エピローグ

帰りの船でキャンディは船酔いがひどかった。
それが船酔いではなかったことに気付いたのは、自宅に到着してからだ。

春先、シェークスピア・メモリアル劇場は火事で全焼してしまった。
「・・何か呪いでもかけたのかよ、川が近くにあって消火できないなんて―・・」
もはや誰が対象なのかも分からないRSCの壮行会の日、皮肉交じりでテリィに愚痴をこぼすジャスティンの横で、アルフレッドは嬉々とした声を上げた。
「キャンディ~!!ああ、やっと会えた。僕だよ、僕を覚えてる?ほら、雪の日に会っただろ?ニューョ」
「アルフ、そんな使い古された口説き文句じゃ誰も落とせないぞっ」
キャンディに抱きつこうとするアルフレッドを、ジャスティンは渾身の力で阻止した。

そんな二人を見てキャンディはクスクスと笑った。
「アルフレッドさんって本当に鼻が赤いのね。あんなに泣くなんて、よほどこの地を離れるのが寂しいのね」
「・・そのようだな」

テリィは相変わらず釈然としない想いを感じていた。

 

 

 

テリィとキャンディがロンドンへ引っ越したのは、そんな火事の影響に他ならなかったが、跡を継ぐ気になったのかと、勝手な期待をする人もいた。
「ロンドンは世界の政治経済の中心だからな、お前もそろそろ―」
「活動拠点をウエストエンドに移すのは、劇場が再建されるまでの間だけです。デュークス劇団の協力で、ロイヤルシアターを間借りさせてもらうことが決まったので」
肝を据えた様に言うテリィに、公爵は眉をしかめながらも二人を温かく迎え入れた。

他の妊婦よりお腹が大きくなったキャンディの為に、公爵とテリィが主治医のボリス先生の他に二人の専門医を屋敷に待機させたのは、少し大げさではないかとキャンディは思った。
「控えがいるのは芝居の世界では当たりだ。ボリスが泥酔している時に産気づいたらどうするんだ。酔いが醒めるまで産むなと言われて、君は待てるのか?」
・・一人で産めるわよ、とはさすがに言えない。
テリィが慎重になるのも分からないでもない。多胎児の出産はハイリスクだからだ。
その年の八月末に少しばかり早く小さく生まれた子供たち。
「そこまでシェークスピアを真似る事はないだろ」
男女の双子の顔を眺めながら憎まれ口をこぼす公爵は、早くも”おじいちゃま”の顔だ。

テリィとキャンディは出産を機に、各々一つだけ誓いを立てた。
子供の前ではテリィにビンタはしない。子供の前ではキャンディをそばかす呼ばわりしない。
たわいもない事のように思えるが、子供の将来を考えると侮れない密約だ。

その年、エレノア・ベーカーは、テリュースという名の息子の存在と、孫の誕生を公表した。
配役の幅が広がると喜ぶミス・ベーカーに、テリィは迷惑そうにぼやいていた。
「嫁をいびる姑役が舞い込んできたって嬉々としてる・・抜け目ないね。共演しろとうるさくて」
テリィのピアノの腕を知ってからというもの、ミス・ベーカーは顔を合わせる度に息子を口説いている。
「その声量で音感もあるなら、ミュージカルの舞台に―・・ちょっと歌ってみて!あ、踊りはできる?運動神経も必要なのよ。キャンディ、この子その辺どう?」
たぶん歌も運動神経も並み外れているとは思うが、余計な事は言うな、とテリィが睨むので黙っている。

先に生まれた女の子はアイリス・ホワイトと名付けた。
父親に似た顔立ちで、幼少の頃から一目置かれるほどの美しさだった。

ストレートの栗色の長い髪、母親譲りの緑色の瞳がエキゾチックな雰囲気を醸し出していた。
「モデルになりたいなら、フランスに留学したらいいわ」
五歳にもならない孫の夢に真剣に付き合っているミス・ベーカーは、相当な”おばあちゃん”ぶりだ。

