今回のスピンオフは、本編を未読でも読めるお話です。 

本編終了後の「エピローグ」の中の一文をクローズアップしました。

前回のスピンオフ「おめでとう」キャンディのおめでたが判った、一ヶ月ほど後の出来事です。

舞台は、エイボン川の町です。 

 

登場人物のおさらい

 

ジャスティン 

テリィのライバル役者で親友(悪友)。キャンディに片思いしていた過去がある。王子系のプレイボーイ。 

 

アルフレッド 

劇団員。テリィとはアメリカ時代からの付き合い。性格も体格もやや緊張感に欠けている。おばあちゃん子。 

 

クリオ 

品行方正な研修生。アンソニー系の容姿。セントポール学院出身 

 

オリビア

スザナ系美女の研修生。昨年の公演ではジュリエット役を演じた。テリィに憧れている。 

 

 

 

11年目のSONNET

スピンオフ

 

 

★★★ 前編

 

 

春が始まったばかりのエイボン川。寒さ知らずの鴨が、のどかにみなもを揺らしている。

テラスから部屋に視線をずらしたテリィは、相変わらず死んだイカのようにカウチで寝そべっている妻に言った。 

「――仕事、休めないのか?」

「動いていた方が、まだ気分がいいのよ。幸い私のつわりは軽いようだし、大丈夫よ」 

寝ながらつぶやく言葉に「すごく説得力があるよ」と茶化してみたものの、おもむろに起き上がり、身支度を始めたキャンディを見ては、もう何も言えない。

「エンジンが温まったようだ」 

「ありがとう。じゃぁ、お願いね」

最近テリィはさりげなくキャンディの出勤時間に合わせてくれている。 

稽古が始まる時間には少し早いようだが、楽屋が開いていれば問題ないのだそうだ。 

 

「今日から2チームによるシフト制に変わるんだ」 

購入したばかりの車を運転しながら、テリィがロイヤル・シェークスピア劇団(RSC)の新しい戦略について話し始めた。 

「2チーム?ダブルキャストってこと?」 

「そうとも言うのかな?劇団員を2チームに分けて、同じ演目をやるんだよ。これだと控え役者が要らないから、フルに団員が活躍できるってわけ。まぁ、端役は掛け持ちだけどね」 

「・・・どうして控え役者が要らないの?」 

「役者に何かあったら、別のチームの同じ役が助っ人に入れるからさ。それにだ、一日あたりの上演回数も増やせるし、あっちもこっちも観たいって客も現れる。チケットの売り上げも伸びるって寸法さ」 

「・・・頭のいい人たちの考えそうな事ね」 

 

そうこう話している内に病院の表玄関の前に到着した。 

「・・帰りの時間は合わせられない。気分が悪かったら、雑貨屋の坊やに車を出してもらえ。あいつ、最近車を買ったらしいから」 

「わかったわ」 

心配性ね、とキャンディはクスッと笑った。 

「それから――」 

「ん?」 

「森を抜けて帰ろうとするなよ。まだ安定期じゃないんだ。いくら家までの最短距離だからって、あの鉄柵を越えるのは危ない」 

「木登りなんてしないわよ・・」 

実は柵を越えて、森を抜けて帰ろうとしていた。 

「ハンモックに寝そべるのもダメだ。破れるかも知れない」 

「・・・分かってるわよ」 

たぶん分かっていなかった。 

「・・・エイボン川だって泳がないわ。約束したもの」 

これ以上何か言われたらボロが出そうだと、キャンディはさりげなく話題を変えた。 

テリィはキャンディの怪しい表情を見て、念を押すように言った。 

「約束、破るなよ」 

誓いのキスを軽くすると、テリィの新車は走り去った。 

 

「今の、うわさの旦那さん?」

院内に入った途端、大きなお腹をした同僚の看護婦が、浮かれた声でキャンディに話しかけてきた。

「あら、おはようシャルロット。えへっ 見られちゃった?」

キャンディは恥ずかしそうにペロッと舌を出した。

「不思議よね~、なんでキャンディにあれほどの――っ・・、、」

何か言おうとして、シャルロットは咄嗟に自分の口を押さえた。

シャルロットの言いたいことは分かっている。

こんな時のキャンディは、少しばかり引っ掛かりを感じながらも、いつも優越感の方が勝ってしまうのだ。

何も褒められていないのに、顔はニタ~と上機嫌。

「シャルロット、もう臨月よね?ベビーは順調?」 

「ええ。キャンディこそつわりはどうなのよ?」 

「おかげさまで、あなたほどじゃないみたい」 

「ふふふ・・、休みたい時は言ってちょうだいね。私は借りた恩は必ず返すタイプなんだから」 

去年、つわりのひどかったシャルロットの代わりに、勤務を請け負ったキャンディ。 

その事をシャルロットは忘れていなかった。 

「もちろん、その時は遠慮なくお願いするわ」 

こうして同僚や患者さんの顔を見て、おしゃべりをしている方が、はるかに気分が晴れる。 

転ばないことだけに注意を払いながら、今日もキャンディはてきぱきと看護婦の業務をこなしていた。

 

