しかし最近、いろいろと耳にするんだよ。恐ろしい話をね。
(言葉を奪う?そんなこと、できるんでしょうか。)
長いこと徹底的に脅されたら、誰だって黙ってしまうよ。
いつからか 言葉無くし
オズから消えゆく 私の仲間が
あの山にいる フクロウの牧師は 今や ただ鳴くだけ
そう 誰かが オズの国を 支配する
言葉 奪い去って
(言葉 奪われる?)
次はきっと 私の言葉アアア…
(ミュージカル「ウィキッド」 言葉奪われる)
ディラモンド教授はシズ大学でただひとりの、動物特別雇用枠で採用されたヤギの教授だ。
彼は語る。
かつてオズの国では、校舎を歩けばカモシカの文学討議やシマウマの哲学研究を耳にすることができた。
だが、人間と動物が自由に暮らしていたこの理想の国は、年々どんどん色褪せてきてしまったのだ。
原因は大干ばつ。
植物が育たず、深刻な食糧不足がオズを襲う。
人々の不安と怒りが日に日に増していき…やがて不思議な噂が流れだしたのだ。
「この災いは誰かが招いているのだ」と。
そして人々の憎しみは、動物へと向けられる。
これまでにだって、いろんな「困った人」たちと、僕は働く機会があったのだ。
最初の頃はこの人たちがなぜ、こんなふうであるのか、その理由を探ろうとし、解決法を模索した。
あの人たちだって、毎日をこんなふうに不機嫌に過ごしていて、幸せなはずがないではないか。
だが、この半年で、僕ははじめて「人を変えることはできない。変えることができるのは自分自身だけなのだ」ということを悟る。
自分の不機嫌さと、それが周囲に及ぼす様々な影響力を、「自分の力」「存在感」であると勘違いし、それが自分自身に対する肯定感に繋がっている、楽しんでいる、そうした人たちがこの世には存在するのだということを理解したのだ。
挨拶しても無視する。
話しかけても応えない。
そこにまるで僕が存在しないかのようにふるまう。
かと思えば
「あなたのやることなすことはいちいち私の癇に障る」
「あなたがいったいなにを言いたいのか、私には全然理解できない」
そんなふうに突然、怒鳴られる。
「この人とは、どれだけ時間をかけても、理解しあうことはできない」
「でも、その原因は僕にあるのではなく、単にふたりの人間の相性の問題、価値観の違いなのだ」
「ただ、この人が望むのは“自分で考えて行動する人間”ではなく、“自分の言いなりに動く人間”だったというだけのことなのだ」
そう頭では理解し、早々にこの職場を去ることを決意したものの…
「不要な人間」として日々扱われること、そして無視されることは、僕の心を知らないあいだに蝕んでいたのだろうか。
次第に僕は「誰かと働く」ということ自体に恐怖を覚えるようになっていった。
自分の居場所はどこにもないのかもしれない、とも感じるようになっていった。
闘う気力を失った。
仕事を辞める日が決まり、最後の日を迎えたその瞬間までも、僕の心の波立ちはおさまることはなかった。
求職活動もうまくいかなかったのだ。
「次の人が決まるまでは辞められては困る」と言いながらも、「あなたを紹介してきた転職エージェントに手数料を支払うのはもったいないから、やっぱり今月中に辞めてほしい」、やがて窓口となっていた事務長さん自身の突然の極秘退職(結局、僕の退職のその日まで、いや、今日にいたるまで、事務長さんの退職は伏せられたままだ)に伴い、僕の退職話はそのまま放置された。
会社との窓口は遮断され、責任の所在は曖昧にされ、そうこうしているうちに僕は60歳の誕生日を迎える。
ようやく退職日が決まり、僕は本格的に求職活動を開始した。
だが…
「60歳を超えた方には、正社員や契約社員の求人はありません。パートの求人のみです。」
転職エージェントの若い女性の担当者から、そう言われた。
そのパートですら、60歳を超えた人間に面接の機会が与えられるかどうかは求人元次第、とても厳しい状況だというのだ。
しかも提示された時給額は極端に低く、週40時間フルに働いたとしても、ひと月分の給与のその額面は、40年近く前の僕の「初任給」とほぼ変わらないか、それ以下となる。
薬剤師という国家資格を過信していたつもりはない。
だが、これまで僕の周囲では、社員として、60歳に達する以前と同じように、それ以降も働く薬剤師さんは当たり前のように存在していたし、僕は自分に実力さえあれば、60歳を超えてもなお、同じように働き続けることが可能なのだと思っていた。
すくなくとも、年金給付が始まる65歳までは。
だが、コロナ禍を境に、状況は大きく変わったのだという。
年配の薬剤師の受け皿であった小規模の調剤薬局は次々と大手に吸収されるか廃業に追い込まれ、大手の調剤薬局は若手薬剤師しか採用しない。
以前のブログでも触れた「単発派遣薬剤師」の仕事も、求人数が以前に比べ極端に減ったうえに、若い世代の人たちの間にひろがる「将来への不安感」から、休日をこうした副業に充てる人たちが増え、仕事の奪い合い状態が続いている。
