ある社会奉仕団体から頼まれて、中東難民について小一時間の「卓話」をした。
 
 文字通りの「テーブルスピーチ」で、いま世界中で6000万人を超えたといはれる難民問題について概括的な解説しかできなかつたが、70人ほどの参加者のうち数人から、会合のあと同じホテル内の喫茶室に誘はれた。
 
 そこで真つ先に名刺交換した若手の都議会議員は、小太りで額をてかてか光らせ、見るからに野心家といふ風貌の四十男である。
 
 「さきほど紹介された経歴では、長年、国会で政治記者をやられたといふことですが、中央の政治家になるには何がいちばん必須の才能だとお考へですか」
 
  政治家に必須の才能はなにかと問はれても、一言ではなかなか答へやうがない。
 政治に必要なカネをバレないやうに集める才能、他人を臆面もなく押しのけて上に立つ才能などと本当のことを言ふのも、一応都議会議員をしてゐる初対面の人間に対して失礼だらう。
 
 「政治家に必須の才能ですか。ーー敢へていへば、いかなる才能とも無縁でゐられる才能でせうか」
 
 ぼくが返事に窮してわけのわからないことを言ふと、男は突然、スーツの内ポケットから黒い手帳を取り出し、
 「なるほど、なるほど。『いかなる才能とも無縁でゐられる才能』ですね」
 と、百円均一で売つてゐるやうなボールペンで手帳にメモし、しきりに感動してゐる。
 
 聞くと男は、地元の状況がゆるせばいづれ国政選挙に出たいのだと言ふ。
 「ほかに何か、国会議員になるためのアドバイスはありますか。どんな小さなことでも」
 
 男はまだ何かメモしようと構へて、ぼくの顔をみる。その目があまりに熱心なので、昔、桜内義雄(元衆院議長)から聞いた「政治家3か条」を口にした。
 
 1、あらゆる会合に出席する際は、かならず3分間スピーチを用意して行くこと。会合の趣旨、主催者の経歴、出席者の特徴などを事前に調べ、スピーチに入れること
 
 2、会合では、上座を勧められたら一度は遠慮し、なほも勧められたら恐縮しつつ上座に着くこと。会合のあひだ、上座にゐるのと下座にゐるのとでは、出席者に与へる印象がまるで違つてくる
 
 3、一晩に三つの会合に出るときは、最初の席では前菜だけ、次席では主菜だけ、最後の席ではデザートだけに手をつけ、どれもきれいに平らげること。一品づつでも、きれいに食べると主催者は満足する
 
 「なるほど、なるほど。これが大物政治家の裏ワザなのですね。いやあ、さすがだなあ。今日は勉強になりました」
 と言ひながら、若い都議はいま書いた自分のメモを小声で朗読する。
 
 相手の熱意にほだされて、ぼくは(講演料もないのに)少々しやべり過ぎたなと思つたが、じつくり話を聴いてくれたのは嬉しかつた。講演でもさうだけれど、聴衆がこちらの発言をメモする風景は悪い気はしない。
 
 彼は大切な経典でも扱ふやうに手帳を頭上に捧げ、静かにスーツに仕舞つた。
 そのとき、ふと思つた。
 
 他人の話を聞くとき、手帳を取り出していちいちメモをとるのは、もしやこの地方政治家がはやくも身につけた「裏ワザ」だつたのではないか。ぼくはそれにハマつた。