東京にめづらしく8センチも雪が積もった(2月5日)翌日、家人が庭のコンクリート打ち放しの通路でころび、左の頬と額にすり傷をつくつた。

 

雪で滑つたのかといふとさうではなく、100年を越える老松から落ちて転がつてゐた無数の松ぼつくりの一つに片足をとられたといふ。

 

ところが、このすり傷が意外にも家人に大きな変化をもたらしたのだから世の中はおもしろい。

 

一つ目は、その日から家人にとつて顔の傷が「世界の最大関心事」となつて、それまで家事の合間に何度となく繰り返してゐた「あ~あ」「ふう~」といふ“老人性溜息”が消えた。

 

老いよりも、当面、顔の傷にすべての注意が向かつたのだ。

 

二つ目の変化は、「この傷、サングラスでもかければ、それほど目立たないかしら」などと、何年ぶりかで少々しやれつ気が出た。

 

80媼、実は70代半ばごろから、薄毛や白髪や肌の張りなど、ごく当たり前の老醜を世にさらすことをあまり気にしなくなつてゐた。

 

「どう隠したつて、もうムリだから」

 

女性らしい外見の補正意欲を喪失、よくある“年寄りのいぶせし日々”に安住するやうになつた。

 

いはゆる「女を捨てた」のである。この歳になれば、そのこと自体をことさら責めるわけにもいかない。

 

変化の三つ目は、ぼくの目からするとこれが最大の変はりやうで、歳からくる皺や乾燥でどうみても艶冶なところのない、平板で、躍動感の乏しい“老け顔”が、頬と額に赤いすり傷が誕生したことで、あたかも真つ白い封筒に花模様の切手でも貼つたがごとく、顔にアクセントが生まれた。

 

のつぺらぼうだつた目鼻立ちに、人目を集める箇所ができて、立体感が備はつたのである。

 

と言つても急に美人に変はるはずもなく、単にすり傷のおかげで顔に一点、チャームポイントが出現したに過ぎない。

 

そこで思ひ出したのは、歌舞伎の当たり演目の一つ「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」の名台詞。

 

「面(つら)に受けたる看板の 疵(きず)がもつけの幸(せゐうへ)に」

 

とすごむ「切られ与三郎」ぢやないけれど、傷ができたおかげで何も起こらない老境の日々に、若干でも刺激が生まれたのだとすれば、これは「もつけの幸ひ」といふしかない。

 

まさかこれを機に、与三郎さんのやうに「切られ与三と異名をとり、押借(おしがり)強請(ゆすり)は習はうより、慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんやだな)」―-なんて突然変異して、あらぬ稼業でひと儲けするやうなことはないでせうけど。

​​​​​​

 

20代のをはり、新聞社の地方支局から本社に上がつて政治部に配属されたころ、日々の単純な特ダネ競争に空しさを感じ、居酒屋で一杯やりながら先輩に苦衷を打ち明けた。

 

 「そんな深刻に考へることない。毎日毎日、抜いた抜かれたの繰り返しに飽きがくるのは俺たちの職業病。もし抜かれたら、『あれは5点ネタ。あす、10点ネタで追ひ抜いてやる』みたいな、一種の“ゲーム感覚”で仕事を楽しめばいいんだよ。9回裏で1点上回つてゐれば勝ちなんだから」

 

実はぼくは、この“ゲーム感覚”が生来苦手だ。ゲームといふものにあまり馴染みがない。

 

子どものころ、近所の友だちとベーゴマ、ビー玉、メンコ、野球といふやうな遊戯をやることは母親から口うるさく禁じられてゐた。

 

大学生になつて、みんなが帰りに雀荘やパチンコ屋に寄るのにも、父親が警察官だからとい自妙な理由で自制して同調しなかつた

 

日々の生活でも“ゲーム感覚”は欠如していた。

 

競馬などのギャンブルは遠ざけ、自分とは縁のないものと勝手に決めてゐた。

 

わが家では正月に親戚や友人が集まつても、双六やカルタ、福笑ひなど、いはゆるゲーム遊びに類するものはだれもやらなかつた。

 

二人の姉が母親と百人一首に興じてゐるのを見たことはあるが、長姉と13歳、次姉と7歳も歳の離れた末つ子は加へてもらへなかつた。

 

