8月から9月にかけて、身辺に「イヤなこと」が続発した。

 

 あくまでも個人的にイヤなことであつて、他人様からすればいづれもとるに足りない些事ばかりなのだが、ぼくにとつては「2020年夏」が凶々(まがまが)しい色の記憶として留まることは間違ひない。

  

 ある晩、ふだん遣ひのボルドー型のワイングラスをいつものやうに洗つて、水切り用の針金の上に皿や鍋とならべて置いた。次にナイフとフォークを洗ひ、ワイングラスの脇にならべた。

 

 その手を引き上げるとき、小指がワイングラスの上辺(うはべり)にちよつと触れた。

 よくあることで、いつもならグラスは少々揺れてもすぐ元に戻るのに、ぼくの置き方が不安定だつたのか、揺れたはずみでグラスは横倒しになり、立てかけてあつた皿の端に当たつた。

 

 チチッと秋の虫の鳴くやうな、ガラスの割れるかすかな音がした。

 音はかすかだつたが、グラスは薄い縁から腹にかけて大小のひびが縦横斜めに走り、ぎざぎざに割れた鋭い断面が山型に切り立つて残つた。

 

 上等なグラスではない。贈答用の赤白ワインセットの真ん中に付いてくる安物のグラスである。

 

 しかし、それだけに頑丈で、なぜか寿命が長く、三十代の頃から四十年、毎晩使つても割れることがなかつた。いかにも生活道具といふ感じで好きだつた。

 

 翌日の夕方、ことしの不順な気象にふさはしい激越な雷雨があつた。

 

 居間にゐたら、玄関口に隕石でも降つてきたかと思ふ、危険な轟音がした。見に行くと、以前から雨漏りしてゐて修理しなければと考へてゐた半円形の玄関ポーチの真ん中あたりに、ミカン箱ほどの空洞が黒々とあいた。

 

 数日後、寝室のエアコンの室内機が突然動かなくなつた。20年ほど昔、室外機にヤモリが入り込み感電死したのが原因で故障して以来、久しぶりにダイキンに出張修理を依頼した。

 

 エアコンなしでは寝られない夜だから、隣の書斎の室内機を26度に強め、ドアを開けつ放しにし、扇風機で冷風を寝室に導いて寝た。

 

 同じころ、パソコンで残高を調べたり送金したりする某銀行のダイレクト機能に何者かが不法に侵入、銀行の予防措置でシステムがダウンした。

 

 最寄りの銀行へ行つて合言葉など再申請して復活の手続きをしたものの、完全復旧までに二週間かかつた。

 

 この夏のイヤなことはもう一つ。リタイアしてから12年間も続けてきた新聞社系カルチャーセンターのエッセー講座が、コロナ不況の影響か、新聞社がセンターそのものを閉鎖することになり続けられなくなつた。

 

 10月からカルチャーではなく個人の塾として新たにスタートすることになつたが、猛暑の午後、新聞社から閉鎖の電話を受けたときは、「これも2020年夏の珍事か」と感じた。

 

 まさにあれこれ重なつた夏だつた。

 だがこんなとき、生来楽天主義のぼくの特技が功を奏する。

 

 「次から次といろいろなことが起きてイヤになつちやふ」などと「マイナス」を重層的に受けとめないで、一つ一つ分散処理する世知である。

 

 ワイングラスが割れたのは喜寿の手先が滑つただけ、玄関ポーチやエアコンはもはや寿命、銀行の不具合は実害ゼロ、カルチャー閉鎖に至つては「災ひ転じて福となす」――。

 

 マイナスにマイナスを掛ければプラス、といふこともある。

 一時流行つた「醤油顔、ソース顔」にならつて、人のタイプを「うどん派、そば派」に区分する見方があるという。

 

 どちらが好きか、といふ嗜好による分類ではなくて、敢へていふならその人がどつちのタイプかといふ分類らしい。

  

 時宜の話を持ち出すなら、安倍首相はそば派、菅官房長官はうどん派かなあ。

 

 タイプとなるとどちらか分からないけれど、麺類の好みでいへばぼくは文句なくそば派である。

 

 うどんは一年に一度食べるかどうか程度で、町のうどん屋には入つたことがない。

 

 逆に蕎麦屋は日本酒が飲みたくなると気楽に暖簾をくぐり、天麩羅うどんの「サキ」で一杯やるのは楽しい。

 

 この両者の違ひには、おそらく、ぼくの幼児期のうどんの置かれた社会的地位が関係してゐる。(たかがうどんの話が、エライことになつてきました)

 

 太平洋戦争の終戦二年前に生まれたぼくは、戦後の食糧難の時代、いやといふほどうどんを食べさせられた。

 

 「ナカちゃん、けふの夕食はアレにしない?」

 病弱の母が郷里から住み込みで呼んでゐた若い女中は、母にかう言はれると待つてましたとばかりに準備を始める。

 

 彼女の最高の出番なのである。

 

 台所の隅に立てかけてある一メートルほどの、警察官の父が常々腰に付ける警棒の親玉のやうな「麺棒」を取り出す。

 

