この記事は3146文字です。(読破予想時間:約7分29秒)
■はじめに
ワクチン接種に関して、ワクチン接種をする自由とワクチン接種をしない自由について、よく語られています。
今回はその事を取り上げて、自分自身はどういう意見なのかを述べたいと思います。
ただ、僕の意見は辛辣であるかもしれませんが、それは決して、ワクチンを射たない人に対する非難ではありません。
それと、ワクチンを射てない人についても終盤の方で語る予定ですので、途中で「ワクチンを射てない人もいるんだぞ!」などとは思わずに最後まで読んでいただけると助かります。
「こんな事を世間に向かって発表する意味などあるのか」とも思ったのですが、ワクチンを射つ選択をした人間の1人が、ワクチンを(射てるのに)射たない選択をした人に対してどんな感覚を抱いているのか、その事を一人一人が声をあげて知って貰うのもお互いにとって有意義な事なのではないかと言う思いで、書かせて貰う事にしました。
ワクチンを射たない選択をした人に、ワクチン接種を促す目的ではありません。
射つ、射たないは勿論自由です。
あくまで、ワクチンを射たないと決めた自分がどんな風に思われているのか多くの意見を知りたいと言う方だけが、この記事を参考意見の一つとして頂ければと思います。
■ワクチンを射つと決めた人とワクチンを射たない人は違う
ワクチンを射つも、射たないも、個人の自由。
ま、日本の憲法や法律ではそう言わざるを得ないだろう。
しかし、ワクチンを射つ選択をした人と射たない選択をした人は違う。
勿論、感染率や重症化率は違って当たり前なのだが、これはその事ではない。
ずばり、自由と権利の話である。
射つも射たないも勿論自由である。
ただ、お店や施設や企業などが、ワクチンを射った人を優遇したり、差をつけるのも当然自由だ。
ワクチン差別などと言う言葉があるが、企業内でも、やはり、顧客と接するポジションに就く人はワクチンを接種した人に就いて貰う必要があるし、感染の可能性が高いワクチン未接種の人には、人とあまり接触がないポジションにと考えるのは、従業員と顧客の安全を考えても当たり前の事である。
イベントで、ワクチン未接種より、ワクチン接種者を優遇するのも安全面で考えれば当たり前の事だし、お店がワクチン接種者に割引きをするものも、勿論自由だ。
ワクチンを射つ射たないを決める権利を、基本的には全ての日本人が持っているのと同様に、その対応を分けて決めていくのも、全ての日本人が持つ権利である。
これを、「ワクチンは射ちたくないが差別するな、ワクチン接種者と同じ扱いをしろ」と言うのは、単なる我がままだ。
勿論、それは差別でもない。
「ワクチンを接種すると行動範囲がかなり自由になりますが、ワクチンを接種しない場合、その行動はかなり制限される可能性があります。 さあ、どちらを選びますか? どちらを選択するのもそれはあなたの自由です。」
これは、そう言う話なのだ、
■「同じ」と「平等」の違い
「同じ」と「平等」は違う。
同一労働同一賃金と言う言葉がある。
この場合の同じ労働と言うのは同じ職種と言う意味であって、労働量や労働の質を指すものではないと言う事とする。
要は同じ仕事場で同じ内容の仕事に従事しているのだから同じ賃金でいいと言う話だ。
でも、実際の職場では、ゆっくりゆっくりとだらだら歩きながら物を運んで1日に2つしか物を運ばなかった人と、走り回って同じものを1日に10個運んだ人ではその差は5倍という事になる。
この場合、賃金も5倍の差をつけるのが平等である。
それと同じ様に、「ワクチンを射つ射たないで、世の中での制限は何も変わらないですよ」と言うのが「同じ」である事。
しかし、これは明らかに平等ではない。
では、平等とはどういう事なのかと言うと、「同じ制限でありたいのなら、制限の少ない人と同じ様にワクチンを射ちなさいよ」となる。
そうする事で初めて平等と言う事になる。
では、ワクチン接種者と未接種者を平等に近づけるにはどうすればよいかと言うと、射った人にのみそれなりの権利を与える事だ。
例えば、ワクチンパスがあれば、コンサート会場に入場出来るとか。
これで不平等はかなりなくなる。
「自由」とは本来そういうものだ。
■「自由」には「責任」が常に付いて回る
選択は自由である。
但し、何を選ぶかで、リスクと利益のバランスが変わる。
それを塾考し納得した上で選択をし、そして、その選択に責任を持つ。
自由には責任はついて回るものである。
こんな事は誰しも、小学生の頃にはすでに周りの大人や学校の先生に教わっている事である。
■「射てない人」と「射たない」は全く違う
ここで、言っておかないといけない事がある。
ワクチンを射つ選択をした人と、射たない選択をした人の話をしている時に、必ずと言って出るのが「射てない人もいるんだ、これをどうするんだ」と言う意見である。
はっきり言って、「自分でワクチン接種の選択の自由すらない射てない人」と「ワクチンを射てるのに、射たない自由を自分で選択した人」とは全く別物であるという事。
「射たない人」と「射つ人」の話をしている時に「射てない人」の話を持ち出すと、論理のすり替えにもなり得るのと同時に、第一に話がややこしくなるので勘弁して欲しい。
これは、また、別に考えなくてはならない、完全な別問題だ。
例えば、ワクチンを射てない人には、医療機関で証明書を国費で発行してあげて、ワクチンを射っていない代わりに、マスクの着用は義務化し、その上で、ワクチン接種者と同じ程度の行動制限にするだとか。
この様に、「ワクチンを射てない人」に関しては、別に議論して、何かしらワクチンを射った人との差別化を極力減らす必要がある。
いうまでもない事だ。
この人達を自分で勝手に射たないと決めた人と同列に並べないで欲しいと正直思う。
そして、自分の意思でワクチンを射たなかった人が、ワクチン接種者と同じ行動をとる為のPCR検査は、国費ではなく自費でやって貰いたいと考えている。
ワクチンを射てない人に関しては、場所によっては、マスク着用の義務化と手指の消毒の義務化くらいでいいんじゃないか、PCR検査の陰性証明まではいらないんじゃないか、と思っている。
こんな所で自分の意見を言った所で、実際には、政府が専門家に話を聞いて決めていくので、僕がどう思おうと関係はないのだが。
■最後に
僕はワクチンを射たない人を非難しているのではありません。
ただ、ワクチンを射たない自由を選んだ人はそれなりの制限があって当たり前で、それでも、「射った人と同じに扱え」などと言う我がままが、ちょっと違うんじゃないかと思っているだけです。
ワクチンを射っても感染はしますが、感染する確率は格段に下がるし重症化率・死亡率も大きく下がります。
そう言う意味でも、やっぱり、ライブ会場などに行って、全員ワクチンを射っていると分かっていれば絶対安全という訳ではないにしろ安心感は増しますよね。
それとは逆にワクチンを射っていない人もごちゃまぜにいる会場にはワクチン接種を終えていても、やはり、とてもじゃないけど怖くて行けません。
これは、感覚的なものなので、議論してその感覚が変わるものでもないし、ましてや説教で変えられるものでもありません。
お腹が減ったりするのを、「減らすな!」と言われても無理なのと同じです。
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