今週の九条の大罪/第78審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第78審/至高の検事⑭

 

 

 

九条の導きで犬飼は1年海外に隠れて死体の状態が変わったころに自首、壬生は預かっている京極の武器を警察にもっていって京極を封じ込め、というところでだいたいはなしがついたっぽいところ、壬生に大気中の菅原から電話がかかってきた。戦争がはじまるかもしれない状況で、兵隊を集めてもらっていたのだ。とりあえずそれは不要になるかもしれないタイミングだったが、しかし電話の持ち主は京極なのだった。呼び出された菅原が京極に電話を貸してしまったのだ。

 

菅原と京極がいるのは、犬飼の連れ・小松が拷問されている場所だ。鼻をそがれ目玉をくりぬかれ、その時点ではまだ生きていたが、腹を裂かれて腸を巻き取られて、さすがに死んでしまったようだ。長渕のはなしなどしているが、菅原はドン引きしている。その後の最後の表情は、なんとなく京極に対する反感が感じられるようでもある。壬生以上にヤクザとはうまくやりそうな雰囲気のある菅原だが、似たような感情はもともともっているのかもしれない。

 

 

壬生は久我と車に荷物を積んでいる。これから京極のところにいって話し合いをしてくるということだ。もともとその気はなく、警察に向かうところだったはずで、菅原が人質にとられているわけでもないわけであるから、そのときから変わったことといえば「電話があった」以外ないわけだが、それだけ、実際に話してしまった、言質をとられた、ということが、界隈では大きな意味をもつということかもしれない。

1時間たって戻ってこなかったら死んでいるから、かわりに武器をもって出頭してくれと壬生は久我に頼む。交渉現場のホテルには、駐車場にまでヤクザたちがひかえており、ものものしい雰囲気だ。

 

壬生と京極が対面、京極が犬飼の居場所を知っているかとたずねると、壬生は意外にもあっさり知っているとこたえる。壬生がなにかをいう前から、それを早く教えるか、外にいる兵隊どうしで戦争するか、ということを京極はいう。これは菅原が待機させていたモブマッチョだろうか。ということは、壬生は菅原ともいちどは連絡をとったことになるか? それともこの現場のどこかに菅原もいるのか。

そこへ、肩を怒らせた鍛冶屋が決意の表情でやってくる。モブの若者と比べるといかにも小柄な老人である。ところが、半グレたちは自然に道をあけてしまう。どれだけ人数をそろえても、肝がすわっていなければ役に立たないと、京極がこの状況を偶然解説するかたちになる。

そして壬生は、それをわかっていると応える。

 

時間をさかのぼって、出発前のはなしだ。壬生と久我が武器庫に行く前か、行った後、つまり京極からの電話の後か、どちらなのかはよくわからない。だが、会話の感じからは、いったんはなしが決まって分かれ、武器庫にいって武器を回収、そこで京極からの電話を受け、改めて犬飼と合流したというような感じがする。

ふたりは犬飼を連れて戦闘機が飛んでいる荒地のようなところにやってきている。犬飼は別の目的を聞かされているのだろう、なにも警戒していないどころか、壬生といたほうが安心だとまでいっている。そして、飛行機の轟音にあわせ、くさむらに小便しにいく犬飼の背中に壬生の銃が向けられ、頭と首、胸が撃ちぬかれる。

 

 

「お前の人生ってなんだったんだろうな。

 

死んだ弟のときと同じだ。

俺がケジメをとった。

 

京極に拷問されて死ぬよりマシだろ?」

 

 

死んだ犬飼はどこにいるのか。壬生は、かたわらのスーツケースを示すのだった。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

動いているものを銃で正確に撃つのは素人には難しいっていうし、壬生はこれ、人間撃つの初めてではないんだろうな・・・。

 

犬飼はけっきょく殺されてしまった。壬生にとっては犬飼を差し出すことが、命の危機という意味ではいちばんにおもわれたのはたしかだが、菅原・犬飼一派を束ねたあのときのカリスマ性は失われてしまうだろう、ということを前回書いたが、どうなるだろう。ただ、今回の菅原の反応を見ていると、案外そういうこともないのかなという気もしてくる。なんというか、半グレにとってヤクザというものが、業種を超えて認識されている地域のクレーマーみたいなもので、厄介なもの、抗いがたいものであるという点で、認識の重なるぶぶんがかなり広いのかもしれない。要するに、多くの半グレは汲んでくれるのではないかということだ。だいたい、モブマッチョの大将である菅原じしんが犬飼の死に間接的にかかわるかたちになってしまったということもある。特に菅原にとっては、京極のいうとおり、全面戦争をはじめるか、沈黙するか以外なかったのだ。あるいは壬生はそこまで見越して犬飼を売る方向に舵を切ったのかもしれない。

