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「
人生に勝ち負けなんて存在しない。
そんなものにこだわるから、生きるのが苦しくなる。
競争からおりて、自分らしい人生を送ろう。
そんな癒しの言葉を耳にします。
そして、その言葉は、優しく魅惑的にあなたの心をくすぐります。
確かにそうですよね。
負ければ悔しい、だから苦しい。
そんな思いをするくらいなら、競争なんてしなければいい。
勝ち負けにこだわらなければいい。
勝ち負けなんて、本当は存在しないのだから。
勝者も敗者も、本当は存在しないのだから。
」
「パム」も基本的にはこう考えています。
しかし、内心は、これと矛盾した考えも受け入れてます。
「
でも。
本当に、勝ち負けは存在しないのでしょうか。
勝者も敗者も存在しないのでしょうか。
よく考えてみてください。
勝ち負けにこだわることと、
勝ち負けが存在しないこと。
実は、これは、まったく別のことです。
勝ち負けにこだわらない
ということは。
勝ち負けが存在しなければ、成り立ちません。
競争をおりるということ
は。
競争がなければ、成り立ちません。
」
あ~、なるほど。
「勝ち組」「負け組」の存在を認めているからこそ、「勝ち負けにこだわらない」と考える。
と、言う事なのですね。
「
つまり、
勝ち負けは存在する
勝者も敗者も存在する
ということですよね。
実際、私もあなたも、全生命が参加するバトルロワイヤルの生存競争で勝ち抜いてきた生き残りです。
太古の昔から、散々、他者を蹴散らし、
今もなお、他の生物を喰らい、死という負けを味わわせて生き続けている勝者の集まりです。
その私たちが。
勝ち負けは無いなんて、
都合のいいこと言ってよいのでしょうか?
殺虫剤で、一瞬で殺された蚊が聴いたら、激怒する話しですよ。
「おいおい、よく言うよな」
と。
つまり、私もあなたも、今この時も競争に参加しているのです。
いくつもの競争に。
」
はい。
飛躍している気がしますが、
「生物」と言う視点で考えたら、「人類」は今や、「食物連鎖」のトップに君臨する「王者」であって「勝ち組」なのです。
「
確かにその中には、不毛な競争が多い。
自分の意志と関係なく、競わされることも多いですよね。
そこで勝てないからといって、勝ち負け自体が存在しない
と考えれば。
それは
野球の試合をして、負けて悔しいから、
「試合自体を無かったことにしよう」
と考えているのと変わらない。
自分の悔しさを押し殺し、生きづらさを加速させるだけに過ぎません。
重要なのは、
勝ち負けが存在しているかどうか
ではない。
どの競争に参加するか、
です。
たとえ負けても、
「くっそ~、悔しいなぁ」
と素直に認められる競争に参加するということです。
そのためには。
苦しいだけの競争からおりて、違う競争を始めるということ。
自分にとって野球が不毛であれば、水泳をやるということ。
マラソンが苦しいだけなら、将棋をやるということ。
なんなら、自分で競技をつくるということです。
前回お話ししたとおり、この世界は暫定ルールに満ちています。
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この暫定ルールがある限り、そのルール内においての勝者と敗者が存在します。
ただし、その暫定ルールを組み合わせて、自分だけのルールを作り上げることが可能なのです。
ルールの組み合わせ次第で、
今の経済競争からは脱け出せるかもしれない。
出世競争をおりられるかもしれない。
戦う相手を、自分一人にできるかもしれない。
そういうことです。
複雑に、しかし、明確な意義を持って組み上げた、自分だけのルール。
その内容を正確に見極める。
その自分のルールの中で、勝つか負けるかを競うのです。
つまり、
勝ち負けは存在する。
ただし、その判断基準は、あなたにすべてゆだねられている。
ということ。
それが人生の原液。
その事実を受け入れることが、生きづらい人生を脱け出す第二の覚悟です。
」
「世間一般的な勝ち組と負け組」は存在します。
しかし、その「世間一般的な勝ち組と負け組」からは降りて、別な基準での「勝ち組と負け組」で勝負すれば良いと言う事ですね。
「パム」は「世間一般的な負け組」ではあると自覚しています。
しかし、
「命さえあれば、まだ、動き続ける事ができれば、『勝ち組』である。」
とも考えています。
あきらめたらそこで試合終了ですよ・・・? --スラムダンク 湘北高校バスケットボール部顧問の安西先生--
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