パムのてきとーブログ -119ページ目

パムのてきとーブログ

いろいろと書いていきます
当ブログは、民法720条1項/2項(正当防衛/緊急避難)、及び公益通報者保護法2条1項(内部告発)に基づく内容があります。
「パムのトラブル」等への宣言
https://tl.gd/n_1srqui4
同情無用!心配不要!
#拡散希望
https://amba.to/3uhHoy2

https://00m.in/6DMfU

https://00m.in/tNEM4


 抑圧された衝動や葛藤が問題行動として表出すること。
 具体的には性的逸脱行動、自傷行為、自殺企図、暴言、暴力、過食、拒食、浪費、万引き、薬物依存、アルコール依存などが挙げられる。

これは、自分自身に向かう防衛機制です。
さて、現在の「パム」の行為は「行動化の防衛機制」なのでしょうか?
最初にお断りしますが、一連の「パム」の行為は「意図的」です。




心理学における行動化(こうどうか、Acting out)とは、
防衛機制とセルフコントロールに関連して用いられる用語であり、
その衝動を受け止めたり管理するのではなく、実際に行動に移してしまうこと。
その行動はたいてい反社会的行動とされるものであり、
嗜癖(アディクション)としての衝動であったり(たとえば飲酒、薬物、買い物など)、
周囲の注目を引くもの(たとえば癇癪や無差別的行動)であったりする。

一般的には、それで実行される行動は自己や他者にとって破壊的なものであり、
それはそういった感情に対してのより建設的な反応方法の発達を阻害しうる。
この用語は、性依存症治療、心理療法、犯罪学、育児の分野で用いられている。

そして、「パムのトラブル相手」にこの「行動化」があるのでしょうか?

>その行動はたいてい反社会的行動とされるものであり、
>嗜癖(アディクション)としての衝動であったり(たとえば飲酒、薬物、買い物など)、
>周囲の注目を引くもの(たとえば癇癪や無差別的行動)であったりする。
「パム」は「パムのトラブル相手」の行為にこの「行動化」もあったと見ています。

むしろ、「パムのトラブル」が「些細過ぎる理由」からエスカレートした事そのものが「行動化」であると言えるでしょう。



そして、この記述を再掲します。
> 抑圧された衝動や葛藤が問題行動として表出すること。
>具体的には性的逸脱行動、自傷行為、自殺企図、暴言、暴力、過食、拒食、浪費、万引き、薬物依存、アルコール依存などが挙げられる。


何故、「パム」が今の行為をするようになったのか、ご理解頂けましたか?
https://00m.in/lRRob


考察

そしてその『解釈』とは、『人間が勝手にした解釈』だ。
例えば、ガリレオとコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だった。  

 https://00m.in/RRdS8

しかし真実は、『地動説』に近かったわけで、
更には、地球も太陽も、宇宙の真ん中ではなかったのだ。
 https://00m.in/seQe6
しかし、この時代の人間は、
 『天動説を信じていた(間違った事実を、真実だと勘違いしていた)』
のである。
『人間が勝手にした解釈』の正確性がわかっただろう。

ブルーノという修道僧は、
このコペルニクスが提唱した地動説を熱烈に支持し、自分が正しいと信じる世界の考え方を広めようといたるところで講演をしたが、
これは当時の法王の天動説的常識や、聖書の教えに著しくそむくものだと考えられたので、
1600年2月17日、ローマのカムポ・ディ・フィオリという広場で、火あぶりにされてしまった。

間違った解釈をした者が、正しい解釈をした者の命を奪ったのだ。

 https://00m.in/yxpmR

「解釈」が世間に広まると「常識」になります。
そして、「不当な解釈」が広まると、どういう事になるかお解りでしょう。

「パムのトラブル」の争点に「解釈の違い」も含まれています。
そこで、「パム」は複数の「事実」を積み重ねた記録をつけて、法廷で「パムの解釈」をつきつけようとしているのです。




『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。

------------------▼
 偉大な20世紀の哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、友人の一人にこう尋ねたことがあった。
  『なぜ人々はいつも、地球が太陽のまわりを回っているのではなく、
   太陽が地球のまわりを回っていると仮定した方が人間にとって自然だと言うんだろう?』
 友人はこう答えた。
  『そりゃ、どうしたって、太陽が地球のまわりを回っているように見えるからだよ。』
 ウィトゲンシュタインは反論した。
  『じゃあ、地球のほうが回っているように見えたという場合には、どんな風に見えたのだろう?』
-----------------▲

 https://00m.in/kGGFg

「歴史」もその一種です。
「歴史観」はその国々によって千差万別なのです。
例えば、「十字軍」についての記述も、キリスト教徒とイスラム教徒で記述内容が違うのです。

そして、ある人物の行動についての「解釈」も「自己完結」している限りは「正解」はありません。




人間の解釈というものの信憑性は低い。

アインシュタインもこう言っている。
 『世界について最も理解が出来ないことは、世界が理解できるということだ。』

世界が理解できる、という考え方は理解できない。
そう断言できる人間の方が、賢明である印象を受ける。

ニーチェはこうも言い、
 『半可通は全知よりも圧倒的勝利を博する。
  それは物事を実際よりも単純に理解し、そのために彼の意見の方が分かりやすい説得力のあるものとなる。』
こうも言い、
 『人は賞讃し、あるいは、けなす事ができるが、永久に理解しない。』
あるいはこうも言った。
 『論理は完全な虚構の見本である。
  現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。
  我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、
  この虚構を図式化することによって記号化し、論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』

・オレは世間の全てを知っている。
こう発言した人がいましたねぇ・・・。

この「世間」は「世間は狭い」と別次元ですよ。
世界は広いので、たった一人が理解できるワケはありません。




この認識を真正面から受け止めることが出来る人間は、心に強靭な安定剤が常に突き刺さっている人間だけだ。
それが無いならこの事実を受け止めることはできない。
心がたちまち虚無に覆われ、不安定になり、パニック状態になるからだ。

多くの人が『安定、平安、安堵に安穏』と唱えている事実を見てもわかるように、
人は、その不安定さから脱却する為に、虚構に依存し、心を安定させているのだ。
これは余談だが、ゲームをやる人はPS4の『メタルギアソリッドV ファントムペイン』をやると、この言葉の意味を更に噛みしめることができるだろう。
この言葉が出て来るのは、ゲーム終盤である。
 https://00m.in/jXls8

「パム」が、「○○さんには悪い所もある」と言ってパニックになった方がおりました。
これが、「パムのトラブル」の発端です。

そして、ここまでエスカレート!!!

