サブロックスタジオ難波店と茨木店と難波ロケッツと俺 | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は5612文字です。(読破予想時間:約13分21秒)

 

昔、音響屋(PA屋)で働いていたと、何度もこのブログで書いていますが、正確に表現すると音楽スタジオです。

 

その音楽スタジオが3年程前に潰れてしまったので、ちょっと思い出でも語ろうかって話です。

 

勿論、今頃になって気付いた訳ではなく、潰れて間もなく潰れた事は僕の耳にも入ってきました。

 

詳しい事は何も分からないままですが。

 

その音楽スタジオでの業務と言うのは、PAの現場の仕事が入ると、男性スタッフはPA現場へ出向き、女性スタッフがスタジオで接客をし、PA現場のない日や、PA現場が人数的に足りている時は、男性スタッフもスタジオで店番・接客・受付をしたり、レコーディングをしたり、機材のメンテをしたり、パーツの発注をしたりと色々です。

 

そして、オールナイトの店番と、夜9時以降も男性スタッフだけが、スタジオ勤務になるのが、勤務体制でした。

 

なので、基本は店にいても外の現場にいても、男性スタッフは音響に関する仕事がほとんどなので、音楽スタジオで働いていたと言うよりも、音響屋だとかPA屋で働いていたと言う方が伝わり易いのではないかと思うので、これからもそう表現していくつもりです。

 

そもそもどこのどんなスタジオで働いていたのかと言う話ですが、知ってる人は知ってると思いますが、大阪ではそこそこ名の通ったスタジオで、サブロックスタジオと言うスタジオです。

 

年齢で言うと、22才〜24才までの約二年間。

 

僕が最初にサブロックスタジオで働く様になったのは、22才の6月で、勤務する店は難波店でした。

 

サブロックスタジオは当時、本社の事務所が梅田にあり、西宮と茨木と難波に3店舗あったのですが、それぞれ、店には名前がついていました。

 

なにぶん、昔の話し過ぎるのと、実際に働いてなかった唯一の店舗なので、西宮店の名前には自信が少しありませんが、確か「Channel4」だったと思います。

 

そして、難波店が「#GATE3」(ゲートスリー)、茨木店が「456」(シゴロ)。

 

難波店に関しては、大阪特有の発音でスタッフもお客さんも「ゲート」と呼んでいましたので、以下、そう表現する事もありますので、難波のスタジオの事だと思って下さい。

 

ゲートとゲートのスタッフとは本当に思い出深いいろいろな事がありました。

 

店の閉店後、ステージがあるコンサートが出来る大きめのスタジオ、Dスタジオで、セッションをしたり、カラオケ大会をしながらみんなで飲んだり、仕事が終わって終電がなくなるまで皆で遊び歩いて、そのまま数名でスタジオに泊まったり

 

スタジオに泊まる事は本当に多かったです。

 

僕が働き始めた時は、難波店にはDスタジオ〜Kスタジオまでの8つのスタジオがあり、当時はまだバンドブームであった事から、夕方のテレビのニュースMBSナウ』に取材を受けた事もあります。

 

その時、店長が出演を嫌がった為、僕がスタジオの代表として、インタビューを受けました。

 

今でも、その取材の放送のビデオはデジタル化して、ハードディスクにファイルを保存しています。

 

今、改めて見返してみると、お客さん達の顔やスタジオの隅々までもが、全て懐かしく、何だか胸の辺りが締め付けられる思いがします。

 

このスタジオは有名ミュージシャンがたくさん出入りしている事でも有名で、僕はそれを知らずに働き始めたので、最初の頃は少し驚いたのを覚えています。

 

でも、すぐに慣れて当たり前の光景になりましたが。

 

ここで働いてたおかげで、イベント運営をしている会社の仕事を僕に振ってもらったりで、ミュージシャンとしての仕事も少し頂ける事もありました。

 

勿論、ここからの仕事がメインではなく、ごくごく、ほんの少しで、自分でもそれなりに開拓はしてましたけど。

 

 

僕が働き始めて1年くらい経った頃だったでしょうか。

 

難波店を改装して、店のスペースを2つに分けて、スタジオとライブハウスを作る事になったのは。

 

そのライブハウスと言うのは、今は無き、難波ロケッツです。

 

改装の期間中、他の仕事を探してもいいし、他の支店で働いてもいいと言う事だったので、自宅からは少し遠かったのですが、僕は、茨木店に勤務させて貰う事にしました。

 

