この記事は1129文字です。(読破予想時間:約2分41秒)
議論の末、論破したから正しいと言う訳ではないけれど、人は何故だか自分の正当性を求めて議論を挑まずにはいらない生き物の様だ。
最近、政治討論系のYouTubeを見ると、誰々が誰々を論破したとか、誰が誰を完全論破とか、やたら『論破』と言う言葉を目にする様になった。
見てみるとけっこう面白い。
自分が贔屓の有名人が誰かを論破してるのは、確かに見ていてスッキリするが、その逆だと本当に悔しい。
その手の動画についたコメントを見ていると、論破した側が正しい事を証明したかの様に勝ち誇ったコメントがずらりと並ぶ。
でも、実のところ冷静に考えてみると、論破した方が正しいと言う訳でもない。
格闘技ならば、どちらが強いかを証明するために闘ってる様なものだから、勝った者が正しいと言うのは当然だろう。
スポーツの試合も然り。
しかし、舌戦となると話は違う。
裁判では確かに論破した側が正しいとなるのかも知れないが、日常の社会生活の中ではそれは違う。
けれど、見ている人間の心理からすると結局は格闘技を見ているのと何ら変わらない様な気がする。
まぁ、言って見れば、舌戦も言葉の格闘技の様なものなのだろう。
ただ、そこには終わった後にスポーツや格闘技の試合後の様な清々しさはない。(-。-;)
実際の所、実社会でも口論になって論破した側がまるで正しいかの様に勝ち誇っている事が多いが、論破された側は悔しさこそにじませているが、自分が間違っていたなんてこれっぽっちも思っちゃいない事がほとんどだ。
結局、相手を言い負かす事が出来ず、言い負かされた事が悔しかったり、相手や周囲に自分の考えが伝わらなかったり、認められなかった事が悔しいと言うだけの話で、論破されたからと言って、相手側の意見が正しかったと考え直す事などほとんどない。
結局は、議論で勝ったり負けたりなんて、どっちが口が立つかってだけの話で、それでどっちが正しいかなんて判定がつく訳ではない。
しかし、人は、意見の違う人に自分の意見の正当性を認めさせようとする時、何故か、議論で勝とうと相手に挑みかかるのだ。
それで勝利したからと言って、実際は相手の価値観や考え方も世の中も何一つ変わりはしないと言うのに。
話し合いこそ平和的解決だと言われるが、武力・暴力よりマシかも知れないだけで、僕には残念ながら余り平和的には見えない事がけっこう多い。
確かに、相手に同調したり、影響を与え合ったりと建設的な議論もたくさんあるし、議論を否定してる訳ではないけれど。
結局、根本的に話し合うつもりもなく、相手を言い負かす為に始める議論なんて、議論する意味などほとんどないのではないだろうか。
そして、論破する事になんてほとんど意味がないのではないか。
そんな風に思えてならない。
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