そこまでして、「自分達の解釈」を「現実」にしたいのでしょうか?



<参考>
○人によって認識している事実が違う(4つの事実がある) --有限会社 テオリア--
https://00m.in/xxwBv

https://00m.in/TKpmr

世の中には4つの事実が存在しています!

そして、それはどれも違うのです

 A:私の事実
    当事者である自分の認識している事実
    自分の立場、利害、感情で歪みます

 B:あなたの事実
    相手の認識している事実
    相手の立場、利害、感情で歪みます

 C:彼の事実
    第三者の認識している事実
    人の数だけ存在します
    自分・相手との関係で、どちらかに偏ります

 D:具体的事実
    誤解・感情の入らない具体的事実
    日付・金額・数量...確定している事実
    でも、記憶ミス・勘違いは付いてきます

誰もが自分は正しいと思っているのですが...関係する人の数だけ認識が違います!

これを、「パムのトラブル」で考えましょう。

A:私の事実
  →「パム」の事実

B:あなたの事実
  →「パムのトラブルのきっかけになった人物」の事実
  →「パムを15年間ストーキングし続けている50男」の事実

C:彼の事実
  →「パムのトラブルのキーパーソン」の事実
  →「パム」「パムのトラブル相手」と関係が深い人物の事実
  →「パムのトラブル」で迷惑を受けた人物の事実
  →「パムのトラブル」と無関係な人物の事実

 D:具体的事実
  →この「解釈の差」対策で「パム」は記録をつけています。

https://00m.in/6DMfU

https://00m.in/AKLuV



自分の大切な対象を失ったり、傷つけたりしてしまったと感じた時に生じる不安や抑うつなどの不快な感情を意識しなくするために行う。
 「優越感(征服感)」
 「支配感」
 「軽蔑感」
の三つの感情に特徴づけられ、
 自分は万能であり相手を支配できると思い込んだり、
 逆に相手の価値をおとしめたり
する。
うつ気分を逆転させた躁の気分で抑うつの痛みを振り払おうとする。

「パムのトラブル」もこの「躁的防衛」が入っているのでしょうね。




躁的償い
クライニアンの考え方では、真の償いと躁的償い(Manic reparation)を区別しており、
後者はそれを克服するのではなく、罪悪感に駆り立てられてなされるものである。
躁的償いは魔術的な修復方法を用いることで、罪の意識を感じることからくる痛みと不安を拒絶する。
それはまた件の対象に対する全能的支配を維持し、対象が別個の存在として在ることを拒絶する。

そそ。
確かに、「パムのトラブル相手との交渉窓口」や「パムを15年近くストーキングしている50男」は、
「パム」を支配しようとしていました。

当然、そんな事に従う「パム」ではありません。
この手の人の指示などに一度従うととんでもない目に遭うので、納得しない限りは拒絶しました。

すると、ますますエスカレート・・・・・・。
「躁」の攻撃力なのでしょうか???

「パム」は一連の行動や現象などを記録して、この度の裁判で活用しています。
http://urx2.nu/5VZR


「古代核戦争説」とは、古い過去の時代に地球上では高度に発達した古代文明が栄えていたが、
大規模な核戦争が起こり、その影響によって世界四大文明が滅亡したとする説のことである。
この説は、一般的に知られている地球の歴史からは大きく反するため、学者の間ではまともな議論は行われていないが、
古代の遺跡や文献からは、この説の根拠とされるものがいくつか見つかっている。

ここでは断言口調で書かれていますが、この「古代核戦争説」について「パム」は、「否定も肯定もしない」立場です。
ただし、「ネタ」としては興味深いです。




「古代核戦争説」とは?

「古代核戦争説」とは、遠い過去の時代に地球上では高度に発達した古代文明が栄えていたが、
大規模な核戦争が起こり、その影響によって世界四大文明である、
メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明が滅亡したとする説のことである。

この説は、一般的に知られている地球の歴史からは大きく反するため、正統派の考古学者・歴史学者の間では、まともな議論は行われていない。
そのため、SF作品などの題材として用いられることが多い。

しかし、世界中の様々な古代の遺跡や文献からは、
かつて地球上で核戦争が起こったことを連想されるような現象や記述がいくつか見つかっており、この説の根拠とされている。

「論拠」とするにはどうなんでしょうか???
しかし、「古代遺跡」から「現在の常識」では考えられないモノが発掘されたりするのも事実です。




古代文献おける記述

核爆弾が地上で爆発した場合、数百万度の火球が発生し、強烈な熱線と大量の放射線が広い範囲に放出される。
同時に空気が急激に加熱されて爆発的に膨張し、 強い衝撃波が発生する。この衝撃波は地表の土を舞い上げるため、
辺り一面は一時的に真っ暗闇となる。
また放射線によって、長い期間周辺は汚染される。

古代インドの叙事詩である「マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」、「リグ・ヴェーダ」などからは、
核戦争が起こったという事実を連想させる、下記のような記述が見つかっている。

  「いくつもの太陽が集まったかのような、光り輝く柱」
   → 数百万度の火球

  「池の水が蒸発して猛火に焼かれ、木々のように倒れる戦士、火傷で逃げ惑う象と灰と化す住民」
   → 強烈な熱線

  「恐ろしい風が起こり、雲が消え、太陽が揺れ動く」
   → 強い衝撃波

  「方向感覚を失ってしまうほどの濃い闇」
   → 地表に舞い上がった土

  「髪の毛と爪が抜け落ちた死体、毒された食物、鎧を脱ぎ捨て水を求める生存者」
   → 放射能による人々と食物の汚染

この古代インドの叙事詩に記されている内容については、
日本の広島市・長崎市に原子爆弾が投下された時の状況と酷似しているため、
 「これは核戦争のことを意味しているのではないか」
という意見が挙がっている。

インドの文献だけだと、証拠が薄いんですよねぇ・・・。




モヘンジョダロのガラス化した町

インダス文明の時代に繁栄した古代都市の一つに「モヘンジョダロ」が挙げられる。
モヘンジョダロとは、現地の言葉で「死の丘」を意味し、古くから地元に住む村人の間では、禁忌の領域として恐れられている場所である。