 同時に、大量のメリケン粉をボウルに放り込み、塩、水を注いで、手で思ひきり掻き混ぜる。

 

 粉が固まりだしたら、前後左右に回したり裏返したりして、最後は新聞紙を敷いた上で、麺棒をあやつりながら平らに、円く均していく。

 

 出来上がつた生地を包丁で細く切れば自家製「手打ちうどん」の出来上がりだ。

 

 ろくに米や麦もない時代に、貴重な代用食だつた。これにナスやニンジンのてんぷら、卵焼きでも付けば歓声を上げるほどのご馳走である。

 

 しかし、週に何度もこれが出ると、子供心に、もう少しマシな料理がないものか、ウチは母が弱いから夕食のレパートリーが狭いのか、などとわが身の不幸を嘆いた。

 

 うどんは、それ自体にほとんど味がない。香りもない。つけ汁は醤油味だが、これでは小麦粉に醤油をつけて食べるやうなものではないか。

 

 当時、父親の友人でときどき遊びに来る五十男がゐた。

 

 使用済みの割り箸を使つたアイスキャンデーの町工場を経営したかと思つたら、数年でつぶれ、つぎに豆腐屋を始めたがこれもうまく行かない。

 

 次々と新しい事業に手を出すのは好きだが、自分では働かないからスタッフが次々やめてしまふ。小遣ひに困ると父親に無心に来る。

 

 「済みませんねえ。こんな物しかなくて」

 男が夕方訪ねて来ると、母は酒を出し、最後に申し訳なささうに手打ちうどんを出した。

 

 まれなご馳走の手打ちうどんを、である。

 

 「なんの、なんの。うどんにオセエは要らねえがねえ」

 

 ぼくは「オセエ」とは男の方言で、どうやら「お惣菜」の意味かと解釈しながら、いつも夜遅くまで飲んではうどんで腹ごしらへして帰つていく「父の友人」を苦々しく眺めてゐた。

 

 ぼくがうどん派でなくてそば派になつた背景には、そんな時代の記憶があるらしい。うどんよりも蕎麦の方が品がいい、といふ先入観が消えない。

 

 

 大手新聞社が首都圏18か所で展開するカルチャーセンターのうち、中堅の2つのセンターを年末で閉鎖することを決定しました。

 

 業種を問はず、コロナの災厄で店を閉めるのはいまどき珍しくもありませんが、この世界的な疫病の波がたうたう自分の足元にまで押し寄せてきたかと思ふと、時代の末端で生きてゐるのだといふ実感がわいて、妙に感動します。

 

 といふのは、ぼくは閉める2つのセンターのうちの一方で、新聞社をリタイアしてから12年間、「エッセーを書く」といふ文章講座を続けてゐるのです。

 

 受講者は現在15人ほどで、現役のサラリーマンもゐますが、ほとんどは子供の手が離れた中年主婦や、お孫さんとのテレビ電話が至上の楽しみの老女、旅行好きな閑雅な老夫婦、ネコを8匹も飼ふ教師、気ままな一人暮らしを愉しむ80男などで、センター閉鎖が発表されると、受講者が話し合つて「いかなる形態でもいいから、講座は続けてほしい」といふ要望書を持つてきました。

 

 このところ広告収入の激減や、「新聞を読まない」若者が増えて定期購読者が減少するといふ苦悩をかかへる新聞社が、赤字続きのカルチャーセンターを切るのはやむを得ないことですが、ここで受講してゐる人たちは新聞の大事な購読者ですから、センター閉鎖に怒つた受講者に新聞をやめられたら困ります。

 

 ぼくがカルチャーで講座を開いたのは、41年間お世話になつた新聞社へのご恩返しのつもりで、ことし喜寿を迎へたことだし、閉鎖を機に講座をやめようかとも考へたのですが、新聞社からの要請もあつて、10月期から「〇〇のエッセー塾」といふ、本名を冠した私塾の形で続けることになりました。

 

 いつもワインを飲みに行くブラッスリーの個室を借り、講座の中身は今と全く同じ形で、月に4日ひらきます。カルチャーと違つて、ここでは講座中にコーヒーやジュースが飲めます。

 

 今のセンターがJR駅のコンコース直結なのにくらべ、新教室は駅から8分ほど歩かなければなりません。

 

 でも、受講料は新聞社の取り分がなくなつたのでほぼ半額。結婚式場併設のお店ですからコロナ対策も完璧で、当初、ぼくは10月期は今のまま継続と思つてゐたのですが、「善は急げ」といふ受講者の声で10月から急遽切り替へることになりました。

 

 時代を反映して、受講者からは「パソコンを使つてリモートの講座をやれないか」といふ要望が出ました。

 

 これはお断りしました。今もエッセーの提出と添削はパソコン経由ですが、講座そのものは直接、教室で顔を合はせて、お互ひの目を見て、でなければ文章の指導などできません。

 

 最近、新聞でも雑誌でも、安直な表現、をかしな文脈、稚拙な構成の記事や文章が多くなつた気がしませんか。

 

 あれはおそらく、編集者やデスクが執筆者とリモートのやり取りで済ませるやうになつたせゐです。