 

「よォ、テリィ。キャンディは元気か?」 

劇場の通用口で、テリィのライバル役者のジャスティンが、不敵な笑みを浮かべながら近寄って来た。 

「・・・元気じゃないな」 

安定期に入るまでは伝えるべきではないと思ったテリィは、事実を言ったに過ぎなかったが、 ジャスティンにはそうは聞こえない。 

「お前な、俺に喧嘩を売ってるのか?いいだろう、受けて立つ!今度の演目、どっちのチームのチケットが先に完売するか競争しようぜ」 

「――俺のチームAで構わないよ。チームBには申し訳ないけど」 

テリィは相変わらず態度も口もでかい。 

「チームBじゃない!その名称は変わったんだっ!なぜお前がAで俺がBなのか!あり得ないっ」 

便宜上の名称と分かっていても、テリィと同じくRSCの主役を張るほどのジャスティンにとって、Bというアルファベットが全く面白くない。

命名した幹部に意見をし、早速変更の許可を得たのは昨夜の事だ。 

「・・・何になったんだ?Cか?」 

するとジャスティンは、自慢げに両手をクロスすると、声高に言った。

「――X、エックスだ!!」 

「アーメン。終わりだな」 

「そうさ、この先はないってことだ、俺の勝ちだなテリィ!」 

何が勝ちなんだかさっぱり分からないと思いながら、テリィはチームAの稽古場がある二階ホールへ向かった。 

「ちなみにチームXは三階で稽古をする。・・・つまり俺の方が上だ。勝ちだな」 

おめでたい奴、とテリィは思った。 

「ところで、アルフレッドはどっちのチームだ?」 

前回の公演でアルフレッドと組んでいただけに、テリィはついそれを望んでしまう。

「お前のチームにやるよ。あいつは少し緊張感が足りない。だからブヨブヨ太るんだ」 

「・・・関係ないと思うが」 

「大ありだ。だからレアチーズとか未だに言われる」 

「でも、今回もレアティーズ役なんだろ?」 

「ああ。それなのに千秋楽の日に、サボりやがった」 

何か月も前の事を、つい昨日の事のように語るジャスティンの頬は明らかに膨れている。 

「サボったわけじゃないだろ。おばあちゃんが危篤だったんだ。仕方がないさ」 

「ああっ、そうだ!今回も家族が危篤にならない事を祈るばかりだ」 

ジャスティンは、常日頃遅刻が多かったり、いちいち家族の事情で欠勤するアルフレッドに 『喝』を入れたい気分になっていたのだ。 

そもそも、チーム分けになったのも、そういう劇団員がやたら多いからだ。 

RSCだって代役を引き受けられる人材が無限にいるわけではない。 

ジャスティンのプロ意識の高さが、その言葉を言わせていた。 

 

何の因果か再びのハムレット公演の決定。 

稀代の色男テリュース&口が悪いナイルのチームA 

プレイボーイ・ジャスティン&ぽっちゃりアルフレッドのチームX

 

リバイバルという事もあり、プロ集団に与えられた稽古日数はわずか5日。 

シェークスピアの町は、この新しい試みの話題で、にわかに色めき立っていた。 

 

 

 

 

どこからか、きな臭い匂いが病院内に漂ってきた。 

「何?何か燃えてるの?」 

キャンディは異変を感じ病室を見回したが何もない。 

廊下に出てみたが、火の手は上がっていないようだ。 

「・・・燃えてるんじゃないか?・・・あそこ」 

患者の一人が窓から身を乗り出し、不思議そうな声をあげている。

(中庭で焚火でもしているのかしら・・・) 

キャンディは何の気なしに窓の外を見る。 

中庭、表玄関、裏手の森。ぐる~と病院の敷地を見回したが、いつも通りの光景だ。 

しかし確かに煙の臭いを感じる。 

「違うさ、看護婦さん。あそこ、劇場だよ」 

キャンディはハッとして、エイボン川の対岸、上流にあるシェークスピア・メモリアル劇場の方に目をやった。 

黒煙が上がっている。間違いない。 

(・・・テリィ――!!) 

