新しい会社に入ってまず気をつけたのは、信頼を得ること。具体的には受け取ったボール(=仕事)は必ずその日のうちに投げ返すこと。もしその日で終わらなかったり、同僚の助けが必要な場合は期日を決めることだ。
人事の業務は突発的に起こるものもあるが、スケジュールなしで仕事をしてはいけないことを過去に学んだ。新潟の工場で働いていた際、人事と総務と施設業務であまりの仕事の量にスケジュールを引けなかったことがあったのを反省した上で今回は臨んだ。
期日を決めて仕事を追っかけると頭の中がスッキリして気分がよい。ホワイトボードを100円ショップで買ってきて、やることを見える化したのも更に良かった。
1月から新しい会社に転職した。社会人になって3社目となる。1ヶ月の感想をPros(メリット)とCons(デメリット)に分けて考えてみたい。
<Pros>
・東京で働くことができた
週末の移動にかかる時間が大きく減った。新幹線で2時間とはいえ、本当に大きな時間の節約だ。
・夫婦の時間が増えた。
平日face to faceで話ができるのは夫婦生活安定のためには非常に大きい。
・人事の仕事にフォーカスできるようになった
「トイレの便器が詰まった」、「湯沸かし器が故障した」などの社員の衛生要因に大きく影響する事象に振り回されることなく、評価や人材育成など1つ1つの人事的施策をどう展開して行けば最大の効果が得られるか深く考える時間ができた。
<Cons>
・人脈の作り直し
今まで築いてきた人脈はほとんど立たない。強いて言えばMBA同期の数人くらいか。
・自己紹介のやり直し
上記とも重なるが、新しく会う人に毎回自己紹介をしなくてはならない。今回は職歴やMBAではなく、今までの生い立ちの中でその人と共通項を探せるようなスライドを1枚作った。
・業務範囲が違う
新しい職場では各人の業務範囲が違う。今まで自分の仕事だと思っていたデータの集計や簡単な書類作りは、サポートスタッフに頼まないとその人の業務がなくなり、返ってよくないという。より重要な仕事にフォーカスできるので本当に助かる。
<Pros>
・東京で働くことができた
週末の移動にかかる時間が大きく減った。新幹線で2時間とはいえ、本当に大きな時間の節約だ。
・夫婦の時間が増えた。
平日face to faceで話ができるのは夫婦生活安定のためには非常に大きい。
・人事の仕事にフォーカスできるようになった
「トイレの便器が詰まった」、「湯沸かし器が故障した」などの社員の衛生要因に大きく影響する事象に振り回されることなく、評価や人材育成など1つ1つの人事的施策をどう展開して行けば最大の効果が得られるか深く考える時間ができた。
<Cons>
・人脈の作り直し
今まで築いてきた人脈はほとんど立たない。強いて言えばMBA同期の数人くらいか。
・自己紹介のやり直し
上記とも重なるが、新しく会う人に毎回自己紹介をしなくてはならない。今回は職歴やMBAではなく、今までの生い立ちの中でその人と共通項を探せるようなスライドを1枚作った。
・業務範囲が違う
新しい職場では各人の業務範囲が違う。今まで自分の仕事だと思っていたデータの集計や簡単な書類作りは、サポートスタッフに頼まないとその人の業務がなくなり、返ってよくないという。より重要な仕事にフォーカスできるので本当に助かる。
お正月もあけて大分経ってしまった。
昨年の抱負を振り返ってみると、4つ書いていた。
http://ameblo.jp/tuck2010/entry-11439845651.html
・今年こそ社労士に合格する
→○。見事合格!
