「日本人て、『有難う』を言ふのがヘタぢやないですか」
 
 数寄屋橋の小料理屋で飲んでゐるとき、連れの国際線のフライトアテンダント(つまり、昔のスチュワーデスです)が言ふ。彼女があまりに「有難う」を連発するので、「あなたは『有難う』を言ふのがうまいねえ」とぼくがお世辞を言つたときである。
 
 店の若女将が料理を運んできて、先に彼女のまへに皿を差しだす。彼女は「ありがたう」と女将に笑顔で応へる。
 
 発音を正確に記せば、「ありがたう」ではなくて、「アリガト」である。文字にすると四文字だが、発音はごく短く、ア、リ、ガの三音に聞こえる。
 
 若女将が新しい銚子をもつてきて、まづ彼女に注ぐ。「アリガ」
 最後の甘味も、まづ彼女のまへに置かれる。「アリガ」
 
 バーで老バーテンダーが、作つたばかりのカクテルの、細いグラスの脚に指を添へて彼女に押しだす。「アリガ」
 トイレから戻つた彼女に、近くにゐた若いボーイが椅子を引いて迎へる。「アリガ」
 
 それは明らかに日本語の「有難う」ではなく、どこの言語か知らないけれど、別の単語の「アリガ」なのだが、音はきはめて「有難う」に似てゐるから、言はれた方は四文字だらうが三文字だらうが「有難う」の意味に解釈する。
 
 ぼくの印象では、彼女の言ふ「アリガ」は、曖昧模糊を信条とする日本語の中でも、最高に便利で応用範囲が広くて、しかも否定肯定、悪意好意、いかやうにも解釈できる、あの意味不明の三文字ーー「どうも」に近い。
 
 「有難う」には、関西料理の薄味程度にしろ、かなりの味はひで「感謝します」の意味がこめられてゐるのに対し、彼女の発する「アリガ」には、ほとんど感謝の意はない。 「どうも」ほどの挨拶言葉なのである。
 
 いちいち感謝の意味を込めて「有難う」を言ふのは億劫な日本人でも、「どうも」くらゐの軽さならいつでも言へるだらう。このフライトアテンダントは、世界を飛んで世界中の客と接するうちに、西欧人などの軽い「サンキュー」を「アリガ」と翻訳して使つてゐるのではないか。
 
 しかし、「日本人は『有難う』を言ふのがヘタ」と言はれて、思ひ当たるフシがなくもない。
 ここで「有難う」を言へばいいんだなと分かつても、ぼくはどうしても家人に向かつてそれを素直に言へない。照れくさいや。
 
 ある社会奉仕団体から頼まれて、中東難民について小一時間の「卓話」をした。
 
 文字通りの「テーブルスピーチ」で、いま世界中で6000万人を超えたといはれる難民問題について概括的な解説しかできなかつたが、70人ほどの参加者のうち数人から、会合のあと同じホテル内の喫茶室に誘はれた。
 
 そこで真つ先に名刺交換した若手の都議会議員は、小太りで額をてかてか光らせ、見るからに野心家といふ風貌の四十男である。
 
 「さきほど紹介された経歴では、長年、国会で政治記者をやられたといふことですが、中央の政治家になるには何がいちばん必須の才能だとお考へですか」
 
  政治家に必須の才能はなにかと問はれても、一言ではなかなか答へやうがない。
 政治に必要なカネをバレないやうに集める才能、他人を臆面もなく押しのけて上に立つ才能などと本当のことを言ふのも、一応都議会議員をしてゐる初対面の人間に対して失礼だらう。
 
 「政治家に必須の才能ですか。ーー敢へていへば、いかなる才能とも無縁でゐられる才能でせうか」
 
 ぼくが返事に窮してわけのわからないことを言ふと、男は突然、スーツの内ポケットから黒い手帳を取り出し、
 「なるほど、なるほど。『いかなる才能とも無縁でゐられる才能』ですね」
 と、百円均一で売つてゐるやうなボールペンで手帳にメモし、しきりに感動してゐる。
 
 聞くと男は、地元の状況がゆるせばいづれ国政選挙に出たいのだと言ふ。
 「ほかに何か、国会議員になるためのアドバイスはありますか。どんな小さなことでも」
 
 男はまだ何かメモしようと構へて、ぼくの顔をみる。その目があまりに熱心なので、昔、桜内義雄(元衆院議長)から聞いた「政治家3か条」を口にした。
 
 1、あらゆる会合に出席する際は、かならず3分間スピーチを用意して行くこと。会合の趣旨、主催者の経歴、出席者の特徴などを事前に調べ、スピーチに入れること
 
 2、会合では、上座を勧められたら一度は遠慮し、なほも勧められたら恐縮しつつ上座に着くこと。会合のあひだ、上座にゐるのと下座にゐるのとでは、出席者に与へる印象がまるで違つてくる
 
 3、一晩に三つの会合に出るときは、最初の席では前菜だけ、次席では主菜だけ、最後の席ではデザートだけに手をつけ、どれもきれいに平らげること。一品づつでも、きれいに食べると主催者は満足する
 