 

 

壬生が犬飼を撃ったあとのセリフはなんだろうか。そもそも、弟のはなしはほんとうなのか。前回、壬生の弟のはなしが初めて出てきたときには、これはおもちのことかもしれないと考えた。犬飼が弟に似ている感じがする、だから助けてしまう、というようなはなしである。これが、じつはおもちのことで、おもちは犬だから、もしこれを正直にくちにしてしまうと、「お前が昔飼ってた犬に似てるから・・・」というはなしになってしまい、これだとあんまりなので、弟ということにしたのではないかと。しかし今回の弟のはなしは犬飼が死んだあとにくちにされているのである。とはいえ、近くには久我もいる。久我は壬生の右腕だが、おもちのことは知らないかもしれない。ましてや、それが壬生にとっての京極越えをするにあたってのもっとも大きな原動力であるとは、おもいもしない、かもしれない。丑嶋はわりとふつうにウサギのはなしをしていたが、壬生がそれを隠さないとも限らないのである。

弟か、弟のようにおもっていたおもちか、どちらかはわからないが、ともかく壬生は、今回がそのときと同じだという。そして、自分がケジメをとったと。ケジメをとるとは、責任をとるということだが、これが過去形になっている。とすると、ここで「ケジメをとる」にあたる行為というのは、犬飼を殺したことではないかとおもわれる。猛殺しについて、じぶんがカタをつけた、また、犯人である犬飼を殺すことにより、すべて預かった、責任を負ったというくらいのことだろうか。もし「弟」がおもちのことなら、ケジメもなにもないというか、京極のシマをあらしたのは壬生じしんなのであり、おもちはまったく無関係なので、「ケジメをとる」とわざわざ言葉にするようなことでもないような気もするが、おかしいということでもないかもしれない。おもちの命ふくめてもろもろ背負った、というようなことだろう。はなしは、これがほんとうに弟のことだとしたほうがわかりやすいかもしれない。つまり、壬生にはじっさい犬飼のような弟がおり、これがなにかやらかして、壬生が弟を殺したのである。弟殺しといえばカインだが、ウィキペディアによれば、「カイン」は鍛冶屋を意味し、「金属加工」の祖とする向きもあるようである。そしてアベルは「息」を意味し、「羊飼い」であったそうだ。カインは嫉妬でアベルを殺しているし、そもそも犬飼はぜんぜん遊牧民っぽいタイプではないので、まあ思いついたからいちおう書いてみた、というようなものを出ないが、なんとなく、これはほんとうの弟を指しているのかな、というような気がする。

 

壬生としては、九条の計画に依存はなかったはずで、げんにこれから武器をもって出頭しようとしている。じぶんが戻らなかったら久我に行くようにいっているので、これはすでに実行されているものと見てもいいだろう。そうなれば、京極は10年刑務所で、じぶんがうまくすれば懲役にならない、という状況が訪れる。そこは、犬飼を差し出しても隠しても変わらない。最初に書いたように、今回壬生にとって変化があった点といえば、京極から連絡があったということだけなのだ。

京極から連絡があった、ということがなにを意味するかというと、ひとつにはやはり菅原のことがあるかもしれない。壬生はなにか、常にヤクザくん以降の丑嶋と同じ目をしているというか、いっそ戦争でもしてしまうか、というときには、ほんとうにそう考えていそうなところがある。今回、鍛冶屋との比較で、おそらくヤクザと半グレではそもそも勝負にならないかもしれないということが示されたが、ともかく壬生はそう考えていた。そうするにあたって、統率力のある菅原の存在は非常に大きかった。菅原がいなければ、壬生は戦争をしようかどうかということすら、そもそも考えなかったかもしれない。こういうところで、菅原が京極といっしょにいるらしいということになってしまった。向こうでなにが起きているかはわからない。拷問されているかもしれないし、寝返ったかもしれないし、なにも起こっていないかもしれない。こういう、不確定なぶぶんが、あの瞬間に一気に増えてしまったのである。武器をもって出頭すれば、京極はしばらくいなくなるかもしれないが、伏見組の報復は避けられない。となったとき、警察の保護だけでは不十分で、若いヤクザたちがもらしていたように、菅原軍団が壬生のまわりをうろうろしているという状況は、戦争をしないとしても、必要だったのだ。