キャンディは頭が真っ白になってしまい、すすのようなちりが次々に窓から入ってきていることに気付かない。 

「窓を閉めなさい、キャンディス!!全てです」 

婦長の激がとび、キャンディはやっと我に返った。 

「ハ、ハイっ」 

キャンディは自分が何をしているのか分からないまま、とにかく病室の全窓を閉めることに集中した。

いや、集中したのではなく、まったく散漫だったのだ。 

言われたことを、かろうじてこなすのが精一杯。 

足がガクガクと震え、どうしていいか分からない。 

(テリィ、逃げたわよね。無事よねっ) 

どこからか入ってくる煙に鼻を覆う患者もいたが、キャンディの目にはそんな姿など映らなくなっていた。

窓際にへばりつき、川向こうに立ち上る黒煙を、祈るような気持で見つめる。 

カンカンと教会の鐘が鳴り響いている。 

その鐘の音が鋭い槍のようにズキズキと胸に突き刺さる。 

今すぐにでも現場に行きたい衝動を抑えられない。 

そんなキャンディを見て、シャルロットがポンと肩を叩いた。 

「代わってあげるわ」 

「――え?」 

「私、今日は早番なの。もう帰ってもいい時間なんだけど、夕方まで働きたい気分だわ」 

「・・・シャルロット――」 

「借りた恩は返すって言ったでしょ!大丈夫、あなたのハムレットは無事よ」 

シャルロットはウインクをして、キャンディに早く行くよう促した。 

「ありがとう・・!」 

キャンディは自分が妊婦であることも忘れ、白衣のまま走っていった。 

 

 

病院の前で馬車を捕まえ、劇場を目指す。 

テリィの無事を祈るように硬く結んだ両手が震えている。 

劇場と病院はさほど距離はない。キャンディの永遠にも感じられた祈りは、直ぐに御者の声で中断された。

「あー、規制線が張られてる。これ以上先には進めんよ、看護婦さん」 

劇場の正面玄関に続く並木道の入り口にロープが張られ、警備の大人が数人立っていた。 

火事現場を一目見ようとやじ馬たちが集まっている。 

(・・・現場には近づけないのかしら、・・・こうなったら) 

木登りを駆使すれば何とかなるだろうと、「ここでいいわっ、ありがとう」キャンディは跳ぶように馬車から降りた。 

規制線の脇にいた警備員は、キャンディを見るなり直ぐに反応した。 

「お勤めご苦労様です!」 

ロープを持ち上げ、敬礼までしてくれている。 

警備員はキャンディにとって都合の良い勘違いをしているようだ。 

「ええっ、ありがとうございます」 

咄嗟の嘘もバレずに、キャンディは表玄関の方へ走っていった。 

 

行く手を煙が襲ってくる。目が痛い。 

ケホケホとせき込みながら、キャンディは劇団の正面玄関付近まで近づいた。 

割れた劇場の窓ガラスの向こうにオレンジ色の炎が見えている。

三月とは思えないほど、辺りは熱を帯びていた。 

エイボン川に幾つものポンプが降ろされ、懸命な消火活動が行われていたが、火の手は収まることなく燃え続けている。 

「みんなは・・・・無事よね?」 

キャンディは無意識の内に、団員の通用口である、裏手の方に回っていた。 

だがしかし、通用口は、全ての炎が出口を求めて集まって来たかのように、一層激しさを増している。 

業火を固唾をのんで見上げている人の姿は、さほど多くはなかった。 

劇場に客は入っていなかったのだろう。 

 

 

「キャンディっ!!」 

 

その声はジャスティンだった。 

「テリィは無事!?避難したんでしょっ」 

ジャスティンは一瞬顔を曇らせ、早口で言った。 

「一緒じゃなかったんだ。火元は一階の出入り口付近で、階下の奴らが先に気付いた。テリィが三階に駆け上がってきて、東の通用口から避難するよう皆を誘導していた」 

「東の通用口って?あそこ?」 

キャンディは燃え盛る通用口を指したが、首を振るジャスティンが指さした方向を確認するやいなや、キャンディは既に走り始めていた。 

「待てよ、キャンディ!」 

ジャスティンの静止など聞かずに。 

 

