春陽射しで靴修理
15年ほど前にドイツで買った 一番お気に入りの靴
半年ぶりに見たら ヘビ皮の部分が剥げ落ちてた
捨てるに捨てられず何とかならないものかと 超不器用な私が修理に挑戦

ホームセンターに行った、 皮はなかったが 重歩行で防水の床シートを見付けた
材料はあるもので採寸 貼り付けした
三時間の悪戦苦闘 奇跡的になんとか貼り直した
できないと思ってたがやればできるんじゃない。(ワオーって驚き)
来週大阪のパーティーに履いて行こうかなと、、、、。剥がれないことを祈る
庭のキンカンが鈴なり 今年のは甘みが強い
梅も昨日はつぼみだったのに今朝がた花開いた
そうだ 梅酒はどうなってる???。
毎年梅酒を作り 人にあげてるが 床下収納庫あけたら奥のほうに2008年に仕込んだのが出てきた
茶色になり 澱(おり)も多いが味見したら 下戸の私でも美味しさがわかる。
三寒四温 また寒さもぶり返すだろうが 間違いなく春はすぐそこまで来ている。
伊豆の河津桜が満開とのニュースがテレビで流れてる
私の大好きな季節が来る
田中トシオ
雪の越後路
古い友人が勲章をもらい、その祝賀会で新潟に行ってきた
三国峠の近く、群馬のトンネル前はうっすらの雪景色
川端康成の「雪国」
「長い国境のトンネルを抜けると そこは雪国だった。」
その通りの荒涼とした厳しい雪の山々が連なっていた
その舞台の 湯沢あたり、「駒子」が見ていた越後は真っ白の雪景色だった。
約30年前 わたしの産まれ故郷の新潟に「田中トシオ教室」を設立した
その初代会長に 森山満男さん、そして副会長に大石生男也さんがなってくれた。
そのころから新潟通いが始まり 年四、五回になった 伊藤次郎さん 清水義男さんはじめ多くの仲間が集った
みんな若かったが いまや勲章をもらう年になってしまった。
新潟には弟子が沢山頑張っているが いつの間に、組合の支部長や役員になっていた
時の流れにそれぞれの人生の歴史を刻んでいた。
自宅に戻ったら 我が家のドラセナが三年ぶりに白い花が咲き
むせかえる程甘く香しい匂いが二階まで漂っていた。
近くを散歩すると菜の花も満開になっていた
立春も過ぎ 自称猫年うまれの私は春を待ち詫びているが 余りにも季節の移ろいが早すぎ
単純に年を重ねることに喜べず恐怖感さえ覚える瞬間さへある。
その中で若い子がパリの世界大会を目指したいと挑戦して髪ingの選考会を見事パスした
今 本気で技術を追求する子が減って来たがこの子達を必死(ホント)に支えたいと思う。笑
私のできることは 次世代に繋げることしかないが 一日一日生き抜き、私の技を伝える義務を果たしたいと思う。
田中トシオ
武者小路実篤一枚の絵
両親は病気 借金は山ほど 好きでなった訳でなく 仕方なくなった理容師
いつも逃げ出すことしか考えてなかった二十歳前
一枚の絵と出会う
武者小路実篤 「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」
なんの能力も無い私に神様が与えてくれた「この道」しかないと 教えてくれた絵
以来 ぶれることは一度も無く 愚直に「この道を歩いてきた」
一枚の絵は 私に一生にわたり大きな影響を与え 支え続けてくれた凄い言葉
迷い 悩み 転職で抜け出したい そんな時ばかりの人生
それが仮に貧しくとも 「一生一職」を貫く尊さ を教えてくれた
まだ燃え尽きてないローソクは燃え尽きるまで私は職人魂で続く
それが夢に繋がり 不器用者でも落ちこぼれでもいつかてっぺんを目指せるようになった
一年365日の練習で踏ん張り通せた言葉
いつか私の「絵ことば」にもつながって来た
「辛い」
つらいとも からいとも読める
実篤の言葉は私にとって つらいのも からいのも 人生は「甘い」ばかりでなく
幾つもあって織なす人生のスパイスだと 振り返ればそう思える
「赤ワイン」「白ワイン」 「ジュース」 「生」で食べるのも良い
私は私 ブドウはブドウ 新鮮でも何年かかっても熟成すれば良いのかなと思う
今年もよろしくお願い致します
田中トシオ
















