いま、いろんな人がいろんな方法で支援をしていますが、
そもそも支援とは、別に特別なことではないと思います。
すごいことでもなく、えらいことでもなく、
困っている人がいるので、自分ができることで助ける。
支援は特別なことではなく、いままでの僕たちの日常にもあった
助け合いや譲り合いと同じく考えています。
なので、当たり前のように支援するし、
当たり前のように義援金も(できる範囲で)送る。
ようは、義務感や過度な責任感を感じることなく、
いままでの日常にあったことと同じなんだと言いたい。
そう思えば、支援もずっと続けていけると思うから。
する側として、支援を重く考えることはなく、
日常のこととして続けていきたいと思います。
明日、師匠のミリオネアSさんが東京に来られます。
元気なお姿を見られるのが楽しみです。
震災からもうすぐ3週間。
被災地外ではいろんなところが「自粛」している。
が、そろそろ言いたい。
何のために、何を自粛するんだ?
震災は確かに大惨事だ。
いまこの瞬間も、メディアの裏側で被害は拡大している。
しかし、東京にいる私たちは、身に何も起きていない。
街はふつうに機能しているし、毎日会社に行っている。
よく考えるべき。私たちの身体には何も起こってない。
マイミクのマイミクさんがすばらしい言葉を言っていた。
「共感と同情は違う」と。
「共感と同情を間違えてはいけない。共感は、同じ悲しみ
の感情を共有しながらも、冷静に相手を救う道を考える。
けれど同情は、同じ感情に浸ったままはい上がることが
できない。」
まったくそのとおり。
共感は必要、でも同情はもういらない。
自粛して、家にこもって、活動を休めて、何になる?
言葉はわるいかもしれない、批判を浴びるかもしれない、
でも言いたい。
同情からの自粛は偽善だ。
そもそも被災地の人たちが、私たち被災地外の人に
「自粛してくれ」と言ったか?
今日のズームイン!(最終回)で中継された避難所では、
そこで暮らす皆さんが「大船渡から感謝を込めて」
と書いた紙を掲げていらっしゃった。
なんと素晴らしいことか。
何と勇気を、癒しを、赦しを、与えてくれることか。
人間は強い。
私たちを思って、一生懸命に掲げてくださった。
僕らが使う100円、1000円が、経済を動かしているのだ。
パフォーマンス的な自粛なんて何の役にも立たない。
一生懸命に支援をしている企業の商品を買えば、
その企業の売上や活動を通じて支援をすることもできる。
本当に被災地を思うなら、どんどんいままでの日常を送ろう。
自粛していることを誰に見せたいんだ?
自粛していることで何を得たいんだ?
自粛していることで何を与えたいんだ?
節電などの協力はいいだろう。
でも、「誰のために、何のために」がはっきりしない「自粛」は
もういい。
僕らはしっかりと現実に向き合って、もっと前進すべきだ。
もっと活動しよう。
もっと成長しよう。
もっと成功しよう。
「義の道」を行こう。
僕らひとり一人が力をつけよう。
そうして大きな力になろう。
被災地外ではいろんなところが「自粛」している。
が、そろそろ言いたい。
何のために、何を自粛するんだ?
震災は確かに大惨事だ。
いまこの瞬間も、メディアの裏側で被害は拡大している。
しかし、東京にいる私たちは、身に何も起きていない。
街はふつうに機能しているし、毎日会社に行っている。
よく考えるべき。私たちの身体には何も起こってない。
マイミクのマイミクさんがすばらしい言葉を言っていた。
「共感と同情は違う」と。
「共感と同情を間違えてはいけない。共感は、同じ悲しみ
の感情を共有しながらも、冷静に相手を救う道を考える。
けれど同情は、同じ感情に浸ったままはい上がることが
できない。」
まったくそのとおり。
共感は必要、でも同情はもういらない。
自粛して、家にこもって、活動を休めて、何になる?
言葉はわるいかもしれない、批判を浴びるかもしれない、
でも言いたい。
同情からの自粛は偽善だ。
そもそも被災地の人たちが、私たち被災地外の人に
「自粛してくれ」と言ったか?