その通用口からは続々と中から人がとび出してきていた。 

みんな芝居の衣装を着ていたので、劇団員なのは直ぐに分かった。 

 

「オリビアはまだ中にいましたか!?オリビアは―・・オリビアはチームXなんですっ」 

妙に口調の丁寧な少年が、焦るように団員に声を掛け回っていた。 

オリビアと同期のクリオだ。 

「クリオネっ、テリィは見なかったか?!」 

「それよりオリビアが、まだ中にいるみたいなんですっ、どうしましょう!」 

「オリビアが!?でも、彼女、テリィが呼びに来た時、俺の隣にいたぜ!?」 

既にどこかに避難しているはずだ、と思いながらジャスティンは辺りを見回したが 

「外にはいないから、中にいるって言ってるんですよっ!!」 

普段冷静沈着なクリオの取り乱しようは、尋常ではなかった。 

 

「あ、オリビア!!」 

通用口から、大荷物を抱えて出てきたオリビアの姿を発見したクリオは、直ぐに駆け寄った。 

「なんですか、この荷物はっ」 

「私の舞台衣装よ。命より大事だもの」 

クリオはカッとなってオリビアの頬を叩いた。 

「――え・・?」 

「―――え?」 

キャンディもジャスティンも、もちろん叩かれたオリビアも、誰もが一瞬絶句した。 

「命より大事な物がありますかっ!!バカですよっ、オリビアはっ!僕がどれだけ心配したと思っているんです!!」 

クリオは次の瞬間、オリビアを力いっぱい抱きしめた。 

 

 

「・・・・・青春かよ・・」 

ジャスティンは火事よりも熱い光景を前に、ボソッと一言言った。 

 

「オリビアさん、テリィは!?テリィは見なかった!?」 

しかしキャンディはお構い無しに二人の世界に割って入る。 

「あっ・・、テリュースさん、やっぱりまだ避難してないんですか?」 

オリビアは心当たりがありそうな声で言った。 

「実はテリュースさん、アルフレッドさんを探していたみたいで、どこにいるか訊かれたんですよ。だから答えたんです。アルフレッドさんは、まだ――」 

「まだ・・・?」 

「まだ―・・・、って伝えたら、分かったって言ってホールの方に走っていきました。 ・・・何が分かったんでしょうか?」 

オリビアは今一つ状況を呑み込めていないようだ。 

「アルフレッドもまだ中にいるのか!?・・・・あれ?まてよ」 

ジャスティンは何かに気付いた。 

「――あいつ、まだ出勤してなかったよな」 

「ハイ。・・・そう言ったつもりですが・・・・あっ!」 

オリビアはようやく、自分の発言がかなり曖昧だった事に気付いた。 

「テリュースは、いない人間を探して三階をうろついているのか?」 

ジャスティンは思わず劇場を見上げた。 

もはや劇場全体が業火に包まれている。 

キャンディは思わず通用口の中に駆けこもうとした。 

「バカ、やめるんだ、キャンディ!」 

しかしキャンディは直ぐに断念せざるを得なかった。 

熱風でとても近寄れないと分かったからだ。 

 

――きっと逃げた。テリィはきっと逃げた。

敷地のどこかにテリィはいる。 野次馬の中にまじっている。

そう信じたい一方で、今この瞬間に燃え盛る炎の中で、出口を求めて彷徨っているテリィの姿が、頭から離れてくれない。

そんなキャンディを涼し気に静観するように、川沿いの柳が熱風に煽られて揺れている。

人間たちの喧騒など、関係ないとばかりに。

 

その時、キャンディの目にエイボン川が映った。 

オレンジの炎が照り返し、すすが落ち、黒くよどんでいる。 

キャンディはもう何も考えていなかった。 

「何をするんだ、キャンディ!!やめろっ!!」 

ザブーーーン!! 

キャンディは凍てつくほどの川の中に身を投じた。 

「寒い‥ッ」 

全身がびしょぬれだ。長くのびた髪から、ぽたぽたと水滴がしたたれ落ちる。 

キャンディは両手で体を抱きながら、今度は一目散に通用口へと走っていった。 

「無茶はやめろっ!キャンディ――!!」 

 

 

 

 

スピンオフ

業火の劇場 前編 

 

 

後編へ続く 

 

 

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ワンポイントアドバイス 

1926年3月6日 

シェークスピア・メモリアル劇場が火事になったのは、史実に基づきます。 

 

ストラスフォードの柳。 

エイボン川を挟んで現在の劇場

 

 

 

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