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恵翠(けいすい)書道教室

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今年も、塾生たちは高円宮杯にチャレンジをした。硬筆が5名。毛筆が14名。その内、硬筆と毛筆の両方を出した者が2名だった。

今年は、例年になくレベルが高く。全員が大きな賞を狙えるような作品に仕上がった。

今回の高円宮杯のチャレンジによって、苦手意識を克服したばかりか得意にまで持っていった者も数人いた。一角書くごとに注意を入れてやり直しを何度もしてもらった。なので、作品を全部書くには、数十枚書かなくてはならなかった。

子どもたちは、本当に良く頑張ったと思う。

高円宮杯が良いコンクールであるのは、他のコンクールでは、出品した上位何パーセントが、特選以上、何パーセントが特選、何パーセントが準特選、何パーセントが金賞、何パーセントが銀賞、何パーセントが銅賞と決められているので、頑張った子でも銀賞や銅賞を割り当てられてしまうのだが、高円宮杯は、作品のレベルで賞を決めてくれるので頑張った子が報われないことがあまり見られない点である。

競書の段試験とスケジュールが重なるため、全国展は別のものにしようかと何度も検討したが、審査の素晴らしさを考えると他に変えることができない。子供たちには大変キツイ思いをさせるのだが、5月と6月は、シュタイナー教育等をお休みして、書道漬けになってもらっている。

去年は、私が新聞配達をやっていて超寝不足状態で、指導する側が頑張りきれなかった。今年は、去年よりかなり頑張れたと思う。とはいえ、父母の介護に、妻の精神的スランプに悩まされて、やはり寝不足でキツかったのだが、お稽古中はかなり頑張れた。家に帰ると、服を着たままで寝てしまうことも何度もあった。

そのことを考えると、私の指導には、まだまだのびしろがあるのかもしれない。

今回は、3年生以下と、落ち着きのない子は参加しなかった。次回は、全員参加できそうな気がする。全員、自分の壁を克服できていると信じているからだ。

私の塾は、書道スキルを学ぶためだけのものではない。静かに書道に取り組むことで、脳内に記憶可能エリアを広げることもあるし、究極は、シュタイナー教育により「何があっても大丈夫」と思える柔軟な心を養うことにある。

厳しさを受け入れ、自分の壁を乗り越える指導は外すことができないものである。克服体験は、奇跡体験でもあり、良い習慣を実に付けた上で、「絶対にできる」という確信があってこそ自然に起こり得ることなのである。

この確信に根拠など要らない。良くなりたいという気持ちが前面に出ていることが重要なのである。


話は変わるが、昨日、妻が手伝いたいと言うので会計ソフトの入力作業を任せたところ、不注意で「年度切替」と「繰越処理」を間違って押してしまったらしく、しかもご丁寧にウィザードに従ってしまったため、昨年8月からの会計データを失ってしまった。

バックアップデータも生かせず、そこでバックアップソフトで今年の2月25日に戻すことにした。ところが、バックアップソフトをWindows 8.1版に変更してから、忙しすぎてバックアップを取っておらず、2015年版のブータブルディスクが過去のバックアップファイルを認識してくれない。そこで、2013年度版のブータブルディスクでバックアップソフトを立ち上げたところ、過去のバックアップファイルを認識できるので、Cパーティションの復元をしたところ、全くWindowsが立ち上がらなくなってしまった。このことであまりに落ち込んでしまったため、奇声も発してしまった。

そこで、パソコンの熱を冷ました後で、今度は、不思議な導きを得て、パソコンの全パーティションの復元を試みた。今度はかろうじてWindows 8.1が立ち上がったが、PCデバイスを認識するまでに結構時間を要した。会計ソフトは1月から再入力しなくてはならなかった。

そればかりか、Excelデータ等も2月からの再入力をしなくてはならなくなった。パソコンにおいても、Windows Update等、システムを戻す作業でかなり時間を要した。

お手伝いと言うよりも、大変な仕事を作られてしまったことになる。とはいえ、パソコンが生き返ったのが何よりもの救いである。パソコンを購入する経済的ゆとりが全くないからである。

妻は、不注意が多く、仕事でもかなり失敗をしているようである。これを治すことは容易なことではないが、私は必ず克服できると考えている。ただ、妻が頑固に、「自分は病気だから絶対にできない」と言い続けるため(市のの生活支援センターでも病気と認定してくれずに不満を持っているようである)、彼女が子どもの頃に獲得できなかった良い習慣作り(一般家庭では当たり前のこと)と「できる」ことへの確信となる教育習慣に日々取り組まなくてはならない。


