「古代史は頭脳、近代史は体力。」

 

この言葉の意味を知ってる、そこのアナタ!

アナタ、きっと歴史学玄人にちがいありません!

 

一方で、知らないアナタは...。

大丈夫!

ちょうど今から、それを書くところです!

 

そもそも古代史・近代史とは

さて、冒頭の標語「古代史は頭脳、近代史は体力。」は、歴史学界隈でよく耳にするものです。

私も、大学に入学し研究室に配属されて初めて聞きました。

 

さて、この標語が意味するのは、ズバリ古代史と近代史の研究手法の差です。

 

そもそも「古代」とか「近代」というのは、歴史学で用いられる時代区分の名称です。

「今」に近い方から、「現代」「近代」「近世」「中世」「古代」に分けられます。

 

したがって、「古代史」や「近代史」は、歴史学内部での研究分野の分類ということになります。

古代を専門に扱うのが古代史で、近代を専門に扱うのが近代史です。

 

つまり、古代史と近代史の違いとは、扱っている時代の違いの事です。

そして、この扱っている時代が違うということが研究環境の違いを生み、そして研究スタイルの差異を生じさせるのです。

 

頭脳の古代史(&中世史)

では、時代の差異はどのような研究環境の差異を生じさせるのか。

 

この記事の文脈において言及すべき古代史の特徴、それは利用可能な史料が限定されているということです。

同じ事は中世史にも言えます。

 

なぜ、古代や中世の史料は少ないのか。

 

印刷技術が発達していないこと。

読み書きができる人口が限定的であること。

そして、ごくわずかに作成された史料も、災害や戦乱などの影響で喪失してしまったこと。

こういった点が、主な理由として挙げられます。

 

とはいえ、歴史学研究は史料に基づいていることが絶対条件です。

史料に基づかない記述はフィクションです。

フィクションは歴史学研究としては認められません。

 

したがって、古代史・中世史の歴史学者は、数少ない史料に基づいて主張を構築していかなくてはなりません。

限られた史料を、まさに隈なく読み解いていく必要があります。

 

また、史料が限られているがゆえに、記述が存在しない時間・空間が多く存在します。

そういった「史料の空白」は、論理的推論によって埋めていく必要があります。

 

さらに、史料の数が少ないということは、同じ分野の研究者は同じ史料を読む可能性が極めて高ということも意味します。

そして、研究者が自らの主張を学会で発表する場合、その主張は先行研究と同じであってはいけません。

よって、時には同じ史料を基にして全く違う主張を組み立てることも必要となってきます。

 

このように、古代史・中世史の歴史学者には「頭の良さ」が求められることになります。

 

これが「古代史は頭脳」が意味するところです。

 

体力の近代史(&近世史・現代史)

一方の近代史。

当然、史料の量は莫大なものになります。

これは、近世・現代も同じです。
 

寺子屋の普及や義務教育の導入による民衆の識字率が向上したこと。

印刷技術や出版業が発達したこと。

新聞・ラジオなどのマスメディアが登場したこと。

時間の経過による「史料の淘汰」が進んでいないこと。

これらの要因によって、近世以降の史料の数量は急速に増加していきます。

 

したがって、近世・近代・現代の研究者は、数多くの史料に当たることが必要になってきます。

史料を求めて日本中・世界中を文字通り飛び回る必要が出てくることもあります。

 

あるいは、近世以降の史料は未だ埋もれているものも多く存在します。

これら埋もれた史料を発掘しに飛び回ることもあるかもしれません。

 

当然、一つ一つの史料を丁寧に読むことも要求されます。

 

すなわち、近世・近代・現代の研究者は史料収集・読解に莫大な労力を割く必要があるのです。

 

そこで、近代史(近世史・現代史)の研究者には、過酷な史料収集・読解に耐えうるだけのタフさが求められます。

 

これが、「近代史は体力」が意味するところです。

 

同じ歴史学なのに、時代が違うと研究手法も変わってくる。

このことは、歴史学を専攻したことがない人たちには、あまり馴染みがないでしょう。

(なにせ、大学に入るまでの私がそうでしたからね。)

 

この時代による研究スタイルの差を上手く言い表したのが、「古代史は頭脳、近代史は体力。」という言葉なのです。

(いやほんとに、誰が言い始めたんでしょうね?)

おしまい。