アイリスは家族以外の人と接するのが苦手で、本を読んだり、ピアノを弾いて過ごすことが多かった。

そんなところまで誰かさんと似なくてもいいのに、とキャンディは感じていた。
後に生まれた男の子はアンディ・ウィリアムと名付けた。
双子と言っても二卵性なので、姉に似ていなくても不思議ではないが、真逆の雰囲気を持っていた。
ブロンドのくせ毛とそばかす。全体的に母親に似ていたが、通った鼻筋はどうやら父親のものだ。
アンディは好奇心が旺盛で、何でも楽しそうに遊ぶ子だった。
「どれだけ上手く落ちるかで、その人の実力が測れるんだ。今日はママとその特訓」
母親に木のぼりを教えてもらったアンディが、得意げにそう言うのを聞いて、そんなことまで教えなくてもいいのに、とテリィは苦笑した。

アンディは、はたからみると誰かに似ていた。
「アンソニーじゃないか!!」
アーチーが初めてアンディを見た時、全く遠慮せずに言い放った。
キャンディもテリィもギクっとした。
何となくそうは感じていたが、二人とも敢えて口には出さなかった。
アルバートさんでさえ、「あれ・・?んーと、僕に似てきたかな?なんでだ?」と、口籠もっていたのに。
「お爺ちゃんだからじゃないの?アルバートおじーちゃん!」
からかうキャンディに「やめてくれキャンディ、僕はまだ三十代だよ!?」必死に弁明していた。


親友には妊娠が伝染するという噂を聞いたことがあったが、同じ年にアニーが懐妊するまでキャンディは信じていなかった。
「君もやっと一児の父親か。俺より何年も前に結婚していながら、抜かされたご感想は?」
「お前の手が早いだけじゃないか!
微妙に計算が合ってないぞ、エロ貴族!!」
「小さい事は気にしなさんな。ところでアーチー・ボルド、微妙に名前を変えたのは何故だ?」
「知るか、男は小さい事を気にするものじゃないっ!」
二人は打ち解けた―、・・はずだったが、会話の内容を聞く限りさほど変わっていないようだ。

公爵は二人の孫を溺愛した。
危なっかしい子供のお目付け役を任されると、のんびり車いすに座っているわけにもいかないらしい。
プロであるキャンディのサポートもあり、公爵の足は車いすが要らないまでに回復していった。
この頃には別居していた公爵夫人とも正式に離婚が成立していた。
戻ってきた長男とその嫡子の誕生で、夫人としていよいよ行き場を失ってしまったようだ。
アンディに手を引っ張られように遊びの相手をしている公爵は、かつて息子にできなかったことを取り戻しているかのように見える。
「次の公爵はお前だぞ。あんな芝居バカには継がせん」
今ではこれだ。本気かどうかは定かでないが、アンディは祖父に期待されて嬉しいようだ。

シーザーとクレオパトラは海を越え、グランチェスター家にやってきた。
「貴族が馬に乗れなくてどうする!」
公爵はキャンディの事情など知る由もないのだから、乗馬は至極当然の習わしだった。
「どうしても乗馬を強要するのなら、条件があります」
シーザーとクレオパトラならば、とテリィが譲歩したのだ。

ロンドンで過ごした五年の間、テリィは商品のイメージモデルや映画にも出演し、その名はあっと言う間に全国区にまで広がった。RSCの拠点が火事で消失した事で、コンプライアンスが一時的に緩くなったからだ。
アクション映画への出演は、出稼ぎ中のジャスティン経由で依頼が来た。
撮影で怪我したバディ役の俳優の代役で、キスシーンさえなければ問題ないと、キャンディが内容を吟味した上で出演にOKを出したのだ。
「あなたってスクリーンの方が舞台より映えるみたい」などと最初は嬉々として観ていたキャンディだったが 、映画の台本というものが時に現場で書き換えられてしまうことがあると気付いたのは、場面がハードなラブシーンに切り替わった時だった。

