人生さいごの日を自分で選べるなら、多分私は土砂降りの日を選ぶんだと思う。

雨の音を聴きながら終わりたいなと、思う。

それがお似合いだとも、思う。






改めて
朗読劇「アイを捧げてアイロニー」
ありがとうございました。

芥川役、そして脚本と演出を務めました。


今回、長編の脚本は初めて書かせていただいたので、拙い部分も多かったと思います。

あくまで素人に毛が生えた程度の私を採用して頂いた事、本当に運営様には頭があがらない思いです。


そして今回のブログではせっかくなので備忘録も兼ねて、この作品について書けることを書こうかなと思う次第です。

かなり長くなりますが、もしよければお付き合いください。



まずこの作品は、元は違うタイトルでした。
こんなイメージの作品にしようと思っています、と送った段階では

「心揺らして、君に」

というものだったんです。

それから色々ストーリーを練っているうちに、もう少しインパクトがあるもの、かつわかりやすいもの、という事で、あのタイトルに落ち着きました。


作品の大きなテーマのようなものは、台本のあとがきに書いたので割愛させていただきますが、更にそれを細かく書くと
「過去の私の昇華作業」のようなものだと思います。

本当はもっとストーリーしっかり練って、起承転結綺麗に作って、とか考えたんですが

今回は私が初めて脚本を書く意味が欲しいなと考えたんです。

私しか書けないものってなんだろう?
それを書くべきだよな、と。

その結果、過去の報われない私を少しでも綺麗にして形にしよう、となりました。


そこで調べたのは、私の過去作品です。

泣きながら書いたあの話、空を見上げて書いたあの話、どん底で書いたあの話、エトセトラ……。

たくさん書いてきた中で、私は何度も何度も同じテーマで作品を書いている。

「正義」「愛」「演劇」

この3つ。


よし、これだ、と思いました。



元々これが、正義と皮肉をテーマに書いた作品でした。
世の中の矛盾を指摘しているけど、それすら矛盾になっているぐるぐる巻きの構図。
この正義を善とするか?悪とするか?
それはきっと読む人次第なのだろうみたいな。
今作は結構これを基盤に置きました。

今作の世界観として、例え世界が『終わって』しまったとしても、彼女達の行為は認められるものなのだろうか?
確かに事件は起こしていない、無害な少数派かもしれません。
けれど、これが別の事例だったら?
演劇ではなく、もっと危ないものだったら?
彼女達の選んだ道は、本当に正しいのでしょうか?

か弱い正義は、見方を変えれば同情の骸な気もしますね。

結局これは私達の普段にも通ずる部分があると思います。
良かれと思ってやっている事が、裏目に出ているなんてザラなのです。

とはいえ、デカダンスとはナンセンス!

彼女達は演劇という武器を手に取った!

物語は既に始まっているのだー!!

という冒頭でした。




続いてこちらが「愛」についてです。
愛が禁止された世界の話。

ただ愛に限らず、禁止されたものには計り知れない魅力があるのです。
だからこそ禁止されるのですが、禁止された事によりその魅力は残酷にも増してしまう。

という事で、今回は演劇を禁止しようと思いました。

そうして生まれる背徳感や執着には、ロマンがありますからね。

禁止されたものに対しての話は、必然的にストーリー性が生まれてくるのです。



最後のテーマ「演劇」に関しては、私はほぼ全ての作品に置いて触れているので軽い説明に今は留めます。

演劇の話以外でも、みんな何かしら自分を演じている。対人関係が発生する時点で、皆少し無理をしている。
本当に信頼している関係値じゃない限りそうなると思うんですが、皆さんはどうですか?
1人で部屋にいる時と、誰かと話している時、全く同じ気持ちでいれる?

