追悼・坂本龍一 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

2023年3月28日、坂本龍一氏が71歳で亡くなった。

 

坂本龍一には多くを学び、非常に強い影響を受けてきた。教授(坂本龍一の愛称)との出会いがあるとないとでぼくはまったくちがう人間になっていたであろう、いまやっていることはすべてやっていなくて、いまやっていないことばかりをやっていただろうというほどには、強い影響を受けてきた。だから、このニュースには、強い衝撃を受けた。しばらくまともにものを考えられないくらいには、衝撃を受けた。当然、なにかを書かなければと、いちファンとして、また書き手として、おもわないではなかったが、なにかを書こうとしても、すべてがむなしく、あまりにも愚かにおもわれ、また、そもそもなにも思い浮かばなかったのである。ようやく、そろそろなにか書けるかもしれないとはじめてみたが、正確な日付等調べて最初の一行を書いた瞬間に、すべてがくだらなくおもわれてくる始末である。

 

教授の音楽的果実や文化的なレガシーについてくわしく分析したり網羅的に紹介したりということは、ぼくにはできない。なぜなら、ぼくは身体が肌になじむ素材の衣服を求めるようにして、教授の音楽をまとってきたからである。ぼくは研究者ではないし、音楽についても、ピアノ演奏から離れて久しく、不心得なファンといっていいところだろう。なにか書くことがあるとすれば、思い出話しかない。ぼくが坂本龍一とどう出会って、どういう影響を受けてきたか、おそらく3月28日以降世界中で語られ、書かれたのと同じく、ぼくも示すしかない。つまり、この記事はぼくじしんのために書かれるものである。

 

ぼくにとっての坂本龍一は、2020年2月に亡くなった天才作家・浦賀和宏の思い出と連動している。というか、ほぼ同一の物語となる。チック・コリアの思い出が島田荘司と連動しているのと同じしかたにおいてだ。ぼくではたいがいのことが、本からはじまる。

高校一年の当時、ぼくはコルグのシンセサイザーを手に入れていた。ずっとジャズを聴いて育ってきて、ハービー・ハンコックが再結成したヘッドハンターズのライブを観にいって衝撃を受けたり、いろいろなことがあってピアノを弾いてみたいという気持ちが強くなってきて、さまざまな条件を満たし、ついに手に入れたところだった・・・というところのぶぶんは、実は詳細があいまいで、シンセを手に入れるのが先だったのか、浦賀和宏の『記憶の果て』を読んだのが先だったのか、いまとなってはよくわからない。ほぼ同時だったのかもしれない。ともかく、浦賀和宏の小説では、ピアノの音楽が非常に効果的に使われていた。わけても坂本龍一である。浦賀先生じしんが坂本龍一のファンであり、作中では安藤直樹という人物がピアノを弾き、YMOを演奏していた。だから、ぼくのなかでは坂本龍一と浦賀和宏が、優しい親しさとともに共存しているのだ。

この安藤直樹が生まれてはじめて弾けるようになった曲というのが、エリック・サティのジムノペディだった。そしてぼくも、まずはジムノペディから弾いてみた。なぜなら、やはり順番についてはあいまいになっているが、当時すでに手元にあった教授の楽譜に採譜されていたからだ。なぜ坂本龍一の楽譜にエリック・サティの曲が載っていたのかというと、『メディア・バーン・ライブ』という名盤で教授が演奏していたからである。かくして、ここのぶぶんは狙ったわけではないとおもうのだが、ぼくの手元には安藤直樹と同じくジムノペディの譜面があるという状況が生まれ、ぼくはこれを弾いたのである。

ジムノペディは、音粒の量という点のみにおいては易しい曲だ。譜面を眺めるだけでそれがわかる感じの、非常にゆっくりとした、しかも短い曲である。楽典的な備えはゼロに等しく、鍵盤楽器など小学校のハーモニカ以外では触れたこともなかったが、こういうときだけ異様に発揮される記憶力と情熱で、ぼくはこれがすぐ弾けるようになった。ずっとジャズ、特にピアノを聴いてきたのだが、ここでぼくははじめて、ピアノ音楽がどのように構成されているのかを理解したのである。そしてその次に弾けるようになったのがついに教授の曲、戦場のメリークリスマスのテーマだった。この曲もそんなに難しいものではなかったが、弾けたときにはうれしかった。次が黄土高原、これはなかなかチャレンジだったが、これをやりきったおかげでのちにチック・コリアのコピー譜などやる際の、リズム感の土台ができたようにおもう。ラストエンペラーは張り切って音楽の授業で弾いたな…