いはゆるゲームとは縁遠い23歳は、社会人になつて初めて、自分が育つた環境の特異なことに気づいた。

 

新聞記者といふ職業は、「待ち」の時間が長い。地方では、県庁でも県警でも市役所でも、どの記者倶楽部にも奥の一画に麻雀卓があり、記者たちはそこにたむろして、事件や記者会見に備えて賭け麻雀をして待機する。

 

そんな時間、ぼくは近所の喫茶店へ行き、ひとりコーヒーを飲んで過ごした。

 

携帯電話もない時代、喫茶店からのんびり記者倶楽部に戻ると、部屋には誰もゐない。

 

火事があり、焼死者が出たといふ。あわてて50ccのバイクで駆けつけたが、現場には放水でビタビタになつた焼け跡があるだけ。

 

わが一紙の県版だけ、燃えさかる写真がなかつた。

 

幼児期からの“ゲーム感覚”の欠如は、ぼくにどれだけ損失を与えたことだらう。

 

さういへば若き日の恋愛ゲームも不得手だつたし、仕事では取材相手との駆け引き、会社内では自分の出世や人事をめぐる工作、生活する上での契約や交渉など、誰もがゲーム感覚で普通にこなしてゐることの知恵も能力もなかつた。

 

とはいへ、ゲームの外にゐたことのプラスもあつたに違ひない。

 

人生の九回裏になつて、「どつちが1点多いか少ないか」ひそかに計算してみたりする。

「ねえ、見て。この人、ちよつと見ない間にずいぶん老けた」

 

 久しぶりにテレビドラマに出演した女優を見て、80媼目前の家人が若干、嬉しさうにつぶやく。

 

夕刊を読んでゐたぼくは何も言はない。

 

「ねえ、さう思はない? 昔は綺麗な人だつたけど」

 

その女優に特に関心がないぼくは、まだ黙つてゐる。

 

「ねえ、見てご覧なさいよ。ーー誰でも歳をとるのねえ」

 

この辺でぼくもテレビに目をやつて、「さうだねえ」とか「ホントだ。歳は争へないね」とか言へばいいのだらうが、関心がないものは関心がない。

 

自民党の派閥解消の記事を読んでゐたぼくは、相槌ひとつ打つのも面倒くさい。

 

しかし、三度の呼びかけを無視されただけで急に家人の機嫌が悪くなつたりするのだから、結婚55年の老夫婦は厄介である。

 

ぼくの経験では、「相槌」の大切さをいちばん感じてゐるのは政治家だ。

 

彼らは常々、選挙区で多くの有権者と接触しながら、性別老若を問はず、相手の言ふことを理解し、「話の分かる」「いい人」を演じなければならない。

 

政治家の相槌には三つのタイプがある。

 

<田中角栄タイプ>相手の質問、批判、要求などに対し、真つ向から「それはキミ、違ふ」と真摯に否定してから、滔々と自説を展開する。

 

<大平正芳タイプ>相手の発言後、数秒沈黙し、「あー、うーん」など自分の言葉を用意する間を置き、その後、理路整然、そのまま記事になる自説を説く。

 

もう一つは、<昔から多くの政治家のタイプ>相手の発言を受けて、それぞれ曖昧な表現で一応理解を示し、その後、自説を述べる。

 

具体的に言ふと、たとへばこのタイプの名手が、現在の官房長官の林芳正。

 

日々の官邸記者倶楽部との会見やテレビの討論番組などで私たちが目にする機会も多いが、外務、農水、防衛大臣など豊富な閣僚経験を、すべてそつなくこなしてきた技量は政界でも評価が高い。

 

林の相槌は「さうですね」である。

 

記者や番組司会者の鋭い質問に、いつも第一声は「さうですね」。

 

このことばには一見、相手の発言を肯定するニュアンスがあるが、実は林の言ふ「さうですね」は全く違ふ。

 

軽く「その件についてですが」と受ける程度の意味しかない。

 

「さうですね」と応じておきながら、林は続けて、質問者の言ふ趣旨とは全く関係のない、あるいはそれを否定する論旨を述べる。

 

ところが、「さうですね」と言はれた質問者は、一瞬でも気持ちが和らぐ。

 

少なくともいきり立つてゐた出ばながくじかれた感じがするに違ひない。

 

これが林のテクニック。これ、私たちの人間関係でも通用するのではないか。