結局、僕自身もこの収入のない二週間の間に、紹介してもらえた単発派遣の案件は1件のみで、それも「早い者勝ち」ということで、結局、就業することはできなかった。
こんなことは誰も教えてくれなかったではないか、と僕は思った。
住宅ローンは60歳までに完済、こどもは60歳までに独り立ち、そんなふうに人生を設計しなければ、その先に待っているのは貧困だということを。
65歳から支給される年金というものは、あくまでも「働けなくなった時のための保険」であって、それだけでは生活してはいけないのだということを。
そしてそうしたことのすべては「自己責任」で片付けられてしまうのだということを。
(そして今回、突然の選挙もまた、「誰を信任するか」、そして「あなたが選んだんだから、あとはどうなろうと、すべてあなた自身の自己責任なのだ」というニュアンスが感じられて、僕は怖い。いつから「自己責任」という言葉が、あたりまえのように責任転嫁に使われるようになってしまったのだろうか)
そんなことをつらつらと考えながら、僕はふと、「あれ?これって鬱なのかも」と思った。
いや、そんなはずはないだろう。
「生きていくことの困難に直面する」という意味では、明らかに母の神経難病の告知、父に対する余命宣告、そして寝たきりとなったふたりの介護、あのときのほうが精神的にも肉体的にも、僕は限界に近いところにいたはずなのだ。
だが、そんな厳しい状況にあっても、僕は一度も絶望しなかったし、あきらめなかったし、逃げ出そうとも思わなかった。
あの苦しかった日々を乗り越えることのできた僕が、今、この程度の状況で鬱状態になり、悲観的な考えしか持てなくなってしまうなんてことは、あるはずもない。
「あなたときたら勝てるチームをつくることしか考えてないんだもの。監督を引き受けてからそのことばかり考えてるんじゃない。」
「あなたはわかってないのよ。もし勝てるチームができなかったら、だれが傷つくと思うの?」
「おかしなこと言わないで。だれも傷つくものですか。子どもたちにきれいに勝ち、きれいに負けることを教えるのがリトルリーグのよさの一つじゃないの。」
「でもね、負けてばっかりいるチームに、きれいに勝ち、きれいに負けることをおぼえられるはずがないでしょ。負けてばっかりいると負け犬になっちゃうのよ。ファイトをなくすのよ。そこで傷つくんだわ。子どもたちの根性がだめになるのよ。子どもたちは気にすることさえ忘れちゃったの。きれいに勝ち、きれいに負けるなんて、そんな生やさしいこと以上のものを教えてやらなくちゃ。負けた時にはがっくりくるようじゃなくちゃ。」
「子どもたちをがっくりさせたいっていうの?」
「がっくりはしてもあきらめたりはしないようにするの。」
(「ベーグル・チームの作戦」カニグズバーグ/松永ふみ子 訳)
そうか、と僕は思った。
いくら闘おうと思っても、相手にされない(無視される)ようでは、闘いようがない。
この半年、否定されるか無視されるかし続けた結果、僕も「負け犬になり」「ファイトをなくし」「そこで傷つき」「根性がだめになった」のかもしれない。
そして、ふと思った。
僕にとって生きるうえで一番大切なことは「誰かから必要とされる」ということなのだ。
だが、この半年の間、僕は「必要のない人間」として扱われ、そしてその後の求職活動でもそれを上書きされた。
父や母を介護する日々を僕が乗り越えることができたのは、あの頃、常に誰かが僕の存在を「必要」としてくれたからなのだ。
だから苦しくはなかったし、絶望することもなかった。
自信を失うこともなかった。
「誰かが必要とされるとき、僕はその必要とされる誰かになりたい」。
それが僕の生きるうえでの目的であり、よろこびであるのだ。
それこそが僕にとってもっとも大切なことなのだ。
そうだ、今回の苦しく暗いトンネルのなかで、僕にはようやく、そのことがわかったのだ。
年始のお休みの間にふたつのミュージカルを続けて観る機会があった。
東宝版「エリザベート」と劇団四季「ゴースト&レディ」。
奇しくもどちらも実在した女性と、ある意味「死」を具現化した存在との、「愛」を描く物語だ。
「エリザベート」の主人公はオーストリア皇后であったエリザベート(エリーザベト)。
「ゴースト&レディ」の主人公はフロレンス・ナイチンゲール。
エリザベートは少女時代、落下事故での臨死体験のなかで黄泉の帝王トートと出会う。
フロー(フロレンス・ナイチンゲール)はドルーリー・レーン劇場に巣食うといわれる幽霊のグレイに自らの意思で会いに行く。
どちらも自己を確立した、「闘う」女性なのだ。
エリザベートはオーストリア皇帝に嫁ぐなかで求められる「おとなしい人形」像を拒絶し、「私が私であること」にこだわって闘い続ける。