今日のズームイン!(最終回)で中継された避難所では、
そこで暮らす皆さんが「大船渡から感謝を込めて」
と書いた紙を掲げていらっしゃった。
なんと素晴らしいことか。
何と勇気を、癒しを、赦しを、与えてくれることか。
人間は強い。
私たちを思って、一生懸命に掲げてくださった。
僕らが使う100円、1000円が、経済を動かしているのだ。
パフォーマンス的な自粛なんて何の役にも立たない。
一生懸命に支援をしている企業の商品を買えば、
その企業の売上や活動を通じて支援をすることもできる。
本当に被災地を思うなら、どんどんいままでの日常を送ろう。
自粛していることを誰に見せたいんだ?
自粛していることで何を得たいんだ?
自粛していることで何を与えたいんだ?
節電などの協力はいいだろう。
でも、「誰のために、何のために」がはっきりしない「自粛」は
もういい。
僕らはしっかりと現実に向き合って、もっと前進すべきだ。
もっと活動しよう。
もっと成長しよう。
もっと成功しよう。
「義の道」を行こう。
僕らひとり一人が力をつけよう。
そうして大きな力になろう。
今日、偶然にも福島県伊達市で被災した友人に会うことができました。
福島県伊達市は、福島原発から北西約70km。
特産品の「あんぽ柿」という干し柿は江戸時代から続く美味。
彼女はふだんはとても明るく、元気で、
いつも夢に向かって笑顔でいる人。
誰にでも気さくに声をかける、かわいらしい女性です。
今日も姿をみて思わず嬉しくなりましたが、
彼女の口から語られる言葉には、「生の声」の重みがありました。
父親は農家、でも放射能で出荷停止で仕事を失う。
母親は放射能におびえながらも仕事に行かなきゃ。
兄は会社がなくなってしまい、とりあえず西日本へ避難。
自分は東京のマンションに来て都内で仕事。
地元にいたら気が狂うから、私だけでもまずは避難。
でも、東京に来る時に思ってしまう事は
「みんなを置いて逃げた…」
もちろん、逃げたなんてことはなくて、
4月にはまた戻る。
でも、彼女の目の奥には、
僕がいままで見たことのない「絶望感」がありました。
僕がどんな言葉を探しても、あまりにも軽くなってしまう。
はじめて、間接的でも「生の声」に触れて、
これは本当に僕らも「自分事」として何かをしなければと
つよく思いました。
こっちが暗くなるのではない。
こっちは彼らの思いをできる限り感じて汲み取って、
そして、凛として背筋を伸ばし、顔をあげて、
まっすぐに前を向いて、語る以上に動くこと。
いまこそリーダーシップを発揮しようと思いを新たにしました。
福島県伊達市は、福島原発から北西約70km。
特産品の「あんぽ柿」という干し柿は江戸時代から続く美味。
彼女はふだんはとても明るく、元気で、
いつも夢に向かって笑顔でいる人。
誰にでも気さくに声をかける、かわいらしい女性です。
今日も姿をみて思わず嬉しくなりましたが、
彼女の口から語られる言葉には、「生の声」の重みがありました。
父親は農家、でも放射能で出荷停止で仕事を失う。
母親は放射能におびえながらも仕事に行かなきゃ。
兄は会社がなくなってしまい、とりあえず西日本へ避難。
自分は東京のマンションに来て都内で仕事。
地元にいたら気が狂うから、私だけでもまずは避難。
でも、東京に来る時に思ってしまう事は
「みんなを置いて逃げた…」
もちろん、逃げたなんてことはなくて、
4月にはまた戻る。
でも、彼女の目の奥には、
僕がいままで見たことのない「絶望感」がありました。
僕がどんな言葉を探しても、あまりにも軽くなってしまう。
はじめて、間接的でも「生の声」に触れて、
これは本当に僕らも「自分事」として何かをしなければと
つよく思いました。
こっちが暗くなるのではない。
こっちは彼らの思いをできる限り感じて汲み取って、
そして、凛として背筋を伸ばし、顔をあげて、
まっすぐに前を向いて、語る以上に動くこと。
いまこそリーダーシップを発揮しようと思いを新たにしました。
震災から10日、被災地以外ではほぼ日常を取り戻しつつある。
都内では電車も通っているし、買い占めも見受けられるがお店は
機能している。
雑誌も売っているし、TVでもドラマやバラエティもやっている。
でも、これからいちばん、絶対にいちばんに大切なことは、
「震災を他人事にしない」ことだ。
あまりにも衝撃的すぎた出来事のため、多くの日本国民の心は
被災地を救おう!という思いでひとつになっている。
おかげでたくさんの支援が個人レベルで自発的に起こり、