この古代都市は、最盛期には約4万人近くの人々が居住していたものと推測されているが、
その後何らかの原因により、短期間の内に急速に衰退している。
その遺跡の発掘調査では、全部で46体もの白骨遺体が見つかっているが、
どれも突然と死を迎えたような状態であり、
また当時住んでいたはずの約4万人もの人々がどこへ消えたのかは、インダス文字の解読にすら成功しておらず、現在まで謎とされている。

研究者のダヴェンポートは、地元に住む村人から「ガラスになった町」と呼ばれている場所を訪れたことを報告している。
彼によれば、その場所は約800m四方の範囲が、黒いガラス質の石によって覆われており、
その付近では溶けたレンガやガラス化した壷の破片などが見つかったという。

この黒いガラス質の石の正体は、「テクタイト」と呼ばれる天然ガラスの一種だと判明している。
このテクタイトという物質は、隕石が地球に衝突した際などに発生する強力なエネルギーによって蒸発した石や砂が、
再度固形化した際に生成される物質だと考えられている。
このような広範囲におよぶ、ガラス化の現象は自然界では確認されておらず、
原子爆弾が投下された広島市・長崎市や核実験が行われた場所でしか確認されていない。

ダヴェンポートは、モヘンジョダロからガラス化した物質をいくつか持ち帰り、
その後、ローマ大学のブルーノ・デイ・サバティーロ教授とアムレート・フラミーニ教授へ分析を依頼した。
その結果、
 「この物質は、約1000~1500℃もの高温により、短時間に加熱されたものである」
という分析結果が得られたという。

「モヘンジョダロ」が「核爆弾」で滅んだ???




その真相とは?

この古代核戦争説が広く主張されていたのは、核爆弾に関する知識が乏しかった第二次世界大戦の頃のことである。
現在では、仮に核爆弾を使用した全面戦争が起きた場合、「核の冬」によって全人類が滅亡するという見方が強く、
この説を主張する学者はゼロに等しい状況となっている。

研究者のダヴェンポートが報告している、古代都市モヘンジョダロのガラス化した町について、
彼は
 「その場所は地元ではタブーとされている」
という理由からその正確な場所を明らかにしていないため、
彼以外の人物による調査が行われたことは一度もなく、本当にそんな町が存在するのか疑問の声が挙がっている。
そのため、彼がローマ大学へ分析を依頼した物質については、彼自身によって捏造されたものである可能性が高いと考えられる。

また近年の研究によれば、モヘンジョダロが衰退した原因は大規模な洪水と火災によるものだと推測されており、
古代核戦争説を決定的に裏付ける科学的な根拠が見つかっていないというのが現状である。

・・・・・・、一気に信憑性が下がりましたwww



<参考>
○古代核戦争説は、嘘か本当か? 人類は過去、核兵器で滅亡していた! --怪奇ファイル--
http://urx2.nu/UEjt

『マハーバーラタ』に見られる古代核戦争の記述

まずは、『マハーバーラタ』に見られる記述です。

  アシュヴァッターマンは、その言葉に烈火の如く怒り、
  戦車の上で丁寧に口をすすぎ、煙のない炎のような輝きに満ちたアグネーヤ(火神の武器)を、マントラ(真言)とともに発射した。
  それは太陽を1万個集めたほど明るく、輝ける炎と雲のそそり立つ柱となって、巨大な死をもたらす鉄の稲妻と呼ばれる未知の兵器だった。
  ……死体は見分けが付かないほど焼ただれ、髪の毛と爪は脱け落ちてしまった。
  器は外から力を加えないのに壊れてしまった。
  鳥は白くなっていた。数時間後、食物はすべて腐ってしまった。
   第7巻「ドローナの死」より

アシュヴァッターマンとは、物語の主役であるパーンダヴァ兄弟と対立する勇敢な戦士です。
その彼が、敵を攻撃するために、アグネーヤ(火神の武器)という未知の武器を発射しています。
記述にある「輝ける炎と雲のそそり立つ柱」は、核兵器のキノコ雲を想像させます。
また、「鉄の稲妻」に攻撃された死体の被害の様子は、広島・長崎の原爆被害者を思い起こさせますね。
これを読むと、
 アシュヴァッターマンが発射したアグネーヤは、「まるで核兵器のようだ」
と誰もが思うのではないでしょうか?


『ラーマーヤナ』に見られる古代核戦争の記述

次は、『ラーマーヤナ』に見られる記述です。

  その羽根には風があり、その矢尻には火と太陽があり、その体は天空から構成され、その重さはメール山とマンダラ山の2つの山ほどである。
  それは宇宙期の終末の時の煙を伴った火のようであり、火を吐く毒蛇のようであり、人間・龍・馬群の破壊を瞬時に行うものであった。
  それは雷電の威力をそなえ、恐ろしい音をたて、さまざまな戦闘に敵を破壊し、すべてのものを震え上がらせる恐るべきもので、
  蛇のように息づいていた。
   第108章「梵天の武器によるラーヴァナの死」より

一説では、『ラーマーヤナ』に登場する王都ランカーとは、次ページで紹介する「モヘンジョダロ遺跡」を指しているのではないかと言われています。
その根拠は、王都の「ランカー」とは、サンスクリット語で「島」の意味であり、
モヘンジョダロはインダス川流域にあって島のごとき地形になっているからです。
王都ランカーは、決戦の場所になっています。
「火を吐く毒蛇」とは、すなわち核兵器のことなのでしょうか?