フローは貧しい病人を看護することに生きる希望を見い出すが、当時、看護師は卑しい身分の女性が就く仕事として、人々から忌み嫌われていた。上流階級の子女であった彼女がそのような仕事を望むことに対し、家族をはじめとする周囲の理解を得ることができず、彼女は苦しむ。
「ゴースト&レディ」のなかで、僕が最初に躓いたのは、フローが劇場に赴き、グレイに「私を殺して」と懇願することだった。
なぜ、彼女は「自分を殺してほしい」と願うのか。
その「弱さ」に、僕はひどく違和感を覚えた。
宝塚版「エリザベート」には、トートの有名な台詞がある。
「死は逃げ場ではない」。
エリザベートがトートを求める、つまり自ら死を望むのはこのとき一回きりで(このとき、エリザベートは息子を自死というかたちで失う)、基本、エリザベートは最後までトート(死)を拒み続けるのだ。
最後、エリザベートは暗殺されるのだが、宝塚版「エリザベート」ではこのとき、ようやくエリザベートはトートに抱かれ、安らぎの表情を浮かべる。
だが、昨年、映画として公開された韓国版「エリザベート」のラストの解釈はある意味、僕にとってはかなり衝撃的で、トートが抱くエリザベートはただのエリザベートの抜け殻でしかなく、エリザベートの魂は最後まで「誰のものにもならず」に、トートの手の届かないところへ逝ってしまって、そのことを悟ったトートは驚愕の表情を浮かべる、という終わり方だった。(たぶん、僕の解釈ではね。知らんけど)
自分を殺してほしいと願うフローと、決して死には屈しないと闘うエリザベート。
どちらも男性が描く物語だ。
(「ゴースト&レディ」は藤田和日郎氏のコミック「黒博物館 ゴーストアンドレディ」を原作とする)
現代の女性がこのふたつの物語に接したとき、それぞれのヒロインに対しどのような感情を抱くのか、僕は知りたいと思う。
そしてどちらのヒロインに、より共感するのかを。
ちなみに、調べてみると、フローが生まれたのは1820年。亡くなったのは1910年。
エリザベートが生まれたのは1837年。亡くなったのは1898年。
ふたりの女性は、ほぼ、同じ時代に生きたのだということがわかる。
そしてエリザベートが生まれた1837年、フローが16歳であったときに、彼女は庭の大樹の下で「私に仕えなさい」という神の啓示を受けたとされるのだ。
ここから、フローの「自分の使命探し」が始まる。
「エリザベート」は、観劇しながら頭の中で登場人物と一緒にそのすべてのナンバーを歌えるくらいに、僕が何度も観てきたミュージカルだ。
一方、「ゴースト&レディ」は僕にとっては今回が初見の作品で、まったく予備知識を持たないままでの観劇だった。
最初に「エリザベート」を久々に観劇し、その翌日に「ゴースト&レディ」を観劇した、という「順番」もおそらくはあるのだろう。
僕はどうしても、最初に自ら「私を殺して」と懇願するフローと、最後まで「私は私だけに自らの命を委ねるのだ」と歌い続けるエリザベートとを比べてしまい、「ゴースト&レディ」の世界観に没頭しきれないままに終わってしまった。
もちろん、「私が絶望したときには私を殺す」という約束を得たフローはそれ以降、あらゆる障害と闘うのだが。
でも、劇団四季のオリジナルミュージカルでもある「ゴースト&レディ」は、2024年の東京での初演以降、多くの人の心をつかんできた作品なのだ。
その評判はなかなかに高く、演出は僕の大好きな「ノートルダムの鐘」を担当したスコット・シュワルツでもある。
僕にはあと一度、この「ゴースト&レディ」を観劇する機会があるので、次回はそのストーリーをしっかり噛みしめながら、「死を覚悟するくらいならなんだってできるであろうに、なぜフローはゴーストであるグレイに私を殺してほしいと頼んだのか」ということを考えてみたい。
(宗教上、自殺は許されない?いや、「殺してほしい」と願うのだって戒律的には同じでしょ。そこにはもっとなにか別の理由があるような気がする。弱さではない、もっとなにか他の理由が。)
僕がまだ、母の介護をしながら実家で暮らしていた頃のことだ。
「ボロ家で結構です。売ってください。」という手書き風の不動産屋のチラシがポストに入っていたことがあった。
僕はそれを見て、「ボロ家のポストに“ボロ家でいいから売ってくれ”と書いたチラシを投函するなんて、ずいぶんと失礼な不動産屋やな」と思った。
たしかに我が家は僕が生まれる数年前に分譲され、僕が小学校へあがるのを機に2階を建て増しした、築60年近い物件で、庭木は手入れする時間的余裕がなかったせいで伸び放題、2018年の大阪北部地震の影響を受け、外壁にはいくつかの亀裂が走る「ボロ家」であったことは間違いない。
だが、住んでいる僕が「ボロ家」というのと、まったくの赤の他人が「ボロ家」というのとでは、まったく話が違う。
