★★★7-14


人もまばらなピッツバーグ行の夜行列車。
出発時間が遅いためか、乗客達は席に着くなり次々と眠りについていく。
「やっぱり君が窓側に座ってくれ。どうも落ち着かない」
キャンディはなぜこの期に及んでテリィがそんなことを言うのか見当がついた。
「あなたって意外と単純なのね。さっきの若い夫婦を見てそう思ったんでしょ?」
キャンディがにたりと笑うとテリィはぐっと口をつぐんだので、図星だったようだ。
(・・この列車なら大丈夫そうね・・熟年の男性ばっかりだわ)
「君も寝ていいよ。俺はこれを読みたいから」
キャンディを窓側の席へ座らせ一息ついたテリィは、持っていた本に再び目を落とした。
不規則にガタゴトと揺れる列車の音と振動が心地よい。
眠そうに眼をこすったキャンディは、ふと車窓に映る自分の顔が視界に入った。
自分の顔と、夕刻見た若い母親の顔が重なる。
赤子を愛しむ目が、聖母のようで美しかった。
おてんばでおっちょこちょいの自分が、そんな顔になる日が来るのだろうか・・。
曇った窓ガラスに指をつけ、自分の輪郭をなぞりながらポツリとつぶやく。
「・・私・・赤ちゃんが欲しいな・・」
テリィは本に向けていた顔を上げた。
「・・君も単純だな。俺のことを言えない」
「だって・・。私達、もう正真正銘の夫婦よね?だったら―」
テリィは口の前に指を立て、一段と小さな声でささやいた。
「そのつもりで、そうしているだろ?気づかなかったとは言わせない」
「・・やっぱり、そうだったんだ・・」
キャンディは頬を染めた。
Giving noticeが終わって、君の名前がグランチェスターに変わった。俺もキルトを着て、披露宴も済んだんだ。もう俺達を規制するものは何もない」 ※イギリスにおける、結婚前の手続き期間
その答えにキャンディはいたずらっぽく笑った。
「どうだったかしら、ちょっとフライングしなかった?そこの規則破りさん」
「規則は破られる為にある。byキャンディス・ホワイト」
テリィが自信満々に言うと、二人は笑いを押し殺すように顔を見合わせた。
「・・テリィにそっくりな赤ちゃんがいいな・・」
「どうして?そんなに自分の顔に自信がないのかい?」
テリィはからかうようにキャンディの低い鼻を指でつんと突く。
「鼻ぺちゃでそばかすだらけの赤ちゃんだと、あなたにバカにされそうだもの。テリィだって自分に似ている赤ちゃんの方が嬉しいでしょ?」
「――俺は・・・」
言われて初めて考えたが、何も浮かばなかった。いや、キャンディの顔しか思い浮かばなかったのだ。
「・・本当はね、違うの。私、あなたの赤ちゃんなんだって感じたいの。だって私にそっくりな赤ちゃんは、相手があなたじゃなくても産めるでしょ?マリア様みたいに神様のお告げで授かったって解釈もできるし」
そんなことは誰も思わない。テリィは笑いをこらえる様に口に手をあてる。
「なるほど?俺にそっくりなら、君に不貞の疑惑は生じない。夫婦円満だな、ククっ・・」
「もう、デリカシーのない人ねっ、好きな人にそっくりな赤ちゃんが欲しいのは、女の子の夢よ」
授かってもいないのに熱弁する自分が急に恥ずかしくなり、キャンディはうつむいた。
「へぇ?女の子はそんな風に思うものなのか。母さんはどう思ったんだろう。生まれた俺を見て」
自分が発した言葉で、テリィは昔の出来事を思い出した。
――昔、弁護士のパッカードが自分たち親子に言った事を。


 『坊ちゃまがもう少しリチャード様に似ていれば・・グランチェスターの血筋を感じさせる顔で生まれていれば、公爵閣下の心も動いたかもしれませんのに――・・お疑いなのです。エレノア様を』