・毎日最低10分は読書する(社労士の勉強が終わる9月以降は毎日30分)
→△9月以降は読書はできていたが、週末に集中していた。今後は平日にも実施していきたい
・ジムに週2回行く
→×。週1回が限度だった。。
・自分のブランド力を高める。(ブログの週1回更新。外部の勉強会、発表会に参加)
→×あまりにも仕事が忙しく、ブログの更新は途絶えてしまった。。新潟から勉強会や発表会の参加も難しかった。。
今年は次の抱負としたい
・「人を動かす」人事になる
コーチングのスキルを更に学び、他人の行動を変える人事となりたい
・謙虚な姿勢を貫くこと
東大卒でMBAホルダーというだけで色眼鏡で見られることが多い。学歴からは想像できないような腰の低さを見せたい。
・よく聞き、学ぶ
上記とも関連するが、新しい会社に入るにあたり、いろんな人から話を聞き、学ぶことは大切。
コーチングの基礎である「よい質問」を繰り出していきたい。
・会社で何かの一番になる
一番になることは大切だ。それが人事の1つの分野かもしれないし、戦略x人事x社労士の掛け算かもしれない。現在模索中。。
昨年の抱負を振り返ってみると、4つ書いていた。
http://ameblo.jp/tuck2010/entry-11439845651.html
・今年こそ社労士に合格する
→○。見事合格!
・毎日最低10分は読書する(社労士の勉強が終わる9月以降は毎日30分)
→△9月以降は読書はできていたが、週末に集中していた。今後は平日にも実施していきたい
・ジムに週2回行く
→×。週1回が限度だった。。
・自分のブランド力を高める。(ブログの週1回更新。外部の勉強会、発表会に参加)
→×あまりにも仕事が忙しく、ブログの更新は途絶えてしまった。。新潟から勉強会や発表会の参加も難しかった。。
今年は次の抱負としたい
・「人を動かす」人事になる
コーチングのスキルを更に学び、他人の行動を変える人事となりたい
・謙虚な姿勢を貫くこと
東大卒でMBAホルダーというだけで色眼鏡で見られることが多い。学歴からは想像できないような腰の低さを見せたい。
・よく聞き、学ぶ
上記とも関連するが、新しい会社に入るにあたり、いろんな人から話を聞き、学ぶことは大切。
コーチングの基礎である「よい質問」を繰り出していきたい。
・会社で何かの一番になる
一番になることは大切だ。それが人事の1つの分野かもしれないし、戦略x人事x社労士の掛け算かもしれない。現在模索中。。
出張ベースでの訪問を含めて、新潟では約2年間仕事をした。一体何を学んだのだろうか。振り返ってみると、成功したことよりも失敗したことが大きかった。
<成功したこと>
・労働組合との良好な関係を築け、人事制度の改訂をスムーズに進めたこと
労働組合と話す時間を十分に確保するため、人事制度を改訂するにあたり、非公式の勉強会を隔週で開催した。そこでは労使の主張の隔たりや、労使の知識レベルを確認した。また、日常発生する組織改正や異動についても、まずは労働組合に一報するよう徹底した。
・人前でのプレゼンが上手になったこと
出向元では当たり前のことでも、工場の従業員にとっては初めてのことが多い。人事・総務の責任者として説明をする場面が新潟に来て非常に増えた。通勤時間に自家用車の中で聞いていたラジオのアナウンサーの話し方を参考に、話すスピードを変えたり、抑揚をつけて説明する習慣が自然と身についた。
・人事の業務を広く浅く学んだこと
採用、給与計算、退職、トレーニング、エグゼクティブ訪問(全体集会、ラウンドテーブル、1 on 1の設定)など、大企業では複数のスタッフが行うことを一人で学べた。
<失敗したこと>
・「事件は現場で起きていること」をマネジメント層に伝えきれなかったこと
人事総務チームの人数は5人から2人(私も含めて)に減ったのは以前このブログに書いた通りだ。私の出向元の会社に総務機能はない。さらに上司が近くにおらず、実際目で見てもらうことが少なかった。当初、総務業務を文字化しようとしたが、総務の仕事は「雑務」であり、非定型の業務が非常に多く、リストアップに非常に時間がかかってしまった。。時間がかかるなら自分の目の前に積み上がった仕事を1つでも片付けたほうが早いという結論を下してしまった。。また、他の部署も少ない人数でやりくりしている中、間接部門の人事が率先して人を増やすのは見た目が良くなかった。今振り返ると、マネジメントチームに響くもの、例えば会社の年度目標に合致させるような形で説得すればよかったかもしれない。
