今までの考察を受けて、個人的なイメージをまとめてみました。おねがい

あのひとの謎かけには全て答えていますので、宜しければ一読ください。

 

 

ある程度の検証と主観が混ざった

長い物語

 

時系列

スザナが死亡した後にテリィが手紙を書き、その後再会し、キャンディが30才前後に結婚しイギリスへ移住したと思っています。

※三章の手紙の順番は、出来事の時系列と解釈 こちらの記事参照★

 

ファイナルで大幅に加筆されたテリィへの恋心。破局した二人が密かに想い続け、その成就を描くことで『真実の愛の物語ファイナルの帯の言葉』が完成されるものと考えます。

 

 

公爵家との関係

グランチェスター公爵の作中のセリフ

「どうせグランチェスターの家を継ぐのはお前ではないのだ」下巻101

 

旧小説よりも表現がキツくなったことから、テリィは公爵家を継いでいないと考えています。

テリィは長男として育てられていますが、実際は婚外子だと思われるので、グランチェスター公爵夫人の子供として出生届を操作したのではないでしょうか。世間的には「貴族の息子」でも、家の中では認められた存在ではなかったと感じます。

ロンドンに居住していないことからも、公爵家を継ぐのは義理弟ではないでしょうか。

 

 

イギリスへ帰国

「テリュース・『ハムレット』イギリスでも公演決定!」下巻274

 

新たなエピソードとして「イギリス公演」が追加されているので、アメリカでシェークスピア俳優として成功したテリィは祖国に凱旋公演を果たし、シェークスピア劇の本拠地で演技を磨くきっかけにもなったと考えています。同時に、一人前の役者に成長したことで、父親に認められたと考えています。

 

 

象嵌細工の宝石箱

家を継がないにせよ、父親に認められたことで先祖代々の「象嵌細工の宝石箱」を譲られた、と考えています。

跡取りでもないのにあり得ない!という意見もありそうですが、宝石箱=家宝という記載は無いので、数多ある先祖の品の一つを譲られても不思議ではないと思います。

 

 

エイボン川の町

エイボン川が流れるストラスフォード・アポン・エイボンは「シェークスピア生誕の地」です。

テリィはシェークスピアの見聞を高めるために、その地へ行ったと思いますが、シェークスピアが役者から劇作家になったように、テリィの職業は役者にとどまらず、将来的には舞台監督、劇作家など多方面が考えられます。

当時のRSCの活動状況が不定期だった事を考察に反映させ、「収入が下がる劇団への移籍は現実的ではない。(あのひとはテリィではない)」とする考えもあるようですが、そもそもファイナルにはRSCもシェークスピア劇場も登場していないので、その主張は意味がありません。

 

 

あのひとの家

家には肖像画がある、と感じられる描写があるので(下巻198)、グランチェスター家ゆかりの家に住んでいる、と考えています。

 

下巻331「灯りもつけずに、どうしたんだい?キャンディ」

 

召使もいないような一軒家だと考えます。あたりが暗くなっても、灯りがつかないからです。

また下巻331「あのひとが帰ってくる車の音が聞こえなかったなんて」というキャンディのセリフからは、普段は車の音が聞こえると分かります。

シカゴの本宅のような大きな屋敷ではなく、何台もの車が出入りしているような環境でもないようです。

夕方に帰ってくるのは役者として不自然だ、という見解もあるようですが、舞台稽古中・または公演中の期間であれば、定時に帰ってくるものと考えます。

また、広いアメリカと違い巡業は無く、有ってもロンドンへの出稼ぎで、日帰り可能だと思います。

また前述したようにテリィが必ずしも役者とは限りません。

夏至に向かっているストラスフォードは、日本より日没時間が遅いことも想像できます。

 

 

あのひとが広げた腕の中

下巻331あのひとが広げた腕の中に飛び込んでいった」

 

テリィならバックハグで抱きしめるはずだから、両手を広げるのはテリィのイメージではない、とのご意見を頂きました。

バッグハグのイメージは「テリィ抱き」というインパクトのある言葉と、「いがらし先生のイラストの影響」だと考えます。漫画でもファイナルでもバッグハグは一回です。しかも別れのシーンです。

