この記事は5532文字です。(読破予想時間:約13分10秒)
みなさんは輪廻転生を信じていますか?
◇売れ線を忌み嫌ってた頃
根拠だとか、理論だとかそんなものは関係なしで、本能的に信じてる状態ですね。
今回は、そんな輪廻転生にまつわる話で、もし、輪廻転生があるならばと言う観点に立って、今の人生と来世について、自分語りをしたいと思います。
と言っても、僕は特定の宗教に入信している訳でもないので、これから、自分の考えを布教しようとか言うつもりもありませんので、安心して読んで頂けたらと思います。(;^_^A
それでは、聞いて下さい。
よろしくお願いします。
輪廻転生とは、何度も生まれ変わり転生する事を言う。
いろいろな宗教が、この輪廻転生の概念を持ってるが、僕達日本人でこの輪廻転生を信じている人は、おそらく仏教の概念の影響によるものだろう。
しかしながら、今回のこの話は、輪廻転生があるのかないのかを論じる様なそんな話ではない。
例え信じてない人が何人いようが、僕は、何の迷惑も被ってないし、それを論破したり説得したりするつもりもない。
それは、本当に人それぞれでいいと思う。
ただ、今回の話は、あくまで「もしも」の話なのである。
現実に輪廻転生があろうがなかろうが、それはどっちでもよくて、あくまで「もしも輪廻転生があるのなら」と言う観点に立って気軽に読んで頂ければ幸いだ。
そして、一つの意見として読んで頂けると、尚、嬉しい。
僕は、輪廻の存在について、何故、そんな仕組みがあるのだろうと子供の頃から何度となく考えてきた。
その中で今現在持っている結論は、多くの宗教で語られている事と大差はない。
前世から背負った罪が、現世に反映されていると言う考え方が、何となく自分の中ではスッキリする。
そう考える事で、生まれながらの不平等や、人によって運の強さや運の量が違う事などの説明がついてしまう。
例えば、「どうして自分はいつも信じた人達に裏切られるのだろう?」と思ったりした時には、「前世で、自分はよっぽどいろんな人を裏切ってきたのだろう」だとか、「どうして自分はこんなにも異性にモテないのだろう?」と思ったりした場合には、「前世で、よっぽど異性に酷い事ばかりしてたんだろうな」などと、考えると、自分の中ではかなりしっくりくるのだ。
この2つの例は、あくまで例えであって、現実に僕の人生に起こった事でもなく、自分が思ってた事でもないと言う事を、強調しておきたい。( ̄^ ̄)
僕はここまでの人生の大半、決して楽な人生ではなかったが、自分の思った通りに生きてきた。
思った通りに生きられたかどうかと言うと、思い通りにはいってないが、少なくとも、自分の意志で行く道だけは選んできた人生だ。
その道の先には、欲したものはなかったと言う結末ばかりだったにせよだ。
戦国時代なら、僕は丁度今、平均寿命くらいの年齢だ。
今の所、親孝行らしい親孝行も何一つ出来ていない。
勿論、一日でも早く、親孝行が出来る身分になりたいとは常日頃思ってはいるのだが、思っているだけでは、どうしようもない。
そんな僕だが、よく考えると来世の事などあまり考えた事がなかったと最近気付いたのだ。
輪廻転生を信じながら、薄らぼんやりと死んだら来世はどんなだろう?くらいは考えた事はあるが、具体的に突き詰めて考えた事は一度もない。
前世については、今の人生を思いながら、いろいろ思いを馳せる事はあった。
自分の今の人生をあまり否定的に考えた事がなかったので、きっと前世は、金銭的には少し余裕があって、そこそこの平凡な人生だったのではないかと思える事が多い。
そのせっかくの金銭の余裕を有意義に活かす事が出来なかったから、現世ではお金で苦労するのかもしれない。
適度にある程度揃った人生だったので、あまり努力をせずに逝ったのではないか?
