私が若く、きれいだった頃 | 丁寧に生きる、ということ

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自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

あれは僕が二十代の頃のことだっただろうか。

両親の帰省に同行した、そう、季節は夏。たしか、お盆の頃。

父の生家で昼ご飯をご馳走になっていたら、そこにひとりのおばあさんが訪ねてきた。

 

彼女は僕の祖母の妹。

足腰が弱く、最近では外出もままならなかったが、孫がちょうどこちらの方面に用事があり、車で送り届けてくれたのだという。

それから30分余り、再びお孫さんが帰り道に立ち寄るまでの間、おばあさんふたりは涼しく風通しのいい縁側で、まるで少女のように楽しく笑いながら語り合っていた。

それほど遠く離れた場所に暮らしているわけではないのに、ふたりが会うのは数年ぶりだという。

 

祖母は早くに夫(僕の祖父)を失うなか、ひとりで先祖伝来の田畑を守り、四人のこどもを育て上げたという経験を持つからであろうか、小柄ながらもいつも背筋をのばし、意志が強く「厳しい人」というイメージがあった。他人に対しても、自分に対しても。

 

父が祖母を家に呼び寄せようとしたとき、長男(伯父)の顔を潰すわけにはいかないと、それを断ったエピソードは前回、ご紹介したが、そういえばこんなこともあった。

僕が就職した翌年の新年、祖母や祖父に今度は僕の方から「お年玉」を渡してはどうか、という提案を父と母から受けたのだ。

母方の祖父と祖母はたいへん喜び、まずは仏壇にあげ、その後、新年の挨拶に来る人来る人に嬉しそうにそれを見せるので、僕はいささか閉口してしまった。

一方で父方の祖母は…帰宅して、僕は自分のコートのポケットに見覚えのない茶封筒が入っていることに気付いたのだ。

封筒の裏には鉛筆で「祖母より」と書かれており、中にはしわくちゃの一万円札が入っていた。

結局、新札の一万円札が古い一万円札に両替されて戻ってきたというわけだ。

いかにも祖母らしい。僕はそう思いながらも、いささかの淋しさを感じた。

「孤高」という言葉が頭に浮かんだ。

 

そんな祖母だったからこそ、縁側で楽し気に少女のように笑いながら話すその印象が、いっそう強く僕の記憶に刻まれたのかもしれない。

 

それから数か月後、祖母の妹さんは亡くなった。

「きっとあのとき、お別れを言いに来やはったんやろね」と周囲の人たちは言った。

 

正月に帰省すると、祖母は僕たちに淋し気に言った。

「長生きがめでたいとみんな言うけれど、そんなことはない。なかなかお迎えが来ないというのも、辛いこと。これで姉妹も私ひとりだけが残って、私が若くてきれいだった頃を覚えている人はひとりもいなくなった」。

祖母の口からそんな気弱な、そしてある意味文学的な言葉(たしか、よく似た有名な詩があったんじゃないだろうか)が発せられたことが僕には意外、いや、意外を通し越して衝撃的だったせいで、今でも僕はそのときの祖母の表情と言葉を覚えているのだ。

 

ただ、二十代の頃に受けた「衝撃」は年とともに僕のなかではじんわり、ゆっくりと浸み込んでいき、「私が若くてきれいだった頃を覚えてくれている人」が少なくなっていくという現実が、次第に深い実感を伴って僕の心に突き刺さるようになってきた。

 

「名前」だってそうだ。

以前、女性が結婚し、出産するなかで、次第に名前ではなく「〇〇さんの奥さん」「●●ちゃんのお母さん」と呼ばれることが多くなる、ということに触れたが、これは女性に限ったことではない。

 

両親を見送り、親戚との交流も絶えた僕は、ある日、ふと、自分を名前で呼んでくれる人がこの世に誰もいなくなってしまったという事実に気付いた。

 

「マリゴールドの魔法」という作品がある。

生まれる直前だったか、生まれた直後だったか、とにかく父を失った少女が母、祖母、曾祖母、女四代が暮らす家の中で育っていくモンゴメリの物語。

おそらく僕はこの上下本を、実家の片付けのなかで、「処分する」方の箱の中に入れてしまったのだと思うが、ひとつ、いつまでも記憶に残るエピソードがある。

 

死の床についた曾祖母。

一族の頭として君臨するこの曾祖母をマリゴールドは畏れていたのだが、ある日、こっそり寝室に忍び込む。

そんなマリゴールドに曾祖母はある願い事をする。

お前にしか頼めないこと。

私を…私を下の名前でよんでほしい。

 

あまりの畏れ多さにマリゴールドは固まってしまう。

「さぁ」と曾祖母は促す。

 

ようやく絞り出したマリゴールドの呼びかけに、失望したように曾祖母は呟く。

「そんなんじゃない」。

マリゴールドは、曾祖母の願いを叶えることができなかった事実に打ちひしがれる。

 

やがて夜がふけ、月明かりが曾祖母の顔を照らし出した。

そしてマリゴールドはそこに、活き活きした少女の幻影を見るのだ。

「エディス(たしか曾祖母の名前はそういったような気がする)、ようやくわかったわ」。

マリゴールドは囁く。

曾祖母は満足したように頷き、微笑みながら永遠の眠りにつく。

 

そのエピソードの持つ「重み」を、僕はわかっているつもりで、実際には全然わかっていなかったことに、最近、気がついた。

そして僕自身の祖母の、あの言葉の重みと真実も。

 

大学からの先輩にこの話をしたら、「それじゃあ、これからはあなたのことを下の名前で呼んであげるわ」とおっしゃった。

でも、それはやっぱり、ちょっと違うんだよなぁ。

そんなふうにおっしゃってくださって、ますます僕は先輩のことを好きになってしまった(もちろん、それは恋愛感情ではなく)んだけれどね。