年明けは病院の待合室で迎えました
昔から、年越しは実家へ行き新年を迎えています昨年の大晦日の日、いつものように夜実家へ母は一人リビングに座って私達を待っていました。が、表情がいつもと違う!年越しそばの準備だけはしてくれていたけど、食欲がない、と言いグッタリしていて動かない…そのうちお腹が痛いと言いトイレへ…そして出てこない母がお腹の不調を訴えるのを今まで聞いたことがなかった私は、これはおかしいと感じました。嫌がる母の言う事を聞かず、市民病院へ電話。症状を話すと「来てください」と言ってもらえた。母はだんだんお腹の痛みが増してきていて、動けなくなり私が車で病院へ連れて行くのは無理な状態に。また病院に電話して状況報告をしました。行くつもりだけど、母が痛みで動けなくなったと。そしたら、『救急車を呼んで来て下さい』って。そして大晦日の深夜、救急車で病院へ。今年は母が色んな検査をしてもらっている間に待合の椅子で静かに新年を迎えました母はヘルニア(脱腸)を起こしていました私もよく知らなかったのですが、脱腸は自分で中に押し込めたり出来るんですね⁉︎母の場合は出てしまった腸を押しても(中に入れようとしても)全く入らないから手術が必要で、これから手術をしてくれる病院を探すから転院してもらいます、と。どんどん時間が経過し、am3時位だったかな?受け入れ先の病院へまた救急車で移動。そこでまた検査、そして緊急手術となりました。am5時から手術となり、神戸に住む妹も駆け付けて来てくれました。無事に手術が終わって、先生の話しを聞きまだ麻酔が覚めてなくて意識朦朧としている母の顔をみて一旦帰宅。そして、3時間くらい一眠りしてまた病院へ。GICU(集中治療室)の待合い椅子に座っているとき、大きな揺れが!直後は、文字情報だけで惨状がまだ伝わっていませんでした。ほんとにこの1月1日は忘れられない日となりました。実家では年が明けたら、近所の神社に歩いて初詣に行くのですが、今年はそんなこんなで行けませんでした。やっと1月4日にウチの近所の神社へお参り出来ました。母は1月1日の開腹手術で脱腸し壊死してしまっていた小腸をカット。そして昨日、開いてしまった膜を塞ぐ手術をしました。いつも元気な母が弱って苦しんでいるのは、見ていて辛かったです。母は高齢で予後も色んなリスクを聞いているので気を抜けませんが、やっと今、ブログを書ける心境になりました。大晦日の夜遅くから、今でも多くの医療従事者の方のお世話になっています。大晦日、お正月も全く関係なく病気の患者と家族に向き合って下さる姿勢に本当に頭が下がる思いです。転院先の医療センターでは真夜中でも多くの人が働いていて多くの患者さんが診察を待っていました。病院では、普段見ることのない色々な光景を見ました。普通に何事もなく過ごせていることがどれほど有り難く幸せなことなのか、を改めて思い知りました。そして何人もの人の連携により、助けていただける人と場所に繋げていただけたことは、自分だけではどうにもならない事で本当に感謝しかありません!『もう少し、来るのが遅かったら大変なことになっていました』と転院先の執刀してくださった先生に言われた時、ここまで来るのにその場所場所で関わってくれた何人もの人たちに心から感謝しました。感謝の気持ちで始まった一年のスタート!どうぞよろしくお願いします