仏典に見られる古代核戦争の記述

実は、古代インドの叙事詩の他に、仏典の『月蔵経(がつぞうきょう)』にも、核兵器の使用を思わせる記述が残されています。

  是の時、須臾の間、大地が揺れ動き、空中で耳を聾(ろう)さんばかりの大きな音を出し、各所に被害をもたらす。
  数百、数千にものぼる火の手が上がり、空中に留まっている。
  その時、空中で大きな音がして大地が震える。
  全ての物が巻き込まれ広がりゆく有様は、水面の波紋とそっくりだ。
  市街の壁は崩れ落ち、家屋は大小を問わず倒壊し、樹木は根こそぎにされる。


聖書に見られる古代核戦争の記述

東洋だけでなく、西洋の聖書にも、以下のように古代核戦争を想起させる記述があります。

  主は硫黄と火とを、主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
  これらの町と、全ての低地と、その町々の全ての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
  しかしロトの妻は後ろを顧みたので「塩の柱」になった。
  アブラハムは朝早く起き、先に主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、及び低地の全面を眺めると、
  その地の煙がかまどの煙の様に立ち上っていた。


https://00m.in/6DMfU

https://00m.in/w2kro


対象や自己に対しての良いイメージ・悪いイメージを別のものとして隔離すること。
 「良い」部分が「悪い」部分によって汚染、破壊される
という被害的な不安があり、
 両者を分裂させ、分けることで良い部分を守ろう
とする。
抑圧が
 「臭いものにフタをする」
のに対し、
分裂は
 「それぞれ別の箱に入れて」
しまう。
分裂させた自己の悪い部分は、しばしば相手の中に「投影」される。

「自分は完璧」だと言いつつ他者攻撃が激しい人がこれなのかも知れません。




スプリッティングは、
 欲求を満足させるかあるいは頓挫させるかによって、一人の人を時を異にして全面的な善とも全面的な悪とも見なしうる
ので、人間関係の不安定をもたらす。
これ(および類似の自己の経験の揺らぎ)は混沌とした不安定な人間関係パターン、同一性拡散や気分変動につながる。
結局、セラピストもまたスプリッティングの犠牲となり得るのであって、治療過程はこれらの揺らぎに非常に妨げられうる。
治療結果への負の影響を踏み越えるために、セラピストによる不断の解釈が必要とされる。

この「分裂」に巻き込まれると、「分裂」の正体は「白黒思考」ですから、
 ・最高に素晴らしい人
 ・最低な犯罪者
の両極端な評価の中に居続ける羽目になります。




自己愛性パーソナリティ障害

自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を満たす人々もまた、中心的防衛機制としてスプリッティングを用いる。
ナルシストは、自尊心を保護するために自己の正しさを安定させようと試みる時スプリッティングをよく用いる。
それは自分の意思や地位に従わない人物を完全に卑劣で軽蔑されるべき人間だとみなし、
自分自身は全く正直で賞賛に値すると考えることによって成される。
スプリッティングという認知の形式はまた、他の関連する防衛機制である理想化と脱価値化の使用を意味しており、
これは自己愛的怒りに対する予防的態度・行動である。

境界性パーソナリティ障害におけるスプリッティングは、
「良い自己」と「悪い自己」とに分裂して存在しており、それが絶えず
「良い対象」と「悪い対象」とに分ける防衛機制として動員されている。
対して自己愛性パーソナリティ障害におけるスプリッティングは、
基底の人格構造が誇大的自己と無能的自己とに分裂して恒常的に存在しているという点において、その性質を異にする。
これらは境界性パーソナリティ障害ほど劇的ではないものの、理想化されるべきものと軽蔑されるべきものとして対人関係に表現される。

「パムのトラブル相手」が「パム」を攻撃する際の言動は、ほとんどがこれでしょ?
 ・「パム」の勤務態度は悪い。
 ・「パム」はシャブ中である。
 ・「パム」は無責任で責任転嫁する。
 ・「パム」は悪口ばかり言っている。
さて、これを、「パムのトラブル相手」に当てはめたらどうなるでしょうか?www

https://00m.in/iz4Po


先日、とあるアナウンサーが自身のブログやWebメディアにおいて
 「自業自得の透析患者は全員実費負担にせよ。無理だと言うなら殺せ」
と言及したことが大きな波紋を呼びました。
批判の意見が来ようともアナウンサーは一貫して自身の主張を覆すことなく、話題は各所へと波及。
結果的にそのアナウンサーは自身が出演しているテレビ・ラジオ番組を全て降板させられる事態へと発展しました。

私自身、このアナウンサーの掲げた主張に関してはとても同意できるものではなく、
この結末に対しては因果応報というか、
このアナウンサーが主張せんところの「自己責任」が伴った結果なので、人を呪わば穴二つといったところでしょうか。
ここではなぜそのアナウンサーの主張が誤っているのかというのは本題ではないので言及を避けますが、
とはいえその後、そのアナウンサー宅に卑猥な荷物が送りつけられるなど、
いくらそのアナウンサーの主張が誤っていたとしても決して許していいものではない低俗な嫌がらせなども発生した様子。
責任を取らされて仕事がさっぱりなくなりました、で手打ちとなるようなすっきりした着地とはいかなかったようです。

このアナウンサーの振りかざした主張は典型的な「自己責任論」ですが、
この案件を見ることで安易な自己責任論が悪と見なされ、淘汰されるほどネットが成熟していることの証左となったかというと、
そんなことは全くないようです。

・・・インターネットで炎上したらここまで被害が拡大するんですね・・・。




自己責任論は本当に「想像力の欠如」の産物か

生活保護などの貧困問題、いじめ問題、性犯罪に関わるいくつかの問題などには必ずと言っていいほど「自己責任論」が付随してきます。
 貧しいのは努力しなかったからだ、
 いじめられるのには原因がある、
 そんな服装をしているから性暴行を受けるのだ
等々、苦しんでいる人をさらに苦しめるばかりで何1つ建設的な要素を生み出すことなく終わります。

特に言いやすさも相まってネットではその現象が顕著であり、
せめて苦しんでいる人の元にその悪辣(あくらつ)な言葉が届かないようにと祈るばかりです。
自己責任論の暴走には嫉妬、優越感、スパルタ的感性などさまざまな要因が根幹にあり、
どれが原因でそれを振りかざすようになったのかなどというのはケースバイケースですが、いずれにせよ不毛の極みといえます。

自己責任論を批判する際によく使われる言葉の中に
 「想像力が欠如している」
というものがあります。
 「苦しんでいる人間がそこに至るまでの背景や環境を全く考慮しないのか」
 「今でこそ他人を叩いているけれど、自分がもしその立場になったときのことを想定しているのか」
 「何が起こっても不思議でない世の中で本当に自分だけは、いま自分が叩いている立場にならないと言い切れるのか」
 「いざその立場になったとき、本当に“これは自己責任なのだ”と捉えて誰からも助けを求めない姿勢を貫けるのか」
 「それを想像する能力がないから、安易に自己責任論を振りかざせるのではないか」
という意見です。