・管理職を信頼し過ぎたこと
「管理職に伝えたから大丈夫」という前提で物事を進めていたら、実は管理職自身がよく理解しておらず、議論が進んでいなかったり、成果物ができていない事例が何回かあった。結局時間切れで最後にボールを持っていた(と皆から思われている)私が全てに責任を負うことになった。その後、私は最初から関係者をface to faceでミーティングに巻き込んだり、自分がもらったボール(=メール)は必ず投げ返すように心がけたが、この点は今でも悔いが残る。
・日系の細かさと外資のスピードに挟まれたこと
新潟の工場はもともと日系の企業から始まっていることもあり、「時間をかけてもいいので100%の成果を目指す」会社だ。一方、私の出向元の会社(外資)は「6割の成果でいいから早く進めなさい」というポリシーだ。現場は前者を望む中、マネジメントチームは後者を望み、私はその間で挟まれてしまった。今思えば、工場長などしかるべき役職の人を使ってアナウンスを行い、従業員にカルチャーの違いを浸透させる場を「頻繁に」設けるべきだった。
今回は自分への備忘録として、敢えて失敗したことも記した。失敗したことを十分に反省し、次への糧としたい。
<成功したこと>
・労働組合との良好な関係を築け、人事制度の改訂をスムーズに進めたこと
労働組合と話す時間を十分に確保するため、人事制度を改訂するにあたり、非公式の勉強会を隔週で開催した。そこでは労使の主張の隔たりや、労使の知識レベルを確認した。また、日常発生する組織改正や異動についても、まずは労働組合に一報するよう徹底した。
・人前でのプレゼンが上手になったこと
出向元では当たり前のことでも、工場の従業員にとっては初めてのことが多い。人事・総務の責任者として説明をする場面が新潟に来て非常に増えた。通勤時間に自家用車の中で聞いていたラジオのアナウンサーの話し方を参考に、話すスピードを変えたり、抑揚をつけて説明する習慣が自然と身についた。
・人事の業務を広く浅く学んだこと
採用、給与計算、退職、トレーニング、エグゼクティブ訪問(全体集会、ラウンドテーブル、1 on 1の設定)など、大企業では複数のスタッフが行うことを一人で学べた。
<失敗したこと>
・「事件は現場で起きていること」をマネジメント層に伝えきれなかったこと
人事総務チームの人数は5人から2人(私も含めて)に減ったのは以前このブログに書いた通りだ。私の出向元の会社に総務機能はない。さらに上司が近くにおらず、実際目で見てもらうことが少なかった。当初、総務業務を文字化しようとしたが、総務の仕事は「雑務」であり、非定型の業務が非常に多く、リストアップに非常に時間がかかってしまった。。時間がかかるなら自分の目の前に積み上がった仕事を1つでも片付けたほうが早いという結論を下してしまった。。また、他の部署も少ない人数でやりくりしている中、間接部門の人事が率先して人を増やすのは見た目が良くなかった。今振り返ると、マネジメントチームに響くもの、例えば会社の年度目標に合致させるような形で説得すればよかったかもしれない。
・管理職を信頼し過ぎたこと
「管理職に伝えたから大丈夫」という前提で物事を進めていたら、実は管理職自身がよく理解しておらず、議論が進んでいなかったり、成果物ができていない事例が何回かあった。結局時間切れで最後にボールを持っていた(と皆から思われている)私が全てに責任を負うことになった。その後、私は最初から関係者をface to faceでミーティングに巻き込んだり、自分がもらったボール(=メール)は必ず投げ返すように心がけたが、この点は今でも悔いが残る。
・日系の細かさと外資のスピードに挟まれたこと