再会した今は、むしろ正面から抱きしめたいはずです。

ですが、これも結局イメージなので、ハグの仕方は関係ないと思っています。

ちなみにアルバートさんも、ロンドンの深夜の町で再会した時にキャンディをくるくる回しましたが、

漫画でもアニメでもファイナルでも、両手を広げているイラストや文章はありません。

個人のイメージか、二次絵の影響だと感じます。

 

 

ひとは外見だけで判断してはいけない

「ひとは外見だけで判断していけない、とさんざん学んできたはずなのに、わたしときたら、未だに見誤ることばかりで、あのひとに笑われている」下巻196

 

「ひとは外見だけで判断していけない」

いかにもアルバートさんが言いそうな言葉ですが、「教えて貰った」ではなく「学んできた」という表現からは、必ずしも第三者からの享受とは限りません。

キャンディ自身が過去の経験から学びとった教訓だと思います。

例えば、密航を手助けしたジャスキンさんとか。

「またやっちゃったのか、レディそばかす?」と、からかい交じりの笑いだと感じます

 

 

スウィートキャンディが無い

自ら手を入れている庭にアンソニーのバラが植えていないのは、テリィに配慮しているからだと考えます。外来種の輸入禁止の為に、苗を持ち込めなかった、という意見もあるようですが、キャンディはメキシコに出国する際も苗を持参しています。キャンディの世界では無視して良さそうです。

 

 

 

新聞記事

「――テリュース・グレアムとは周知の中であり、ずっと共に暮らし、闘病生活も支えていた。しかしスザナはテリュースと婚約したまま結婚することはなかったという。テリュースからの談話は発表されていない――」下巻281

 

これを30代のキャンディの心の声と読む人がいるようです。

これをそう読んだ場合、30代のキャンディは、テリィの事を人づてにしか知らない、という状況に読めるので、明らかに、あのひとはテリィではないのですが、これは新聞記事です。

前後の棒線が証拠です。この直前の文も「~と、記事にあった」となっています。

「テリュース・グレアムとは」という書き出しからも、公の文章だと感じます。

 

婚約記事は、噂話をタブロイド紙がでっち上げたか、テリィとスザナによる偽装工作のようなものだと考えています。

テリィは「ぼくは何も変わっていない」と言っているので、スザナを愛したことは微塵もないことは明らかです。自分の恋を犠牲にして、責任を果たすべくスザナの見守り人として徹したのだと思います。

 

 

ポニーの家の増改築

ポニーの家の増改築は大おじさまが援助しています。下巻258など

何故テリィではなくアルバートさんなのか?

増改築はキャンディが21歳前後。テリィから手紙が来るのは25歳以降なので、端からテリィが関わることはありません。

 

 

 

ポニー先生の言葉

「キャンディ、こんな奇跡みたいな偶然、あなたを励ますためとしか思えません。スリムの絵を大事にして」上巻9

 

先生の言葉には、「励ますため」とあるので、もしかしたらもしかして、キャンディとテリィは

酷いバッシングを受けてブロードウェーを追われ、新天地を求めるしかなかった可能性もあります。

「辛いことがある度にステアの幸せになり器を鳴らした」という趣旨の発言もあるので、これもリンクしている可能性があります。

 

 

書斎の写真

「この書斎の一隅には肖像画ではなく、数枚の小さな写真も額に入れて飾ってあった。その中の一枚はかなり貴重だと思う。アードレー家の一族、ラガン家の人々、そして使用人たちと写した写真」下巻198

 

この文は、ラガン家の人たちと写した写真を、(過去において)あのひとが書斎に飾っていた、とも読める、ぶっちゃけますと、一番意味不明な文章でしたあせる

テリィが飾るはずがないからです。

「飾ってあった」

何故過去形なのか?今は飾ってないのか?そもそもこれは過去形なのか?笑い泣き

余計な事まで考え始めてしまいました。もやもや

 