このことと並行して、浦賀和宏の先導のもと、ぼくはずぶずぶ坂本龍一にはまっていった。最初に買ったのはおそらく『グルッポ・ムジカーレ』というベスト盤だったようにおもう。オリジナルの戦場のメリークリスマスやラストエンペラー、その黄土高原にセルフ・ポートレイトにバレエ・メカニック、デビュー作の千のナイフなど、チベタン・ダンス以外の初期代表作がすべて収められている最高のアルバムだった。そこから、その『メディア・バーン・ライブ』や『未来派野郎』、『音楽図鑑』、そのときやたら流行っていた『ウラBTTB』や『BTTB』、トリオ盤の『1996』などを猛烈な勢いで手に入れ、聴いていったのである。やはり楽譜をどのタイミングで手に入れたのかはわからないのだが、たいしたことではないかもしれない。重要なことは、ジャズという背景があって、そこに浦賀和宏がやってきて、もともとあったピアノ弾きたい熱がかたちになり、坂本龍一とともに歩んできたのだと、こういうことだ。

 

誰にとっても高校時代というものは、よくもわるくもようやく具体化されはじめた価値観の骨格を構成する時代である。三年間、ぼくはピアノを弾きまくった。読書する以外の時間はすべてピアノに費やしたといってまちがいではない。なにしろ学校さぼって練習していたくらいだから。ふだんはものを覚えられなくて苦労する人間なのだが、ピアノのときだけは別で、2、3度見ながら弾けばぼくは完全にそれを暗譜することができた。ぼくのもっているものはシンセサイザーであり、実はピアノとはまったく異なる楽器である。弾きでに関してなにが異なるかというと、大きく2点、鍵盤が非常に軽いということ、そしてそれが少ないということがあった。だから、音楽の授業で課題になったり、知人の結婚式で弾くことになったりすると、普段の練習ではたりなかった。シンセのスカスカの鍵盤の感覚でグランドピアノなどにのぞむと、重さがちがいすぎてまったく自由に動けないのである。だから、そういうときはピアノをもっている友人の家などに通い詰めて練習していた。よく知らないクラスメートでも、家にピアノがあるときけば、休みの日にあがりこんで半日弾いていた。正直、超迷惑だったとおもうが、当時は気にしていなかった。ぼくのあたまには、教授のParolibreの名演奏や、ラストエンペラーの荘厳なオーケストレーション、ダイナミックな黄土高原や、最高にクールな千のナイフがいつも鳴り響いていた。夢を絵にする画家のように、言葉にならないものを物語に託す小説家のように、ぼくは、聴取した教授の感性的広がりを受けて、表現しようとうずく身体の衝動に任せて、猛烈にピアノを弾きまくったのであった。あれほどに人生を燃焼している感覚を抱えたことは、あとにもさきにもない。シンセが壊れ、時間もなくなってしまってから、たまにピアノ教室に乗り込んで弾くくらいで、楽器に触れる機会は減っていき、いまではもはやなにも弾けなくなっているとおもうが、そういう時間があったということは、いまこうして書いているものの熱量からもわかるように、貴重なことだった。もちろん、坂本龍一の音楽じたいはいままでもずっと聴いてきた。ほんとうに、ずっと聴いてきた。体内で鳴り続ける教授の音楽は、かつては表現されることを求めて、ピアノを弾きたいという身体的衝動となってあらわれたわけだが、いまそれはどこに向かっているのか。ピアノを弾きたくなることはいまでも頻繁にある。たぶん、大人になって、代償行動的に、別にふるまいに昇華することをどこかで覚えたのではないかとおもう。つまり、ぼくは聴取した教授の音楽を、仕事や文章などのうちに、別のかたちで表現しているのだ。

 

ぼくは、ひとが音楽家から影響を受けるとき、音楽家として、また音楽愛好家として影響を受けるだけでは済まないことがあると感じている。教授の社会活動についてはあまり知らないのだが、音楽そのものによって、当の音楽的感性のみならず、言語や思考、一般的な意味での感受性や運動能力に至るまで、つまり人格のすみずみまで再構築されてしまうということがあるのだ。たぶんそれは、たとえばアジア的アプローチを通じて、創作の素材を選ぶ際の柔軟な目線が培われたとか、そんなようなことなのかもしれない。だが、ぼくの実感としてはもっと全体的な影響なのだ。言語とはそもそも音楽だった、というのは数年前の思いつきだが、そのことももしかするとかんけいしているかもしれない。ソニー・ロリンズやジャコ・パストリアスのようなある種の天才は、ほとんどおしゃべりをするように音楽を奏でる。ジャコは特にそういう細かな音の粒で音楽を構成したこともあり、もう少し音数の少ない演奏家でも、聴きこんでいけばそういうふうにおもわれることはあるだろう。しかもそれは、言語の権威性を帯びる前の、無垢な言語である。音楽的アプローチが前衛的であるからその前衛性に影響を受けるのではない。作曲の動機のぶぶんに、言語化可能な思想があるからその思想に傾くのでもない。音楽それじたいが、それを作り出すものの脈動そのものなのである。ソウルフルとはそういうことだ。

音楽にも文体が、エクリチュールがある。坂本龍一は奇抜だが美しい装飾音を使いこなす作曲家・演奏家だった。そのことを理解したさき、ぼくはそれをどのように消化し、別のものにうつしかえているか、それはわからない。ただ実感があるだけだ。そしてそれだけでじゅうぶんなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini3@gmail.com