期間にして、3ヶ月くらいだった様なもう少し長かった様な。

 

確かに僅かな時間でしたが、そこでは、後にいくつか一緒にバンドを組んでライブに出たりした、とあるベーシストと知り合ったりもしましたし、とても想い出深い数ヶ月でした。

 

そして、そこで知り合ったスタッフは勿論の事、お客さん達の事も未だにハッキリ覚えています

 

無論、お客さん達に関しては全員ではありませんが。

 

 

改装が終わって、難波店に復帰した時、最初に待ち受けていたのは、ちょっとした音響工事の手直しや、音響設備の設置でした。

 

ロケッツの為に新たに雇われたブッキングマネージャーやフロアマネージャーなど、男性2名と女性1名のスタッフを最初に紹介されました。

 

ブッキングマネージャーは、惜しくも事故がきっかけで潰れてしまった、関西ではナンバー1と言われ、何人もの有名ミュージシャンを輩出した大阪の老舗ライブハウス「バーボンハウス」のブッキングマネージャーをしていた人で、僕も、バーボンハウスには出た事もありますし、仕事の上でもいろいろ関わりがありましたので、親しい間柄ではないものの全く知らない人ではありませんでした。

 

ロケッツのこけら落としには、けっこう大物ミュージシャンを呼んでいたのですが、スケジュールの行き違いで、突然、出る事が出来なくなると言うハプニングもありました。

 

出られなくなったミュージシャンについては、今更ですので書く事は控えますが、その代わりにこけら落としを快く引き受けてくれたのは、難波店をリハでよく使ってくれてたスタジオの常連でもある、Kaja & JamminKajaさんでした。

 

スタジオのスタッフはKajaさんの事を何故かは分かりませんが皆、「カメさん」と呼んでいました。

 

ロケッツがオープンする前、ロケッツのアルバイトの子達が集まって、色々と料理を作ったり、研修を受けたりしていたのですが、雇われたのは音響の素人ばかりで、基本的には、ホール係ばかりと言った状態でした。

 

ロケッツのメニューの料理が出来て試食をする時には、スタジオにいる僕もロケッツに呼ばれ、試食に参加したのも懐かしい想い出です。

 

なので、音響スタッフはまだまだ人手不足で、スタジオ3店舗の既存のスタッフが音響や照明をしたり、僕も、スタジオ業務をしながら、ロケッツの仕事をしばらく手伝っていました

 

ちなみに、ロケッツのステージの裏のドアは楽屋に繋がっていて、楽屋のドアを開けるとそこは、難波店のスタジオなのです。

 

だから、店を見ながら、ロケッツの手伝いもすると言う事が可能でした。

 

ロケッツのスタッフが育ったり、新しく雇われたりして、各ポジションがしっかり埋まるまでの数ヶ月は本当にハードでした。

 

そんな事もあって、難波店の店長は、ほとんどスタジオにいる事がなくなり、スタジオの店長業務をこなすのは不可能な状態に陥りました。

 

そんな時、会社のナンバー1である専務から以前から「社員にならないか」と誘われていた僕が、店長代理に任命された訳です。

 

売り上げの管理から、発注から、何から何まで全て自分の判断でしなければならなくなり、当時、バンド活動やソロ活動をしながらスタジオで食い扶持を稼いでいた僕の頭の中は、徐々に、音楽の事が隅へ追いやられ、スタジオ業務の事やPA現場の事で一杯になっていったのでした。

 

この頃ですね。

 

この仕事はそろそろ辞めなくてはいけないと思い始めたのは。

 

自分の本筋はミュージシャンとしてオモテ舞台を歩くのが生き方である筈が、いつの間にか、裏方を歩いていて、それがほぼ本職の様になってきている。

 

そして、自分の出すオーラも裏方のものに変わりつつある事が自覚出来ていましたから。

 

◇見た目は大事

 

そうこうしている内に、一人アルバイトが辞めたので、代わりを募集したのです。

 

その面接は僕一人で担当して、僕が採用をほぼ決定して、その結果を本社が精査して最終決定と言う形です。

 

そして、アルバイトが決まり、新たな店長ももうしばらくすればやってくる事になっていたその頃です。

 

麻薬の運び屋の前科があり、自分自身もシャブ中であるバカが運転する車に、僕はひき逃げされたのです。

 

◇ひき逃げされた経験と絶対に逃げてはいけない訳

 