そんな話を不動産を取り扱う友人にしたところ、彼は「たしかに失礼やな」と笑いながらも、不動産屋が「ボロ家でもいいから売って欲しい」という、その理由を教えてくれた。
彼いわく、まずは「このエリアで売り物件があれば紹介してほしい」という客が来たとき、紹介できる物件が一軒もなければ、その客は二度とその不動産屋へは来ない。
紹介できる物件が一軒だけだと、これもまた、よほど魅力的な物件でないかぎり、客は「他の不動産屋もあたってみよう」と考える。
だが、希望エリアに複数の紹介できる物件があれば、たとえそのなかに「ボロ家」が含まれていたとしても、いや、むしろ「ボロ家」が含まれているおかげで、客は比較することができ、成約率はグンと高まる、というのだ。
さて、前回、しばらく無収入の日々が続く、という話をした。
でも、その対策を事前に僕がなにも考えなかったわけではない。
薬剤師の「単発派遣」を数多く取り扱う転職エージェントがある。
「単発派遣」とは、その文字の通り、一日だけの派遣薬剤師だ。
たとえば社員が有給休暇をとり、その穴を他の社員やレギュラーのパートさんで埋めきれない時。
勤務シフトを組む時点で、どうしても必要人数が揃わない時間帯が生じた時。
単発派遣の依頼が来る。
その日一日だけ、その時間帯だけの、今で言うところの「隙間バイト」みたいなものだ。
数年前、僕が無職状態で収入もなく、困窮状態に陥ったときに、あるエージェントの担当者さんがこの単発派遣を紹介くださって、なんとかしのげたということがある。
その担当者さんはじっくり僕の話を聞いてくださりながら、僕の希望に沿う職場を探すなかで「妥協することなく根気よく探しましょう。見つかるまで、絶対に手を離すことなくサポートしますから」とおっしゃり、無収入の状態がいつまでも続く状態に不安を覚える僕に対して、ひとつの「一時的なしのぎ」として、単発派遣の求人案件をいくつか紹介くださったのだ。
結局、そのときの「僕のやりたい仕事」は最終的にハローワーク求人のなかに見つかったため、「手を離した」のは僕の方で、そこで僕の求職活動は終わりを迎えることになってしまった。
そしてその担当者さんはそれから間もなく、そのエージェントを退職してしまわれた。
「あまりにも人の心がわかり、その心に寄り添いすぎて、疲れてしまわれたのではないか」と僕は考えた。
今回、久しぶりにこのエージェントに連絡をとったところ、コンサルタントさんの顔ぶれはすっかり変わってしまっていた。
このエージェントに限らず、転職エージェントは人の入れ替わりが激しいように思われる。
「人の役に立ちたい」という思いが強ければ強いほど、理想と現実の狭間で擦り減ってしまうのではないだろうか。
僕たちの世代の者がよく知るビリー・ジョエルの「若死にするのは善人だけ」という歌のタイトルの如く、「人の心に寄り添うことのできる人ほどはやく辞めてしまう」「優しい人ほど退職の道を選ぶ」業界というものはたしかにあるのだろう。
さて、昨年のうちに僕は、新たに僕の担当となった若い女性のコンサルタントさんに「来年1月16日以降のまずは一週間、場合によってはそれ以降についても、単発派遣の求人案件があればご紹介いただきたい」とお願いをしていた。
だが…まったく求人案内がないのだ。
年が明け、新たな仕事が2月1日からと決まり、僕はあらためて1月16日から31日までの期間での求人の紹介をこの女性に依頼する。
今時らしく、担当者とのやりとりはすべてLINEだ。
「直接の電話には出れないことが多いので、連絡はすべてLINEでお願いします」と言われている。
ただ…この若い女性の担当者、LINEしても、なかなか「既読」がつかないのだ。
ようやく先週になって一件の求人案内があり、すぐに「やります」と僕はLINEで返信した。
だが、例によってなかなか「既読」がつかない。
夕方近くになってようやく「ご案内の求人はすでに充足しました」というメッセージが届いた。
「え?」
これって一対一の求人案内ではなかったのだろうか。
僕はすでにそのつもりでスケジュールの調整をし、通勤のための電車の時間などを調べていたのだが。
「いや、早い者勝ちです」。
だったらなおのこと、すぐにLINEで返信したのに既読がつかないままであった状況に対しての不信感が募る。
これがよくいわれる「コンサルタントの当たり外れ」なのか、あるいはこの転職エージェント自体が、数年前に僕がお世話になったときと体制(考え方)自体が変わってしまったのか。
すくなくとも今のこのエージェントは僕の信頼に値するものではないような気がする。
もし、本当に「早い者勝ち」だというのなら、僕が最初に求人紹介を依頼して以降の1カ月余り、このエージェントに来た単発派遣の求人はこれ一件のみだったということではないか。
求人案件を持たない転職エージェントなんて、売り物件・貸し物件を一軒も持たない不動産屋みたいなものだ。