その業を背負って生まれてきたのが今の自分なのではないかと、思ったりもするのだが、前世については、まだまだあやふやな想像ばかりでこれもその想像の一つに過ぎない。
しかし、大金をだまし取られたりって人生でもない事から、人を騙す様な人生でもなかったのだろう。
前世からのそんなしがらみを業と言い、その結果背負う物を使命と言うのかもしれないと、いつの頃からか考える様になった。
自分の使命は何だろうと考える時、自分の生い立ちや人生に、物凄く分かりやすく、そこかしこにそのヒントは散りばめられている。
お金の話からだって、たくさんの事を紐解ける。
何故、自分は裕福な家庭に育ったのかとか、逆に何故、貧乏な家庭に育ったのかとか。
そして、前世に思いを馳せてみれば、何故、そんな境遇を与えられたのか、比較的スムーズに答えが出せる事が多い。
そして、身体的な能力についてもそうだ。
人並み外れた身体能力を授かった人は、きっと、スポーツの世界で人に勇気を与える事を使命として生まれてきたのだろう。
そう言った優れた能力を与えられているにも関わらず、それを最初から、「そんなの無理だ」と言って、高みを目指してチャレンジもせずに終わるなんて事は物凄く罰当たりな事であって、来世では、きっともうその身体能力は授からないだろう。
僕の場合は、他人との比較ではなく、あくまで自分の中で得意だった物、好きだった物と言うのが歌だった訳で、子供の頃からそこそこ通る声とそこそこの声量とそこそこのリズム感とそこそこの音程を授かっていた。
これは、謙遜ではない。
本当に、周りから、音楽の申し子だとか神童だとか言われて育ったとか言う歌手やミュージシャンが現実に存在する中、僕は、そんな注目のされ方をした事もなかったし、僕より歌が上手い子も今までにたくさんいたので、いわゆる天才のたぐいではない事は百も承知している。
本当に、あくまで自分の中での比較なのだ。
CMでよくある「当社比」ってヤツだ。
そういう意味で、歌は得意で好きだったと言うのは間違いない。
つまり、自分を客観視してみると、僕は、歌や音楽に関して、飛び抜けてた訳でもなく、平均よりは上のそこそこの能力を授かって生まれてきた人間だと言う事になる。
しかし、これも自分が生まれながらに授かった能力である事は、紛れも無い事実なのだ。
以前、僕は物欲と言うものがあまりないと言う話を書いた事があるが、それと同時に人を羨むと言う気持ちもほとんどない。
◇自分の欲について
僕は、お金持ちに生まれた人を羨ましいと思った事は一度もない。
人生の成功者として大金を掴んだ人を羨んだりもしない。
しかし、音楽をしながら思った事は、やはりお金がないとにっちもさっちもいかないと言う事だ。
それは何をするのにも、大抵の場合は同じ結論だろう。
しかし、「お金が欲しい、お金があれば」とばかり嘆いていても何も始まらない。
僕は、こういう部分をきっと試されているんだと思っている。
お金がないこの状況からのスタートを、どう打破するかが、自分に課せられた課題の1つだと思っている。
試されてるとか言うと、語弊があるが、どっかに杖を持った白く長いヒゲを生やした神様がいて自分をずっと見ているなんて意味ではない。
前に何度か紹介させて貰ったが、僕は、一神教の考え方は信じていない、無神論者だ。
◇父と母だと子供はどちらとの縁が深いのか
故に、誰かが僕を試していると言う意味ではない。
試されてるのと同じだと言う意味で試されていると言う表現を使ったにすぎない。
その試験をパスしなければ、来世では、それを業として背負わなければならない訳で、そういう意味では試されてるのと同じだと言えると思うのだ。
僕は、15歳で音楽を始めて、そのまま学生時代も音楽三昧で、就職の内定を貰っていざ明日から正社員だと言うその年の年度末、3月31日その日に、就職を蹴って音楽の道を選んだ。
自分の前世や現世、自分が授かった物。
何が正しくて、何が罰当たりな事なのか。
世間で言われている事や常識に感じる矛盾。
そう言った事全てを一旦混ぜこぜにして、整理しなおして弾き出された答えが、音楽の道へ進むのが正しいと言う結論だった。
僕の場合、単に好きだからと突っ走ったバンドマン達の様な、格好良さは皆無だ。
本当に、細かく複雑に、考えて考えて考え抜いて出した結論なのだ。
無宗教で無神論者な割に信心深く、音楽の道へ進んだ理由もかなり宗教的な悟りに近い感覚で決定している。
◇僕が音楽の世界で生きる決意をしたひとつの理由
何度もロックは好きだが、僕はロッカーじゃない、僕の中にはロックは流れていないと言って来たが、スタートからしてロックからかけ離れた思考を働かせた結果なのだ。
さっき、前世と現世の事は何度も深く考えた事があるが、来世についてあまり深く考えた事がなかったと書いたのを覚えているだろうか?
