数年前テレビで、ある2代目棟梁のドキュメンタリーを観た。
いかにも大工といった風貌。
がっしりした体と、慈愛に満ちた眼差し。
一緒に仕事をする若い大工の、棟梁を見つめる目が輝いていた。
自宅のルポになった。二階に棟梁の父が住んでいる。
正座して初代と対話する2代目が、子供の顔になっている。
初代は全く笑わない。
子供を叱るみたいに、厳しい言葉を2代目に浴びせる。
どう見ても、やらせを受けるような人ではない。
これが、この親子の日常なのだろう。
棟梁が部屋を出る。ほっとしたような顔つきだった。
で、ひとりになった初代にインタビュー。
「まったく、あのガキ、なんもわかっちゃおらん」
とっくに引退して息子の世話になってるはずだ。
しかしこの権威。昭和と言うより、明治の父だ。
大工の憧れのような息子を、ガキで片付ける。
こういう人は最期が来るまで、本心は言わないのでしょう。
自分に当てはめてみた。
30代なんてまさにガキ、20代なんて虫だったな。
過去の自分が目の前にいて、説教できないようでは駄目だと、
ずっと思っていた。
それが自分の成長のあかしだと。
30才の自分が、20才の自分に何を言うだろうか。
「おまえさ、できること知ってることを、
全部出すのはやめたほうがいいよ。自分に自信がない証拠だぞ」
それくらいは言えたかもしれない。
40才の自分が、30才の自分に何を言うだろうか。
「俺は他のやつとは違うと思ってる。違わないよ、一緒だよ」
天狗が始まる頃だ。まさに30なんてガキ。
50才の自分が、40才の自分に何を言うだろうか。
「人の欠点を見抜くのうまくなったね。あら捜しの名人だ。
で、いろんなことがわかってきたから、
怖くて何も挑戦しなくなったね。まさに初老ですね」
嫌味たっぷりだな。この50才もちょっとやだな。
そして60才になった私。
今度は50才ではなく、20才の自分に向かってみよう。
説教を始めるだろうか。
しませんね。きっと、こう言います。
「すごいね君、いろんなこと考えてるんだね」
褒めると思います。
寛容になるのに60年かかりました。
還暦は寛歴でしたね。
あーあ、あと40年しか生きられないのか~
私と同い年の皆様
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