演劇って、なんだか仰々しい気もしますが、実際は「生きる」ことと通ずる部分がいっぱいあると思うんです。

だから私は演劇に、演じることに、「生きる」ことを見出したのだと思います。

演劇をした事がない人にも、どうにかそれを伝えたいなと、そう願って書き進めていきました。



ではここからは本編の流れに沿って、色々書いていきたいと思います。

冒頭の劇中劇については先程書いたので飛ばして……。



最初の梨本の長ゼリフ



このシリーズから来ています。
今作では梨本妹共々、演劇に魅了されていく。
喜怒哀楽に、自由に、惹かれていく。

実際、私自身も演じている時はとても楽しいんですが、それが終わったあとのお辞儀をしている時、多大なる幸福と寂しさが襲ってくるんですよね。

楽しかった、けれど終わってしまった。

もっとここにいたいのにな、と。

そしてステージから降りて暗い帰路を歩んでいる時、さっきとの光の差で苦しくなるのです。

また私はあの光を浴びることができるだろうか。

まだ、演じる事が出来るだろうか。

そんな事を思いながら帰る日が、何度もあります。



劇団ロイニアについて


ロイニアという名前は、アイロニーの文字を入れ替えたのものです。

そして、ロイ、ニア、という意味もあります。

ロイとは「赤」という意味があるのですが、赤は結構重要な色だなと。

赤って危険信号的な意味もありますし、異分子的な意味もありますし、レッドパージ、赤狩り、なんてものもあれば、逆に勝利の色として讃えられたり、なんとも都合の良い色なのです。

そして、血の色でもある。

そんなたくさんの意味を込めた「反乱」という言葉に限りなく近い組織ということで、劇団ロイニアとなりました。



芥川はどうしてアイドルという職を選んだのか



これは色んな意味がどんどん出てくるので、あくまで私の最初の意味合いだけ書くことにします。

私がアイドル好きだからー!!!!!!

アイドルって凄くないですか???

どんな辛い事や悲しい事があっても、ステージに立てばそこには限りなく完璧な偶像が出来上がるのです!!

プロ根性というか!!

かっけー!!!

夢を見させてくれる最強の存在だと思っています。


そして芥川は劇団ロイニアに入る上で、あまり干渉されにくい芸能関係者になったんだと思います。

その中でも、簡単に尊敬と距離感を得られるアイドルにしたのかなと。

実際彼女はずっとルールに従いながら生きてきたと思うので、ルールとはまた別の世界である職業に憧れを抱いていたら可愛いな〜。

あとは、アイドルという名前には「アイ」が入ってるので。



星について



今作では星がよく出てきます。
夜がメインの時間帯なのもあるんですが、星は一番わかりやすい「変わらない」要素なのかなと。

ずっとずっと昔から、変わらずそこにいる星々。

けれど毎時、位置を変えていく星々。

たくさんの色と、輝き方を教えてくれる星は、いつ何時も私達の上にある。

下を見るより上を見る人生であれよ!という気持ちも込めて、なるべく星や空を見上げる描写はいれた記憶があります。



楓原について



楓原は最初のディレクションでも「別に男っぽいわけではない」と伝えました。
口調が荒いのは、なりたくてそうなっているのではなく、環境的にそうなってしまっているのです。
幼い頃に母をなくし、男家庭で暮らしてきた楓原。兄と弟がいる中、自分も部活が出来ないほどバイトに明け暮れている。
でもそれが苦な訳では無い。友達もいる。充実もしている。

楓原は私からすれば結構楽しそうな人生だと思うんですが、多分決定打がなかったんだなと。

趣味、を作るタイミングをずっと逃して生きてきたんだろうなと。

普通学生は、何かしらに興味を抱き、それが趣味になると思うんですが、楓原は全てを平等に扱っていたからこそ、そのセンサーみたいなのが鈍かったんだと思います。

そして、人の死に様という、かなりのインパクトを得て、ようやくそのセンサーが動きます。

そこからやっと人生は色づき始めるのですが、いかんせん趣味の内容が人から理解されず、人も離れていくわ、バイトの時間も減らして演劇をしちゃってるから家族からの印象は最悪になるわでどんどん八方塞がりになっていく。