終わってる。
実は以前から、フェイスブックに「薬剤師の単発派遣」に係る広告記事が頻繁に複数、表示されるようになった。
ただ、その文言がいずれも
「副業で勝ち組、本当に申し訳ありません」
「稼ぎたい薬剤師、探しています」
「ズバリ言うけど。薬剤師の資格持っててこの副業してないの損してるよ」
「俺は薬剤師だから他職種とは一線を画すとんでもない副業ができるんだ」。
いずれも僕自身の感覚からすると、どうにも品格を欠く、というか、まぁ、下品な表現が気になって、そのまま見送っていたのだけれど。
実際、薬剤師の転職エージェントには、その求人票に「早い者勝ち」「お金の大好きな薬剤師様のみご覧ください」「楽して稼げる」などといった、品性を欠く文言を並べ立てているところもいくつかある。
だが、今回に関しては、もう、品性がどうのこうのと言っている場合ではない。
フェイスブックに現れる複数の広告記事は、いずれも異なるアカウントからのものになっていた。
ところが。
表示されている「詳しくはこちら」ボタンをクリックすると、アカウントの異なる複数のこれらの広告記事は、すべて同じページを表示したのだ。
それは…僕が求人の紹介をお願いした、あの転職エージェントの「登録ページ」だった。
求人の紹介をお願いしても1カ月余りの間に1件しか紹介がなく、その1件も半日以上が経過してから「すぐに埋まってしまいました」と返信してきた、あのエージェント。
ふと、脳裏に「ボロ家で結構です。売ってください。」という、あの不動産屋のチラシがよぎる。
たしかに、売り先はなくても、売り物は常に一定数揃えておく必要があるのだろう。
「登録薬剤師5名」というのと「登録薬剤師常時100名」というのでは、依頼する雇用者の側でも、印象がまったく異なるではないか。
しかも、その商品(薬剤師)には維持費がかからないとなれば、なおさらのことだ。
そして僕は思った。
数年前、僕が何度か単発派遣で窮地を救っていただいたときに、同じく単発派遣薬剤師として働いておられる何人かの薬剤師さんとお話させていただく機会があったのだが、あの頃、そうした形態で働く方々の大半が、年齢的に正社員やフル勤務でのパートの仕事を見つけることが難しい人や、家庭の諸事情で「固定の曜日」「固定の時間帯」で働くことが難しい人たち、そして僕のように求職活動中で一時的に収入のない人間だった。
単発派遣薬剤師というのは、そうした「弱者」の受け皿でもあったのだ。
一方で、僕の前回の職場では、土曜日だけ、単発派遣の薬剤師さんをお願いしていた。
毎回、違う薬剤師さんが来られたのだが、年代的に若い方々が多いことが僕には意外だった。
お話を伺うと、その多くは正社員として日頃、働いておられ、副業として単発派遣薬剤師の登録をなさっているのだという。
僕が興味深いと思ったのは、若い女性薬剤師さんは「春に友人と海外旅行に行くための費用をためています」など、明確な目的、お金の使い道を持っておられる方がほとんどであったのに対し、若い男性薬剤師さんの多くは「使うのではなく貯めます」「お金は稼げるうちに稼いでおかないと」という「将来に対する漠然とした不安」がその動機になっていたことだった。
今や単発派遣薬剤師は、いろんな事情でなかなか正規で働くことが叶わない弱者の受け皿ではなく、「なんとはなしの不安」にかられた若い人たちの心の隙間を埋める「仕事」になってしまったのだろうか。
「使うためのお金」「楽しむためのお金」「物欲を満たすためのお金」ではなく、「溜め込んでおくためのお金」。
だが、この年齢に達した僕にはわかる。
漠然とした不安を払拭するための貯蓄にゴールはない。
常に働いて・稼いでいないと不安な心には、一生かかっても平安が訪れることはない。
おそらく現状の中で、僕に一時的にでも「稼ぐチャンス」が訪れないことには、なにか意味がある。
無理矢理探し出して一時的な収入を手にしても、おそらくろくなことはないのだろう。
たとえば、派遣先で調剤事故を起こして薬剤師の免許を失ってしまう、とかね。
それにしても。
「友人と海外旅行に行くためにお金が必要なんです」と笑う彼女の健全さと、「とにかく稼げるチャンスは逃したくないんです」という彼の余裕のない表情と。
自分自身のことはさておき、このようなことが若い世代の人たちにとっての現実であるのだとしたら、果たしてこの国に明るい未来はあるのだろうか。希望はあるのだろうか。
ふと、そんなことを思った。
1月15日付で退職し、2月1日から新たな仕事に就かせていただくことが決まった。
二週間とすこし、収入が途絶えることになる。
もちろん、退職金はない(調剤薬局、とくに中小規模の調剤薬局は退職金制度を設けていないところがもともと多いのだ)。
さて、この二週間(正確には16日)を金銭的にどう乗り切るか。