「どうして私に黙っていたの!?」
「キスシーンだけはできません、なんて監督や他の俳優の前で言えるか?ガキじゃあるまいし。心配しなくても、一発でOKが出るように本気で挑んださ」

「ほ、本気って~~!!」

「君の言いつけは守っただろ?既婚者の役だから指輪は外してない。そのまま使わせてもらったよ」

テリィは何か決定的な勘違いをしている。

夫婦役だからこその濃厚ラブシーンに怒り心頭したキャンディは、一週間ほど口をきかなかった。
ジャスティンはアクション映画の世界に活路を見出し、ハリウッドへ挑戦すると意気込んでいる。
「触発されたらしいよ、君のすごい身体能力に。君は包帯を巻きながら、曲芸でも出来るのかい?」
「・・普通だったと思うけど・・」

キャンディに心当たりなどあるはずがない。


夫としては今一つ危なっかしいテリィだが、パパとしては理想的で、子供の面倒をよく見てくれた。
懐かしいブルーリバー動物園には月に一度は連れ出し、週末は蚤の市に繰り出した。
「ママの好きなチョコレートのクロワッサンを買ってきてあげるね!」
「アンディ、今度ははぐれないようにパパとしっかり手をつないでいるのよ」
「心配するな、今日はアンディの腰に紐をつけるから。ハハ、犬だな」
「この前はパパがはぐれたのよ。パパってばお店の人とずっと話してるんだもん。ジャグリングを観てるからね、ってちゃんと声を掛けたのに、聞いてなかったのはパパだわ」
「―・・あ~、あれは・・すごく精巧に造られた木製のパズルでさ。木なら長く使えるから、ポニーの家の子供たちにどうかなぁ・・って、店の人の話を聞いていたら、いつの間にか・・?」
「――アイリス、パパがはぐれないように、しっかり手をつないでて!やっぱり私も行こうかしらっ」
「君はダメだ。人混みでお腹をぶつけでもしたら一大事だろ?リクエストはマダムコレットのチーズケーキだっけ?お茶を用意して待っててくれ」
パパとしても少し危なっかしいと思いながら、キャンディは大きなお腹を恨めしそうにさすった。

三人目の子の名前はジュリアン・ディック・ジュニア。
姉のアイリス以上に、テリィをそのまま模写したような面持ちだった。

亡くなった義理の弟の名前を付けたいと言ったのは、他ならぬテリィだ。
「俺たちと違って、仲のいい兄弟になって欲しいな―・・アンディならきっといい兄貴になる」
後にテリィが、しっかり者の長女、うっかり者の長男、ちゃっかり者の次男、と称した様に、次男は甘え上手で世渡りが上手かった。何よりその甘いマスク故に大人にも子供にもやたらモテた。
母親の勘なのだろうか。

ジュリアン・D・J・グランチェスターは父親と同じ道へ進みそうな予感がする。

再建した劇場のこけら落としに合わせシェークスピアの町に戻って来た頃、キャンディは四人目を妊娠していた。その子が生をうけることなく神のもとに逝ったのは、神の思し召しだったと思う。
キャンディの体に病変部が見つかったからだ。
患部がスザナと同じだったことが、テリィの不安を余計に煽った。
「・・でも、まだ悪いものと決まったわけじゃないし・・」
「出産を待っていたら手遅れになるかもしれない。決断は一刻も早い方がいい」
「でも・・出産してからでも―・・手術してしまったら、この子は―」
「子供が欲しくて結婚したんじゃないっ!俺の為に、お願いだ!!・・残りのインディアンなんて・・」
こんなにはっきりとしたテリィの涙を見たのは始めてだった。
何となく訊き難い雰囲気だったので、その時は黙っていたが
(・・残りのインディアン・・?)未だに謎である。
幸い病巣は悪いものではなかったが、それ以降テリィが過剰なほどキャンディの身体を案じた為、看護婦の仕事への復帰も遠のいたが、子育てもひと段落する来年には、テリィを説得しようと考えている。