僕は、そのひき逃げ事件のせいで、半年間の入院とリハビリに更に半年間と約1年と言う時間を失う事になったのです。

 

そして、僕は、その入院中にその店を辞める事を決断し、着任の挨拶を兼ねて見舞いにきてくれた新店長にその旨を病室で伝える事になりました。

 

結局、新しい店長や、僕が面接したアルバイト君と、一緒に働く事はありませんでした。

 

病院には、一部スタジオの常連さんもたくさん見舞いにきてくれて本当に驚いたし嬉しかったのを、よく覚えています。

 

その見舞客の中には、こちらが名前を思い出せない常連さんもいて、それを悟られずに話をするのに苦労をしたのも、今では、いい笑い話です。

 

◇影が薄いバンドマンの話

 

そして、以前ブログに書いたジミ君も何度も見舞いに来てくれたし、同じくその記事に出てきたトイ君は半年間毎日の様に、病室に来てくれて、いつも漫画やなんかを持ってきてくれて有り難かったのも懐かしい想い出です。

 

◇音楽バカと多彩なあいつ

 

そして、この時期に失ったのは1年間と言う時間だけではありません。

 

ひき逃げされた経験と絶対に逃げてはいけない訳』にも書きましたが、実はその時期、密かに進められていたプロジェクトがあったのです。

 

それは、レーベルだかプロダクションだかはっきり分かってませんでしたが、とにかく、名の通った大手の音楽関係の会社からスカウトされていて、実際のライブを見たいと言われたので、急造バンドを大慌てで作ってライブの場所も日も決まって、それに向かって一直線に進んでいた時だったのです。

 

この事は、僕はほとんど周りの者に話していなかったので、ジミくんやトイくんも知らない事です。

 

結局、ひき逃げされて病院送りにされてこの話は流れて、大きなチャンスを掴み損ねた訳ですから、結果、無かった事と言う意味では、ほとんど誰にも知らせなくて良かったのかもとは思っています。

 

セッションメンバーは友達に観に来てくれる様にとたくさん声をかけていてくれた様なのですが、僕は、誰も呼ぶ気はなかったし、セッションメンバーに誘った子達と、僕とは交友関係に接点がほとんどありませんでしたから。

 

結局、僕の周りは、この事をほとんど誰も知らないままと言う事です。

 

 

しかし、このサブロックスタジオ難波店(#GATE3)を辞めてしばらくしてから、ゲートで一緒に働いていた元スタッフの女の子から「同窓会をしよう!」と言う連絡が入ったのです。

 

それには勿論参加しましたし、とても懐かしく楽しいひと時でした。

 

それから、時折、「同窓会」の名目で集合がかかる事があり、それが何年も続きました。

 

その内、海外へ移住した子がいたり、呼んでも来なくなる奴が出てきたりで、いつの間にか、集まる事はなくなって久しいですね。

 

そして、今では僕も、誰にも連絡先を教えずに一人キリでの活動を選択していますし、再び集合がかかっても、僕の所へは連絡が来る筈もありませんので、今現在、当時のスタッフがどうなっているのかはわかりませんし、ゲートやロケッツがなくなって、元店長や元社員さん達がどうなったのかも分かりません。

 

◇人はどこまで一人で生きていけるのか・検証と挑戦と証明

 

当然、元スタッフ達がこの件でどんな思いをいだいているのかもわかりません。

 

 

ロケッツやゲートがなくなる直前のロケッツやゲートのSNSやサイトを見ましたが、既に知ってるスタッフもいなかった様で、僕が働いていた頃から本当に長い時間が流れたのだなと実感致しました。

 

そして潰れたと知った時は、本当にショックでしたし、寂しかったです。

 

僕の人生の中で大きな比重を占める出逢いや出来事がギュッと凝縮された場所でしたから。

 

ロケッツやサブロックスタジオを経営していた本社についてもいろいろ調べてみましたが、一切情報がヒットしませんでした

 

本社ごと倒産してしまったのか、スタジオやライブハウスの事業から手を引いただけなのか、そこの所も分かりませんし、まだいるかも知れない、僕が知っている本社の人達もどうなったのか気になる所です。

 

僕が関わった皆さんが、今、幸せに過ごしている事を祈ります

 

僕に関わった皆さんと、サブロックスタジオ難波店・茨木店・難波ロケッツには、本当にありがとうと言いたいです。

 

ありがとうございました。

 


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

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