好きなことを認めてほしいのに、誰も、誰も認めてくれない。

どうしてだろう。

楓原はずっと悩み続け、それでも縋るように、やっと見つけた生きがいを楽しむのです。


田丸について


こちらの作品を少し引用しています。

私自身、かなりネガティブで悩みすぎる所を直したいと常日頃思っています。

世渡り上手の人って、そこら辺のかわし方が上手い人が大半だから、うらやましくって。

だから、気にしなくていい所は、気にしなくていいんだよ!と自分に何度も言い聞かせるんですが、気にしないようにしてる自分も気持ち悪くて嫌で嫌で。

無理ゲーでは?って、よく詰んでいます。

田丸は大学デビューをしたと言っていますが、ということはそれまでパッとしなかった人生を送っていたのかもしれません。

その差で、気持ち悪くなっちゃったのかもね。

演劇は見た目はそのままでも、中身を演じて変えられるから、それが田丸にとっては衝撃的だったのだろうか。

見た目に何も触れてこない劇団ロイニアの皆といる時間は、きっと楽しかったんだろうな。


皿嶋について


皿嶋は皿屋敷から名前が来ています。
なので皿嶋台本では、いちまーい……にまーい……的な意味で、ひとーつ!ふたーつ!と始まっています。
更に、1枚足りない……。ならぬ、言葉が足りない……。という小ネタです。



そしてこの作品を引用しています。

皿嶋自身、表向き会話が出来ない分、脳内での夢想はただならぬ進化を遂げていたんではないでしょうか。
だからこそ、最初の台本の方は完璧な理想を誰より貫いているのです。

演劇は現実の本当の本当に汚い部分を見なくて済む!は、おそらく今作の中でも一番目に出来たセリフかもしれません。

演劇って、無駄な時間が少ないじゃないですか。

お手洗い行ってる時間とか、ベッドでだらだらしてる時間とか、そういう、いわゆる必要だけどつまらない時間がないじゃないですか。

でも生きることって、大半が必要だけどつまらない時間で埋め尽くされてるんです。
だからこそ、演劇って密度の高い人生の時間なんだなと思いますし、皿嶋もそこに惹かれたんではないでしょうか。

そして、門限破って遊んでる時みたいな罪悪感とワクワク感が、皿嶋を刺激し続けていたんでしょうね。


梨本について


こちらの作品を引用しています。


マジで許せないんですよね……。
え、これが評価されてこれは評価されないの!?
ってなる時……。

他にも、めーーっちゃ優しい人より、多少ワガママな人の方が人気だったりね。

どんなものにも必ず理由がありますが、理由がわかったからといって認めたくねぇー!!!

っていう、尖った見方をしてしまいがち。

でも冒頭でも書いた、読む人次第、に重なるのですが、評価の基準も正直平等にはならないんですよね。
必ず考え方は異なるものですし、好ましい事も人によって違いますから。