双子の子供たちは、両親の母校に入学したいと言い出している。
いつの間にかテリィと会えなかった年月を追い越していることに、時の早さを感じずにはいられない。

「パパとママは特別室を使っていたんでしょ?」
「そうね、特別室はまだあるそうよ。利用する生徒はこの二十年全くいないそうだけど」
なぜかしら?とキャンディは首をかしげる。
「パパとママはそこで出会ったのよね!あ~、素敵な人いるかしら」
アイリスは絵本の世界を想い描いているようだ。
「男女交際には厳しい学校なの!男子と顔を合わせるのは週に一度の礼拝だけで、教室も食堂も全て別よ」
「え~!?じゃぁアンディとも会えないの?きょうだいなのに?」
「きょうだいでも無理よ。会うどころか会話だって厳禁なの」
母親として、容赦なく現実を突きつける。
不安そうなアイリスに、アンディもおろおろしている。
「・・でもパパとママは会話もできない状況で、どうやって好きだって告白したの?」
アンディが矛盾点を突いてくる。
キャンディが返事に詰まっていると、見かねたテリィが仕方ないな、と助け船を出した。
「愛の告白は言葉だけじゃないんだ。パパは態度で示したんだよ。な?」
キャンディに同意を求めているが、どう返していいか分からない。
「パパ、態度ってどんな?」
「キスしたり―」
まさかの素直な回答に「テリィ―!!」キャンディは大声で会話を遮った。
しかし、アイリスとアンディは聞き洩らさない。キスなんていつものことだ。
「パパ、会えないのにどうやってキスが出来るの?」
的を射た質問に、テリィはニコッと笑いながら、かわいい子供たちに秘策を伝授する。
「・・実は、その気になれば会えるんだよ。男子寮と女子寮の間は木々で隔てられているだけだ。アンディはターザンのやり方は分かるな?ママはいつだって、ターザンになって夜中にこっそり男子寮に侵入して―」
「テリィ――!!!」
変な助言をしないで、と目で合図しながらキャンディは会話を遮る。
助言の意味を理解したのか、アンディの目が途端に生き返ったのを見て、キャンディは慌てて注意する。
「も、もしそんな事が見つかれば、シスターのこわーいお仕置きが待ってるわ!」
「お仕置きって、どんな?」
アンディがびくびくしながら尋ねると、テリィが急に役者口調になり、続きを説明する。
「反省室っていう牢屋みたいな所に入れられる。もっとひどい場合は学生牢っていう、幽霊でも出そうな地下室に入れられるんだ。パパはもちろん入った事はないが、ママなんか両方―」
「テリュー――ス!!!」

キャンディは大声でその会話を打ち消した。
テリィがククっと笑う横で、会話の一部始終を聞いていたジュリアンはボソッと言った。
「・・そんな学校に入ろうなんて、みんな物好きだね。僕はやめておくよ」

入学すればすぐに『テリィとキャンディの伝説』を耳にすることになるはずだ。
それを聞いた時、子供たちはどんな顔をするだろう。
来たるべき日に備えテリィに薄い台本でも書いてもらうべきかと、キャンディは頭を悩ませている。

長い夏休みを利用して、三人の子供たちはスコットランドのアードレー家の別荘へ出掛けて行った。
「アルバートさんとサバイバル体験か・・、俺も参加したかったな」
残念そうに言うテリィ同様、本音を言うとキャンディもそう思った。
「きっと野生児になって帰って来るわね。ふふっ」

エイボン川の対岸にある劇場では、もうすぐテリュース・グレアム主演の『マクベス』が初日を迎える。
『リア王』の時も思ったが、そんな役が似合う年齢になったのだとつくづく思う。
この時が来るのを待ちに待っていたという公爵は、初日にロンドンから駆けつけると意気込んでいる。


 4大悲劇、最後の砦・テリュース・グレアムの集大成!