充分と言うにはほど遠いけど、確かに届きつつある。
しかし、いちばん僕が危惧しているのは「無関心」だ。
いちどは寄付をした、いちどは支援をした、いちどは節電した、
いちどは買い控えをした、いちどは応援メールした、いちどは…。
それはすばらしい。
いちどの寄付もいちどの支援も、どれほどに被災地の
彼らにとってプラスになることか。
そのいちどに込められた思いが、どれほど力になることか。
行動したこと、それ自体に、すばらしい価値があると思う。
しかし現実は、
僕らにとって支援や寄付は日常のなかの「いちど」でも、
残念ながら被災地の彼らは日常そのものが「要支援」なのだ。
被災地の現状はご存知のとおり壊滅的だ。
いま、被災地外にいる私たちと同じ生活レベルに復興するには
どんなにがんばっても年単位の時間がかかる。
インフラも、環境も、何より被災した方々の「心」も。
これから続く東北の復興への道のりは、
被災していない僕たちには想像もつかないほど、長い。
冗談じゃなくて、ゴールが見えないほどに、長い。
失ったものはあまりにも多く、大きく、
これから築かなければならないものも、また、多く、大きい。
いままでずっとそばにいて、ずっと自分の支えだったあの笑顔。
しかしこれからはその支えもなく、この道のりを歩いていかねば
ならない人もたくさんいる。
そんな長い道のりを、彼らは歩いていかなければならないのだ。
自分のために、家族のために、大切なあの人のために、
そして、生きるために。
同じ日本人として、同じ心を持つ者として、そんな彼らの
これからの道のりを思うと、どうにか楽にしてあげたい。
その道のりが1日でも、1時間でも、1分でも、1秒でも、
早く終わりが来るように、切に願ってやまない。
僕はまだ小さな人間で、莫大なお金を持っているわけでもなく、
被災地に物資を届けにいくトラックもない。
彼らを救うための専門知識や、役に立てる経験があるのかどうかも
わからない。
でも、できることはある。
それは、こうして思いを持ち続けること。
被災地の皆の思いを、ずっと共有し続けること。
大きなことは何もできないかもしれないけど、
ひとつの事を思い続けることはできる。
そして、思い続けることができれば、
小さな行動だってしつづけることができる。
大切なのは、
今回の震災は決して他人事ではないということ、
自分の身にも確かに起こったことなんだということ。
そしてこれから続く長い長い復興の道のりを、
同じ日本人の友として、ずっと伴走していくこと。
直接に知っているとか、会ったことがあるとかないとか、
しゃべったことがあるとかないとか、それが重要か?
直接に会ったこともしゃべったこともないからって、
だからって、=他人なのか?
いや、そんなことはない。
私たちの心の奥には、そんな薄っぺらじゃない絆があるはずだ。
人の痛みを感じ、人の思いを感じ、
それを自分事として受け止め、共有できる心があるはずだ。
いまこそ、その心を持ち直す時だ。
ひとりひとりの小さな思い。
ひとりひとりの小さな支援。
ひとりひとりの小さな心。
でも、小さくても、ひとつひとつがたくさん集まれば、
それは大きな大きな力になる。
小さな自分も、東北の彼らを救う、大きな力そのものになれるんだ。
これから間違いなくやってくる「他人事」「無関心」という
大きな敵。
目には見えないけれど、
確実に復興のスピードに影響を及ぼすだろうこの2つの敵に、
僕は今日も電気をひとつ消して、立ち向かう。
こうして書いて、立ち向かう。
日々を生きるなかで、決して負けないぞと思い続ける。
僕たちは他人じゃない。
誰もが家族だから。
都内では電車も通っているし、買い占めも見受けられるがお店は
機能している。
雑誌も売っているし、TVでもドラマやバラエティもやっている。
でも、これからいちばん、絶対にいちばんに大切なことは、
「震災を他人事にしない」ことだ。
あまりにも衝撃的すぎた出来事のため、多くの日本国民の心は
被災地を救おう!という思いでひとつになっている。
おかげでたくさんの支援が個人レベルで自発的に起こり、
充分と言うにはほど遠いけど、確かに届きつつある。
しかし、いちばん僕が危惧しているのは「無関心」だ。
いちどは寄付をした、いちどは支援をした、いちどは節電した、
いちどは買い控えをした、いちどは応援メールした、いちどは…。
それはすばらしい。
いちどの寄付もいちどの支援も、どれほどに被災地の
彼らにとってプラスになることか。
