先日マナー講習を受けたので、それについてちょっと書きます。
マナー講習でのひとコマ
まずは、マナー講習のとある場面を、簡単に再現してみます。
講師「G-SHOCKは、カジュアル過ぎるものは不可です。」
講師「カジュアルでないものであっても、G-SHOCK自体がビジネスでは不適切と考える人もいるので、気を付けてください。」
私「スマートウォッチはどうですか?」
講師「スマートウォッチは、その職場で使っている人がいればOKです。」
講師「休憩中であっても、スマホで漫画を見たりゲームをしたりするのはダメです。」
私「電子書籍で哲学書や歴史書を読むのはどうですか?」
講師「スマホをずっと見ていることに変わりはないので、好ましくありません。」
「マナー?」に対する疑問
このやり取りを見て、あなたはどう感じましたか?
私はこのマナー講習を受けて、様々な疑問点が浮かんできました。
5つほど列挙してみます。
1.なぜG-SHOCKはこんなにも嫌われるのか?
ビジネスシーンにおいてG-SHOCKは、未だに市民権を得られていないようです。
何故なのでしょうか?
誰が嫌っているのでしょうか?
G-SHOCKを身につけていることで、何か業務上の支障になるのでしょうか?
2.なぜ休憩中にスマホで漫画を見たりゲームをしたりしてはいけないのか?
当たり前ですが、休憩時間は業務時間の範囲外です。
しかし、休憩時間中に漫画を読んだり動画を見ていたりすると、顧客から苦情が来るそうです。
「おたくの社員は、休憩時間にゲームをやっててけしからん」といった風に。
そして、それが原因で契約が流れたこともあったそうな。
なんで?
3.なぜ休憩時間中に電子書籍を読んではいけないのか?
休憩時間中にスマホを使ってネットの記事を読んだりしますよね。
でも、電子書籍を読むのは好ましくないそうです。
理由は、ずっとスマホをいじっている姿を周囲に見せることになるから、だそうです。
これをやると、また苦情が来るそうな。
「おたくの社員は、休憩時間にずっとスマホをいじっててけしからん」と。
何がいけないの?
4.じゃあ紙の本なら読んでいいの?
スマホをずーっといじってるのが電子書籍がダメな理由であるならば、紙の本を読むのはいいのでしょうか?
小説は読んでいいのでしょうか?
ラノベは?
マンガは?
雑誌は?
どこに基準を引くのでしょうか?
5.スマートウォッチは許されるの?
G-SHOCKは好ましくない。
スマホもダメ。
それなのに、スマートウォッチは市民権を得つつあります。
なんでなの?
「マナー?」の気持ち悪さ
以上に列挙した「マナー?」に対する疑問の数々。
なぜこれらの「マナー?」に気持ち悪さを感じるのか。
それは「理由」や「基準」が明確ではないからです。
例えばG-SHOCK。
なぜG-SHOCKはビジネスシーンで不適切とされるのでしょうか?
マナーはあくまでも「手段」であるはずです。
したがって、マナーという「手段」を用いることで達成すべき「目的」が別にあるはずです。
果たしてG-SHOCKの使用を禁止することで、どのような「目的」が実現されるのでしょうか?
その理由を明確に述べることのできる人は、この世に存在するのでしょうか?
現状では、マナーという手段が自己目的化してしまっているように感じてなりません。
「マナーを守ること」が目的になってしまっているのです。
「とにかくマナーを守れ。理由なんか考えなくていい。」
そういう風に感じざるを得ません。
「マナー?」を求める人々
意味不明なマナーであっても、全くの無から生まれるわけではありません。
マナーの自己目的化以上に深刻なのが、この点です。
すなわち、前述した意味不明な「マナー?」を求めてくる人が実際に存在している、という点です。
例えば、休憩中のスマホの利用。
これに対して、「おたくの社員は、休憩時間にゲームをやっててけしからん」と批判をする人物がいることは前述しました。
まさに、このような人物が問題なのです。
休憩時間中にスマホを使用することの何がいけないのでしょうか?
このような発言は、「批判」と呼ぶのもはばかられます。
単に「俺が気に食わない事はするな」という、権威主義的な言動に過ぎません。
日本にはこのような人物が多いような気がします。
「俺は偉いんだ。」
「俺は正しいんだ。」
「だから、お前は俺の言うとおりにしろ。」
それなりの地位にある頭の固いエラそうな人たち。
このような人物こそが、この国を失われた20年に導いた張本人ではないでしょうか。
こういう「エラそう」な人にならないように、反面教師としたいものです。
「マナー?」はアメリカに見習わないの?
さらにもう1つ、「マナー?」に関して不思議に思うことがあります。
それは、マナーに関しては「外国を見習え」という声が小さい点です。
日本ではしばしば外国を引き合いに出し、いかに日本が遅れているかを示すことが行われます。
そして、進んでいる外国を「見習って」改革をしていくべきだ、という主張がなされます。
近年では外国を見習って「ジョブ型雇用」を導入しようという声が強まっています。
しかし、ことマナーに関してはこういった声は聞かれません。
「アメリカを見習って、マナーを簡略化しよう」とは主張されないのです。
これは、「先進的な外国を見習って」という言説が、自分(=日本)にとって都合の良い事柄を箔づけるためのものでしかない、ということを浮き彫りにします。
「外国を見習って」と一見すると謙虚な姿勢が、その実、自分の目的を強力に遂行するための手段でしかないのです。
以上、「マナー?」について書いてきました。
浮かび上がってきたのは、非合理的な「マナー?」と、それを要求する「頭の悪いヤツら」の存在でした。
あるいは都合の良い時にだけ利用される「外国を見習え」という言説でした。
いずれのの「害悪」も早々に日本社会から消え去ることを心より望みます。
おしまい。