新聞や雑誌の前評判も上々で、今は稽古も大詰めだ。
家から劇場が見えなくても、走って行けば会える距離にテリィはいつもいてくれる。
ある日突然現れるかもしれない曲がり角を、いつでも一緒に歩めるようにと。

今ヨーロッパでは暗い噂が広がりつつある。
その動きに合わせる様に、イギリスは徴兵制度の導入へと舵を切った。
もし次に戦争が勃発すれば、テリィも無関係ではいられないだろう。
「万が一の時は、子供達を連れてアルバートさんの所へ避難してくれ」
「テリィも・・、テリィも一緒に!」
「イギリスは俺の祖国、逃げるわけにはいかない。実在したマクベスは、民を守るために戦った」
「それなら私も残るわ!テリィがもし戦地に赴くなら、私は従軍看護婦に志願するっ、近くにいたいの!」
キャンディの言葉でテリィは全てを悟ったのか、静かに言った。
「・・ロンドンは先の戦争で空爆された。戦地になど行かなくても君の力は必要になるだろう。―・・俺が負傷したら、フランケンシュタインみたいに、かっこよく縫ってくれるんだよな・・?」
「・・――まかせて・・・。わたし‥、その為に・・かんごふに・・・」

つないだ手を再び放すような事態が起こらぬよう祈りながら、一緒にいられる今をかみしめている。

 



「・・こんなひと時を過ごすのは、いつ以来かしら・・?」
子供たちがいない静寂に包まれたリビングにいると、まるで時が止まった様だ。
コンソールの上に飾ってあるポニーの家の油絵を見つめ、遠い故郷を静かに思う。
テリィがこの絵を持って帰ってきた時は本当に驚いた。
片隅に書かれた『スリム』という名前に、思わず目頭が熱くなったのを覚えている。
スリム・・画家になるのが夢だったポニーの家出身の男の子。
少しいびつな金属製の額は、鍛冶屋に貰われていったスリムのお手製かもしれない。
この絵がロンドンの蚤の市にあった理由など知る由もないが、今の生活と共に夢がまだあるなら、夢に期限はないのかもしれない。スザナのように――

スザナの夢は数年前に遥か異国のこの地で叶った。
テリィがスザナの書いた戯曲を劇団に持ち込み、上演したいと上層部と掛け合ったのだ。
クリスマスのチャリティ企画として五日間限定ではあったが、シェークスピア以外の作品を扱ったのは劇団創立以来の事だったとか。


「スザナと会えたようで、感慨ひとしおだねぇ・・」
母親役として舞台に立ったミセス・ターナーは、感極まったように涙ぐんでいた。

主役はもちろん戯曲の主人公のモデルとなったテリュース・グレアム。

スザナが書いた戯曲の中で、この作品――原題『ナイトとイヴ』は最初に書かれたもので、亡くなった後に部屋の衣装戸棚から発見されたらしい。

原作をいじることなく『キャロル』というタイトルに変更したのは、物語をキャロル中心の演出にしたからだ。

そしてそれは、この作品で初の脚本と演出を手掛けたテリュース・グレアムの強い意志に他ならない。

 

病弱でありながら少し勝気なキャロルとその母親。許嫁のナイトはとびきり優しい好青年。

唯一その家にメイドとしてやってきた身寄りのないイヴはと言うと―・・
 

『イヴ、僕は君の側にいる。これからもずっと・・!』
するとイヴは大きく手を広げ、ナイトを思いっきり叩いた。

バッチーン!!
『ふざけないでっ、何故今すぐお父様と話し合ってくれないの!?喧嘩になるのが怖いの!?キャロルと結婚して、心を偽って生きていくつもり!?』
『誤解だっ、僕が結婚したいのは、愛しているのは君だ!!』

 

