11年目のSONNET

スピンオフ

 

 

★★★ 業火の劇場 後編 

 

「無茶はやめろっ!キャンディ――!!」 

 

 

ジャスティンの制止する声など聞こえるわけもない。 

 

「――キャンディ、どこへ行くつもりだ」 

 

だが、この声は何故か聞こえたのだ。 

――テリィ・・・? 

町中に響く鐘の音と、サイレンの音と、野次馬たちの声をすり抜けて、聞き慣れた声だけがキャンディの耳元に届いた。 

「テリィ・・・?」 

確認するように振り返ると、ハムレットの衣装に身を包んだテリィが、キャンディの腕をしっかりと掴んでいた。 

「――中には誰もいない。全員避難したはずだ」 

「・・・テリィ・・?」 

キャンディは全身の力が抜け、今度はテリィの声が遠くなった。 

「病院はどうしたんだ?抜け出してきたのか?」 

テリィは落ち着いていた。 

まるでロンドンの動物園で、偶然鉢合わせした時のように。 

「・・・わたし、テリィが中にいるとばかり。だって出口があんなに・・」 

既に東の通用口も、生き物のようにうごめく赤い炎が吹き出していた。 

「キャンデイ、俺の出口は、他にもいっぱいあるって知ってるだろ?」 

テリィはウインクしながら劇場の窓を指さした。 

窓の近くまでの延びた木の枝――

「・・・あぁ・・・、そうだったわ。私ったら、気が動転して」

「しかし・・、白衣姿を見たいとは言ったが、これは白衣というより・・・」 

泥とも違う、なんとも薄汚れた色に染まっているキャンディの白衣。

(この現場じゃ、汚れもするか)

辺り一面は放水の影響で沼のように水浸しだった。

風に乗って流れてくる放水の霧雨が、キャンディの服と髪を湿らせた。

――テリィの目にはそう映っていた。ジャスティンの言葉を聞くまでは。

「お前を助けようと、エイボン川に飛び込んだのさ」 

(――なんだって?)

「川に入ったのか!?キャンディ!エイボン川を泳がないって、今朝約束したばかりだろっ 、この規則破りっ!」 

自分のセリフを取られたようで、キャンディは若干バツが悪い。

「だって・・・私、テリィが・・・中にいると・・――クションッ!!」 

気が緩んだキャンディに、一気に現実の寒さが襲ってきた。

唇が紫に変色し、ガチガチと震えるような声を出すキャンディを見て、

「脱げっ、今すぐ服を脱ぐんだ!」 

これ以上体温を奪われたら、お腹の子に影響してしまうかもしれないと、テリィは説得するように声を荒らげた。 

「い、いやよ、こんな所で」 

「そんなことを言っている場合か!とにかく脱げっ」 

「おい、テリィ。こんなところで裸になれとは、お前、ただの痴漢野郎に思われてるぞ」 

野次馬たちの目が一斉にこちらに集まったのを感じ、ジャスティンは助言したが、テリィの目は真剣そのもので、目じりが潤んでいるようにさえ見えた。 

「もっと自覚しろよ!体に障ったらどうなるとか、考えろよっ!」 

テリィの言葉で、キャンディは自分がまだ安定期に入っていない妊婦だったことを思い出した。 

母親失格だったな、と今更ながら反省しつつも、素直な気持ちが口から洩れる。

「・・・だって、私はやっぱり・・・あなたの方が大事だから・・・・」 

涙目でそう言われてしまったら、テリィの口から出掛かっていた言葉も、喉に詰まる。 

「・・・そんなことを、言うもんじゃない。お腹で聞いている子が、俺にやきもちを焼くだろ」 

「――なんだって?キャンディは妊娠しているのか!?」 

ジャスティンもようやくテリィの暴言の意味を理解し

「キャンディ、俺からも頼む。服を脱いでくれ!」と同じ言葉を口にした。 

若い二人の男が女性に向かって裸になれと強要しているその様は

(・・・公然わいせつ罪――)