そして、最近、来世について初めて深く考えてみたのだ。
輪廻転生があるとして、自分の為に現世を生きてる僕の様な人間は、来世、きっと、他人の為に生きるのが使命になるのだろう。
おそらく、自分の為に生きる事など出来ない、そんな人生が用意されている。
それを僻まず、悟り、そして、その宿命通りに生きる事が出来れば、更にその次の人生はステップアップしたスタートとなる筈だ。
などと、そんな事を最近よく思うのだ。
僕の音楽は、あくまで自分の為であるが、それすなわち人の為でもある。
◇皆が行き着く結論と同じ結論にたどり着く事の意味
そして、自分の音楽で誰かが救われたり、楽しんで貰えたり、何かに気付いて貰えたりすれば、何より嬉しいと僕は思っている。
音楽家のゴールは、納得のいく作品が出来た時ではない。
それが、誰かの心に届いて、その心を掴んだり揺さぶったり出来た時がゴールなのかもしれない。
ただし、このゴールはマラソンの様なものではなく、サッカーの様なもので、ゴールを一回決めたから終わりと言うものではない。
1ゴール決めたら、また、新たなゴールを目指してスタートが始まる。
そう言う意味で考えると、来世は、他人の為に捧げる人生になるのだろうと直感的に思ってしまうのは、自分の音楽がまだまだ人々の心に届けられていないからなのかもしれないと言う思いも同時にある。
それを思うと、何だか、まだ、こんな所で終わってはいけないんだろうと言う気がしてくる。
そして、最後に僕の輪廻に関するオリジナルの考え方を。
それは、「じゃあ、輪廻転生と言うものには終わりはないのか?」と言う疑問に対する僕の出した答えだ。
輪廻の終わりはある。
それは、現世で人々の役に散々立って、死後、神と崇められるくらいの人物になれば、きっと輪廻は終わる。
おそらく、極楽浄土の様な所で永遠に暮らせるのか、神社に祀られる程の存在になったりして日本の神々の一人になるのか分からないが、現世の人々の中で神となった時、やっと、輪廻の旅が終わるのではないだろうか。
くどい様だが、この場合の神と言う表現は、一神教で言う所の神(god)の事ではない。
ほぼ、日本神道で言う所の神の概念に近い。
因みに、外来宗教が入って来た時に、godを「神」と訳した事が間違いで、本来、日本の神の概念とキリスト教やイスラム教で言う所の神は全くの別ものであると言う事を理解した上で、この話を読んで頂くと分かりやすいだろう。
野球の神と言われたり、ブルースの神と言われたり、学問の神と言われたりしている人が、過去にも現世にもいるが、こういう人達はきっと、本当に神になる。
◇ありがとう!ブルースの神、B.B.KING!
神と言っても一神教的な神ではなく。
この世もあの世も修行だとするならば、輪廻の終わりは修行の終わりを意味する。
つまり、修行で課された課題を全てクリアする事こそが、輪廻の終わりを意味するのではないか。
僕はそんな風に思っている。
あちこちに話が飛んだり、ちょっと複雑な話でしたが、いかがでしたか?
うまく伝わったでしょうか?
この話を突き詰めるともっともっと複雑で深い話なんですが、今回は、取り敢えず入り口と言う事でこんなもので。
また、機会があれば、どんどん話を広げていきたいと思いますので、その時はまたよろしくお願い致します。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。( ̄▽ ̄)
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