2019/03/10 【メンタルヘルス】人間関係の操作入門  まず基礎的なことから | パムのてきとーブログ

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【 警 告 】
この文章は、あなたの精神的なバランスを崩して、症状を悪化させる可能性があります。
 重症の人や、
 うつ状態の人、
 自殺願望の強い人、
 空虚感に苦しんでいる人、
 精神的にひどく不安定な人
は、今は読まない方がいいでしょう。
症状が改善してから読んだ方がいいのではないかと思います。

原文にもあった警告を引用しました。
皆様も、ご注意願います。




人間関係の操作というのは、普通の人にも見られることでありますが、
境界例の人の場合には、
 それが周囲の人を混乱に巻き込むような破滅的なものであったり、
 演技的でわざとらしく思えるようなものであったり
します。
しかし、ときには実に要領よく振る舞って、巧みに周囲の人を操るような場合もあります。
このような境界例の人による人間関係の操作というのは、いろいろな本に断片的に書かれてはいますが、
操作に関して総合的に書かれた資料が見あたらないため、
私なりに、自分の体験もふまえた上で、基本的な事柄や、いくつかの類型的なパターンなどについてまとめてみました。
このシリーズでは、これらのことについて、順を追って書いてみたいと思います。

「パムのトラブル」でも、この「対人操作」への対応に「パム」は苦しんでいます。
現在の状況だと、「真犯人」が誰か見えないでしょう。




境界例の人の操作を、演劇にたとえるならば、この劇には三種類の登場人物が登場します。
 主役である「境界例の人」、
 操作に欠くことのできない脇役である「だまされる人」、
 そして、だまされることなくその演技性を「見抜いている人」
の三種類です。
これらの登場人物の特徴を、ひとつずつ見ていきましょう。

「パムのトラブル」だともっと分かれると思うのですが、ここではそのままにします。




まず最初に登場するのは、主役である境界例の人です。
操作の動機は、見捨てられ不安や分離不安への防衛であり、
それが直接的な形ではなくて、たとえば、
 かまってもらいたいとか、
 寄りかかりたい、
 注目されたい、
 関心を持ってもらいたい、
 面倒を見てもらいたい、
 誰かに助けてもらいたい、
というような形で出てきます。
これらの衝動はせっぱ詰まったような、あるいは叫び出したくなるような切実なものなのですが、
同時に
 「どうせダメなんだ」
 「どうせ誰もかまってくれないんだ」
 「誰も私を理解してくれないんだ」
という、はてしない失望感も併せ持っているのです。
つまり、
 「誰かに助けてもらいたい」
という切実な思いと、
 「どうせダメなんだ」
という失望感の、二つの矛盾した思いがぶつかり合っているのです。
そして、
 どうせマトモな形で訴えても相手にしてくれないのなら、ちょっと違った手段を使ってみようか、
つまり、
 ちょっと卑怯でズルイやり方だけれども、少しばかり嘘の芝居をしてみようか。
 そうすれば、もしかしたらみんなが振り向いてくれるかもしれない。
 そして、もしかしたら自分の気持ちが分かってもらえるかもしれない。
 自分の望みがかなえられるかもしれない。
と、そう考えるのです。

ここで言う「境界例」の対人操作は、こんな感じですね。
しかし、「パムのトラブルのキーパーソン」も・・・・・・そうなのでしょうか?




さて、そこで次に登場するのが、欠くことの出来ない脇役である「だまされる人」です。
だまされるというと、ちょっと言葉は悪いですが、演技性に気付かないでいる人たちのことです。
そして、この人たちには、さらにいくつかのパターンがあります。

境界例の人の操作が、まず最初に自分自身をだますということから言って、
周囲に第三者がいないような場合でも、操作性が自分自身に向かって行なわれていて、
それが自分自身に対する言い訳や自己陶酔という形で現われることがあります。
しかし、このような操作というのは、やはりだまされる第三者がいてこそ、その本領を発揮するのです。
この操作に巻き込まれてしまう第三者というのは、
最初は素朴な親切心で境界例の人のに接していくのですが、
時間が経つにつれて、どうも変だと感ずるようになり、
やがて、
 「見抜いている人」
へと移行して行くパターンがあります。
しかし、いつまでたっても演技性に気付かないまま、境界例の人に操られ続けている人もいるのです。