と捉われなければいいな、とクリオはヒヤヒヤしながら傍観していた。

「・・・分かったけど、・・・服が・・無いわ」 

その言葉を聞いたクリオの反応は早かった。

「オリビアっ、君が持ち出した衣装をキャンディさんに・・・!」 

「――え、っでも、あれは」 

「渡すんですっ!!」 

いつになく強い口調のクリオに、オリビアは圧倒されてしまった。 

「クリオ・・・」 

人は一秒で恋に落ちることがある。 

そう聞いたことがあったが、そんなことは絶対ないと、オリビアは今の今まで思っていた。 

 

「・・・ちっ、なんだよお前らっ、吊り橋効果かよ」 

若い二人が見つめ合っている姿を見て、プレイボーイのジャスティンは、怪しい恋愛マニュアルの一項目をおさらいするのだった。 

 

「テリィ先輩、これをキャンディさんにどうぞ」 

クリオは女性用の舞台衣装を差し出した。 

テリィは一秒を争うように柳のかげにキャンディを連れて行くと、キャンディを幹に押し付けるように立たせ、自分の衣装のマントの両端を掴み、キャンディを挟むように両手を木に伸ばした。 

「これなら、死角になる」 

簡易フィッティングルームとでも言うのか、確かに周りからは見えにくいだろう。 

ジャスティンもそんな二人の見張りをするように、テリィと背中合わせに立った。 

「早く着替えろ」 

「・・そうね」

こんな野外で着替えることになろうとは。 

キャンディは自分の短気な性格をつくづく恨めしく思いながら服を脱ごうとした時、 

「・・・あなたからは丸見えよね?」 

キャンディはちらっとテリィの顔を見上げた。 

「俺はいつも見てる」 

ごもっとも・・・ 

「でも・・・恥ずかしいんだけど・・目を閉じてて」 

「・・・大丈夫、俺は見てない」 

そんなことを言いながらも、テリィの笑っている口元は、あまりにも正直だ。 

「見てるわ、絶対」 

「頼まれても見るか。ペチャパイには興味がないんでね」 

「まぁ、失礼ね!これでも妊娠して大きくなったのよっ!」 

「・・・ちょっと、見せろ」 

「誰が見せるもんですか」 

「見せたって減るもんじゃないだろ」 

真面目に護衛しているジャスティンは、だんだんバカらしくなってきた。 

 

「着替え終わったわ、二人とも、ありがとう・・・」 

 

テリィは幹に押し付けていた手の平を離した。 

現れたのは、キャンディのジュリエット――

「・・・キャンディ」 

オフィーリアに変身するのかと思い込んでいた。自分がハムレットだったから。 

しかし目の前に現れたのは、セントポール学院で見たおんぼろジュリエットの面影を残したキャンディだった。 

テリィは全く言葉を失ってしまった。 

「ピュ~。なんてスウィートなんだ、キャンディ!惚れ直した」 

口笛と共に発せられたジャスティンの言葉は、テリィの思っていたことの全てだった。 

少女のような瞳は変わらないのに、聖母のように美しく艶やかなキャンディ。

(――いつからそんなに、きれいになったんだよ・・・)

きれいにした張本人には、分からない。

「おい、どうしたテリィ、ぼーと突っ立って」 

肘をつつかれたテリィはようやくキャンディに声を掛けた。 

「ジュリエット姫には、・・・ご機嫌うるわしゅう」 

騎士のようなお辞儀をする。 

「うふっ、悪くないわ」 

キャンディはドレスの裾をチョンと持ち上げ、レディの挨拶をした。 

「ロミオとジュリエットじゃなくて、ハムレットとジュリエットね。なかなかいいタイトルだと思わない?」 

満足そうに笑うキャンディを見て、テリィもつられて笑った。 

「完全にこけるな、その芝居」 

「もうっ」 

 

 

 