新潟の工場はもともと日系の企業から始まっていることもあり、「時間をかけてもいいので100%の成果を目指す」会社だ。一方、私の出向元の会社(外資)は「6割の成果でいいから早く進めなさい」というポリシーだ。現場は前者を望む中、マネジメントチームは後者を望み、私はその間で挟まれてしまった。今思えば、工場長などしかるべき役職の人を使ってアナウンスを行い、従業員にカルチャーの違いを浸透させる場を「頻繁に」設けるべきだった。
今回は自分への備忘録として、敢えて失敗したことも記した。失敗したことを十分に反省し、次への糧としたい。
12月は最初の火曜日のみ東京の本社に出社し、残りは有給消化となった。社会人になってこんなに長い休みを取るのは初めてだ。
12月の1週目は寝ても寝ても疲れが取れず、何かの病気かと思った。その週末に会社の水泳部に久しぶりに参加してようやく血液の循環が良くなり復活。
翌週から今まで仕事や試験勉強が忙しすぎて出来なかったことをこなして行った。まず、肩こり・腰痛の治療のために整体院に行き、社労士の勉強のため1年近く中断していたピアノを再開した。
今回もう1つ行いたかったのは両親の出身である鹿児島を訪問すること。父方の祖父・祖母はすでに老人ホームに入っている。老人ホームに入った瞬間祖母の喜ぶ姿に涙が出そうになった。祖父は一時期脳梗塞で危篤状態だったが、驚異的な回復力で病院から退院した。残念ながら私のことを認識できない状態にあるが、施設の方の献身的な介護で、祖母の日々の負担が大幅に軽くなったという。
一方、母方の祖母は太極拳を25年近くやっていることもあり元気そのもの。夜中までおしゃべりが止まらない。祖父は私が中学校の時に急逝したが、その後も友人との関係を大切にしながらも、好きなことを自由にやることが長生きの秘訣だと感じた。
帰りに鹿児島で有名なみたらし団子の「両棒(じゃんぼ)餅」を買って帰京。
12月の1週目は寝ても寝ても疲れが取れず、何かの病気かと思った。その週末に会社の水泳部に久しぶりに参加してようやく血液の循環が良くなり復活。
翌週から今まで仕事や試験勉強が忙しすぎて出来なかったことをこなして行った。まず、肩こり・腰痛の治療のために整体院に行き、社労士の勉強のため1年近く中断していたピアノを再開した。
今回もう1つ行いたかったのは両親の出身である鹿児島を訪問すること。父方の祖父・祖母はすでに老人ホームに入っている。老人ホームに入った瞬間祖母の喜ぶ姿に涙が出そうになった。祖父は一時期脳梗塞で危篤状態だったが、驚異的な回復力で病院から退院した。残念ながら私のことを認識できない状態にあるが、施設の方の献身的な介護で、祖母の日々の負担が大幅に軽くなったという。
一方、母方の祖母は太極拳を25年近くやっていることもあり元気そのもの。夜中までおしゃべりが止まらない。祖父は私が中学校の時に急逝したが、その後も友人との関係を大切にしながらも、好きなことを自由にやることが長生きの秘訣だと感じた。
帰りに鹿児島で有名なみたらし団子の「両棒(じゃんぼ)餅」を買って帰京。
上司には10月下旬には退職の意向を示した。最終出社日は11月29日となった。
辞めると決めた途端、身体からすべてのやる気がなくなってしまった。。今振り返ると、最終日までの仕事と引き継ぎが本当に辛かった。。辞めると決めたらすぐに引き継ぎをして去ったほうが精神的に楽なのかもしれない。。
今回200人の従業員全員のやる気を出すことはできなかったが、退職日前に送別会を開催してくれた方が5人(2人+3人)もいたのが嬉しかった。
最終日は工場の全体集会で挨拶をし、同僚に花束をもらって帰宅。
翌日は弟に手伝ってもらいながら、早速東京への引越を完了させた。新車の軽自動車を売却せざるを得なかったのは悲しかったが、東京で車を持っていてもお金がかかるばかりなので仕方ない。
iPhoneからの投稿
辞めると決めた途端、身体からすべてのやる気がなくなってしまった。。今振り返ると、最終日までの仕事と引き継ぎが本当に辛かった。。辞めると決めたらすぐに引き継ぎをして去ったほうが精神的に楽なのかもしれない。。
今回200人の従業員全員のやる気を出すことはできなかったが、退職日前に送別会を開催してくれた方が5人(2人+3人)もいたのが嬉しかった。
最終日は工場の全体集会で挨拶をし、同僚に花束をもらって帰宅。
