旧暦1月1日、1年のスタートにあたるのは、今年の場合、2月10日だ。
ようやく実質的に新しい一年がスタートした。
去年の旧正月、僕の一年を予言するカードは「鈴星」で、これは「厄介な人との縁が近づいている」ことを僕に告げていた。
たしかにそのとおりの一年となった。
そしてその「予兆」は、実は「一年」が始まるすこし前から、ジワジワと現れ始めるものらしい。
以前、勤務していた病院を退職したのには、特に大きな不満があったわけではない。
残業もなく、給料もよく、採用時に提示された条件そのままに(これは本当に大切。実際に働きだしてから「え?そんなん、聞いてませんけど?」というのは実に多い)、少々退屈ながらも、楽しい日々だった。
ただ、以前のブログにも書いたように、ミーサちゃん問題があった。
ミーサちゃんは系列病院から数週間の予定で「僕に仕事を教える」ためにだけ派遣された薬剤師さんだったが、引継ぎが終わっても「戻ってこなくても大丈夫です」と言い渡され、「どっちみち、あこは意地悪な人が多かったし、これを機会に退職するわ。年金受給も始まるし」と、その手続きを進めていた。
だが、いよいよ退職して年金暮らしをスタートさせようという段になって、その額が生活を維持することが難しいくらいに少額であることが判明し、急遽、居残りを宣言し、薬剤師定員1名の座を僕と争うことになったのだ。
勤務時間の大半をウトウトとまどろみながら過ごしているようなミーサちゃんだから、僕もこの勝負に関しては、まったく負ける気はしなかったのだが、逆に僕にはこの職場以外にも働き口の候補はいろいろあるのに対し、ミーサちゃんの方は年齢的にも技能的にも、この職場を追われれば、他に行く先など、とうてい見つからないと思われる。
それに非常に低次元のミーサちゃんが仕掛けてくる策略に、いちいち対応するのも邪魔くさい。
で、退職した。
その決断に今も悔いはない(ま、たまに「ちょっともったいなかったかな」と思うことはあるのだが)。
新たに就職した調剤薬局は、薬剤師2名体制だった。
ただ、この一緒に働くことになった、僕より数歳年上の女性薬剤師が…なかなかに厄介な性格の持ち主だったのだ。
どう厄介かというと…そうだ、たとえるのにまさに最適な例がある。
彼女はまさに「メアリー・マライアおばさん」そのものだったのだ。
メアリー・マライアおばさんはモンゴメリの「赤毛のアン」シリーズ後半の方に登場する、アンの夫ギルバートの親戚筋の女性だ。
立派な屋敷を所有しながらも、なぜかアンとギルバートの家庭に居ついてしまう。
「あんまり小さなことなので愚痴をこぼすわけにもいかないわ。それでいて蛾のように…人生に穴をあけ…人生を破壊するのはそういう小さな事柄なのだわ」と、アンは考えた。
女主人ぶるメアリー・マライアおばさん…客を招待しておきながら客が到着するまで一言も言わないメアリー・マライアおばさん。まるでわたしが自分の家の者ではないかのような気持ちにさせる…アンの留守のあいだに家具の移しかえもした…
「あたしたちは臆病者だわ」と、アンは思った。「この家は『こうしたらメアリー・マライアおばさんの気に入るかどうか?』という問題を中心にぐるぐるまわりはじめている。このことを認めまいとしてもそれは事実だもの。あんなふうに殊勝げに涙をふかれるのがなによりやりきれない。」
(「炉辺荘のアン」 村岡花子 訳)
この女性薬剤師の一番の問題点は「ここの薬局は私ひとりの力で成り立っている」と思い込んでいることだったように思う。
もちろん、そんなことはない。
調剤薬局の仕事はチームで回すものなのだ。
薬剤師だけではない。処方箋を入力し、点数計算を行う調剤事務のスタッフさんも含めてみんなで回す。
だが、この人には「チーム」という感覚がまったくないのだ。
主役は自分で、周囲の人間は自分を引き立てるための脇役、「名もなきただの大勢」に過ぎない、と思っているフシがある。
だから忙しくなってきて気持ちに余裕がなくなると、平気で事務さんを怒鳴りつける。
感情的になる。
相手にも「感情」があるのだということを気にしない。いや、おそらくは気がつかない。
苦手な患者さんが来ると、トイレに雲隠れする。
