心 | cheer up

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keep laughing

20代の後半。東京の板橋で夜の仕事をしていた頃は、
朝までやってる居酒屋やスナックで、しょっちゅう飲んでた。
 
そのときは池袋近くの、だだっ広い今でいうパブスナック。
6席くらいのテーブルと、5人掛けくらいの狭いカウンター。
ママと、若いマスターがいて、客はほぼ野放し。
カラオケも客が勝手に入れてた。
店側はそのチェックと、注文うけるだけ。
暇だと、ママが客と飲むこともある程度の気楽な店だった。
 
その日の私は調子に乗ってた。好きな子でもいたのかも。
いつもの私なら、いくら酔っても知らないお客さんに、
自分から声かけたりは絶対しないのだが、
カウンターの一番奥でママとぼそぼそ話してる
50歳くらいの男の人が、なぜか気になって、
いっしょに飲みましょうよ的なことを、生意気にも言ったのだ。
 
しかも、あろうことか「おじさん」と声をかけた記憶がある。
いま思い出してもぞっとするが、
男性は軽く手を振って「俺はこのままでいいよ」の意思表示。
 
なのにだ。私はもう一回誘ってしまったのだ。
その瞬間、ママと男性の困った顔、というよりその場の空気が、
写真でも撮ったかのように、心に焼きついている。
 
心に焼きつくシーン。
そういうシーンが何十枚が心に残っている。
ほかの人にとっては大したことでもない。
記憶にも残らないことなのに、
自分にとっては、人生の問題集を、解く鍵になるシーンなのだ。
 
そのときには本当の意味はわからない。
けれど、年を重ねるにつれその時の自分の心の闇が見えてくる。
 
今なら、そのときのあとの会話も聞いてないけどわかる。
 
ママ「ごめんね、しつこくて」
客「大丈夫、平気平気」
「あれでも、いい子なんだけどね」
「明るくていいんじゃないの」
「自分が騒いで楽しいと、みんなもそうだと思い込んでるのよ」
「はは、若い頃は誰だってそうさ」
「1人で飲みたい人の気持ちなんてわからないからさ」
「まだ20代だろあの子・・・俺もそうだったな」
 
 
ひとりになりたいとき
ひとり部屋に帰って誰かと電話で話したいとき
どこかの店ではしゃぎたいとき
はしゃぎたいわけではないがひとりは嫌なとき
みんながはしゃいでるのを見たいとき
落ち込んでるのを気づかれたくないとき
落ち込んでるのを気づかれたいとき
 
そんなこと、いちいち気にしてたら人と接してられない。
だから考えてちゃ駄目。考えてちゃ間に合わない。
 
自分が消えて、意識がその人のことだけになっていれば、
瞬間に気づくものなんだと思う。
 
当然はずすときもあるけど、それもまた学習。
智慧が足りないと、愛も伝わらない。