震災から10日、被災地以外ではほぼ日常を取り戻しつつある。
都内では電車も通っているし、買い占めも見受けられるがお店は
機能している。
雑誌も売っているし、TVでもドラマやバラエティもやっている。
でも、これからいちばん、絶対にいちばんに大切なことは、
「震災を他人事にしない」ことだ。
あまりにも衝撃的すぎた出来事のため、多くの日本国民の心は
被災地を救おう!という思いでひとつになっている。
おかげでたくさんの支援が個人レベルで自発的に起こり、
充分と言うにはほど遠いけど、確かに届きつつある。
しかし、いちばん僕が危惧しているのは「無関心」だ。
いちどは寄付をした、いちどは支援をした、いちどは節電した、
いちどは買い控えをした、いちどは応援メールした、いちどは…。
それはすばらしい。
いちどの寄付もいちどの支援も、どれほどに被災地の
彼らにとってプラスになることか。
そのいちどに込められた思いが、どれほど力になることか。
行動したこと、それ自体に、すばらしい価値があると思う。
しかし現実は、
僕らにとって支援や寄付は日常のなかの「いちど」でも、
残念ながら被災地の彼らは日常そのものが「要支援」なのだ。
被災地の現状はご存知のとおり壊滅的だ。
いま、被災地外にいる私たちと同じ生活レベルに復興するには
どんなにがんばっても年単位の時間がかかる。
インフラも、環境も、何より被災した方々の「心」も。
これから続く東北の復興への道のりは、
被災していない僕たちには想像もつかないほど、長い。
冗談じゃなくて、ゴールが見えないほどに、長い。
失ったものはあまりにも多く、大きく、
これから築かなければならないものも、また、多く、大きい。
いままでずっとそばにいて、ずっと自分の支えだったあの笑顔。
しかしこれからはその支えもなく、この道のりを歩いていかねば
ならない人もたくさんいる。
そんな長い道のりを、彼らは歩いていかなければならないのだ。
自分のために、家族のために、大切なあの人のために、
そして、生きるために。
同じ日本人として、同じ心を持つ者として、そんな彼らの
これからの道のりを思うと、どうにか楽にしてあげたい。
その道のりが1日でも、1時間でも、1分でも、1秒でも、
早く終わりが来るように、切に願ってやまない。
僕はまだ小さな人間で、莫大なお金を持っているわけでもなく、
被災地に物資を届けにいくトラックもない。
彼らを救うための専門知識や、役に立てる経験があるのかどうかも
わからない。
でも、できることはある。
それは、こうして思いを持ち続けること。
被災地の皆の思いを、ずっと共有し続けること。
大きなことは何もできないかもしれないけど、
ひとつの事を思い続けることはできる。
そして、思い続けることができれば、
小さな行動だってしつづけることができる。
大切なのは、
今回の震災は決して他人事ではないということ、
自分の身にも確かに起こったことなんだということ。
そしてこれから続く長い長い復興の道のりを、
同じ日本人の友として、ずっと伴走していくこと。
直接に知っているとか、会ったことがあるとかないとか、
しゃべったことがあるとかないとか、それが重要か?
直接に会ったこともしゃべったこともないからって、
だからって、=他人なのか?
いや、そんなことはない。
私たちの心の奥には、そんな薄っぺらじゃない絆があるはずだ。
人の痛みを感じ、人の思いを感じ、
それを自分事として受け止め、共有できる心があるはずだ。
いまこそ、その心を持ち直す時だ。
ひとりひとりの小さな思い。
ひとりひとりの小さな支援。
ひとりひとりの小さな心。
でも、小さくても、ひとつひとつがたくさん集まれば、
それは大きな大きな力になる。
小さな自分も、東北の彼らを救う、大きな力そのものになれるんだ。
これから間違いなくやってくる「他人事」「無関心」という
大きな敵。
目には見えないけれど、
確実に復興のスピードに影響を及ぼすだろうこの2つの敵に、
僕は今日も電気をひとつ消して、立ち向かう。
こうして書いて、立ち向かう。
日々を生きるなかで、決して負けないぞと思い続ける。
僕たちは他人じゃない。
誰もが家族だから。