歌物の音楽に寿命はない。歌物の音楽は永遠である。 | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は3491文字です。(読破予想時間:約8分18秒)

 

■はじめに

今回は歌詞についての話です。

 

■歌詞の内容は出尽くしても表現は出尽くしたりしない

音楽はもう出尽くしたと言う意見が多数ある。

 

これは、あながち間違いであるとは僕も言い切る事は出来ないし、正解であるとも思う。

 

でも、まだまだ可能性はあると思っている。

 

 

一度、記事にしているのでその辺りは端折らせて頂く事にするが。

 

ただ、『音楽の可能性・まだまだいける!』では触れていなかった歌詞については、決して出尽くしたりはしないと思っている。

 

歌詞の中でのストーリーやテーマの様なものは出尽くしたと言えるかもしないが、言葉と言うものは、時代と共に変化をするものであるし、昔の曲はいい曲で歌詞も素晴らしいけれど、表現がやっぱりその時代のものだと感じるものが多いのも事実だ。

 

当然、現代の曲の歌詞も時代が変われば、古臭く感じる日も来るだろう事は動かしようのない事実と言える。

 

なので、過去の歌詞と内容は似ていても自分の言葉で語ればいいのだと思う。

 

日常会話でも、生まれてから今日まで、誰もが似たような話をしたり聞いたりして来た訳だが、相手が変わると似たような話でも、やはり違う話と感じるものである。

 

大抵の場合、「その手の話は飽きた」とはならない。

 

誰かの楽しいは、似ていても別の楽しいだし、誰かの悲しいもまたそれぞれの悲しいなので、そのケース毎に一緒に楽しんだり悲しんだり出来る。

 

これが、言葉の持つ力だと思えてならない。

 

■万葉の時代から人々の気持ちや行動は変わらない

日本の古き良き伝統文化の一つに、一定のリズム(五・七調など)に乗せて詠う、もしくは歌う、和歌や俳句や川柳などというものがある。

 

川柳や俳句は、出来た作品の事を「句」と表現し、一つの句を「一句」と表現するが、短歌の場合、出来た作品を「歌」と言い、一つの歌を「一首」と言う。

 

その今で言う短歌、当時で言う和歌が収められた我が国最古の歌集「万葉集」に掲載されている作品などを見ると分かるのだが、万葉の人々が感じる季節や景観についての心情や、恋愛における行動や恋心などは、今と、さほど変わりはない

 

万葉集で歌われた恋歌の内容とほとんど変わらないが、昭和歌謡とも最近のJ-POPなどとも、その言葉の表現は随分違う。

 

万葉集の言葉は古すぎて、古臭いと言うよりは勉強したり調べたりしないと分からない程、現代とは表現が異なるし、昭和歌謡にしたって、まだ、作者はたくさん現存しているのに、既に昭和を感じる、悪く言えば古臭い表現、良く言えば昭和情緒たっぷりの表現になっている。

 

歌われているテーマやシチュエーションや言いたい気持ちは同じなのに、その時代によって、言葉の使い方も違えば、単語自体も新しいものに置き換わっていたりするものも少なくない

 

つまり、自分の体験を通じて、自分なりの表現をすれば、それだけで新しいものになるのが普通なのだ。

 

■知らない間にテンプレート化された他人の表現

しかし何となく出てくる言葉を深く考えずにそのまま歌詞にしてしまうと、自分が今まで聴いてきた曲の歌詞の中で散々使いまわされたカビの生えた表現である事が多いのも事実だ。

 

つい先ほど「自分の体験を通じて、自分なりの表現をすれば、それだけで新しいものになるのが普通」と言ったばかりだが、それには落とし穴があって、自分で「自分なり」と思っている表現も実は、大勢の他人が作り上げたテンプレート的な表現を、「自分なりの表現」と思い込んでいるだけだったりする事は、本当に多い

 

 

それは、言うまでもなく勿論「自分なりの表現」ではない。

 

他人から借りてきた表現だ。

 

言い方を変えれば、無意識下で他人の表現をパクったに過ぎない歌詞である。

 