私的にも一理あるというか、自己責任論者を目にしたときに真っ先に口から飛び出しかねない意見ではあるのですが、
では自己責任論者は本当に
 「相手の背景及び環境」や
 「自分が叩いている立場になること」
を全く想像できていないのでしょうか。

確かにそういった部分の想像力が欠落した人はいますし、
 「想像力がない人間の存在を想像しろ」
という意見も時折見かけるものですが、自己責任論については今日に至るまで度重なる議論が続いており、
 「自己責任論は想像力の欠如」
という言葉がある種の定型句になってしまうと、
強硬な自己責任論者の中にも
 「他者の背景や環境を考慮した上で、いざ自分がその立場に立たされたときの想像」をしている
人間だって少なからずいることでしょう。

では、それでもなお自己責任論を振りかざす人というのは
 「自分がどんな環境からその立場に立たされても自己責任なのでなんでも自分でなんとかする」
と、自己責任論を徹底的に貫くことを心に決めているほど、精神的にタフな人なのでしょうか。
当然、本気でそのつもりがある人間も中にはいるのかもしれませんが、自分のことを
 「あらゆる困難も自力で乗り越えられるほどたくましい人間だ」
と認識している人などそう多くはないでしょう。

自己責任論にはある種の中毒性があります。
自己責任とはつまり
 「自らに起こる苦難を、原因から解決策まで自ら采配できる強さ」
を求める言葉であり、自分が実践できているか否かに関係なく、この言葉を追い求めることで自分はたくましい人間なのだと思い込むことが出来ます。
 「想像上のたくましい俺」
は魅力的です。
人間とは弱くて当然の生き物なので、易きに流れて強い言葉にすがりつくのも宜なるかなといった具合です。

「自己責任論」を否定する場合に、「想像力の欠如」だけで否定しようとするからややこしくなるのです。
「貧困層」「いじめ被害者」「性犯罪被害者」が何故、そのような事態に陥ったのかの「経緯」を検証して、
そこから「再発防止策」を出していく方が建設的ではないでしょうか???




「公正世界仮説」という言葉の悪用

「公正世界仮説」という言葉が一時期、ネットで話題になりました。
簡単に説明するとこの言葉は
 「世の中は公正にできているのだから、
  悪い目を被った人間には必ずそうなるに至る何かしらの原因があるはずだ
   (あるいは「努力は必ず報われるはずだ」等)」
と捉えてしまう人間の認知の一種です。

当然ながらその度合は個人差があるものの、中には
 「彼がひどい天災に見舞われたのには前世で何か罪を犯したからなのだ」
といった極端なケースもあり、こういった認知がいわゆる「被害者叩き」などの自己責任論に密接に結びつくことになっています。
他人の痛みを許容できない、そんな理不尽な痛みなどあってたまるかと我慢が効かなくなり、手っ取り早く当事者に原因を求めてしまう。
 「人間とはそんなにたくましい生き物ではない」
ということを教えてくれる言葉です。

このような言葉の存在が広く認知されることは人間が他者や己の心を察し、
自他の振る舞いを見直したり掘り下げたりするきっかけになるなと思う一方で、
私としてはこういった言葉が招く弊害に関して考えることが時々あります。

この「公正世界仮説」という言葉がある種の自己責任論者に対し
 「自分が許容できない他人の痛みに対し、被害の当事者に原因を求めたり安易な自己責任を振りかざしたりするのは、
  『公正世界仮説』という人間の心理に基づいたものだから仕方ないのだ」
という一種の開き直り、自己肯定を促しているのではないかということです。

先述のように、安易な自己責任論は心の弱さから出てくる言葉でもありますが、
その弱さがこの手の「公正世界仮説」のような
 「人間とはそんなにたくましい生き物ではない」
ということを指し示してくれる言葉とつながってしまい、結果的に
 「自分のたくましくなさの肯定」
に使ってしまってはいないでしょうか。
 「俺の自己責任論が不快だって?
  でもこれ『公正世界仮説』だから!
  人間にありがちな心理だから!
  俺だって人間だもん、こんなこと考えちゃうのはしょうがないよね!」
といった具合に。

 「自分はそんなにたくましくないのだ」
と認識することはとても大事なことですし、それを肯定することも生きやすさの獲得において重要なことなのですが、
人間とは都合のいいもので、「公正世界仮説」を言い訳にした自己責任論の中には
 「人間とはそんなにたくましい生き物ではない」
という認識が自分の攻撃対象にだけは向いていない矛盾があるのではないでしょうか。

典型的な
 「自分に甘く、他人に厳しい」
ですが、こうなってしまうともはや
 「想像力を働かせろ」
という言葉は味のないガムよりも役に立ちません。
想像力を働かせた結果を許容する苦しみからの逃避なのですから、ある種の自己責任論は
 「想像力の欠如」
からくる結果だけではなく、想像力の元に組み立てられた結果でもあるのです。

 「想像してごらん」
と歌ったジョン・レノンには申し訳ないのですが、想像力が極めて重要な存在だとはいえ、想像するだけではもう自己責任論の歯止めは効きません。
じゃあどうすんの、と言われたら、日常的に想像力が欠如している私は
 「……いい方法をみんなで想像しよっか」
としか言えないのですが……。

典型的な「居直り」ですよね・・・。
ここから抜け出すには、「誰のせいか?」ではなく「何でこうなったか?」を追求するのです。

"
 Imagine there's no Heaven
 It's easy if you try
 No Hell below us
 Above us only sky
 Imagine all the people
 Living for today

 Imagine there's no countries
 It isn't hard to do
 Nothing to kill or die for
 And no religion too
 Imagine all the people
 Living life in peace

 You may say I'm a dreamer
 But I'm not the only one
 I hope someday you'll join us
 And the world will be as one
"

https://00m.in/6DMfU

https://00m.in/rWEas


自分の内面にある受け入れがたい感情や欲動を外部に写し出すこと。
これは明らかな妄想(迫害されるという被害妄想)の形を取る(精神病性妄想)。
妄想的投影(Delusional projection)。

