一時流行つた「醤油顔、ソース顔」にならつて、人のタイプを「うどん派、そば派」に区分する見方があるという。

 

 どちらが好きか、といふ嗜好による分類ではなくて、敢へていふならその人がどつちのタイプかといふ分類らしい。

  

 時宜の話を持ち出すなら、安倍首相はそば派、菅官房長官はうどん派かなあ。

 

 タイプとなるとどちらか分からないけれど、麺類の好みでいへばぼくは文句なくそば派である。

 

 うどんは一年に一度食べるかどうか程度で、町のうどん屋には入つたことがない。

 

 逆に蕎麦屋は日本酒が飲みたくなると気楽に暖簾をくぐり、天麩羅うどんの「サキ」で一杯やるのは楽しい。

 

 この両者の違ひには、おそらく、ぼくの幼児期のうどんの置かれた社会的地位が関係してゐる。(たかがうどんの話が、エライことになつてきました)

 

 太平洋戦争の終戦二年前に生まれたぼくは、戦後の食糧難の時代、いやといふほどうどんを食べさせられた。

 

 「ナカちゃん、けふの夕食はアレにしない?」

 病弱の母が郷里から住み込みで呼んでゐた若い女中は、母にかう言はれると待つてましたとばかりに準備を始める。

 

 彼女の最高の出番なのである。

 

 台所の隅に立てかけてある一メートルほどの、警察官の父が常々腰に付ける警棒の親玉のやうな「麺棒」を取り出す。

 

 同時に、大量のメリケン粉をボウルに放り込み、塩、水を注いで、手で思ひきり掻き混ぜる。

 

 粉が固まりだしたら、前後左右に回したり裏返したりして、最後は新聞紙を敷いた上で、麺棒をあやつりながら平らに、円く均していく。

 

 出来上がつた生地を包丁で細く切れば自家製「手打ちうどん」の出来上がりだ。

 

 ろくに米や麦もない時代に、貴重な代用食だつた。これにナスやニンジンのてんぷら、卵焼きでも付けば歓声を上げるほどのご馳走である。

 

 しかし、週に何度もこれが出ると、子供心に、もう少しマシな料理がないものか、ウチは母が弱いから夕食のレパートリーが狭いのか、などとわが身の不幸を嘆いた。

 

 うどんは、それ自体にほとんど味がない。香りもない。つけ汁は醤油味だが、これでは小麦粉に醤油をつけて食べるやうなものではないか。

 

 当時、父親の友人でときどき遊びに来る五十男がゐた。

 

 使用済みの割り箸を使つたアイスキャンデーの町工場を経営したかと思つたら、数年でつぶれ、つぎに豆腐屋を始めたがこれもうまく行かない。

 

 次々と新しい事業に手を出すのは好きだが、自分では働かないからスタッフが次々やめてしまふ。小遣ひに困ると父親に無心に来る。

 

 「済みませんねえ。こんな物しかなくて」

 男が夕方訪ねて来ると、母は酒を出し、最後に申し訳なささうに手打ちうどんを出した。

 

 まれなご馳走の手打ちうどんを、である。

 

 「なんの、なんの。うどんにオセエは要らねえがねえ」

 

 ぼくは「オセエ」とは男の方言で、どうやら「お惣菜」の意味かと解釈しながら、いつも夜遅くまで飲んではうどんで腹ごしらへして帰つていく「父の友人」を苦々しく眺めてゐた。

 

 ぼくがうどん派でなくてそば派になつた背景には、そんな時代の記憶があるらしい。うどんよりも蕎麦の方が品がいい、といふ先入観が消えない。