その地では名高い教育者の娘だつたぼくの母親は、今になつて考へると、おそらく父親譲りの、かなり頑迷な教育哲学を持つてゐて、それを一人息子に徹底的に叩き込まうとしました。
「みんながやることはやらないで」
「みんながやることをやつて何が面白いの。どんな意味があるの」
中学生のとき、同級生のあひだに水色のナイロン・ジャンパーが流行しました。愛称「ナイジャン」。
男子生徒のほとんどが、まるで指定制服のやうにそれを着て登校、通学路の公園にある大きなボート池の土手を行く朝の行列は、遠くから見ると水色の巨大な毛虫のやうでした。
ぼくもナイジャンが欲しい、と母親にせがむと、
「あんなもの、どこがいいの。第一、ナイロンなんて。――ついて来なさい」
母親はぼくをデパートへ連れて行き、ふかふかで真つ白な、ウール100%の、ブランド物のハーフコートを買つてくれました。
それを着て学校に行くと、同級生たちは何やかやと冷やかしながら、きたない手でぼくのコートを触りまくるので一日で真つ黒になります。
帰宅すると母親は、「慣れれば、みんな意地悪をしなくなります。辛抱しなさい」と、ベンジンを含ませたガーゼで汚れを一つ一つ拭き取つてくれました。
大学生になつて、夕方、地方出身の級友たちは大学の周りの雀荘や誰かの下宿に寄つて、麻雀と酒でさわぐのが習ひでした。当時はまだ、学生の暇つぶしといへば麻雀と酒が主流でした。
「麻雀なんて何が面白いの。みんながやることはやめなさい。もつとプライドを持ちなさい。そんな時間があつたら、あなたには稽古してほしいことがある」
茶道の師範をしてゐた母親は、ぼくを東京・湯島にある某流派の理事長のもとに紹介、最終的にはその流派で茶名・無為庵雄雪の看板をもらふまで十年以上も稽古に通はせました。
就職すると、職場では年に数回ある新聞休刊日の恒例行事がゴルフコンペでした。
「ゴルフなんて、今ぢや犬でも猫でもやるぢやないの。やめておきなさい。そんな暇とお金があつたら、ワインでも勉強したらどう? ワインは楽しいわよ」
同じやうな理由で、競馬もパチンコも禁止でした。
もう母親にあれこれ言はれる歳ではなかつたのですが、実のところ、ぼく自身も母親の言ふ「みんながやることはやらない」といふ生き方にひそかに魅力を感じてゐました。
その根源は、母親が担任教師に掛け合つてくれて、まづい学校給食を拒否した小学校時代の経験にあります。
給食の時間、みんなががやがやと給食係の配る給食を食べるとき、ぼくだけ悠然と、静かに、持参の弁当の風呂敷をひろげるのは、快感といへば快感でした。
「みんながやることはやらない」のも確かに面白いかなといふ実感が、おそらくあのとき体に植ゑつけられたのです。
ぼくが純粋に自分の意志で動き、結果として母親の教育哲学を実践することになつたのは、十代のをはりごろから学習した歴史的仮名遣ひです。
このことを知つたときの母親の満足さうな表情は忘れられません。
「いいことです。でも、一度始めたなら生涯つらぬくのよ。途中で妥協したりしたら駄目ですよ」
そんな母親の唯一の趣味は、「新柄が入荷しました」と馴染みの老舗きもの店の主人が家まで見せに来る生地を入念に選んで、新調のきものを着て銀座の歌舞伎座へ芝居を観に行くことでした。
――かくしてマザコン老人は、ここまではどうにか母親の教へを忠実に守り通してきたのですが、近年、やや不安なことがあります。
老醜といふ問題です。皮膚はたるむ。髪は薄くなる。軽捷な体の動きができなくなる……これだけは、「みんながやることはやらないで。プライドを持ちなさい」と言はれても、ひとり線路を外れるのは難しさうなのです。