登場人物たちは、自分の思いをポンポンと口に出す。

芝居なので当然と言えば当然だが、イヴがナイトを引っ叩くシーンを見た途端、キャンディは頭を抱えた。
「――ねえ、イヴってもしかして私?私よね?あなたスザナに何を吹き込んだの?」
「そう思うのかい?君は、男を叩くような野蛮人だったかなぁ~、だけどナイトのモデルは俺だろうな。・・バレバレだ。みんな腹の中に溜めすぎだってスザナは言いたいらしい。俺への遺言――」
公演後、テリィは可笑しそうに言った。

しかし一番溜め込んでいたのはキャロル自身に他ならない。キャロルの台詞を聞けば一目瞭然だ。

『同情なんていらない、私は一人で生きていけるの!あなたはさっさとイヴとどこかへ消えて!』

「・・言うべきだと分かっていても、言えなかったのね、スザナ―」
「――違うよ、言うつもりだったんだ。・・病気にならなければ、きっと言っていた。脚本を書いていて気付いたよ。・・スザナが戯曲を書き始めた頃、部屋を一階に移し、義足の練習も始めていた。俺の助けがなくても済むようにと―」

「衣装戸棚に隠していたってことは、見つけて欲しくなかったのかしら?」

「そうじゃない。・・衣装戸棚に入れて置けば・・、いつか、俺が見つけると、――思ったんだろう・・」


ナイトとイヴは結ばれ、明日に向かって一人歩き出すキャロルの後ろ姿で幕は閉じる。

 
――この物語を、私の愛するテリュース・グレアムに捧げる―

そのメッセージが劇場に流れることはなくても、テリィとキャンディの胸には、スザナの声が響いていた。
舞台『キャロル』の五日間の収益金は、体の不自由な人を支援する団体にそっくり寄付された。



数年前にアメリカを襲った大恐慌。
それはアードレー家にとっても例外ではなかったが、事業を多角化していたことが幸いし、持ち堪えることができた。ラガン家が手掛けるホテル事業は、むしろ破竹の勢いで業績を伸ばしている。
ニールはどこかの令嬢と婚約したと小耳に挟んだが、さして興味はない。
その同じ年、マイアミ・リゾート・イン・レイモンドの十周年記念パーティがあった。
ホテルのチーフマネージャーに昇格したスチュワートから、思わぬ言葉を頂戴した。
「キャンディに伝言を預かっているんだ。テリュース・グレアムって俳優知ってる?前回、お騒がせして申し訳なかったって謝ってたよ。ぜひ舞台を観に来て欲しいってさ」
随分昔の事だけど、と頭を掻きながら説明しているスチュワートに、キャンディは目をパチパチさせた。
「お騒がせですって?よく言うわ、一言も発しなかったくせに」
呆れたように息をつくキャンディに、テリィはにんまりと笑った。
「いいや、君のその小~さな胸はザワザワと騒いだはずだ」
「スチュワート?ホテルマンとして失格よ。遅すぎるわ、お芝居はもう飽きるほど観ちゃったわ」
「いや、彼は実に有能なホテルマンだよ。一言一句正確に俺のメッセージを伝え、十年という期日も守っている」
キャンディの横でクスクス笑っている人物に気付いたスチュワートは、何が起こったのか、全く分からなかった。

『先生』とはアルバートさんがニューヨークに新設した財団を訪ねた時に再会した。
『BOTCHAN』とは水の音ではなく、先生の母国語で『ちっちゃな紳士』という意味らしい。
あの本は、無鉄砲な紳士の話なのだと教えてもらい、誰かの顔が思い浮かんだ。
いつか翻訳本が手に入ったら、読んでみたいと思っている。
そしてもう一人、そこで再会した人物――
列車事故で出会った黒人と白人のハーフの痩せた少年が、なぜか先生の助手をしていた。
「事故の時のあんた達見てすげーな、って感動しちまって。この道を志すことにしたんだよ」
どんなところで人に影響を与えているか、分からないものだ。
「――ところでさ」
ぼそぼそとキャンディに耳打ちする青年の言葉に、キャンディは思わず苦笑した。
「・・・こんな乱暴な奴やめたら?って、あの時言ったはずだぜ」