僕が公休日をとっている間に、薬の置き場所を変える。
「こっちの方が便利だと思って」。
休憩時間中に訪問してきたメーカーさんがあっても報告しない。
「別にたいした用事じゃないと思ったので」。
オーナーの奥さんに、自分がいかに他の薬剤師(つまり、僕)のミスをカバーし、本来の仕事以上のものを抱えているか、アピールする。
不平不満を本人に直接ぶつけず、陰でコソコソ言う。
たとえば薬の置き場所を無断で変えながらも、そのことをまったく伝えないということが、この人の「意地悪」なのか、あるいはそんなことをすれば他の人が困るということを想像する力が完全に欠落しているのかは不明だ。
想像する力が欠落しているのなら、まぁ、仕方がない…なんてことはもちろんないのだが。
調剤薬局だって、人の命を預かる仕事なのだ。
自分勝手な行動やチームの和を乱す言動はミスを誘発し、場合によってはそれが人の命にかかわることだってある。
そしてこの人には、やらなかったらやらなかったで「なんで気がつかないの?役に立たないわね」、やったらやったで「なんで勝手にやるのよ!」、つまり、やろうとやるまいと、どっちにせよ、自分以外の人間の行動はとことん気に入らず、相手を責めて文句を言うという癖がある。
呼吸をするように人のことを批判するが、逆に自分自身の行動に「それはちょっと…」と異議をとなえられようものなら、涙ぐむ。
たまに存在するのだ。
その日の「職場の雰囲気」を左右する、困ったパワーを持つ人間が。
こちらの「おはようございます」に対する返事のトーン(あるいは無視)で、その日一日の職場の雰囲気を決定づけてしまう、そんな負の影響力を強く放つ人間が。
だが、そんな厄介で気の重い日々ではあっても、僕がすぐに「次の仕事」を見つけようと行動を切り替えなかったのには理由がある。
つまり…命学が、その人は数か月後にはここから退場する、ということを告げていたのだ。
ここが命学のおもしろくも奥深い点であると思う。
通常であれば、その人の動静は、その人自身の命盤を読み解かなくてはわからない、と考えてしまうではないか。
でも、僕自身の命盤を読み解くことでも、「僕に関わる人間」としての、その人の動静が読み取れるらしいのだ。
僕の両親、僕のきょうだい、僕の友人、僕の師、僕のパートナー、僕のこども。
まぁ、ここらあたりのことは僕のこれからの勉強課題のひとつで、現段階では、あまり詳しいことは僕自身、わからないのだけれどね。
だが、「その時期」が訪れても、なぜか変化なく日常が流れていく。
おや?ひょっとして、今回は外れた?
だが、そうではなかったことが判明する。
ちょうどその時期、この人から退職の申し出があったが、オーナーの奥さんが「あなたはここに必要な人だから」と慰留したと言うのだ。
なんて余計なことを…。
「いろいろと問題はあっても、結局のところ、仕事はできるし、必要な人でしょ」と僕に言うオーナーの奥さんに対し、僕はどういう表現を使えば悪口のようには響かずに「あの人は陰湿な策謀家で、いかに職場のスタッフのモチベーションを下げる人物であるのか」を伝えることができるか考えたが…諦めた。
事実を淡々と述べたところで、なぜかそれはただの悪口にしか聞こえないのだ。
そんなことをすれば、僕自身の「質」も下がってしまうではないか。
僕はにっこり微笑みながら言った。
「どっちにしても薬剤師の求人は行ったほうがいいと思います。あの人が辞めないのであれば、僕が辞めますから」。
だが、結局のところ、数か月後、その人の退職が決まった。
「私をもっと正当に評価してくれるところが見つかった」らしいことを僕はオーナーの奥さんから聞いたのだが…退職するその日に至るまで、ご本人からは「私、退職します」という話は出ることなく、特に挨拶もなく、その人は最後は無言で退場したのだ。
だが、これで「鈴星の予言」は終わったわけではなかった。
次の登場人物は、これまたすこぶる強烈な人だったのだ。
それにしても…なんてことだ。
今回の文章を読み返してみたが、そこには「人の悪口」しか書かれていないではないか。
我ながら、「僕もまだまだ人間ができていないな」と嘆息してしまう。
でも、これでもかなり言葉を選び選び、書いたのだよ。ほんとに。