 

■作詞は甘くない

作詞やボーカルは舐められる事が多いと言う話を以前書いた事があるので、あまり詳しくは書かない事にするが、文章というやつは、上手い下手を抜きにすると誰にでも書けるせいか、作詞は簡単で誰にでも出来ると思っている人間は少なくない

 

 

今回は、歌詞の話なので、ボーカルの話はさておくが、作詞をただの作文か何かと勘違いしていて、ただただメロディーにピッタリとはまる事だけに気をつけて、言いたい事を書けばいいと思っている人も多いみたいだが、作詞はそれ程単純でもなければ甘くもない

 

 

僕も、独学で随分前に作詞の勉強はしたし、何なら今も勉強中で修行中だが、そう簡単に渾身の一作が書ける訳ではない。

 

しかし、曲を作る時、今となってはそうそう目新しいメロディーなんて生まれるものでもないし、僕は、人々の心を動かせる曲を作るのは、作詞力の強化にあると思っている。

 

メロディーと歌詞のどちらを優先するのかに答えはないと思っているのも事実だが、僕が僕という音楽家である為に出した結論は、歌詞の世界をより輝かせるのがメロディーであり、僕の場合に限って言えば、曲作りにおいてメロディーより詞に比重を傾けた方がいいのではないかと感じているのが、最近の僕の感覚だ。

 

ま、僕の感覚など、読者の皆さんにとっては、どうでもいい話ではある事は分かっているが。

 

とにかく、ここで言いたい事は、歌物における作詞は大事であり、作詞は思っている程甘くはないと言う事である。

 

■歌物の音楽は永遠である理由は歌詞にあり

序盤に歌のテーマや人々の感性や人々の気持ちや行動は、万葉の時代から大差はないと言う話をしたが、話の核心はそこにある。

 

歌メロは、新しく今までにないものを作ろうとすると、どうしてもあまりキャッチーじゃないメロディーになりがちだ。

 

それなりにメロディーを楽しませようとすると、やはり、どこかしら過去にあった旋律と似てしまうのも事実である。

 

しかし、歌詞に関しては、同じ様な内容を書いても、時代によって使う言葉も表現もその時代らしさがあり、遠い過去のものとは別物となるのだ。

 

待ち合わせのシーンを歌詞に描いても、携帯電話のなかった昭和以前と、現代ではまた違うものになる。

 

しかし、互いに連絡を取る手段が掲示板だったり、公衆電話だったり、もっと古くは、待ち合わせ場所の大きな木に文(ふみ)を括り付けておいたりと、手法が大きく変わると、また別の歌詞へと変貌を遂げる。

 

しかし、待ち合わせですれ違うカップルの気持ちや、待ち合わせで相手をドキドキ、或いはワクワクしながら待つ気持ちは今も昔も大差はない。

 

今出た「カップル」という言葉だって、昭和の途中までは「アベック」と表現していたし、その表現一つでも曲の雰囲気は全く違う時代へと聴き手を誘なう。

 

故に、歌物の音楽は時代によって常に新鮮で、寿命はなく永遠なのである

 

ただ、最近の歌詞から知らず知らずに影響を受けて、無意識に現代にありふれた表現を使ってしまわない様に注意する事は、先述の通り重要である。

 

■最後に

ま、何だか偉そうな事を書いていますが、途中で述べた通り、僕もまだまだ修行中の身であり、生涯勉強の日々なのだと思っています。

 

今回の記事も、じっくり自分で読み返すと、改めて自分の気付きを自分自身に対して念を押す様に語りかけている様なものなのだと気付いたりもします。

 

読者の皆さんにとって、そんな僕自身の正解か不正解か分からない気付きではあるのですが、それが、誰かの役に立つのならば嬉しいなと思うのです。

 

勿論、この記事から発想を飛ばして、違う結論に辿り着いた人がいたってかまいません。

 

それでも、僕の書いたこの記事がきっかけを作れた訳ですから。

 

作詞って、本当に難しいし大変だなと思います。

 

とか、無理矢理締めてみました。。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ

 

それではまた。

 

 

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