イデオン視聴メモ(16話~20話) | 通行人A的思考

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ガンダム・富野監督の作品のストーリーや人物について、感想や考察をしていきます。
根拠のある考察ではなく、私個人が作品を視聴して感じた事をメモとして記事に残しているとお考え下さい。

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以前、ツイッターで呟いたイデオン視聴メモのまとめ。(16話~20話)

イデオン16話

「二人が危険を感じた時に、イデオンのゲージが上がるように見えるんだけど」

ようやく、どういう条件で付いたり上がったりしていたのか手探りだったあのイデオンゲージの秘密が…!

 

戦うことが正義というわけじゃない。 戦争は正義ではないし、格好良い事ではない。 だけど、戦う事で生き延びているのもまた事実。 生きる事は、葛藤と矛盾の連続だと感じさせられるシーン。

 

「コスモ!コスモ!コスモ!コスモー!」

この時のデクの演技、声が裏返ったりしていて、臨場感があった。

 

コスモ達とベス達の心のすれ違いと、「イデオンとソロシップが別々の宇宙に出てしまうかもしれない」というシチュエーションがシンクロしていて、絶妙な回だった。 イデオンとソロシップが互いに離れまいとするシーンは、胸が熱くなり込み上げるものがあった…。

 

ギジェと並んでずっと登場していたダミドが退場。寂しくもある。

↑ダミドは、ちょっと狡賢いんだけど、人間臭い描かれ方もしていたので、序盤のいろいろな所にスパイスというか、良い刺激を与えていたと思う。(2016年9月23日)

イデオン17話

 猿人の星。 恐竜の星の時も思ったけど、ここにいる猿人達もいつか、文明を築くのかな。 もしかしたらその文明では、ソロシップやイデオンが神様とか言い伝えになるかもしれない。新たなイデオン伝説がいつか生まれるかもと想像すると、それだけでワクワクする。

 

「こんな事で、自分を守るのを人任せにするなんて嫌だわ」

カーシャのこういう発言は、プライドとか男勝りとかで片付けてしまえる事ではなくて、過酷な環境で信じられるのは本当に自分だけだったんだろうな。

 

麻疹にかかったルウ。 シェリルが、ルウ1人の為に振り回されるなんて!的な反応をしなかったのはちょっと意外だった。

 

ロゴ・ダウの地中に埋まっていた謎の粒子。 イデオンもまだまだ謎が多いのに、更なる謎まで出てきて、謎が謎を呼ぶ状態に。

 

「カララ…バッフ・クランを敵と言うのか」

これは、カララにとっての大きな転機だったと思う。 カララはもう充分ソロシップの一員になっていたけど、これで本当の意味で仲間になった様な気がした。

イデオン18話

「話し合いのチャンスを与えても無視をする。何という凶暴な種族だ」 でギジェの言う「話し合いのチャンス」は、自分達から攻撃を仕掛けた上で「ソロシップとイデオンを渡せ。さもないと殺す」という脅迫でもある。

 

「簡単な相手じゃないのよ、これは」

シェリルの言った「これ」と は、バッフ・クランではなくイデの事かな。


「市街地から誘き出さなきゃいけないっていうのに!」

これこそ市街地戦の魅力だと思う。街で戦うと建物が崩れ人が死ぬ。だから市街地では戦えない。でも敵はそんなことお構い無し。さあどうする!?っていう制約をどう攻略するのか。

 

建物の窓から外を見る犬と、その犬を抱えた瞬間ビームを浴びるモブ女性。 アジアン軍の人が戦闘で亡くなる描写とは意味が違う。 市街地で戦闘することはどういう事なのか、何故市街地で戦ってはいけないのか。 先程のカーシャの台詞があるから尚更映える場面。

 

「お前達もバッフ・クランと同じ様なものだろう」

アジアン軍は、同じ地球人だから仲間なのではなく、外から来たものは外の者っていう区別をしているんだろうな。

 

道ですれ違ったカララが「戦いをやめさせたい」と言ったのに対して、シェリルが「理想主義なんか通じない」と返事をするシーン。 二人の距離感の変化が表現されている。以前のシェリルなら「逃げるつもりね!?」とか返していたと思う。

↑「逃げるつもりね!?」は、「どさくさに紛れて、ソロシップから逃げるつもりね!?」という意味です。シェリルとカララは、典型的な仲良しではなくても、、どこかお互いを認めている部分があると思う。そういう感情や関係性を「私達、親友よね!」みたいなセリフで表現しないから、とてもリアルな人間関係に思える。(2016年9月23日)

 

今回に限らず、ここの所は戦闘の激化が著しい。イデオンが合体すれば何とかなっていた序盤と比べると、パーツを抉り取られたり今回の様に左脚がやられたりと、イデオンでも危うい状況によくなる。…中盤に差し掛かったんだな、ここまで観たんだなと、感慨深くなります。

 

「あー、よく寝たー」って感じのルウのお目覚めと共に、ゲージが上昇。自分はなんとなーくネタバレを知った上での視聴だけど、仮に全く知らない状態で観たとしても、この辺りでそろそろルウとゲージの関係には気付きそう。

 

イデオンの新たな力の目覚め。 ルウとイデオンが関係しているのは何となく分かる。 でも、今回ルウは怖い思いをして泣いているわけではなくて、マンマ~って泣いていたけど、泣く動機は何でも良いのかな…?