 「なるほど、なるほど。これが大物政治家の裏ワザなのですね。いやあ、さすがだなあ。今日は勉強になりました」
 と言ひながら、若い都議はいま書いた自分のメモを小声で朗読する。
 
 相手の熱意にほだされて、ぼくは(講演料もないのに)少々しやべり過ぎたなと思つたが、じつくり話を聴いてくれたのは嬉しかつた。講演でもさうだけれど、聴衆がこちらの発言をメモする風景は悪い気はしない。
 
 彼は大切な経典でも扱ふやうに手帳を頭上に捧げ、静かにスーツに仕舞つた。
 そのとき、ふと思つた。
 
 他人の話を聞くとき、手帳を取り出していちいちメモをとるのは、もしやこの地方政治家がはやくも身につけた「裏ワザ」だつたのではないか。ぼくはそれにハマつた。 
 政治関係の評論家や現役記者がつどふ新年会の余興で、「いま、世界でもつとも”道徳的”な指導者はだれか」といふ設問が出された。
 
 出題した主催者からは、ここでいふ「道徳的」とは、「自分自身に正直であること」 「確固とした政治的使命感を持つてゐること」の二つを基準にして、一個人として、かつ国家の指導者として「道徳的」であるかどうか判断してほしいと補足説明があつた。
 
 その結果、最高の票を集めたのはーー北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第一書記である。
 50人ほどの投票で、いづれもかつて永田町を仕事場にしたり、いまも永田町で働いてゐるメンバーだから、もう少し穏当かつ現実的な名前がならぶかと思つたが、金正恩の次は「イスラム国のリーダー」、3位はロシアのプーチン大統領だつた。
 
 このランクづけは、主催者である雑誌編集者がわざわざ補足説明を付け加へた2項目の基準に引きずられた感じもあるし、この新年会のひらかれたのが北朝鮮の言ふ「水爆実験」の実施直後だつたといふ事情ももちろん影響してゐるに違ひないけれど、実はぼくも金正恩に一票を投じたひとりである。
 
 迷ひはなかつた。この北朝鮮の三代目あんちやんは、雑誌編集者のいふ「自分自身に正直」である。彼がいま一番恐れてゐるのは、第2のサダムフセイン(元イラク大統領)、第2のビンラディン(テロ組織アルカイダの元指導者)になることだらう。
 
 アメリカの銃口はいつでもこの少々やんちやなあんちやんに向いてゐる。アメリカがその気になれば、一週間で殺される。だから「水爆」を片手にアメリカと同じテーブルに着き、自己の生命の保証を取りつけたい。極めて「自分に正直」である。
 
 祖父の金日成(キム・イルソン)から金正日(キム・ジョンイル)に引き継がれても為し得なかつた「北朝鮮を超大国と比肩する存在にしたい」といふ悲願こそ、金正恩の政治的使命だらう。それなりに「確固とした使命感」を抱いてゐるといへる。
 
 1980年9月、ぼくは北朝鮮・ピョンヤン郊外の「招待所」といふ名の別荘で金日成主席と握手する機会があつた。自民党アジア・アフリカ研究会の訪朝団に随行してゐた。
 
 訪朝団と金日成の会談の場で、ぼくはそつと主席の右うしろに回り込んでカメラを向けた。驚いたやうに北朝鮮の警護の数人がぼくを排除しようとする。
 
 金日成の右うしろ首には夏ミカンほどの巨大なコブがあり、悪性の病気ではないかとの噂も絶えなかつたのだが、肝心のコブの写真は公表されてゐなかつた。ぼくはそれを自分の手で撮りたかつた。
 
 警護の屈強な男たちがぼくのカメラに手を伸ばさうとした瞬間、会談中の主席が急に右手をあげ、「構はないよ」といふやうに男たちを後ろに下げた。ぼくは1枚だけ撮影して、すぐ随行記者の位置にもどつた。
 
 主席は当時、もちろん不可侵で絶対の権力者だつたが、それは周囲が点数稼ぎで過度におもんばかつて、「神のやうな独裁者」に祀り上げてゐるだけではないのか、と思つた。本人はコブの噂なんかあまり気にしてゐなかつたのかもしれない。もしやいま、孫の金正恩も同じやうな位置にゐるのではないか。
 
 「自分に正直」であることは悪いことではない。「確固とした使命感」を持つのも悪いことではない。時にそれが周辺にとつて迷惑になることはあるだらうが、どんな人間だつてその存在はつねに誰かにとつて迷惑なものだ。
 
 第2次世界大戦を引き起こした旧日本軍といふアツモノに懲りて、戦後の日本教育は「自己」とか「使命感」とか「欲望」などといふ、人がだれしも大切にすべき情念、それこそが人を「道徳的」にする徳目を、フーフーとナマスを吹いて警戒するやうに怖がる風潮がある。
 
 その代はりに大手を振つて闊歩するやうになつたのが、「環境を守れ」「平和憲法を死守せよ」「差別はなくせ」「世界平和を」などの美辞麗句だ。だれもが正面切つて反対しがたいやうな「きれいごと」が、黴菌のやうに世にはびこり始めた。
 
 戦後70年も過ぎた。そろそろ戦後教育の迷妄を排して、「きれいごと」の偽善から脱する時期ではないか。