度々浸水被害に襲われていたブロードウェーの宝石店は五番街に移転することが決まったらしい。
こちらは今やストラスフォード劇団の花・・形俳優に成長した劇団員の助言の影響かは定かではない。

住民のいなくなったニューヨークの家は、ポニーの家出身の子が利用できるシェアハウスとして提供した。
但し利用できる条件が五つ。

1 夢をかなえる為にこの街へやってきたということ
2  夢で自立出来る様になったら出て行くこと
3 借りた奨学金は自分のペースでポニーの家に返済する事
4  月に一度、届いた招待状の芝居を観に行くこと
5  部屋の掃除とばらのお世話をすること

大都会の片隅で肩を寄せ合って暮らす数人の若者たち。
壁に飾られた古いロミオとジュリエットのポスターを眺めながら、いつかはこんな恋がしたいと、思いを馳せているのかもしれない。
ガレージに残された赤い車も、そんな彼らを見守っている。

ポニーの家はテリュース・グレアムの援助によって大改築され、今は教会以外昔の面影は残っていない。
ブリティッシュアメリカ風の母屋に、テリィのこだわりが感じられる。

ポニー先生は度々体調を崩した。
海を隔てていては駈けつけることも出来ず、もどかしさを感じる事も多かった。
帰郷は無理ではなかったが、いつも私が側にいることを望んでいるテリィの側を、私も離れたくはない。
「舞台がひと段落したら、まとまった休暇を取るよ。みんなでポニー先生の所へ行こう。君の故郷で、ゆっくり執筆活動もしたいんだ」
テリィからその話を聞いた時、私はさほど驚かなかった。
スザナの舞台を手掛けたのをきっかけに、表舞台だけでなく舞台の他の部分にも興味の対象が広がったように感じたからだ。
「スザナが夢中になって書いていた気持ちが分かるな・・」
その言葉を聞いた時、テリィの中で確かに生きているスザナの姿が見えた気がした。
「どんな話を書くつもり?まさか野蛮な女の子の話じゃないわよね?」
「・・どうかな。鼻ぺちゃで、そばかすのある女の子の話かも―」
物語を書こうと思った時、人は誰しも自分に一番影響を与えた人物のことが真っ先に思い浮かぶのかもしれない。スザナがテリィの物語を書いたように。
私ならどんな物語を書くだろう。
丘に現れた王子様か、白馬に乗った少年か、あるいは学院一の問題児か。
文学センスのない私には全く杞憂である。



今日になってレイン先生からポニー先生の体調が快方に向かっているという知らせが届いた。
玄関横のスウィートキャンディが、たくさんのつぼみを付けていると書き添えられていた。
スウィートキャンディの名は今や全米のばら愛好家の間では、大統領と同じぐらい有名になっている。
テリィとママの働きかけで、園芸農園による大規模な栽培がはじまり、全米中に出荷されているからだ。
「初恋の人に贈ると、思いが通じるって言われているらしいわ。私もあやかろうかしら。ふふ・・」
何年か前にママが嬉しそうにそう話していた。
天国のアンソニーも、夢が叶ったと喜んでくれているといいのだけれど。

 

 



ポニーの丘はもうすぐ一番美しい季節を迎える。
黄色のきんぼうげ、白つめ草・・色とりどりのルピナス・・。
望郷の念を埋める様に、ブルーベルの森は青く染まり、私のささやかなばら園では、今、ばらのつぼみがふくらんでいる。

私の第二の故郷、ストラスフォード・アポン・エイボン。
この家に来た日、テリィに調べてくれと言われたブルーベルの花言葉。

伝えたかどうかはもう思い出せない。


古いアルバムのページをゆっくり捲る様に、セピア色に変わった過去の出来事に思いを馳せていた時、突然、部屋の灯りがともった。

「灯りもつけずに、どうしたんだい?キャンディ」
あのひとが扉の前でわたしを見てほほ笑んでいる。
わたしの大好きな微笑――
あのひとが帰ってくる車の音が聞こえなかったなんて。
「・・おかえりなさい・・!」
この言葉が言える幸せに声をつまらせながら椅子から立ち上がると、その腕の中に飛びこんでいった。