翌日は弟に手伝ってもらいながら、早速東京への引越を完了させた。新車の軽自動車を売却せざるを得なかったのは悲しかったが、東京で車を持っていてもお金がかかるばかりなので仕方ない。
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MBAの卒業以来、4年ぶりの就活となった。履歴書を日英で作成し、英語で説明が難しい部分については日本語の職務経歴書を添えて、エージェントに送った。ここで人事から外れてしまうと今までの苦労が無駄になってしまうので、エージェントには人事の求人のみを依頼した。
前職の航空会社の経験(7年)が長いので、人事経験(3年半)を多く記すよう心がけた。それでも「人事経験が浅い」ということで履歴書の段階で落ちてしまうこともしばしば。
新潟にいると東京での就活は大変だ。週の半ばに東京と新潟を新幹線で往復するのは大変なので、先方には無理をお願いして、月曜日の午前や金曜日の午後の時間帯を使って、面接のスケジュールを組んでもらった。
面接開始から約2ヶ月で、第4四半期という厳しい時期にも関わらず、2つの会社から内定を頂くことができた。それは、日系(自動車)の本社人事と外資(製薬)の担当人事だった。友人や人事の諸先輩方にアドバイスを頂き、自分でも両者の「良い点(+)」と「悪い点(-)」を書き出して、必死に考えた。
どちらも素晴らしい内定であったが、1)本社人事が務まるほど人事のスキルは身についていないこと、2)社労士の資格を生かして、現場で起きている問題解決をしたいこと の2点で外資の担当人事で修業する覚悟を決めた。
前職の航空会社の経験(7年)が長いので、人事経験(3年半)を多く記すよう心がけた。それでも「人事経験が浅い」ということで履歴書の段階で落ちてしまうこともしばしば。
新潟にいると東京での就活は大変だ。週の半ばに東京と新潟を新幹線で往復するのは大変なので、先方には無理をお願いして、月曜日の午前や金曜日の午後の時間帯を使って、面接のスケジュールを組んでもらった。
面接開始から約2ヶ月で、第4四半期という厳しい時期にも関わらず、2つの会社から内定を頂くことができた。それは、日系(自動車)の本社人事と外資(製薬)の担当人事だった。友人や人事の諸先輩方にアドバイスを頂き、自分でも両者の「良い点(+)」と「悪い点(-)」を書き出して、必死に考えた。
どちらも素晴らしい内定であったが、1)本社人事が務まるほど人事のスキルは身についていないこと、2)社労士の資格を生かして、現場で起きている問題解決をしたいこと の2点で外資の担当人事で修業する覚悟を決めた。
3年半勤めた今の会社を退職することになった。主な理由としては2つある。
1)単身赴任がきつくなった
新幹線で帰京できるとはいえ、金曜日夜に帰り、日曜日夜に戻るのは体力的にも精神的にもきつかった。おまけに日曜日に社労士の予備校に通っていたので、家族とゆっくりする暇がほとんどなかった。(今年合格できて本当に良かったと今更ながらしみじみと感じる)
2)従業員の期待値が人事ではなくて総務だった
10月に本社人事が工場の数人の部長にヒヤリングを行った。私は人事として新潟の工場に行ったはずなのに、ほとんどの部長が「総務業務をきちんとやってほしい」という期待値を私に抱いていた。。
総務業務というのは、便器が詰まったら修理業者を手配し、蛍光灯が切れたら脚立に乗って新しいものと取り替える、飛び込み営業が来たら玄関に出て行って断る、いわば何でも屋である。
このフィードバックを聞いて、一気に力が抜けてしまった。。人事の経験がないことから、今まで苦労して学んだ人事の知識を活かせる場所がここにはないことを悟った。
そして翌週には早速エージェントに案件がないか連絡をしていた。
iPhoneからの投稿
1)単身赴任がきつくなった
新幹線で帰京できるとはいえ、金曜日夜に帰り、日曜日夜に戻るのは体力的にも精神的にもきつかった。おまけに日曜日に社労士の予備校に通っていたので、家族とゆっくりする暇がほとんどなかった。(今年合格できて本当に良かったと今更ながらしみじみと感じる)
2)従業員の期待値が人事ではなくて総務だった