「パムの悪評」のうち、ほとんど全ての割合でこの「投影の防衛機制」が含まれていると、「パム」は想定しています。




心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、
自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、
自分自身を守るために、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う。
これには責任転嫁(Blame shifting)が含まれ、
たとえば習慣的に失礼なふるまいをしている人は常に、他人の事を失礼な人であると非難することがある。
一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。

投影は日常生活においてよく起こっている。
例えば、なんとなく嫌いだった人物が、実は自分の否定的な、認めたくない面を体現していたなどである。
また、この概念はパーソナリティ障害の治療において、
医者に向けられる怒りとして専門的に語られることもある(精神分析における対象関係論の投影性同一視)。
統合失調症における迫害妄想との関連も語られている。

ユング心理学では、元型の一つ影 (Schatten) とも関連し、
否定するのではなくそれを自分の一面として認識し受容することで、
もっと大きな「大いなる自己」・自己実現へと成長するきっかけとして活かすことができると言う。

「パムのトラブル」勃発当初、「パムのトラブル相手」の面々から「パム」に対して次々と非難されました。
その言葉を聞いてて、
 「あんたらが言うな」
と、「パム」は内心、思ったモノです。

しかし、その後、「実力行使」で会社まで巻き込んで現実化させようとするとは思いませんでした。




現実の一例


 ・犠牲者非難(Victim blaming):
   何かしらの事故の被害者や、不運にも犯罪に巻き込まれた人について、
   その被害者が相手の敵意を引き付けるような点があったから、彼らは被害に巻き込まれたのだという理論。

「パム」が今、まさにしているこの行為に対する批難がこの「犠牲者批難」なのでしょうね。
「パム」はそれを無視して続行する対応をしています。




 ・夫婦間の問題投影(Projection of marital guilt):
   パートナーがいる人の不倫行為は、自己防衛によって相手パートナーのほうに問題があるのだと無意識に投影される傾向がある。
   否認によって、その罪悪感を打ち消した、代わりに相手を責める傾向がある。

ああ、そういや、「パムのトラブル相手」で離婚した夫婦がおりましたっけ・・・。




 ・いじめ:
   いじめの加害者は、自分の脆弱な点をいじめの標的に対して投影しうる。
   いじめの典型的卑劣行為は被害者に向けられているのだが、
   しかし実際にはそのネガティブさの発生源は、加害者側の個人的な不安感や脆弱感から見いだせる。
   こういったネガティブな感情の相手への積極的投影は、対人関係といったミクロレベルから、
   国際政治、国際武力紛争というマクロレベルまで、どこでも発生する可能性がある。

「パムの悪評」の中で、「パムはシャブ中」と言うのがあります。
まさか、これも「投影」なんでしょうか?www
当然、「パム」は「スルー」対応しています。




 ・一般的な罪悪感の投影 :
   深刻な良心の投影は防衛機制の別形態であり、これは個人的または政治的な虚偽の告発行動に結びつくことがある。

昨年、「パム」は、全く身に覚えがない事で警察署に出頭した事があります。
そもそも、「パム」はIP電話を持っていませんし、「虚偽の刑事告発」は「犯罪」ですよ。




 ・希望の投影:
   ポジティブな面としては、患者は時にセラピストに対し希望の気持ちを投影することがある。

(ノーコメント)
https://00m.in/fE6NI


エグい復讐した。
ネチネチ私をいじめる義両親ご自慢の「日本庭園」に、ミントとシソの種をばら撒いてやったわ!
苔も松も枯れればいいwww





910:鬼女の生活|復讐・仕返しまとめ 2012/09/13(木) 20:39
近距離別居の義両親は結婚当初から、
大事なムチュコちゃんを奪った憎い女扱いをされ
ネチネチ嫌味、
子供が産まれてからは同じ年の義姉の子とあからさまな孫差別を受けた。

結果、うちが義実家に行くのは2年に一回。
子供達も義両親に懐かず、おばあちゃん・おじいちゃんといえば私の両親を指すようになった。

夫は事あるごとに義両親に怒ったり話し合ったりしていたが、全く甲斐がなく
とうとう義両親を見放して、転勤を機に縁を切ることにした。

引っ越しが決まって、町を去る前夜。

義両親自慢の日本庭園の庭に、50袋の紫蘇の種、50袋のミントの種を買い込んで
こっそり忍び込み、義自慢の松の根元に特に念入りに、庭中に種を撒いた。

丹精した苔も松も枯れてしまえば良い。

さて、シソとミントを撒いたと言う事はどのような意味を持つのでしょうか?



<参考>
○危険すぎるミントの繁殖力と再生力!庭に地植えしてはいけない理由はコレ!
https://00m.in/5jFXr

「ミントテロ」とは?

雑草以上の繁殖力があるミント。
このミントの種をほんの一粒だけ、ガーデニングを楽しんでいる隣のお家に投げ込んだらどうなるでしょうか。
ほぼ間違いなくそのお家はミントの生命力の前に飲み込まれることになるでしょう。
これがいわゆる「ミントテロ」です。
本当に悪質で卑劣な行為なので、絶対にやめましょう。


その生命力は他の植物を駆逐してしまう

 「あれ?
  何やら見覚えのない草が庭に生えているな」
と気付いたときにはもはや手遅れです。
日を追うごとに他のガーデニング植物がどんどん弱っていき、1年もすれば完全に枯れ果ててミントの海が出来上がります。


驚異の再生力ですぐに元通りに

駆除は簡単ではありません。
例えば前述した方法で庭全面に除草剤を撒いても、地面は隣家とも繋がっています。
隣家の地下にわずかでも根が残っていればそこからまた圧倒的な繁殖力で自宅の庭先をミントが侵食していきます。
お隣の家にしても大変迷惑な話ですよね。


増え続けたミントは効能が失われる

ここまでミントの繁殖力についてご紹介したわけですが、
 「そうは言うものの、ミントは利用価値が高い植物なのだし、増えても食べるなり使うなりすればいいのでは?」
と考えてしまう人も多いことでしょう。
残念ながら、そう簡単な話ではないのです。
ミントは世代を重ねていくごとにどんどん効能が失われて、ただの猛烈な繁殖力がある雑草へと変貌を遂げる植物として知られています。