 

 

 



 (完)

 

 

 

 

 

 

ブルーベルの花ことば

 

変わらない心

 

いつまでもお幸せに

テリィ&キャンディ

 


 

約150編に渡る長編をお読みいただき

ありがとうございました

 

感想などお寄せいただけると嬉しいです

 

 

 

 

次は考察⑧テリィとスザナです左矢印左矢印

 

考察をとばしたい方はあとがき左矢印左矢印

 

。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

スザナの戯曲の内容は 2章㉑テリィの部屋で紹介されていました。

 

ブルーベルの花について

ファイナルでは、5月の学院の森(下巻31)とアンソニーが亡くなったレイクウッドの森(下巻319)の2か所に出てきます。

アンソニーとテリィへの変わらない想い、と解釈させて頂きました。

イギリスでは「春の花」、ブルーベルの森は「妖精が住む森」と詠われているそうです。

 

 

SONNETの年表

 

※C=キャンディ T=テリィ 数字は年齢

※キャンディの年齢は「ラガン家に行ったとき13歳になったばかり」

=(1899年生まれ)というFINAL STORYの設定に合わせています。

 

1899年

春/キャンディ誕生 


1912年

4月~5月/ラガン家へ

アンソニー、アーチー、ステアと出会う C13

秋/アンソニー事故死


1913年

1月1日/船でテリィと出会う C13 T15
5月/メイフェスティバル C14 T16

秋/テリィアメリカへ渡る 
秋~冬/キャンディアメリカへ戻る(密航)

   
1914年

6月28日/サラエボ事件 第一次世界大戦勃発 

テリィの所在が判る

8月/イギリス参戦 シカゴにて再会 C15 T17   

12月/スザナの事故 別れ  


1915年

9月/フランス軍・第二次シャンパーニュ会戦 

ステア戦死   

                             

1916年

早春/ロックスタウンで再会 C16 T19

大おじさまカムアウト

丘の上の王子さまカムアウト C17 A28


1917年

春/故郷に診療所を建てる C17
秋/ハムレット初演 C18 T20


1918年

4月/スザナに指輪を贈る T21
11月/アメリカ参戦・世界大戦終戦 C19 T21   

         

1919年

2月/マイアミリゾートオープン式典 

ニアミスする C19 T22

 4月/テリィ手紙発見・婚約記事 

12月/テリィ授賞式をすっぽかす 

      
1920年

秋 /ハムレットイギリス公演 C21 T23


1921年 

禁酒法・スザナ発病


1923年

10月/ スザナ病死 C24 T26


1925年

1月/第二回ハムレットイギリス公演 C25 T28   

3月/テリィ、キャンディに手紙を送る

5月/結婚 C26 T28


1926年

1月/シカゴにて披露宴

3月/劇場火事
8月/双子出産 C27  

   
1929年 

マイアミリゾート10周年 

9月/世界恐慌 第三子出産


1932年

劇場再建

妊娠・流産


1936年 

ジョージ6世(作中ではバーティ・ヨーク殿下)即位

(戴冠式1937年 出席)


1937年

5月/物語の最後 C38 T40 

双子の子供たち10才

 

1938年

9月/双子セントポール学院に入学

 

1939年 

第二次世界大戦

 

 

キャンディとテリィは2歳差(で設定)

※諸説ある為、独自に設定

スザナとテリィは同学年(で設定)

 

下記年齢は、学院に入学時1月のもの
13歳(中2) 

キャンディイライザ アニー 

 

14歳(中3)ニール 

 

15歳(高1) 

(アンソニー)アーチー (テリィ)  
※テリィは2学年スキップで設定

 

17歳(高3) 

ステア(テリィ) 秋に二人とも留年

 

 

 

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