もうひとつは、その、「連絡があった」ということじたいがもつ重みである。なにか別のところでも感じた記憶があるのだが、どうも、彼らはこうして「話してしまった」ことにかなりの重みを見出すようなのである。どちらにしても宣戦布告することになるのだから、電話が京極だとわかるなり切ってしまったりしてしまってもよさそうなものだが、そうならない。電話に出て、いっしゅんでも通話してしまった以上、なにか不合理ながら無視のできない関係性のようなものが、新たに作られてしまうのである。

 

これは、例の主体性問題と関連させることができるかもしれない。壬生は、京極によってじぶんの命とおもちの命を天秤にかけさせられ、おもちを殺してしまい、以後京極を恨んでいる。ふつう、選択肢というものは、等価もしくは価値の近いものが並べられるものであり、命のような比較できないものを対象とすることはできない。だが、京極はその選択を壬生に強いた。「選ぶ」という動作をなぞったのはたしかに壬生であるが、彼に逆らうことができたかというとそれもない。そこに主体性はなかった。こういう強制を、強者として京極は行う。そして、京極に限らず彼らヤクザは、この「主体性」と「不合理な強制」の関係を逆転させる。こちらが強者であり、物語の主体であるから、このような強制が可能である、というのがもともとの姿であるところ、彼らは、強制を行うことで、またそれが可能だということを悟らせることで、主体性がこちらにあることを示すようになっていくのである。

小松への常軌を逸した拷問を見てもわかるように、京極は、「目的」があり、それを達成するための「行為」を選択する、というふうには動かない。あそこまで小松をいたぶる必要はまったくない。もしそれに理由があるとすれば、「あそこまでする必要はない」と、菅原や部下たちなど、それを目撃したものにおもわせることである。とりわけ、今回の猛の件では、京極は当然後手にまわることになる。後手にまわるということは、「対応」するということであり、それは物語全体では主体性を欠くことになる。これを、「行為」のインパクトで打ち消すのだ。小松の死体を見たものは、もはや猛や、それを殺した犬飼のことなど忘れ、京極への恐怖や嫌悪感ばかり抱えることになるだろう。その先に浮びあがる京極の姿は、もはや「身内を殺され、その復讐をしようとする者」ではなく、「身内を殺されればとんでもない方法で復讐をする者」なのである。この意味で、復讐をじっさいに実行するその動作は、被害(ここでは猛殺し)より先に、実は潜在しているのである。「小松への拷問」は、実は猛が殺される前から目に見えないかたちで存在しており、犬飼がじっさいに猛を殺したことで、同時的にそれが実現したのだと、そういうふうに感じられるのである。

 

このようにして、彼らは「行為」を充実させることで、主体性を確保する。この現場の、物語の主人公でなければとてもできないことを先んじてしてしまうことで、強引に主体性を引き寄せるのである。壬生との通話に関しても、同じように見ることができるかもしれない。菅原を確保し、その電話を強引に借りて電話する、それがすでに「強制」の表現である。そこから、いますぐ来いという語形で、京極から壬生への指示が実現してしまった。どちらが主語かという点で、壬生は一歩先を行かれてしまったのであり、そしてこれが、「連絡があった」ことの強度一般につながっているのかもしれない。

 

さて、ここまできて蔵人の出番がぜんぜんなくて心配だが、このあとの武器の件などで登場するということなのだろうか。ぼくの考えでは、「至高の検事」とはおそらく蔵人など具体的な個人のことではなく、超越ということになる(第71審参照)。言葉を精密に読み取って目に見えるもので構成する蔵人と、彼の見落としを拾う九条の対立がまずあり、おそらく烏丸のいう「至高の検事」とは、両者を止揚したものではないかとおもわれたからだ。いままでのところでは強者が、つまり主体性を確保したものが、最終的には「至高の検事」になりうるというはなしなわけだが、しかし「強者」は、ソクラテス的に、他者をモノローグに回収しようとするものである。つまり蔵人側なのだ(第74審参照)。とすると、「至高の検事」とは、なんというか、やはり神のようなものを指すのかもしれず、すると、裁判というものが本質的にモノローグとは異なるものであるということが示されることになる。そこには形式的に弁護士、検事、裁判官がいるとしても、「最後の審級」のようなものはないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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