10月に本社人事が工場の数人の部長にヒヤリングを行った。私は人事として新潟の工場に行ったはずなのに、ほとんどの部長が「総務業務をきちんとやってほしい」という期待値を私に抱いていた。。
総務業務というのは、便器が詰まったら修理業者を手配し、蛍光灯が切れたら脚立に乗って新しいものと取り替える、飛び込み営業が来たら玄関に出て行って断る、いわば何でも屋である。
このフィードバックを聞いて、一気に力が抜けてしまった。。人事の経験がないことから、今まで苦労して学んだ人事の知識を活かせる場所がここにはないことを悟った。
そして翌週には早速エージェントに案件がないか連絡をしていた。
iPhoneからの投稿
人事の醍醐味は、ポテンシャルのある人材をトレーニング(研修)に出してスキルアップさせたり、優秀な人材を見つけ組織を成長させることにある。しかし、トレーニングにも採用にも予算はつきもの。予算がつくかどうかは会社の経営状況によって大きく左右される。
今年は、会社の経営状況が芳しくなかったため、採用もトレーニングへの推薦も必要最低限のものだった(このような費用は真っ先にカットされる。。)
更に悪いことに、今年は退職者が1名出ても、代わりに新しい人を採用することも、百歩譲って派遣社員の契約もできず、人事としての付加価値は全く出せなかった。。
こうなると、人事は単なる間接費と化してしまい、私の抱えているもう1つの「総務」の仕事で頑張るしかなかった。しかし、こちらもファイナンス(経理)からの要請で、すべてゼロから支出を見直すことになった。ただでさえ量の多い総務業務にさらに時間がかかり、時間がなくなっていく。。。そして締め切りに間に合わず従業員から不満が出る。。。
人のキャリアの成長は、成長している会社に身を置いてこそ初めて成り立つものだと知った。
今年は、会社の経営状況が芳しくなかったため、採用もトレーニングへの推薦も必要最低限のものだった(このような費用は真っ先にカットされる。。)
更に悪いことに、今年は退職者が1名出ても、代わりに新しい人を採用することも、百歩譲って派遣社員の契約もできず、人事としての付加価値は全く出せなかった。。
こうなると、人事は単なる間接費と化してしまい、私の抱えているもう1つの「総務」の仕事で頑張るしかなかった。しかし、こちらもファイナンス(経理)からの要請で、すべてゼロから支出を見直すことになった。ただでさえ量の多い総務業務にさらに時間がかかり、時間がなくなっていく。。。そして締め切りに間に合わず従業員から不満が出る。。。
人のキャリアの成長は、成長している会社に身を置いてこそ初めて成り立つものだと知った。
8/25に受験した社会保険労務士(社労士)試験の結果がようやく11/8に発表となった。2か月以上待つのは本当に辛かったが、見事合格。今年は過去最低の合格率で5.4%だった。(去年までは7%~8%の合格率)
人事の世界に飛び込み、人事の専門性がないとバカにされたのがきっかけで始めた社労士の勉強。合格までに2年以上かかってしまったが、ようやくその努力が報われた。
今朝簡易書留で合格証書が届いた。国家資格がA4サイズというのには若干物足りなさを感じたが、厚生労働大臣のサイン付きの証書はそれでも十分嬉しかった。さっそく妻に写真撮影をしてもらい、facebookに投稿。
米国MBAというインターナショナルな資格と社会保険労務士というドメスティックな資格。全く方向の違う2つの資格を取得できたのは、「差別化」を目指す私にとっては大きな一歩となった。
人事の世界に飛び込み、人事の専門性がないとバカにされたのがきっかけで始めた社労士の勉強。合格までに2年以上かかってしまったが、ようやくその努力が報われた。
今朝簡易書留で合格証書が届いた。国家資格がA4サイズというのには若干物足りなさを感じたが、厚生労働大臣のサイン付きの証書はそれでも十分嬉しかった。さっそく妻に写真撮影をしてもらい、facebookに投稿。
米国MBAというインターナショナルな資格と社会保険労務士というドメスティックな資格。全く方向の違う2つの資格を取得できたのは、「差別化」を目指す私にとっては大きな一歩となった。