街の喧騒とは聞くものの、実際それらは分解していくと全てひとつの会話なのだなと痛感した。

両手が塞がった、イヤホンをしてない夜の帰り道のことだった。
 


どうも、鶴野です。
今回もなんて事ない雑多なブログです。




この間友達とお茶して、飲みきれなかったカップを持ちながら電車に乗りました。
片手はスマホ、片手はカップを持っていて、イヤホンをつけるタイミングが掴めず、ぼんやりと帰っていました。

乗り換えして、改札通って、その時。

「また来年ー!」

そんな声が耳に飛び込んできました。

まだ五月なのになぁ、と電車の椅子に座る。
でもそうか、私も年末年始、兵庫に帰省したタイミングで会う友達にも「また来年」と言っている。

一年後なんていう、明日よりも不透明な未来に期待をして、別れるのだ。

それからは自然と耳が外の会話に向くようになりました。

「ゼリー食べちゃってさぁ」
「明日スカイツリーっしょ」
「あれはぶっ壊れ性能すぎ」

いろんな会話の断片が入り込んでくる。

深く聞いてはいないので、本当に断片。

海外の言葉もたくさん溢れている。


更には別の日、近所の公園でハグするカップルがいて、んだよゴラァ!!!と思いながら隣を通ったタイミングで

「今までありがとう」

と聞こえて思わず二度見してそのまま去りました。

なん、え?kwsk!?




私は常に孤独や独りというものに怯えています。
一人になりたいくせに、独りは嫌だなんて贅沢な悩みを抱えて生きています。
それでも外に出ると、たくさんの人が生きている。
たくさんの独りが、連なって生きている。


幸せの形がそれぞれあるのと同じように、生きる形もたくさんあるのだなぁ。




最近、私は過去の経歴や経験を誰かに聞かれて話す機会がよくあって。
こんなことがあって、こんなことを思ったんだと話す度に、自分という形が客観視されて不思議な感覚を得ていました。

そしてそれを聞いた人に「頑張ってるね」と言われる度に、泣きそうになります。

決して私が歩んでいる道は、綺麗ではありません。
昔から泥を啜って生きていると思っています。

それでもそんな風に生きてきた道をすごいと言ってくれる人がいるのなら。

自分が歩んだ道を振り返った時、見える景色がお世辞にも綺麗じゃなくたって。


どんな感情だったとしても、まだ、前を向いて歩けるなと思うのです。



学生時代から必死にバイト三昧で、上京してからもバイト三昧。
声優ってもっと楽しいものなんじゃないの?
好きを仕事にするっていいねと周りに言われるのに、こんな生きるだけで苦しいの?

そんなことを泣きながら噛み締めて日々生きてきた私。

仕事が少しずつ増えて、楽しさと難しさが大きな波として襲ってきた時、負けてたまるかと踏ん張った私。

周りと比べて落ち込んで自暴自棄になり、母に地元に帰りたいと連絡した私。


歳を重ねるごとに、自分が思い描いていた大人ではなくて凹むけど。


生きてるだけで偉い、と自分に心から言えるのは自分だけだと思うんです。

だから。

偉いぞ、私。



未だ劣等感は健在で全く消える気配はないけど
未だ自己嫌悪で落ち込む毎日だけど
「次」があるかわからない未来に、打ちのめされることもあるけど

応援してくれる人や、関わってくれる人への恩返しの気持ちでこれからも頑張りたいなと思います。

頑張るって言葉マジで嫌いなんすけど。
(だってもう既に頑張ってるのにまだ頑張らなきゃなの?????ってヒスるので)


しょうがない、周りに恩返ししたいもの。



一歩進んで、一週間くらい立ち止まって、また一歩進もう。

それくらいのスピードで生きていく。





イヤホンを外した日、私はまたひとつ、大人になったんだろう。

それでも今日はイヤホンをして好きな音楽を聴く。
好きなように生きたいし。
なりたい私になろうとして藻掻くより、今はもう、なるようになると割り切って生きるのだ。


きっと大丈夫。

明日も明後日も、いい日になるから。