そんな世界で、どう生きろと。

選択も、案外出来てるようで出来てないこの世の中で、何を選んで生きればいいのか。

……少しでも、「自分が」生きやすい選択肢を取れていたら、いいな。

そんな思いを梨本には込めました。

妹の真相等は細かくは書きませんが、妹にすら優しいお姉ちゃんを演じ続けていた梨本。

ずっとたくさんの思いを抱えて生きていたんだろうな。

演劇はわかりあったりぶつかったりが決められてるから自由がある、という言葉を梨本が言いますが、それすら台本の中のセリフ、という皮肉。


芥川について


初見だとみんなアクタガワと読んでしまうと思いますが、実際、アクタガワさんから来ています。

「私は不幸にも知っている。時には嘘による外にはは語られぬ真実もあることを」

これは芥川龍之介という小説家が残した言葉。

今作のテーマにも組み込まれています。

嘘だけど、嘘だからこそわかる事がある。

嘘から読み取れる真実に、本質がある。

そんな感じです。


あとは、芥川龍之介は雨の日に服毒自殺をしてこの世を去りました。

諸説はありますが、その二年ほど前からずっと将来へのぼんやりとした不安に駆られ、少しずつ少しずつ準備をしていたという話があります。

最期の日は、たまたまその終着点に雨が降っただけかもしれない。はたまた、雨が降ったその日を選んだのかもしれない。


雨とは皮肉なもので、ヒーリング効果があるとされている一方、憂鬱な気持ちを加速させる音にもなるんですよね。

そして、物語に出てくる雨って大抵が都合良いんですよ。

憂鬱な場面で降って、それが解決したら止むんです。

それがわかりやすい描写だから色んな所で使われてると思うんですが、今回はそれをどうしても覆したかった。

やまない雨はないなんて楽観的な事、言ってる場合じゃねー!!!という思いから

今作は雨から始まり、雨で終わる演出を取り入れております。

でも逆に、みんなの嘘を洗い流す雨でもあればいいなとも思い、途中でも雨は流れています。

そんな、裏話です。


繰り返す劇中劇について


今作では、冒頭の劇中劇ももちろん、みんなが書いてきた台本も理想と現実で2回繰り返しが行われます。

少しわかりにくい展開かなと危惧していたのですが、なんとか伝わっている?みたいで少し安心しています。

演劇も繰り返しの作業なんですよね。

本番に向けて、何度も何度も同じシーンを稽古する。

なんなら本番が何公演もあるならそれも繰り返し演じていく。


それはきっと、日常生活と同じなんです。

朝起きて、着替えて、メイクして、外出て、仕事して、家帰って、ご飯食べて、風呂入って、寝て……

そんな当たり前を何度も繰り返して、私達は生きている。

当たり前がないと、私達は生きることが出来ない。


今回出てくる5人は演劇がないと生きていることを確認が出来ないという、なんともすごい世界観の中で生きています。
これは比喩じゃなくて、芥川目線の話です。

みんなもう生きていないのに、演劇だけは出来ているカオス状況。

今までは朝起きて、着替えて……というものが当たり前だったのに、それが全て演劇に置き換えられている。

それくらい縋っていた、取り憑かれていた、というイメージです。



さいごに


「生きる」って難しいと思うんです。

多分そう思ってしまうのは私の性分。


けれど、私みたいにただ生きるだけなのにそれを難しいと思う人は他にもいるんじゃないかなって。

そういう人に、何かが届けばいいな、って思いながら書いていました。


生きてるだけで偉い!

っていうけど、だからって特典があるわけじゃないし。

必要最低限で生きているだけだから特に劇的展開もないし。

周りもそうやって生きてるのかもしれないけど、なんかすんごい眩しく見えるし。


どうしようもない、けどだからといってどうかしたいわけでもない、よくわからない自分に嫌気がさすし。


でも、生きるしかないのです。


泥臭くても、なんとか、息をしていくのです。


私は表現者としての道を歩んでいるので、生産性が比較的あるじゃないか!と思う人もいるかもしれませんが

みんなも生活出来てるじゃん……

私の私生活、見る……?

えぐい、よ……

(笑)


たまたま、表向きの私は綺麗に仕上がってるだけで、それも頑張ってるんです、いっぱい。

でもその頑張りで、なんとか生きがいを見出してるいるんです。


そしてそんな私を見て、少しでも生きがいを見出してくれる人がいたら、お互いに息がしやすくなると思うのです。


生きててくれてありがとうって、言い合いたいよね。



タイトルに関しては、正解を出すのもなんか違う気がするので、ぜひ色んな考察をしてくださればと思います。

ただ、アイロニーは皮肉という意味でもありますが、無知という意味もあったり、劇的アイロニーやロマンティックアイロニー等色んな単語もあったりするので、そこら辺も調べると面白いかもしれません。



人生にどう楽しみを見出すかと同じで、この作品にどう楽しみを見出すかもあなた次第です。

ただ推しの演技を堪能した!だけでも充分ですし、更にその奥を調べても楽しい。


そう、人生はきっと、楽しいを見つけた方が幸せに近づける。

その楽しいに例え苦しみや辛さがあったとしても、乗り越えられるなら。


私は努力をし続けたいなと思います。




改めて、今回は初の長編脚本、そして演出をさせて頂き本当にありがとうございました。

脚本を練る時間も、BGMを決めたり作ったり、演出を考える時間も、キャストにディレクションする時間も、何もかもが新鮮で楽しいものでした。

大変なこともその分ありましたが、最後に楽しいと思えたなら、報われたということなのでしょう。


ぜひ、皆様の感想もお待ちしております。

それが私の糧となり、きっと互いの次の楽しさに繋がります。



なんとか、生きていきましょう。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


あでゅ〜。