塾には、子どもたちの素晴らしい作品をすべてコピーして展示している。全員がベストを尽くしていることが見て取れることだろう。ブログでもその写真を紹介したいのだが、両親の介護と、妻の精神面のスランプに毎日苦しんでいる状態でもあり、文字更新がやっとであった。残念でならない。



現代において、最も儲かるビジネスとは、「武器」に関わるものなのだのだと言われています。

2番目は薬関連。以前には1番目であった石油関連は3番目となっています。

そこで素朴な疑問なのですが、

ISやテロ集団たちに武器弾薬を提供しているのは、一体誰なのでしょうか。

ISやテロ集団たちが暴れると暴れるほど、その周辺国や関連した国々は、どうしても対抗策として軍備を増強しなくてはならないからです。「武器」ビジネスの方々にとって、ISやテロ集団たちは、実に都合の良い存在と言えるのではないでしょうか。

といっても、その犯人捜しをしたからといって、何ができるわけでもありません。

大切なことは、「何があってもだいじょうぶ」と思えるスピリチュアルな知識を得て、死さえも乗り越えられる強力な魂を築くべきではないのでしょうか。

また人は、許すことによって、最も魂をレベルアップできると言われています。

私たちは薬に汚染されています。薬に依存し、自然治癒力(生命力)が失われていっているのです。

不摂生な生活を送り薬に依存し続けることと、生活を正し良い生活習慣を身につけて薬を必要としなくなることと、どちらが優れているのでしょうか。

どんなに長生きしても、自分では何もできず、ただ生きているだけでは、決して幸福な状態とはいえないのではないでしょうか。

薬に、つまりは医者に騙されてはいけません。薬で守られている健康とは、偽りの健康なのです。

さて、ISやテロリストに武器を提供をしている犯人などどうでも良くて、世の中がどうであれ心に平安を持ち続けるセンスを身に付ける方が大切と書きましたが、現代社会は、雑念となることが多過ぎます。

雑念が多過ぎて、能力が発揮できないのです。

書道をひたすら書く。授業をひたすら聞く。運動にひたすら取り組む。読書にひたすら取り組む。

逆に、おしゃべりばかりして書道に集中できない。又は授業に集中できない。あれこれ余計なことばかり考えて運動に集中できない。又は読書に集中できない。

前者は、頭の中に、ものを覚えることのできるエリアが増えています。

後者は、頭の中に、もやもやとした暗雲で覆われており、ものをおぼえるためのエリアがわずかしかありません。

どちらが頭の良い人といえるでしょうか。

子どもたちを見ていて、どんなに優れた塾に入れて、優れた教材を買って与えたとしても、雑念の多い頭の状態では、それを生かすことができません。

書道は、雑念を無くする練習をしているようなもので、ひたすら書くことで、頭が良くなる下地を作ることが可能なのです。

子どもたちの頭の下地が良くなり、勉強も出来て、かつ「何があってもだいじょうぶ」という強力な魂を築き、人を許せる寛容な心の形成により健康を維持できる。そういう子どもたちが増えていくのなら、この国の未来は明るくなっていくように思えてなりません。






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○○[だから]できない。

ではなく、

○○[だけど]頑張る。

と考える。

このことは、その人の自立心と命の尊厳を高める。

薬で英単語は覚えられない。練習し、活用してこそ覚えるのである。

苦手なことを薬では克服できないのである。

病気のせいにして、薬漬けになっていて良いのだろうか。

シュタイナーによると、

それぞれの肉体(脳を含む)には頑張れる限界があり、死によって終了する。

新しく生まれることで、その限界を超えるための歩みが始まる。

過去に戻ることは決してなく、魂の歩みは、常に未来へと向かっている。

障害は、魂の進化に反することだろうか。

私はそうは思わない。

酷い障害のため、社会生活ができないとしても、脳が悪いだけであって、体外にある魂には問題はないのである。

その障害を通して、家族が学んでいるのかもしれないし、障害を生きることが、その人の役割なのかもしれない。

いろいろな肉体を得ながら、いろいろな環境の中で、人は魂を磨いていくのである。


さて、自立するということは優れた方向性であるが、

依存の体験も重要なのである。

依存してきた人は優しさを持っているからである。

といって大人になってからの共依存は問題である。

自立と依存のバランスのある人が、優れたパーソナリティを持っているような気がする。

周りの人と声掛け合って助け合って生きる。

私は、そういったセンスを持った人間でありたい。





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ツクヨミ愛用の筆です。



私自身、心の弱い人には少々厳しい存在なのかもしれない。

心の強い人にとって病気とは、治すもの、克服するものである。

私は子どもの頃、医者に見放されるような障害を負ったことがあるが、障害に対し、「これはヤバい」「すぐにも頑張らなくては大変なことになる」という危機感が強く感じられたので、必死になってリハビリに取り組んだ。医師の宣告を信じいていた両親は、どんなにリハビリをしても意味が無いと思っていたらしく「無理をしなくていい」と言っていたが、私はとことんリハビリに取り組んだのである。

