
現代では主に中国南部からベトナムを経て、インドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、
フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが、『万葉集』などから、うかがい知ることができる。


○上巳 --Wikipedia--
http://u0u0.net/VXTN

上巳(じょうし/じょうみ)とは、五節句の一つ。
3月3日。
旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句とも呼ばれる。

「桃の節句」の起源は平安時代より前であり、
京の貴族階級の子女が、天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んで健康と厄除を願った「上巳の節句」が始まりとされている。

やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、行事となり発展して行った。
その後、紙製の小さな人の形(形代)を作ってそれに穢れを移し、川や海に流して災厄を祓う祭礼になった。
この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。

元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、
江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、
端午の節句(菖蒲の節句)は「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。



日本

新暦の3月3日に行われ、雛人形の段飾りを飾る。上巳節に雛人形を飾るのは日本特有の習俗[1]。
詳細は「ひな祭り」を参照

http://u0u0.net/JWFZ


沖縄

旧暦にそって行われる。
海浜に出かけ、手足を海水に浸して身を清めて健康を祈願する。
またごちそうを持ち寄って浜辺で食べる。
詳細は「浜下り」を参照
 http://u0u0.net/8jUv



台灣

伝統的な台湾は旧暦3月3日の上巳節に、邪気を払うため、墓参りを兼ねて踏青(ピクニック、野遊び)を行う。



中国

中国では、漢初より両漢を通して行われた行事であり、『後漢書』礼儀志上には「官民皆な束流の水の上に潔し、洗濯祓除と日う。
宿き垢痰を去りて大潔を為すなり」とあり、官民そろって水辺に出て祓除をする行事であった。
三月上巳に限らず、季節の節に同様の祓除が行われ、この祓除の行事が宮中では洗練され、曲水宴として人工の流水に盃を浮べて酒を飲む宴と変遷した。
唐代に至ると、曲水宴は宮中だけでなく上流階級の私宴となり、
次第に上巳節は本来の川禊が失われて水辺での春の遊びと変化し、庶民にとっては農事の節日へと展開していった。