というか、無収入のこの二週間が実際に反映されるのは、来月、2月の給料日ということになるわけだが、この2月から次回・3月の給与支給日までをどうやりくりするのか。
(2月という月が短い月であったことだけが幸いだ)
二週間といえども、万一のために自費で健康保険に加入する必要もある。
あらたな職場への通勤定期代も、支給は「前渡し」ではないのだから、一時的ではあっても立替払いしなくてはならない。
ハローワークのホームページにはこんな文言が掲載されている。
雇用保険制度の内、失業をされた方の生活を安定させ、1日も早く再就職できるよう求職活動を支援するための給付として「求職者給付」という制度があり、失業後に一定の要件を満たした上でお手続きいただくことで受給が可能となります。
だが、この手続きには「離職票」という書類が必要となる。
そして…この離職票という書類は、退職の翌日に即時発行はされないのだ。
離職票の発行手続きは前職場の雇用者が行うこととなる。
僕自身ではなにも動けないのだ。
「できるだけ早く発行手続きをしてほしい」
驚いたことに、前職場でこうしたことを一任されている社会保険労務士さんはメールでこういってこられた。
「承知いたしました。ただこちら日程的にすぐに対応しかねますのでご了承くださいませ。」
「はあ?」
僕が自分自身で手続きできるのなら、すぐにでも・どこへでも行って手続する。
それが制度上できないから、お願いしているのだ。
離職票を受け取ることができなければハローワークで手続きができず、その手続きが遅れた分だけ、失業手当の支給日は遅くなる。
たしか離職票を持参してハローワークで手続きをすると、一週間の待機期間を経て、基本的にはさらにそれから一カ月の後に失業手当の支給が開始されるのではなかっただろうか。
つまり離職票の発行が一日遅れるごとに、一日、支給が遅れる。
「その金銭的損失の責任はとっていただけるのでしょうか」とメールしたところ、慌てたように「すぐに手続きいたします。ただし、手続きから発行までには一週間程度かかります。」と返信が来た。
以前の職場では、たしかに離職票、即日発行とはいかなかったが、数日のうちには手元に届いたような記憶がある。
そして…退職から一週間以上が経過した今日現在、その書類はまだ僕の手元には届かない。
退職から10日が経過した今となっては、ハローワークで手続きしてから一週間待機し、それから実際に一か月後に失業手当が支給されるのだとすれば、もちろん、その頃には僕はすでに新しい仕事を始めていることになる。
だが、たしか早々に次の仕事が決まっても、一時金を受け取ることができるんじゃなかったっけ?
僕の次の仕事はハローワーク経由で決まった。
離職票が手に入らず、ハローワークで失業の手続きができない間に、先にハローワークの求人票に応募し、「次の仕事」が決まってしまったのだ。
このような場合、わずかでも手当は支給されるのだろうか。
電話で問い合わせた結果、答は「否」。一切の支給はなされません、とのことだった。
ホームページには「失業をされた方の生活を安定させ、1日も早く再就職できるよう求職活動を支援するため」という文言がある。
だが、すくなくとも、離職票を入手し、ハローワークで手続し、一週間の待機期間を経てからの「求職活動」でなければ手当は支給しない=失業とみなさない、というのだ。
たとえそこに「16日間は収入が一切ない」という現実があろうとも。
「2月1日」という入職日は、新たな雇用者側からの「採用条件」のひとつであり、それが僕の「しばらく休養もしたいので2月1日からの入職にしてください」という希望ではなかったのだとしても。
だが、同じ2月1日の入職だとしても、もし僕が退職日翌日に離職票を入手してハローワークで即日手続し、一週間の待機期間を経たのちにその求人票にエントリーし、採用が決まったのだとしたら、その場合は支給はなされたというのなら…これっておかしくはないだろうか。
それに「1日も早く再就職できるよう求職活動を支援する」と言いながら、一定期間中の求職活動を禁止する(手続き前、あるいは待機期間中に採用内定が出れば給付金は支給しない)というのも、僕の感覚としては、明らかにおかしい。
そういえば実家を売却したときもそうだった。
「今、住んでいる(住民票のある)家」を売却したときと、「しばらく空き家状態だった(住民票をおいていない)家」を売却したときとでは、納める税金の額が違うというのだ。
僕の場合、マンションを購入する際の条件として、住民票を新しい住所に移してしまっていたため、僕自身の住民票を置かない実家の売却に際しては、かなりの額の税金を徴収されることとなった。
では、売却前にもう一度、僕の住民票を実家の住所に戻してから実家を売却したのだとすれば、どうなったのだろう?