困っている人を見ると助けてやりたくなったり、親切な態度で接してやったりするのは、
普通の人が持っている人間的としての素直な良心です。
ですから、最初のうちは演技的な操作に気付かないまま振り回されてしまうのも、ある意味では仕方のない面もあるのです。
しかし、問題は、果たしてどの時点で演技性に気付くかということです。
ある程度常識的な感覚を持っていれば、途中で、
 どうも変だとか、
 どことなくわざとらしいとか、
 不自然だとか、
そういうことを感ずるようになるのです。
しかし、もし境界例の人の操作が非常にうまかったり、あるいは、だまされる人の側にも、境界例的な傾向があるような場合には、
なかなか演技性に気付かなかったりします。
このような気付かない人は、境界例の人の演技に強く「共感」しているのです。
たとえば私たちが劇場で芝居を見ているときに、登場人物に感情移入して涙を流すのと同じように、
境界例の人の演技にも共感してしまうのです。
へたな役者が主人公を演じていたとしても、観客によってはしらけずに強い共感を示す人もいるのです。
そして、下手な芝居にも白けずに共感を示す人というのは、
やはり境界例の人と同じような問題を抱えているか、あるいはその人自身も境界例だったりするのです。

ここで、やっかいなパターンとして、操作しているのが実は主役である境界例の人ではなくて、
脇役のだまされる人だったりすることがあるのです。
表面的には、主役である境界例の人に振り回されてるように見えていながら、実はこの人が陰の主役なのです。
境界例の人は、脇役の人の書いたシナリオに沿って、踊らされているだけなのです。
こうなってくると、どっちが操作しているのか、どっちが巻き込まれているのか分からなくなってきたりします。

「パムのトラブル」でもそうでしたね。
「パムのトラブルのキーパーソン」が真の主役だと気が付くまで時間がかかりました。




最後に、第三の登場人物である「見抜いている人」のことを書きましょう。
この見抜いている人というのは、先ほど触れましたように、だまされる人から移行してくるパターンがあります。
しかし、最初から演技性を見抜いている人もいるのです。
いずれにせよ、境界例の人の演技性に気付いている人たちなのですが、この人たちにもいくつかのパターンがあります。

まず最初に、距離を置いて近付こうとしない人たちがいます。
わざとらしい行動に、うさんくささを感じて、そういう人と関わり合いになることを避けようとします。
しかし、相手が赤の他人ならばいいのですが、
会社などの組織の関係で、立場上なんらかの関わり合いを持たざるを得ないこともあります。
そういう場合でも、できるだけ距離を置こうとしますが、
立場上どうすることも出来ずに、やむなく巻き込まれてしまう場合もあります。
このような場合には、やがて演技的な操作に憎しみを覚えるようになったり、時には攻撃的な態度に出たりすることもあります。

演技性に気付いている人の中には、そのわざとらしさを面白がって、からかってやりたくなったりする人もいます。
バカにしたような冗談を言ってみたりするのですが、
このような行動は、場合によっては、境界例の人に共感している人たちの反感を買うこととなり、
逆に自分の方がバカにされて、浮いた存在になってしまうこともあります。
しかし、それにもかかわらず中には最初から露骨な嫌悪感を示して、攻撃性をあらわにする人もいます。
このような人は、演技的な行動にひどく敏感だったりして、それを鋭く見抜いたりします。
なぜそうなのかというと、自分自身にも同じ要素があったりするからなのです。
ですから、自分と同類の人を実に鋭く嗅ぎ分けて、激しく嫌悪したりするのです。
このタイプの人の中には、そういう意味で、境界例に該当する人、あるいは境界例の傾向のある人なども含まれることになります。

理想から言えば、操作性を見抜いていても、操作に巻き込まれることなく、冷静で中立的な状態を保っていたり、
あるいは、ある程度支持的な態度で対応できればいいのですが、
治療場面のような管理された状況ならともかく、日常的な場面では、困難なことが多いのではないかと思います。

「パムのトラブル」にもこのカテゴリの人物が多いですねwww