火事はその後二時間で消し止められ、劇場の屋台骨だけが無残に焼け焦げた姿をさらしていた。 

RSC自慢のせり出た舞台も、ロイヤルシートも、衣装も大道具もチケット売り場も、全て黒い灰。 

「・・・全部燃えちまったな。チームXはさっそく解散だ。まさにX、終わりだっ!」 

ジャスティンは半ばやけくそになって、声を上げた。

「・・・何を言っている、ジャスティン」 

テリィはエイボン川の向こうに広がるストラスフォードの町並みを見つめた後、ゆっくりと対岸にいる人たちを指さした。 

柳と柳の間を埋めるように集まっている黒山の人だかり。 

杖をついたお年寄り、赤子を抱いた婦人、作業を中断して駆けつけたのであろう、くわを持った農民やシルクハットの紳士。白い制服姿も見える。 

「おーい、けが人がいるのかぁーー」 

その中の一人が大声をあげた。 

「大丈夫だーーー!全員無事だーー!!」 

団員の誰かが返した瞬間、拍手交じりの歓声が上がり、川向こうの人々が一斉に抱き合う姿が見えた。 

そんな町の人たちの姿を見て、テリィがおもむろに言った。 

「・・・俺たち役者がいて、観てくれる人がいて、衣装が一着あれば、いつでも芝居はできるさ。 ・・・劇場なんかなくても」 

ジャスティンは、その言葉をかみしめるように聞いていた。 

「・・・・たまには、気が利くことを言うじゃないか。テリュース・グレアム」 

「伊達にシェークスピア・アクターじゃないんでね」 

慰め合っているのか、沈む心を必死に奮い起こそうとしているのか、キャンディには分からなかった。 

明日からの予定が真っ白になってしまった人たちの喪失感は計り知れない。 

団員たちが着ている衣装だけが、彼らが役者であることの証明だった。 

 

「そうよ・・・、生きていれば、またできるわ」 

キャンディはそれでも口にした。 

「いつになく説得力がある言葉だな」 

テリィがおどけるように微笑した。

 

ジャスティンはすすけた劇場の残骸を力強く見つめた後、周りにいる団員たちを鼓舞するように右手を天高く突き上げた。

「必ず・・!必ず再起する!あの柳のように、どんなに強い風が吹いても、俺たちは絶対折れないっ!」

「・・そうだ!俺たちは、終わりじゃない!!」

団員たちが次々に拳を空に突き上げた。

延焼を免れた柳が自分たちを応援してくれている。

ジャスティンにはそう思えてならなかった。

エイボン川と共に、このストラスフォードと共に、一緒に育ってきた柳の大木が。

 

――柳に雪折れなし 

 

“Better bend than break. 

(折れるより、たわめ) ※たわむ=曲がる様。

 

 

エイボン川も、決して真っ直ぐには流れていないのだから――

 

 

 

 

「ところで・・・・――アルフレッドはどこに?」 

テリィは思い出したように訊いた。 

「三階ホールに姿が無かった。いつもの遅刻だろうと思って深追いしなかったんだが――」 

クリオは、ハッとしたようにテリィに言った。 

「・・・そう言えば、今日は自主練にしたいと監督に申し出ている所を、昨日見ました」 

「自主練?」 

「何でも、今日おばあちゃんが退院なさるそうで、病院にお迎えに行くのだそうです」 

「・・・・」 

一瞬、誰もが言葉に詰まった。 

「あいつのばーちゃん、まだ生きてたのかよっ!!」 

ジャスティンと同じ言葉を発したのは、テリィだけではないだろう。 

 

 

業火の劇場 後編 

 

(完) 

 

 

エイボン川と柳

 

次のスピンオフ(時系列)はこちら左矢印左矢印

 

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ワンポイントアドバイス 

 

劇場の再建は、その6年後の1932年だったと文献には載っています。 

 

Better bend than break. (折れるより、たわめ)

日本のことわざにピタリとハマることわざが無かった為 、こちらを引用させていただきました。 

 

吊り橋効果 

心理学の実験で、吊り橋の上のような不安や恐怖を強く感じる場所で出会った人に対し、恋愛感情を抱きやすくなる現象のこと。どうぞお試しください。(誰に?)

テリィの時代にはまだ立証されていませんでした。 

 

 

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