弁護士の言葉に、母さんは泣き崩れ、父さんは悔しそうに唇を噛んだ。
その時は意味など分からなかったが、成長するにつれ理解した。全ての元凶は自分にあるのだと。
「母さんは、さぞがっかりしたんだろうな・・・」
あれ以来、自分の顔をひそかに恨んだ。父さんも俺を見るのが嫌で遠くの学校に入れたのだと。
「そんなわけがないじゃない!そんなこと言う親がいたら、私が張り倒しているわっ」
キャンディの声に、「――え、」テリィは現実に引き戻された。
「母も子も出産で命を落とすことだってあるのよ?無事生まれるだけで偉業よ。みんな出産前は好き勝手言ってても、結局は、健康であればなんでもいい、ってなるわ。そして自分の命より大切なものを得るのよ。きっと私も――」
キャンディの何気ない言葉に、テリィはまた救われた気がした。
「・・そもそも親子が似るのって、なにも顔だけじゃないみたいだし」
「そばかすとか?」
からかうテリィに、キャンディはテリィの口元を指した。
「ほら、その声。女性に手が早いところと、責任を放棄できないところ」
テリィは苦笑いするしかなかった。
またかよ、と言いたくなるほど、無能な弁護士や医者や執事までも、父さんと俺の声を間違える。
「さすがに自分では気づかなかったよ。外野からの方がよく見えることもあるんだな」
「そうよ?テリィがママに似ているのは、外見だけじゃないってこともね」
「演劇の才能って言いたいんだろ?」
茶化すテリィの声を聞きながら、キャンディはテリィの膝の上の本に何気なく視線を移した。
「ねえ、テリィ・・、その本に・・私生児をもつ母親が出てくる?フランス人の」
「出てくるけど?」
「ふふ・・やっぱりそうなのね・・――ほんと親子って不思議。私も・・そんな母親になれるかしら―」
(ミス・ベーカーの出世作のタイトル、今頃分かった・・)
キャンディはまだ見ぬ子に話しかける様に自分のお腹に手をあて、テリィの肩に頭を預けた。
「えっ、この母親、かなり悲惨だぜ?登場する『悲惨な男たち』よりはるかに」
テリィが焦るように話しかけた時、既にキャンディは眠りに落ちていた。

ゆりかごのように心地よく揺れる列車の振動に身を任せていると、どこからかスオーガンの子守唄が聞こえてくるようだ。

 

 ――テリィだって自分に似ている赤ちゃんの方が嬉しいでしょ?

 

「・・・俺は、どっちでもいいよ・・・」
聞いていないと承知のうえで、キャンディに伝える。
お互いの首元に巻かれた色違いのマフラー。
車窓のわずかな隙間から入ってくる冷気も、今は感じない。


 ――テリィは全て受け止めてくれて・・私、肩が軽くなったわ。・・だから私も受け止めたい。
私にも食べさせて、そのホットドッグ!


「・・肩が軽くなったって?・・現金だな。結構重いよ、君の頭」
テリィがパタンと本を閉じた時、
「・・ふふ・・」
夢を見ているのか、キャンディの口元がかすかに笑った。
テリィはおもむろにキャンディの手を握り、幸せそうな寝顔をのぞき込む。
「・・・君の夢は楽しそうだな・・。こうしていれば、いつか同じ夢を見られそうだ――」
キャンディにそっと身体を預け、テリィもまた眠りについた。

 


                                   

7-14 Les Miserables

 

 

7章 

旅路(完)

 

この後「中書き・解説」と「考察」を挟みます

次へ左矢印左矢印

 

。。。。。。。。。。。。。。。

ワンポイントアドバイス

 

エレノアの出世作の話は、4章⑯「エレノア・ベーカー」で登場しています。

 

「そのつもりで、そうしているだろ?」というセリフについて。

※お話の余韻に浸りたい方は、お読みにならないでください。

 

星空流れ星

 

「それはプロレスごっこの夜か?」

という質問が読者の方からありました。ハート

 

「ちょっとフライングしなかった?そこの規則破りさん」

というキャンディのセリフから推測すると

テリィは「破っていた」ようなので、もっと前のようです。

 

詳しくは「スピンオフ・スコットランドの夜」をお読みください。

※アメンバー限定記事になります。

 

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村