腐敗したミントの悪臭が庭を満たす

ハーブは多年草の性質を有しているものが多く、ミントもそのほとんどの品種が冬を越して生育できます。
ただ、やはり植物である以上は枯死の宿命からは逃れられません。
世代を重ねるごとにもともとの爽やかな匂いが消えていくことで有名なミントですが、枯れたミントから漂う悪臭は耐え難いものがあります。


繁殖したミントには防虫効果がない

もともとのミントには害虫を寄せ付けない成分が含まれています。
ノミや蚊、ゴキブリなどを遠ざける効果が期待でき、
実際に欧州では害虫対策としてミントが植えられ、ミント由来の防虫剤がメーカーより販売されていますね。
ですが、庭先に植えられて世代を重ねたミントにはもはや防虫効果はほぼ存在しません。


庭のミントが害虫パラダイスに

そうなれば、ミントは害虫にとってまさにパラダイスです。
もともとミントに好んで付く害虫である「ヨトウムシ」はもちろん、ゴキブリなどの巣になることも。


https://00m.in/6DMfU

https://00m.in/5YALe

「内面ニーズを満たすよう外部の現実を再構成する。」
つまり、自分に都合よく解釈するって事ですね。




認知の歪み(にんちのゆがみ、Cognitive distortion)とは、誇張的で非合理的な思考パターン(irrational thought pattern)である。
これらは精神病理状態(とりわけ抑うつや不安)を永続化させうるとされている。


 こういった思考パターンは、その個人に現実を不正確に認識させ、ネガティブな思考や感情を再強化させうる
とされている。
バーンズは、
 気分や感情は事実ではなく、逆に「歪んだ考え方がマイナスの気分を生み出す」
と述べている。

これを知ると、「歪曲の防衛機制」なのか「発達障害」なのか判断できなくなりました。
はて???




バーンズは以下の10パターンを挙げている。

 ・全か無かの思考
 ・行き過ぎた一般化
 ・心のフィルター
 ・マイナス思考
 ・論理の飛躍
 ・拡大解釈、過小解釈
 ・感情の理由づけ
 ・~すべき思考
 ・レッテル貼り
 ・誤った自己責任化(個人化)

う”www
「パム」は35歳の頃から自分自身の思考回路の改善に取り組んでいました。
つまり、それより前の「パム」の言動を思い返すと、ここのパターンと当てはまる事もあります。

なお、「パムのトラブル」の対応で「パム」が諸々、問題になりかねない行動をしておりますが、
これは、
 ・パムの生活防衛
 ・パム自身も腹を括っている
 ・法律に触れないように言動に配慮している
と言う事を踏まえた行動であります。




スプリッティング(全か無かの思考)
詳細は「分裂 (心理学)」を参照
https://00m.in/w2kro

スプリッティングともされ、グレーがなく、物事を全てを白か黒かで認識するという、誤った二分法を用いること。
オール・オア・ナッシング(all-or-nothing)であり、少しでもミスがあれば完全な失敗だと考える。
真実でも、真実らしくもない場合でも、常に("always")、すべて("every")、決して("never")などといった言葉を使うのが特徴。
とりわけスプリッティングは境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の人らに一般的である。

「パム」が「パムのトラブルのきっかけになった人物」とトラブルになった後の事です。
すると、「パム」は「パムのトラブルのきっかけになった人物」から嫌われたと言う事になります。
これは、「パムのトラブルのキーパーソン」の言動からの推測ではありますが、
 「パムは孤立している。」
 「パムは全員から嫌われている。」
などと思われていたフシがあります。

これは、スルー対応していましたが、その後、本当に「パム」を「孤立化」させようと動き出すとは思いませんでした。




~すべき思考

他人に対し、その人が直面しているケース(状況・状態)に関係なく、彼らは道徳的に
 「すべきである」
 「しなければならない」
と期待すること。
これを、アルバート・エリスは"must"に掛けて"musturbation"と命名し、
デビッド・D・バーンズは、「should構文(should statements)」と、
心理療法家Michael C. Grahamは「世界を現実と違った形に期待している」と呼んだ。

 ・「人は、他人に尽くさなければならない」
 ・「私は、全ての人に愛されなければならない」
 ・「絶対にミスをしてはならない」

 「常に前向きでいなければならない」
「パムのトラブル相手」の多くはこのような事を言います。
これが、実は、
 「常に自己のミスを見ぬフリしよう」
と言う事だったのです。

そして、「パムのトラブルのきっかけになった人物」「パムを15年近くストーキングしている50男」は、
 ・「私は、全ての人に愛されなければならない」
と考えている様子が見えます。

つまり、未だに
 「私/オレはパムから好かれている」
と考えていると言う事です。

これに対しては、「表面化」して「パムにした事の結果」を相手に示しています。




行き過ぎた一般化

行き過ぎた一般化(Overgeneralization)とは、経験や根拠が不十分なまま早まった一般化を下すこと。
ひとつの事例や、単一の証拠を元に、非常に幅広く一般化した結論を下すことである。
たった一回の問題発生だけで、その問題は何度も繰り返すと結論付けてしまう。

 ・「彼女は今日挨拶をしてくれなかった、きっと私を嫌っているに違いない」

「パム」が「自分が発達障害者である」事に対する対応を職場に求めたのは、「生命保険会社」だけです。
すると、
 「パムは自分が障害者だと言う事に『いつも』甘えている。」
などと言う中傷が出回りました。
そこで「パム」は中傷を無視せず、当時の「雇用形態」は「一般雇用」でしたが、職場で「障害への対応」を求めた事もあったので、
 ・障害者の人権擁護団体
 ・職業安定所 障害者就労窓口
などにも相談/対応を実施しました。




心のフィルター

選択的抽象化(selective abbreviation)ともされ、物事全体のうち、悪い部分のほうへ目が行ってしまい、良い部分が除外されてしまうこと。

 ・「試験において100問中、17問も間違えた、自分は落第するに違いない」

「パムのトラブル」が発生する前の事です。
「パムのトラブルのきっかけになった人物」が主催するロックバンドのライブに、「パム」は良く見に行ってました。
その後、「パム」自身が「パムのトラブルのきっかけになった人物」が主催するロックバンドに加入したのです。

その時、「パム」はどうしていたかと言うと、
「パムのトラブルのきっかけになった人物」に対して、「パム」が「客」として感じた事をハッキリと言ってました。
その言動は直球でしたので、「苦言」も多かったと思います。