そのいちどに込められた思いが、どれほど力になることか。
行動したこと、それ自体に、すばらしい価値があると思う。
しかし現実は、
僕らにとって支援や寄付は日常のなかの「いちど」でも、
残念ながら被災地の彼らは日常そのものが「要支援」なのだ。
被災地の現状はご存知のとおり壊滅的だ。
いま、被災地外にいる私たちと同じ生活レベルに復興するには
どんなにがんばっても年単位の時間がかかる。
インフラも、環境も、何より被災した方々の「心」も。
これから続く東北の復興への道のりは、
被災していない僕たちには想像もつかないほど、長い。
冗談じゃなくて、ゴールが見えないほどに、長い。
失ったものはあまりにも多く、大きく、
これから築かなければならないものも、また、多く、大きい。
いままでずっとそばにいて、ずっと自分の支えだったあの笑顔。
しかしこれからはその支えもなく、この道のりを歩いていかねば
ならない人もたくさんいる。
そんな長い道のりを、彼らは歩いていかなければならないのだ。
自分のために、家族のために、大切なあの人のために、
そして、生きるために。
同じ日本人として、同じ心を持つ者として、そんな彼らの
これからの道のりを思うと、どうにか楽にしてあげたい。
その道のりが1日でも、1時間でも、1分でも、1秒でも、
早く終わりが来るように、切に願ってやまない。
僕はまだ小さな人間で、莫大なお金を持っているわけでもなく、
被災地に物資を届けにいくトラックもない。
彼らを救うための専門知識や、役に立てる経験があるのかどうかも
わからない。
でも、できることはある。
それは、こうして思いを持ち続けること。
被災地の皆の思いを、ずっと共有し続けること。
大きなことは何もできないかもしれないけど、
ひとつの事を思い続けることはできる。
そして、思い続けることができれば、
小さな行動だってしつづけることができる。
大切なのは、
今回の震災は決して他人事ではないということ、
自分の身にも確かに起こったことなんだということ。
そしてこれから続く長い長い復興の道のりを、
同じ日本人の友として、ずっと伴走していくこと。
直接に知っているとか、会ったことがあるとかないとか、
しゃべったことがあるとかないとか、それが重要か?
直接に会ったこともしゃべったこともないからって、
だからって、=他人なのか?
いや、そんなことはない。
私たちの心の奥には、そんな薄っぺらじゃない絆があるはずだ。
人の痛みを感じ、人の思いを感じ、
それを自分事として受け止め、共有できる心があるはずだ。
いまこそ、その心を持ち直す時だ。
ひとりひとりの小さな思い。
ひとりひとりの小さな支援。
ひとりひとりの小さな心。
でも、小さくても、ひとつひとつがたくさん集まれば、
それは大きな大きな力になる。
小さな自分も、東北の彼らを救う、大きな力そのものになれるんだ。
これから間違いなくやってくる「他人事」「無関心」という
大きな敵。
目には見えないけれど、
確実に復興のスピードに影響を及ぼすだろうこの2つの敵に、
僕は今日も電気をひとつ消して、立ち向かう。
こうして書いて、立ち向かう。
日々を生きるなかで、決して負けないぞと思い続ける。
僕たちは他人じゃない。
誰もが家族だから。
ヤスケンです。
成功するために、いちばん最初にやるべきこと。
それは自分を変えること。
いまの自分では、いまと同じ結果しか出ません。
違う結果を得たかったら、違う自分にならないと。
成功している自分をイメージしてみましょう。
そのとき、自分はどんな自分でしょうか?
もっと行動的になっている?
もっと勇気がある?
もっと決断力がある?
もっと人に囲まれている?
もっと技術が向上している?
もっと多くの人脈がある?
etc…
成功している自分が、過去を振り返って、
あのとき「○○」と決めたから、成功したんだなあと
逆算をしてみる。
まず、自分を変えよう。
成功するために、いちばん最初にやるべきこと。
それは自分を変えること。
いまの自分では、いまと同じ結果しか出ません。
違う結果を得たかったら、違う自分にならないと。
成功している自分をイメージしてみましょう。
そのとき、自分はどんな自分でしょうか?
もっと行動的になっている?
もっと勇気がある?
もっと決断力がある?
もっと人に囲まれている?
もっと技術が向上している?
もっと多くの人脈がある?
etc…
成功している自分が、過去を振り返って、
あのとき「○○」と決めたから、成功したんだなあと
逆算をしてみる。
まず、自分を変えよう。