 

凄い描写すぎて何か凄いとしか分かっていなかったけど、あの能力(?)はブラックホールだったのか。 ブラックホール=無限ってこと…? そしてもう他の星も地球にも帰れないと悟るシーンは胸が痛くなる。

 

あ、呟き忘れたけど、イデオン18話で、アジアンのお医者さんに体力があると言われるルウ。 それは、ロッタやリンが普段からしっかり面度を見ていたからだよね。 この二人の画面に映されていない努力を、誰でも良いから認めてほしい。そして報われてほしい。

↑富野監督の作品のキャラクターは、みんな年齢よりも遥かに精神が成長しているような描かれ方をしていて、尊敬してしまう。特に、ロッタとリンはオシャレとかして遊びたい年頃なのに、黙々と家事や育児をしていて、純粋に人として凄い。非常時だからそんなこと言っていられないのかもしれないけど。非常時は、良くも悪くも人を大人にさせるのかも。(2016年9月23日)

イデオン19話

「カーシャ、先に行く!無理するな」

コスモとカーシャは大分仲良くなった。序盤はお互いに憎まれ口を言い合っていて、あまり相性が良くなさそうな印象を受けていたので、少しずつ息が合っていく様子は見ていて楽しい。

 

デクやアーシュラと比べて、子供の中ではちょっと影が薄いファード。 いつも持っている人形の意味が気になる。

 

デクの存在がコスモを成長させているようにも見える。デクが一緒に乗るようになってから、コスモは無茶をしなくなり、冷静になった。かわりに、熱血で無鉄砲な役をデクがやることに。

 

「ギジェはもういない。捨てたよ」

アバデデやハルルの元でイデオンを追っていたギジェ。上官に捨てられたということは、物語上はイデオンを追う理由もなくなったということ。 そんなギジェが、今後どうやって物語に絡んでくるのか期待。

 

恐竜の星、水晶の星、猿人の星ときて、今度は海の星。このいろんな惑星を巡る旅、物語とは別に見ても楽しい。

↑ソロシップと巡る惑星ツアー的な。(2016年9月23日)

 

カララとギャムスの交渉。 相手がギャムスじゃなくてギジェだったら、もう少し良い方に話が付いていたかも。 尤も、本当にイデオンとソロシップを戦艦と交換してコスモ達が地球に帰れたとしても、互いの存在を知ってしまったからいつか滅ぼし合う事にはなるんだろうけど。

 

爆発する外の景色を見て泣くルウ。 所謂ギャン泣きばかりしていた今までとは異なり、静かに涙を流す泣き方に変わった。 ゲージが付いているのに、いつもと何かが違う。ルウの泣き方というか、感じ方が重要?

 

自由落下しながらドッグマックを撃破するイデオン。 一度海に沈んでから立ち上がる時、水しぶきと顔が画面いっぱいに映るカットから、「イデオンでっけー!」と実感出来る。

 

「俺たちはイデに見放されたのかい?何しろ自分勝手な人間の集まりだから」

そもそも、イデの「善き力」の定義が人間と同じなのか疑問。 人間のいう「善い」は例えば親切だとか愛情だとか、そういうものだけど、イデにとっての善とは何かってところが問題な気がする。

イデオン20話

バッフ・クランの地球に隕石が落ちているという話。 バッフ・クランも只欲のままにイデを欲している訳ではなく、生き延びる為に必死なんだね…という事情を初めて知る。

 

ルウが歩いている!アーシュラとかルウは、マスコット的ポジションだと思ってたけど、そういうキャラクターの成長もしっかり描かれている。成長の様子を一緒に見ている様で、何だか嬉しい。制作側にとって都合の良い存在ではなく、人としてキャラクターを描いている印象。

 

ラパパが宇宙服着ている…! リスの為の宇宙服なんてあるんだ、可愛い(笑)

 

カララに寄り添って支えるシェリル。 シェリルとカララはますます打ち解けている。というか、最初の言動と比較すると、シェリルがかなり歩み寄っている。 さりげない変化でも、二人が好きなので何か嬉しい。

 

テレパシーが使える程近い存在である兄が亡くなるというのは、身内や親しい人を亡くすこととは、意味が少し違う気がする。 自分の半身をえぐりとられるような感じなのかな……。

 

ソロシップ側には、大義も野望も無く、ただ死にたくない、生き延びたいって意思だけでここまで来た。 そういう意味では、ソロシップは「生」に一番近い場所であり、忠実な存在なのかも。

 

悪魔の双子とギャムスを倒せて、やったね!敵を倒したよ!ハッピー!にならないところがこの作品の魅力。 敵の事情を短時間でも描いているから、主人公達が勝っても後味の悪い気持ちになる。でも、戦争を描く作品には、その後味の悪さが大切だと思う。