『「パムのトラブルのきっかけになった人物」が主催するロックバンド』は好きでしたよ。
そうじゃなきゃ、わざわざライブを見に行きません。

しかし、思うところはハッキリと発言しました。
そうしたら、
 ・「パム」は「パムのトラブルのきっかけになった人物」を憎んでいる
とされてしまったのです。

大切な事なので、繰り返します。

 『「パムのトラブルのきっかけになった人物」が主催するロックバンド』は好きでしたよ。
 そうじゃなきゃ、わざわざライブを見に行きません。





マイナス化思考

マイナス化思考(Disqualifying the positive)では、
上手くいったら「これはまぐれだ」と思い、
上手くいかなかったら「やっぱりそうなんだ」と考える。
良い事があったことを無視してしまうばかりか、それを悪い方にすり替えてしまう。

バーンズによれば、認知障害の中でも最もたちが悪いという。

どうも、「パムのトラブル相手」は「パム」の行動/結果がそうであると考えているようですねwww
自分に向かうのもタチが悪いが、他人に向かうのもタチが悪いです。




結論の飛躍

「心の読みすぎ」と「先読みの誤り」の二種類が存在する。

 1.心の読みすぎ(Mind reading)とは、他人の行動や非言語的コミュニケーションから、ネガティブな可能性を推測すること。
   当人に尋ねることなく、論理的に起こりうる最悪のケースを推測し、その予防措置を取ったりする。
 2.先読みの誤り(Fortune-telling)とは、物事が悪い結果をもたらすと推測すること。
   悲劇的な結論に一足先にジャンプしてしまう。

「パムのトラブル」では、「個人間のトラブル」が「パムの勤務先」「複数の公的機関」まで巻き込む事態にまで拡大しました。
「パム」も想定していなかった規模でして、「パム」自身がビックリしています。
まさか、このエスカレートは、この「結論の飛躍」からなのでしょうか???

そこで、「パム」も相手の「マインドリーディング」をする必要が出てきました。
対抗手段として「パム」が使った方法は、「事実」のみの記録の積み重ねを繰り返しただけです。
「パム」の感情は一切書きませんでした。




拡大解釈、過小解釈

「針小棒大に言う」ともされる。
失敗、弱み、脅威について、実際よりも過大に受け取ったり、
一方で成功、強み、チャンスについて実際よりも過小に考えている。

この「拡大解釈、過小解釈」が逆転しているケースもあります。
つまり、

 成功、強み、チャンスについて、実際よりも過大に受け取ったり、
 一方でに失敗、弱み、脅威ついて実際よりも過小に考えている。

と言うケースです。

「パムのトラブル」で当事者が発言した言動はどうなんでしょうか???

「パム」はこれへの対応として、
 ・「パム」が開催に関わった企画について、「盛況だったか?」「動員数は何人だったか?」を一切発言しない。
と言う行動に出ていました。

実際にどうだったかは、その場の皆様がご存知でしょう。




感情の理由づけ

感情の理由づけ(Emotional reasoning)とは、単なる感情のみを根拠として、自分の考えが正しいと結論を下すこと。
ネガティブな感情は、物事の真実を覆い隠し、人間に、その感情にリンクした考えのほうを現実らしく経験させる。
感情によって作り出された「認知」が、正しいかどうか常に検証することにより、この「心の監獄」から抜け出すことができる。

<参考>感情的な理由付け:感情によって思考が陰るとき --こころの探検--
https://00m.in/M8Ayi

「パムを15年近くストーキングしている50男」は、
 ・「パム」に人生相談された。
などとよく発言しています。

「パム」は別に人生相談も何もしてませんし、そんな人に相談する事もありません。
それなのに・・・ですよ。

ねえ?
「パム」の事が好きなんですか?www
気持ち悪いんで、止めて欲しいです。




レッテル貼り

行き過ぎた一般化のより深刻なケースである。
偶発性・外因性の出来事であるのに、それを誰かの人物像やこれまでの行動に帰属させて、ネガティブなレッテルを張ることである。
間違った認知により誤った人物像を創作してしまうことであり、これは自分、他人を問わない。
このようなことになるのは、レッテル貼りというのは、ある事象を言語で記述する際に、人の行動を評価する強力な説明能力を持っているからである。

 ・単に「失敗した」ではなく、「自分は全くダメな人間だ」や、「あいつはろくでなしだ」と考える

 ・「パム」はいつも怒っている。
 ・「パム」はすぐにキレる。
「パム」にはこのような「レッテル」があります。

「パムのトラブル」がエスカレートしすぎて、この世で起きた事とは思えないレベルにまで発展してしまいました。
なので、「パム」が行動に移しただけに過ぎません。

それまでの「パム」は、「大人しい」って印象だったのでは?www
これも、「レッテル」ですよん♪




個人化

パーソナライゼーション(persionalization)。
自分がコントロールできないような結果が起こった時、それを自分の個人的責任として帰属させることである。
これは称賛的なものもあれば、非難的なものも含む。

 ・「今日雨が降ったのは、私の責任だ」

「パム」自身が心がけている事です。
「パムのトラブル」で、「パム」がなんでもかんでも相手に責任転嫁しないようにしているのです。

https://00m.in/YLssm


<質問>

告訴したい相手が周りの人間に嘘を言う様に口裏合わせをしているので
民事訴訟で嘘を崩してその証言を証拠として提出したいと思っています。
民事での証言は告訴する時に証拠として使えますか?
そして、どうやって警察に提出すればいいのですか?
裁判で録音しても大丈夫ですか?


<回答>

弁護士A

民事での証言は告訴する時に証拠として使えますか?
使えます。
そして、どうやって警察に提出すればいいのですか?
調書がつくられますので,それを提出すればよいのではないでしょうか。


古川 穣史 弁護士

証拠として用いることは可能です。
裁判では録音することは認められていないと思いますので、書記官に頼んで、文字にしたものをもらうことになります。
まずはその旨書記官に伝えてみるとくわしく教えてくれると思います。

なるほど・・・・・・。
つまり、「刑事告発」できなくても「民事訴訟」を提訴して「(民事訴訟の)原告」が「検事役」になって、
「(民事訴訟の)被告」を追及した結果、「刑事告発」も可能なんですねぇwww