その結果、奇跡が起こり、障害を克服できたのである。私の執刀医は、「私が君を治したのではなく、君の生命力が、素晴らしい奇跡を起こしたのだよ」と話していた。

私の親戚で癌に冒された人がいて、絶望の表情で見るも無残な様子だった。そのご、医師の余命先刻よりも早く亡くなってしまった。彼は、癌と言う言葉に、生きる気力を失ってしまったのである。余命先刻の時間を十分に活かすことなく、何もしないで死んでいったのである。仕事の出来る人という印象のあるおじさんだったが、実は心の弱い人だったのである。

塾の子どもたちにしても、大人にしてもそうであるが、心の弱さに対して決して「かわいそう」とは思わない。「何で頑張らないんだ」「何でベストを尽くさないんだ」と、どうしても責めてしまう。この人達は、自分は「○○だからできない」と言う。

私は、「○○だったら治そうとしなくちゃ、克服しようとしなくちゃ」と言ってしまう。

彼らは雑念に押し潰されている。「できない」と言う言葉を何度も何度も心の中で反芻しているのである。

私は瞑想することが好きだ。瞑想は、雑念を捨て去ることを目的としている。雑念を捨て去った後の清らかな世界の中で、神と共にいる喜びが得られる時間となるからだ。

瞑想をする時は、自分が男であるとか女であるとかといった性別も無くし、年齢も経験も得た名誉もすべて無くし、自分の趣味やこだわりもすべて無くした状態に持っていく。もちろん瞑想が終わったなら、雑念を取り戻し、雑念を楽しむことがあってもいいのである。しかし、雑念がある状態では、神と共にいる喜びを得ることはできないのである。

時々、雑念を無くする練習をしないと、調子の良い時には雑念のために有頂天になり、調子の悪い時には雑念のために酷く落ち込むのである。このようにして不安定な精神が築かれてしまうのである。

よく「あの人は病気に逃げている」という表現があるように、病気を言い訳にして厳しい現実から逃げようとする人がいる。本当に病気の人なら、決してそんなことは考えない。頑張るか、絶望するかのいずれかである。一番良くないのは、自分を甘やかすために病気を口にすることである。偽うつ病、偽障害がいかに多いことか。本やネットの情報は、この人たちの言い訳のネタに悪用されているのである。生ぬるい自分を認めて欲しいと贅沢な要求をしてくるのである。

〈病気を口にする人〉はモチベーションを下げ、それを聞かされた人もモチベーションが下がってしまう。こんな考え方を私は許すことができないのである。(カウンセリングではお金をもらっているので、もちろん相談者の願う方向性を受け入れてあげて安心させている。わがままをそのまま受容するのがカウンセリングの基本だとも考えている。しかし、そこには愛は込められていないような気がする。)

私たちが、この世に生まれて来た目的とは何なのだろう。私たちが死ぬ時、「私は何一つ成功をすることができなかったけど、実にいろいろなことにチャレンジしてきた。良く頑張ったと思う。」と言えられたとしたら、それこそ成功の人生なのだと思う。しかし、「私は運が悪く、親に、出会う人たちに、ことごとく人生を台無しにされた。本当につまらない人生だった。」では、本当にお馬鹿な人の人生と言うしかない。何で、そこを乗り越えようと努力しなかったのか。何で他力本願的な考え方しかできなかったのかということなのである。

シュタイナー教育とは、魂の教育であり、魂を磨くことに主眼をおいているのである。そう言う意味では、頑張れない人には大変辛い教育なのかもしれない。しかし、その辛さを乗り越えたその先の世界を体験して欲しいのである。





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「不安」は諸悪の根源と考えられています。不安が個人の心に不平不満、妬み僻みというネガティブな感情を生み出させるばかりか、盗み、殺し、詐欺、不正、利権争い、さらにはテロや戦争にまでも発展していくのです。教育によって、未来を担う子どもたちの心を「不安」から「安心」へと変えていくこと。『何があってもだいじょうぶ』と考えられる柔軟でポジティブな心を養っていくこと。そして、その教育を世界に広げていくこと。これこそが、マララ・ユスフザイさん(2014年ノーベル平和賞受賞)が言うところの「教育は平和活動」であり、シュタイナー教育の究極の理想なのです。




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