ヒューマンマトリックス② 年代別悟り | cheer up

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数年前テレビで、ある2代目棟梁のドキュメンタリーを観た。

 

いかにも大工といった風貌。

がっしりした体と、慈愛に満ちた眼差し。

一緒に仕事をする若い大工の、棟梁を見つめる目が輝いていた。

 

自宅のルポになった。二階に棟梁の父が住んでいる。

正座して初代と対話する2代目が、子供の顔になっている。

初代は全く笑わない。

子供を叱るみたいに、厳しい言葉を2代目に浴びせる。

どう見ても、やらせを受けるような人ではない。

これが、この親子の日常なのだろう。

 

棟梁が部屋を出る。ほっとしたような顔つきだった。

で、ひとりになった初代にインタビュー。

 

「まったく、あのガキ、なんもわかっちゃおらん」

 

とっくに引退して息子の世話になってるはずだ。

しかしこの権威。昭和と言うより、明治の父だ。

大工の憧れのような息子を、ガキで片付ける。

こういう人は最期が来るまで、本心は言わないのでしょう。

 

自分に当てはめてみた。

30代なんてまさにガキ、20代なんて虫だったな。

 

過去の自分が目の前にいて、説教できないようでは駄目だと、

ずっと思っていた。

それが自分の成長のあかしだと。

 

30才の自分が、20才の自分に何を言うだろうか。

「おまえさ、できること知ってることを、

全部出すのはやめたほうがいいよ。自分に自信がない証拠だぞ」

それくらいは言えたかもしれない。

 

40才の自分が、30才の自分に何を言うだろうか。

「俺は他のやつとは違うと思ってる。違わないよ、一緒だよ」

天狗が始まる頃だ。まさに30なんてガキ。

 

50才の自分が、40才の自分に何を言うだろうか。

「人の欠点を見抜くのうまくなったね。あら捜しの名人だ。

で、いろんなことがわかってきたから、

怖くて何も挑戦しなくなったね。まさに初老ですね」

嫌味たっぷりだな。この50才もちょっとやだな。

 

そして60才になった私。

今度は50才ではなく、20才の自分に向かってみよう。

説教を始めるだろうか。

 

しませんね。きっと、こう言います。

「すごいね君、いろんなこと考えてるんだね」

褒めると思います。

 

寛容になるのに60年かかりました。

還暦は寛歴でしたね。

 

あーあ、あと40年しか生きられないのか~

 

 

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