それに実際のところ、僕は実家の片付けのため、週末には必ず実家へ「帰って」寝泊まりしていたのだ。
「住民票」的には空き家であったとしても、実際的には週の3分の1はそこで暮らしていた。
ちょっとした「知識」の差で、徴収される税金の額が大幅に違ったり、給付金が支給されたりされなかったり、ということはこの国では「当たり前」のことなのだろうか。
困っているときに助けてはもらえないのだったら、そもそも、毎月雇用保険料を納める意味なんてないのではないか、と僕は腹立ちまぎれに考える。
そして僕が身を削ってまで納める税金や保険料なのだから、僕自身が納得できないことには一切使わないでね、と強く願うのだ。
「でも、フランクワイラーおばさま、人は一日に一つは新しいことを勉強したいと思わなくちゃいけないわ。あたしたちは美術館にいてさえ、そうしましたもの。」
「いいえ。」わたしはこたえました。「それには同意できませんよ。あんた方は勉強すべきよ、もちろん。日によってはうんと勉強しなくちゃいけないわ。でも、日によってはもう内側にはいっているものをたっぷりふくらませて、何にでも触れさせるという日もなくちゃいけないわ。そしてからだの中で感じるのよ。ときにはゆっくり時間をかけて、そうなるのを待ってやらないと、いろんな知識がむやみに積み重なって、からだの中でガタガタさわぎだすでしょうよ。そんな知識では、雑音をだすことはできても、それでほんとうにものを感ずることはできやしないのよ。中身はからっぽなのよ。」
「クローディアの秘密」(E.L.カニグズバーグ / 松永ふみ子 訳)
昨年5月からスタートし、二週間おきに毎回3コマ、18回にわたって行われた漢方の講習会が、まもなく最終回を迎える。
修了後、認定試験に合格すれば、この漢方スクールにおける「最終コース」を受講する資格が得られることになる。
基礎理論を学ぶ「ベーシック」、さらに一歩踏み込んだ「アドバンス」、「漢茶」、「薬膳」と学び、このあたりまででいいかな、と考えていた僕ではあったが、「漢方相談に携わる仕事にいよいよ就く」ということで(まぁ、これは最終的には実現しなかったのだけれどね)、個々の生薬、そしてこれらを組み合わせた漢方方剤をひとつひとつ深く学ぶという今回のコースを受講することにしたのだ。
(26万弱という受講料は僕にとってはまさに決死の覚悟が必要な額ではあったのだけれど)。
コースもここまでくると、「先に進もう」と考える人は限られるため、このクラス自体がそうそう開講はされず、学びたいという意思があっても次の開講まで一年以上待たなくてはならない、なんてこともある。
僕の場合は「学ぶ必要を感じた」タイミングで、ちょうど数カ月後からのコースの開講が決まっていて、それは「平日・東京開催」でのクラスではあったのだけれど、オンラインや録画での受講も可能ということもあって、決意したのだ。
お金のことはまぁ、なんとかなるだろう。
コロナ禍以降、「対面のみ」であった学びの場は、実技のあるものを除いてオンライン受講や録画受講も可能となり、その機会は大幅に増えた。
だが、実のところ、僕は「対面」以外の学びは不得手なのだ。
集中することができない。
中学生のときにはじめた通信教育は結局、一度も課題を提出することなく終わったし、社会人になってからチャレンジしたユー●ャンの講座もまた、4つか5つ?結局、いずれも届いた段ボール箱を開けただけで終わってしまった。
今回については途中まではリアルタイムでのオンライン受講、途中からは転職により休みの曜日が変わってしまったため、録画での受講となったが、まあ、なんとかここまで、溜め込むことなく学びを進めることができた。
だが…。
「漢茶」の先生がおっしゃっていた。
「同じ内容を学ぶコースでも、そのクラスに集まったメンバーによって、雰囲気も学びの深さも全然違ってくるのが不思議でもあり、面白いところでもあります」。
このスクールが開催する講座には、「受講資格」というものはない。
もちろん、「このコースの認定試験に合格しなければ次のコースへは進めません」ということはあるのだが、たとえば「医療職の資格を持っていなければ受講できません」「医療職の資格を持っていなければ受講してもその内容を理解することは難しいです」というボーダーは設けられていないのだ。
これはあくまでも僕の個人的な印象なのだけれど、受講生のなかでも、薬剤師はどちらかというと学びの場において、受け身の方が多い。
「すぐに使える知識を得る」というよりは「新たな知見を得る」というスタンスだ。
それはちょうど、僕たちを含め、それ以前の世代の女性たちが「花嫁修業」と称して「お茶やお花を習っていた」、その感覚に近い。
「たしなみ」として学びはするが、実生活でそれを活かすかといえば…ほとんど使うことなく大切にしまっていて、気がついたら埃まみれになっていました、というやつだ。
一方で、主婦なんかで受講を決意した、という人は、自分自身の体調や、家族の不定愁訴に悩み、その解決法を求めて受講する人が多いためだろうか、すごく真面目で熱心だ。
ただ、若干、到達点までを急き、性急に結論のみを求める傾向があるように見受けられる。
一番積極的なのは、「薬膳の店を持ちたい」「漢茶の店をオープンしたい」あるいは「そうした材料をネットで販売したい」などという具体的な夢を持つ人たちだ。
目的を持ち、夢の実現のために学ぶ。
こうした人たちは当然ながら知識欲と、そして何よりも行動力に溢れている。
僕たち薬剤師がむしろ「この程度の知識で人さまからお金をいただくなんて…」と及び腰であるのに対し、こうした人たちは講座を修了したらすぐにでもその知識を基に事業を始めるつもりで準備を進めておられる。
そしてこれはたしかに正解なのだ。
必要な知識や技は、始めてしまってから、現場で学んでいけばいいのだから。
こうした人たちは「未熟さ」を気にしない。
誰でも最初は未熟なものなのだ。
未経験からスタートするのだ。
未熟さや未経験を理由にしていたら、いつまでたっても新しいことを始めることはできない。そうでしょ?