翻訳本を出版した経験のあるフォロワーのfinさんに相談したところ、

『編集者だったら、翻訳の際に、はてなマークを付けて確認したくなる箇所だと思う。日本語の文末に変化を付ける為に過去形にしているのではないか。過去形の意味だったらused toが使われるか、I found かも』

 

というご意見を頂きまして、その言葉をヒントに、海外本の文章を確認しました。

同じ部分のイタリア語ファイナルの原文はこちらです。↓公式です。

 

In un angolo sono stati sistemati non dei ritratti, ma diverse piccole foto incorniciate.

片隅には肖像画ではなく、数枚の小さな額入り写真が並べられています。

 

過去形ではないようです。翻訳が正しいとは限りませんが、とりあえず余計な事は考えなくてもいいな、とスッキリしました。

つまりこの文は

『数年前、キャンディがこの書斎に初めて入った時、額入りの写真やラガン家の写真を見たびっくりマーク

のではなく

今のキャンディが(宝石箱を眺めていたリビングから)書斎に移動し、今の部屋の様子を紹介しただけの普通の文章で、言い換えるなら以下の様になります。

この書斎の一隅には肖像画ではなく、数枚の小さな写真も額に入れて飾ってある

 

この文、紛らわしいなぁ・・滝汗と思います。

例えば『駅に大きなクリスマスツリーが飾ってあったよ~!』とLINEを流す時、これを過去の事だと思う人はいませんよね?

要するに日本語では、過去形に見えても実はそうじゃないことが多分にあるのですが、私は国語の教師ではないので、それが何という形式なのかは知りません・・ガーン汗

 

このように、この書斎にはキャンディが持ち込んだアードレー家やラガン家の写真が飾られているようです。

(キャンディの医学書があることから、二人で共有している部屋だと分かります)

この写真は、マイアミリゾートイン・Xのオープニングパーティの際に撮った一族の集合写真です。

中央には大おじさま、ラガン夫妻&ニールとイライザ。

キャンディと写真嫌いのジョルジュは、元ラガン家の使用人のメアリとスチュワートのそばにいるようです。つまり後ろの方だと思います。キャンディにとっては貴重な写真なのでしょう。

このような席順を鑑みても、当時のキャンディはアルバートさんの伴侶や婚約者になっていない、と分かります。

テリィは再会前なので、写っていません。

 

ニールやイライザも写っている写真なので、リビングに飾らないことも頷けます。

リビングには、結婚式などの写真が飾られているのではないでしょうか。

あのひとの書斎ではなく、キャンディの部屋に飾るのでは?という意見もあるようですが、テリィがあの兄妹に嫌悪感を抱いている、とは書かれていませんし、主婦に個室があるとは限りません。

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。


以上がブログ主の意見です。矛盾なく辻褄は合っていると思っています。

ですが、これが正しい、と言うことはありません。正解は原作者にしか分かりません。ニコニコ

 

「あのひと=テリィ」の場合、「アルバートさんの幸せはどうなるの!?」という意見があるかどうかは存じませんが汗アルバートさんは終始やりたいことをやり幸せそうに見えます。

そして、キャンディとアルバートさんは「絆で繋がれている」とファイナルには書かれています。下巻197

キャンディが誰と結婚しても、養父の立場は不動だと個人的には思いますピンク音符

 

また、「スザナを選んでおきながら、結婚もしないとは無責任なっ」という意見もたま~に見ますが汗

そもそもファイナルには「スザナを(女性として)幸せにする」というセリフ自体がありません。

こちら★で紹介しますが、ファイナルのテリィは漫画と違い、スザナを愛するのはム~リ~と感じます真顔

 


 

次の考察はこちら下矢印

 

※この記事は以前の考察⑩「5分で分かるあのひとは誰?」のページを下地にして書いています。

したがって、寄せられている「コメント」は、その当時(2021年11月)に頂いたものです。

今回の内容とかみ合っていないと思われますが、コメントを残すことに優先しましたのでご容赦ください。

 

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