僕たちのクラスの一期前に先生が受け持たれた漢茶のクラスには、そうした積極的な方がひとりおられ、次第にその影響を受けて、講座終了後には数名の方が協力し合って起業されたのだそうだ。
その日の講義が終わったあと、受付の人に「そろそろ次のクラスの講義が始まりますので」と促されるまでみんなが教室に残り話が盛り上がるクラスもあれば、講義が終了して1分後には誰も教室に残っていない、というクラスもあるのだという。
僕の属したクラスは後者、その一期前のクラスは前者だったようだ。
これこそが求めたからといって必ずしも手には入らない「人の縁」というものなのだろう。
さて、話がすこし脇道にそれてしまった。
僕が現在、録画受講しているクラスは、いつからか「私のこの症状には、どの漢方薬が効くんでしょうか」「病院でこの漢方薬を処方されたんですが、この見立ては正しいでしょうか」といったような「個人的な健康相談」的質問が多くなされるようになった。
ひとりの方がこうした質問をされると、「私も」「私も」と次第に同じような質問が続くようになる。
結果、カリキュラムの中盤以降、1コマ1時間・1回3コマ3時間の講義のうち、最初の1時間は毎回、このような「健康相談的質問の時間」になってしまった。
もちろん、こうした「症例検討」は有用なのだ。
訴えのあるさまざまな症状を分類し、その原因の可能性を探り、そこから適切な漢方方剤を選定する、という練習は。
だが、それがその日の講義テーマに添わない症例であると、その説明(回答)に「まだ学んでいない部分」が絡んできて、少なからず「質問が質問を生み出す」「回答が新たな“わからない”を生み出す」混乱状態が生じる。
これは講義を担当する先生の手綱さばきにもよるのだろうが…案の定、スケジュール中盤以降から「明らかにこのペースではテキストの最後まで期間中に到達しないのではないか」というおそれが出てきたのだ。
で、そうなると次第に「肝心の講義」は「ここは認定試験に出るので覚えてください」「ここは認定試験には出題されないので、あとで時間があるときに目を通してください」という悪循環に陥っていく。
ここには一定数の「認定試験合格者」を出さないと、すでに開講が予定されている「次のクラス」の受講者が集まらない、という、「おとなの事情」も絡んでいるのだろうが。
でも、僕としては、講義が次第に「認定試験合格対策講座」の色合いを帯びてくるに従い、集中力を欠き、学ぶ意欲が失せていった。
最近のことだ。
ふと、数学というのは、いろいろな装飾物を取り除き、その骨格、骨組みだけを取り出す。次に自分自身の引き出しをあけて、その中にあるものと取り出した骨組みとをひとつずつ見比べていき、合致するものを見つけ出す、そういう学問なのではないだろうか、と思った。
何冊もの問題集と取り組むのは、「装飾物を取り除き骨組みだけにする」ための練習。
そしていくつもの公式を暗記するのは「自分の中の引き出しを増やす」「引き出しの中身を満たす」行為。
漢方の勉強もそうなのだ。
症例検討は装飾を取り除き、骨組みだけを浮き上がらすための訓練。
陰陽五行をはじめとする基礎理論の勉強は自分の引き出しを増やすための準備。
そして複雑な人間関係もまた、同じことなのだろう。
意地悪なあの人は、なぜ意地悪なのか。
高圧的なあの人は、なぜ高圧的なのか。
「美女と野獣」のなかでベルは野獣に問い掛ける。
「あなたはどうしてそんなに威張っているの?」
観ている僕たちにはわかっている。
野獣がベルに対し「威張った口調」で話すのは、彼が自分に自信を持てず、不安で圧し潰されそうだからなのだ。
第三者として俯瞰しているといろんなことが見えてくる。
それはおそらく「外側」にいると、装飾物を取り外し骨組みだけにする、という行為を容易に、冷静に行うことができるからなのだろう。
骨組みだけにし、自分自身の「経験」という引き出しを探ると…ほら、なんとなく「あの人があんな人である」理由が見えてくるではないか。
行政薬剤師を辞め、調剤に携わる薬剤師となって以降、僕はずっと学び続けてきた。
いくつもの資格を取得してきた。
だが、その目的は「自分の中の引き出しを増やすこと」ではなく、ただ、不安な気持ちを落ち着かせ、自分自身のコンプレックスをなくすためだった。
だからなのだ。
その学びはなにも活きてはこず、僕自身をどこへも連れて行ってはくれなかった。
まさに
「いろんな知識がむやみに積み重なって、からだの中でガタガタさわぎだすでしょうよ。そんな知識では、雑音をだすことはできても、それでほんとうにものを感ずることはできやしないのよ。中身はからっぽなのよ。」
だから僕の場合、学んでも学んでも、なにも変わらないのだ。
抜け出せないのだ。
どこへも行けないのだ。
ふと、そう思った。
そして、このあたりで学ぶことはいったん休息し、「内側にはいっているものをたっぷりふくらませて、何にでも触れさせる」時間を持とう、と僕は考えたのだ。